心満意足

 今日は珍しいことに悟の仕事が早く片付いた。彼が上機嫌で帰宅すると、名前は夕飯の支度の途中だった。いつも悟が帰宅する時間には作り終わっているので、料理の工程を見るのは久しぶりだ。キッチンから漂うスパイスの香りに誘われた彼はサングラスを外して名前の隣から手元を覗いた。鍋の中身を見るに、どうやら市販のルーを使わずにカレーを作ろうとしているらしい。名前は鼻歌交じりで木べらを動かしながら調味料を加えていく。手際が良い彼女を見た悟が感心して言った。

「最近凝ったやつ多いよね。料理の腕前も上がったんじゃない?」
「おっ、分かる!? 本とかネットで調べながら頑張ってるんだー」
「棚に置いてるスパイスとかハーブの瓶も増えたよね」
「バレたか。集めだしたら色々も欲しくなってきてさ」
「どうせなら全種類買い揃えたら良いじゃん」
「馬鹿、あれ結構高いんだぞ」

 名前はとんでもないと言いたげに笑った。悟と比べて庶民派なところがあるのだ。悟の洋服のブランドを調べて度肝を抜かれ、気軽に洗濯機へ放りこむなと注意したこともある。
 しばし無言で調理を見ていた悟だったが、ふと、名前の服に目が止まった。前面が濡れていたり、汚れている箇所がいくつかある。悟はそこでようやく名前がエプロンをしていないと気づいた。思い返せばひとりで住んでいる時に買った記憶はない。最低限の自炊しかしていなかったし、常に術式を発動しているおかげで汚れるという発想もなかった。別に部屋着なので洗えば良いと言ってしまえばそれまでだが、やはりあった方が便利だろう。名前は妙に凝り性なくせに抜けている所が面白い。悟がそう思っていると彼女から声がかかった。

「まだ時間かかるから先に風呂入ってて」
「おっけー」

 悟は返事をして大人しく風呂場へ向かった。
 エプロンを買ってきたら喜ぶだろうと考えながらシャワーを浴びる。多分硝子が聞けば『着てる所を見たいだけだろう』とツッコミをいれられるだろう。


 それから数日後。悟は予定通りに寄り道をして帰宅した。夜蛾を言いくるめて仕事を早く切り上げたのはここだけの話だ。上機嫌に玄関を通り抜け、リビングのドアを開けると名前はソファでくつろぎながらテレビを見ている所だった。

「ただいまー」
「おかえり。どこか買い物行ってきたのか」

 名前は悟が手にしている紙袋に気づいたようだ。彼は時折スイーツを買って帰ってくるのだが、それにしては紙袋が大きい気がする。首を傾げる名前に、悟はニコニコと紙袋を差し出した。

「あげる」
「どうした急に」
「別に変な物じゃないって。開けてみてよ」

 名前は悟の顔と紙袋を交互に見る。疑わしげに開封すると中に入っていたのはエプロンだった。グレーベージュのシンプルなデザインは名前の好みのもので思わず声を上げた。

「わっ!? 可愛いなこれ!」
「良いでしょ。名前に似合うと思ったんだ」
「ありがとう! 大事に使う」

 ソファから立ち上がった名前は早速エプロンを身につけている。自分の見立てに間違いはなかったと悟も満足だ。さりげなく携帯を取り出して笑顔の彼女を写真に収めた。
 しかし紙袋の中にはまだ何か入っている。気づいた名前が取り出して見ると、彼女のものをそのまま小さくしたようなエプロンだった。

「もしかして、これは津美紀の分?」
「うん。確か津美紀も持ってなかったからね。せっかくだし、お揃いで買っちゃった」
「絶対喜ぶだろうなあ! 早く一緒に着て料理したい」

 名前は紙袋を抱えて楽しそうに想像を膨らませている。これだけ喜んでくれるとプレゼントのしがいもあるというものだ。甘やかしすぎではないかと言う人物がいないのをいいことに、悟はまた名前に何か贈ろうと考えるのであった。

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