一水四見

 小学校が夏休みを迎えてしばらく経った頃、津美紀は友人から家に泊まりに来ないかと誘われた。折角の誘いを断りたくないけれど、弟を1人家に残していくのは不安。悩んだ末に彼女は名前と悟を頼ることにした。事情を伝えると名前達は快く津美紀を送り出した。

___現在、恵は名前と悟に連れられてアパートからほど近いスーパーにやってきている。買い物を済ませたら今夜は名前達が伏黒家に泊まっていく予定だ。メモを見ながら品物を手に取る名前の隣で悟がカートを押して進んでいく。恵は留守番でも良かったのに、と思いつつ大人しく2人の後ろをついてまわった。

 涼しい屋内には買い物客の他に、外の暑さから逃れてきたと思われる小学生達の姿がちらほらと見受けられる。半袖や短パンから見える手足は小麦色に日焼けしていて、いかにも健康そうだ。対照的に恵の肌は日差しを知らないかのように真っ白。見比べた名前が振り返って尋ねた。

「恵は遊びに行かなくて良かったのか?」
「別に、いい」

 恵が興味なさげに短く答える。暑い中わざわざ外へ遊びに行くより家で図書館から借りた本を読んでいる方がよっぽど楽しいのだ。これは彼の本心だが、悟は鼻で笑った。

「ハッ、友達いないんだろ」
「ほらそこ喧嘩しない」

 名前が宥めるので、恵はひとまず胡散臭いサングラスを睨みつけるに留まった。ここで何か言い返しても面倒なだけというのも分かっている。名前は恵の気分を上げようと話題を変えた。

「今日の夕飯、何か食べたいものある?」
「中華の気分」
「悟じゃなくて恵に聞いたんだけど」
「...何でもいい」

 恵の返答は名前には想定内だったらしく、予め考えていた候補を挙げた。

「じゃあ餃子にしようか。生姜多めの」

 にぱっと笑う名前を見上げ、恵はこくこくと頷いた。悟は納得がいかないようで口を尖らせる。

「えー? 餃子は中華だけど中華じゃないじゃん。酢豚とかがいい」
「何だその基準。それに酢豚はパプリカがあるから却下」
「そういえば恵が食えないんだっけ。好き嫌いするなんてまだまだガキだな」
「アンタもするでしょ。酢豚はまた今度作るから、今日は3人で餃子包もう」
「今度っていうか明日! 勿論甘辛のタレで」
「はいはい。明日になって気分変わったとか無しね」

 駄々を捏ねる悟に対し投げやりな返事をする名前。しかし、その表情はどこか楽しそうだ。あまり両親の姿を意識したことがない恵の目には、2人の仲睦まじい様子は物珍しく写った。

 精肉のコーナーで名前が肉のパックいくつもカゴに入れていくので悟が首を傾げた。餃子にしては量が多いように思える。

「こんなに挽肉使う?」
「ハンバーグでも作り置きしておこうと思って。津美紀もその方が楽だろ」

 名前と目が合ったので、恵はまたこくりと頷いた。津美紀の負担が減るのは彼にとっても有難い事だ。
 伏黒家で食事を作るのは姉の津美紀の役割だ。夏休み中は学校給食がないので毎日3食作らなくてはならず、なかなかに大変だ。はじめは恵も手伝おうとしたのだが、津美紀曰く包丁の扱いが見ていられないとの事で洗濯担当で固定となってしまったのだ。

 最後に野菜売り場を見ていた名前はしまった、という顔で呟いた。

「卵忘れた」
「僕が取ってくるから2人はこの辺にいて」
「大きい方のパックね」
「おっけーい」

 悟は名前にカートを預けて足早に引き返した。
 残った2人で野菜の棚を見て回っていると、角から小さな男の子が走ってきて名前とぶつかった。男の子が転ぶ前に慌てて支えてやる。

「っと、ごめんね。立てる?」

 名前が屈んで尋ねるが、男の子は驚いて返事ができないようであった。後ろから追ってきた母親らしき人物が何度も頭を下げる。

「す、すみません! うちの子が...!」
「全然大丈夫ですよ」

 名前が母子に笑顔を見せてその場は収まった。子供とぶつかるのは時々見かける光景だが、恵はそこである事に気づいた。男の子が走って来たのは右側から、つまり眼帯をしている名前の死角からだったのだ。思い返せば外出する際、悟は殆ど名前の右側に立っていた。恵は今まで深く考えていなかったと反省し、周囲に気を配るよう心がけた。ちなみに名前は術師や呪霊などは呪力でほぼ正確に感知できるのだが、彼がそれを知るのはまだ少し先の話だ。

 それから悟はすぐに戻ってきた。目的の卵だけではなく菓子類を持っているので、寄り道をしてきたのは明らかだ。

「お待たせー」
「ありがとう。ていうかそのお菓子どうすんの」
「良いじゃん。津美紀も恵も食べるでしょ」
「とか言って自分が食べたいだけね」
「正解!」
「ったく。ご飯もしっかり食べなよー」
「勿論! 早くレジ行こーぜ」

 悟は名前の手からカートを受け取って再び押し始めた。おそらく普段の買い物から自然と決まっているのだろう。そして恵の予想通り悟は定位置のように名前の右側に立った。この男が細やかな気遣いをするなんて、と恵はやや失礼な事を思いながら大きな背中を眺めていた。

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