水天一碧

繁盛期で大忙しだった苗字と五条は2人で外出する事が減った分、時々同じ布団に入って眠るようになった。五条は精神安定剤よろしく彼女を抱き枕にするのを気に入ったらしい。初めは照れていた苗字も今ではすっかり慣れて熟睡するようになった。

___漸く繁盛期を乗り越え、苗字が片目での生活にも慣れた頃。どちらの部屋を寝床にするのかは完全に気分で決めるのだが、今日は五条の部屋に集合となった。それぞれ好きなように寛いでいた時、五条が思い出したように提案した。

「名前。確か今度の休み被ってたよな。たまには遠出しようぜ」
「良いね。どこにする?」
「実はもう決めてんだけどさ。行先は着くまでのお楽しみってことでいいか?」
「おおー任せた! 期待しとくよ」

彼女は全く見当がつかなかったが、にこにこしながら声を弾ませた。五条も満足そうに頷いたので行先に自信があるようだ。
近々言おうと思っていた報告もその日にしよう、と苗字も内心で考えるのであった。

___いくつか電車を乗り継いで、駅からしばらく歩く。段々近づいてくる景色を視界にとらえ、先に声を上げたのは苗字だった。

「う、海だ!!」
「もうシーズン終わったけど、浜で散歩も悪くねえかなって」
「足くらいはいけるかもな! ほら、行こう」

苗字は目を輝かせて五条の手を引いた。2人ともジーンズにTシャツというカジュアルな服装だ。ジーンズの裾をまくって素足で波打ち際に立つと冷たい波が足の甲を撫でた。五条は彼女の様子を伺いながら口を開く。

「ずっと前に海行きたいって言ってたよな。結局去年も忙しくて行けなかったし、今日の行先は絶対ここにしようと思ってた」
「よく覚えてたな。確か沖縄の時だっけ」
「そ。あと大人数が良いっつーのも言ってたけど、まずは2人で行きてえなって」
「ちょ、待て、急にデレるなよ」
「別にデレてるわけじゃねーし」

五条はふいっと顔を逸らしたが、耳が仄かに赤く染まっている。苗字も嬉しいやら恥ずかしいやらで顔に熱が集まるのを感じた。
前方に視線を向ければ青空と海がどこまでも続いている。五条の瞳を彷彿とさせる青色は苗字の好きな色だ。苗字は隣に立つ彼を見上げてはにかんだ。

「悟。連れてきてくれてありがとう。両目が無くなる前にこの景色を見られて良かったよ」
「馬鹿、縁起悪いこと言うなよ」

ごめんごめんと謝る苗字の右目は白い眼帯で覆われている。五条は顔を顰めて彼女の頬を軽く抓った。落ち込まないのは結構だが、反省しているのかは謎だ。

2人は片手に靴を持ち、空いたもう一方の手を繋いで砂浜を歩き出した。頬を撫でる潮風も砂を踏む感触も、どちらも心地が良い。他愛もないことを話しながらのんびりと散歩をしていた途中で苗字がぽつりと言った。

「あのな、実は大事な話があるんだ」
「...何だよ」
「本当にごめん。私は悟から離れないって言ったけど、1年間と数ヶ月だけその約束を破らせて欲しい」
「どういうことだ?」

五条は一旦立ち止まった。サングラス越しに薄ら見える眼が何か言いたげな視線を寄越す。決意を固めた苗字は最近練っていた計画を話し始めた。

「私達はもう4年だし、普通授業も終わりが見えてきただろ。来年はどうせモラトリアムで自由に過ごせるからさ、その間高専を離れて冥さんに弟子入りしようと思って」
「何で、そんな急に」
「強くなりたいんだ。この前みたいに悟に心配をかける様な術師でいたくない。絶対1級術師になって悟の元に帰ってくるから、待ってて欲しい」

吉と出るか凶と出るか。拒否されたらどうしようか。苗字にとってはある意味賭けだった。固唾を呑んで返答を待つ。短い沈黙の後、五条が静かに尋ねた。

「...寮にも戻らないのか?」
「うん。冥さん、来月から海外任務が入ってるらしくてさ、私もそれに同行させてくれって頼みこんだ」
「は、来月? もう決定なのか、それ」
「夜蛾先生にはもう話を通してある。...結構無理言ってお願いしたけど。硝子には部屋の掃除とかも頼んだ」
「あー...マジか。何で俺には黙ってたんだよ」
「...ごめん。止められると思っ、」

五条は苗字の言葉を遮るようにして抱き寄せた。

「ったく、止めねえよ。オマエはやるって決めたら言うこと聞かねーだろ。...絶対無事に帰ってこいよ」
「うん。悟と肩を並べるような術師になってやるから覚悟しとけ」
「肩ー? そりゃチビ助には無理だな」
「おい馬鹿、言葉の綾だろうが」
「冗談だっての。...俺、ずっと待ってるから」

五条は密着していた身体を離して苗字の柔い頬をそっと両手で包んだ。彼女が戸惑いながらも顔を上げ、2人の視線が交わる。

「名前」
「...っ」

五条は苗字の唇を塞いだ。柔らかな感触が名残惜しいがこれ以上は心臓がもたないのですぐに離した。情けないが、余裕がないと思われたくなくてつい揶揄ってしまう。

「ハッ、顔真っ赤」
「オマエこそ」

苗字も負けじと言い返す。しかし互いに真っ赤な顔を見て可笑しくなり、何を張り合ってるんだかとくすくす笑って抱き合った。


___それからひと月後、苗字と冥冥が旅立つ日。五条は勝手に授業を抜け出して空港まで見送りに来た。

「気をつけて行ってこいよ。あと生存報告も兼ねて時々連絡寄越せ」
「ん、分かった。悟も元気でな。硝子にも言っといて」
「おう」

五条が苗字の髪をくしゃりと撫でる。手放せなくなりそうで、抱き寄せることはしなかった。彼女の背後から冥冥が声をかける。

「名前、そろそろ行こうか」
「了解です!」
「悪いね五条君、可愛い彼女との時間を私がもらってしまって」
「ちょ、冥さん揶揄うのはやめてくださいよ」

ばつの悪い様子の五条を見て冥冥が笑った。苗字は2人の珍しい一面を見た気分だ。最後に別れの挨拶を交わして、苗字達はゲートの奥へと消えていった。後ろ姿が見えなくなったところで五条も踵を返す。歩きながら今後やるべき事に思いをめぐらせ、小さく呟いた。

「俺はこれから人探しをしねえとな」

頭に思い浮かぶのは去年殺した男。彼が最後に言い残した『ガキ』を苗字が不在の間に探すつもりだ。来年苗字が帰ってきた時に会いたいと願ったら会わせてやろうか。五条はそう考えたが、我ながら複雑な関係図になりそうだと苦笑した。

◆◆◆◆

戻る
- ナノ -