比翼連理

元々4人だった教室が2人になると、それはそれは静かであった。かと言っても授業の回数は残り少なかったので、2人だけで過ごしたのは短い期間だったが。
5年生は高専生にとってモラトリアムの様なもので、自由な時間の使い方が認められている。例年よりも任務を減らしてもらった五条はとある男の遺言に従って奔走し、家入は治療の腕を磨くことに集中した。彼らは海外にいる同級生からの連絡を心待ちにしながら将来に向けて着々と準備を進めていた。
長いようで短い1年と数ヶ月が過ぎ去り、待ちに待った春を迎えた。

___現在の時刻は午前8時45分。高専の廊下を慌ただしく駆け抜ける人影があった。右目の眼帯、黒い剣道着、スーツケースと紙袋。ちぐはぐな格好のその人物は寮や職員室に続く道には目もくれず、階段を上がって目当ての教室に飛びこんだ。

「硝子、悟、ただいま! 1級術師の苗字名前ですッ!」

苗字ははじけるような笑顔で言い放ち、持っていた紙袋を教卓の上に置いた。スーツケースは邪魔にならないように端に寄せる。着席していた五条と家入は椅子を倒す勢いで彼女に駆け寄った。

「名前! 本当に1級になったんだな!」
「おめでとう。有言実行じゃん」
「2人ともありがとう! お土産も買ってきたから受け取ってくれ」

苗字はそれぞれに紙袋をひとつ手渡す。家入も五条も想像よりも重量がある紙袋に驚きながらお礼を言った。ちなみに教卓にある残りの紙袋は七海と夜蛾の分だ。3人で教卓を囲んでわいわいと騒いでいると、教室の扉が開いて夜蛾が入ってきた。

「オマエ達、積もる話もあるだろうが、一旦着席してくれ」
「えー良いじゃん、どうせ証書渡して終わりなんだし」
「だからさっさと終わらせようって事でしょ」
「へいへい」

家入が宥めると五条は素直に応じて着席した。
同級生3人が並んで座るのは何時ぶりだろうか。久方ぶりの光景に夜蛾は感慨深いものを感じる。五条の言う通り卒業証書を授与するだけの簡素な式ではあるが、夜蛾は厳かな面持ちで執り行った。学生ながらに殉職も多いこの世界で今日まで生き残り、今後も呪術師として生きていく彼らの大切な節目でもあるからだ。
最後に黒板の前で写真を撮って、4人だけのささやかな卒業式は幕を閉じた。夜蛾は苗字に時間がある時に職員室へ来るように言い残し、土産の紙袋を受け取って退室した。手続きなど諸々のことがあるそうだ。

教室内は苗字、五条、家入だけになった。各々好きなように机や椅子に腰を下ろし、苗字が冥冥と過ごした日々を語っていく。巡った国、出会った呪術師、祓った呪霊。どれも貴重な体験だったと嬉しそうだ。暫く耳を傾けていた家入が話が一段落したところで尋ねた。

「名前はこのまま術師として働くよね?」
「うん。フリーでやるのも考えたけど、冥さんみたいに金の管理とか上手くないし、高専から仕事受けるつもり。硝子と悟は?」
「私は医師免許取ってから高専医務室で働く予定」
「僕はここで教師をやる」
「待った、硝子は分かるよ、勿論。でも、悟、今何て?」

五条の言葉に目を瞬かせる苗字。見ていた家入が声を上げて笑い、五条はムッとして再び同じ言葉を繰り返した。

「僕は、ここで、教師を、やる」
「ハハッ、大丈夫なのかそれ! しかも僕て!」
「うるせーな。良いだろ別に」
「いや誰も悪いとは言って無い。違和感があるってだけで」
「大丈夫だ名前、私も慣れるまで時間がかかった」
「だよなー」

苗字と家入がけらけら笑う。五条はばつが悪そうに口を尖らせた。その後も長々と話し込んでいるうちにいつの間にか随分と時間が経っていた。

区切りの良いところで話を切り上げ、苗字は職員室へ向かった。今後の進路や必要な手続きについて簡単に説明を受けて、今日は一旦寮に帰ることに。苗字が職員室を出ると入口に五条が立っていた。

「やっと来た。オマエこの後何かやることある?」
「とりあえず寮に戻ろうかな。悟も来る?」
「行く」

五条が即答して苗字の手からスーツケースを引き取る。どうやら部屋まで運んでくれるようだ。
苗字が1年以上留守にしていたというのに、部屋は依然として綺麗な空間が保たれていた。ゲーム類の配置が変わっているのは恐らく五条が遊んだ形跡だろう。しかしきちんと整理されている。苗字は感動して思わず声を零した。

「めちゃくちゃ綺麗じゃん...!」
「僕と硝子が交代で掃除したんだからな。感謝しろよ」
「その節は本当にありがとうございます。ていうかやっぱり悟が僕って言うと不思議な感じがする」
「そこは頑張って慣れて。ついでに名前も言葉遣いを直した方が良い」
「やっぱり? ちょっとは気をつけようかなー」
「傑にも言われただろ」
「あー、そういや私達2人とも注意されたっけ」

苗字懐かしいなと笑って、スーツケースの整理を始めた。五条はあまり中身を見ないように気を使いながら少し距離を空けてラグの上に腰を下ろす。そして先程から気になっていたことを口にした。

「オマエ退寮手続き済んでないよね? これからどうすんの?」
「先生には新しい住まいが見つかるまでは寮にいてもいいって言われた。てことで早速明日から家探しする予定」
「んー、家探しとかしなくていいって」
「いやダメだろ。もう学生じゃないし、次の子の為にも部屋空けてやらないと」

苗字が苦笑いを浮かべる。荷解きの作業を再開させるが、五条の一言によって手が止まった。

「僕の家に住めばいい」
「...え」
「この前2LDKのマンション買った」
「か、金持ち野郎...!?!?」
「だって僕稼ぎ良いしー」
「腹立つなコイツ」

五条が俗に言うドヤ顔を見せつけてきたので苗字は悪態をついた。冗談はよせと彼女が流そうとすると、五条が徐に立ち上がって隣に腰を下ろした。珍しく神妙な面持ちで口を開く。

「ていうか最初から名前と一緒に住むつもりで買ったんだけど」
「本気で言ってる?」
「本気。だって名前はもう僕から離れないんだろ?」

端正なかんばせに自信たっぷりの笑みが浮かぶ。苗字は彼の問いに拒否するような言葉を持ち合わせていない。顔に熱が集まり、心拍数が跳ね上がるのを自覚しながら声を絞り出した。

「...不束者ですが、よろしくお願いします」
「ん、よろしく」

五条は満足そうに微笑むと彼女に口付けた。離れていた時間を埋め合わせるように恋焦がれた彼女を抱きしめる。苗字もそれに応えて彼の首に腕を回した。密着した身体からは最早どちらのものか分からない鼓動が伝わる。数々の死線をくぐり抜けてきた彼らは、相手の温もりに包まれる幸せを心の底から噛み締めた。

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