黒白混交

苗字が夏油を見送った5日後。
校舎の一角で夜蛾に呼び出された彼女は自分の耳を疑った。

「せ、先生、今何て...?」
「...傑が集落の人間を皆殺しにした後、行方をくらませた」
「本当に、夏油が...?」

夜蛾は顔を曇らせて頷く。
現在出払っている五条や家入には後ほど伝えるとのことだ。

___頭が真っ白になった苗字は覚束無い足取りで外に出た。とぼとぼと高専前の坂道を下りながら気持ちを整理する。
夏油と最後に会ったのは任務に行く直前の駐車場だ。あの時は怪しい素振りは何もなかった。一体村で何があったというのだろう。
彼の心情を推し量ることができないまま歩みを進めていた、その時。目の前を小さな蠅頭が横切った。

「これ、って...、夏油の残穢じゃ...!?」

ハッとした苗字は蠅頭を逃すまいと追いかけた。黒い袴と草履で街中を走り抜ける姿は悪目立ちするが、なりふり構わずアスファルトを蹴った。
しばらくすると蠅頭は路地裏に逃げ込んだ。入り組んだ道で見失わないように彼女が距離を詰めた時、突如蠅頭の姿が消えた。開けた視界の先は行き止まりで、数日ぶりの再会となる友人が立っている。

「っ、夏油!」
「やあ、名前。元気だった?」

夏油は軽い調子で片手を上げ、ゆっくりと歩み寄る。周囲に呪霊の気配はないが、苗字は万が一のことを考えて刀を構築する為の呪力を手に集中させた。聞きたいことが山ほどある中、声を絞り出す。

「オマエ今までどこで何して、」
「すまない、少し失礼するよ」

夏油は謝罪と同時に苗字の体を横抱きにすると、例のマンタの呪霊を召喚した。2人を背に乗せた呪霊はふわりと地面から浮上していく。
夏油は胡座をかき、その上に苗字を座らせた。なるべく下を見ないように顔を背ける彼女の手は少し震えていて、気づいた夏油がくすっと笑った。

「やっぱりまだ高い所は苦手みたいだね」
「...覚えてたのかよ」
「まあね。悟には約束通り言っていないから安心して」

夏油は柔らかな表情を崩すことなく親友の名前を口にする。いまいち彼の目的が読めない。苗字は眉を顰めた。

「つーか、今から何処に行くつもりだ?」
「別に、ただの空中散歩だよ。この状態なら名前と静かに話せると思ってね。流石の君も空中なら暴れられないだろう?」
「...今更何を話すってんだよ」

険しい目付きの彼女が低い声で唸るが、夏油は意にも介さず淡々と告げた。

「私はもう二度と高専には戻らない。新しい目標ができたんだ」
「目標...?」
「呪術師だけの世界を作る」
「...だから、一般人を...殺したのか? 呪術師は一般人を守るべきだって、オマエ、ずっと言ってたじゃねーか」
「... ...その先に行き着くのは術師の死だけだと気づいたんだ」
「...っ、意味、分かんねえよ」
「理解してもらうつもりは無いさ」

夏油は何処か諦めたように力なく笑った。言葉を詰まらせる苗字の代わりに彼は会話を続ける。

「この後硝子にも挨拶しようと思ってるんだけど、彼女が今何処にいるか知らないか?」
「確か、新宿に用があるって言ってた」
「分かった。君をこの辺りに下ろしてから向かおうかな。高専から少し離れてるけど我慢してくれ」
「別にいーよ。...硝子に会った後は五条にも会いに行くのか?」
「...悟に会ったら、殺されるかもしれないね」

戸惑いがちに尋ねた苗字に回答した夏油の声は、どうなっても構わないと言いたげだった。今や死刑対象となっている人物が口にする台詞にしては笑えない冗談だ。彼女は呆れ半分、苛立ち半分で否定する。

「いくらアイツでも親友を問答無用で殺しはしないだろ」
「さあ、どうかな。そもそも私を親友だと認識していないだろう」
「は、」
「きっと悟の隣に立てるのは君くらいだよ。...じゃあね、名前」

マンタの呪霊が緩やかに下降し、人目のない小さな山に着地する。流れるような動作で夏油は苗字を降ろすと、再び空へ向かった。きっと次の行先は家入のいる新宿だろう。

「っ、夏油だって、五条の隣に立ってたじゃねえかよ...。私はオマエらの背を、追いかけて...」

空を見上げて呟いた声は届くことはなかった。彼女はやるせない気持ちのまま、舗装された道路に沿って山を下った。


___あれから高専に帰った苗字は気だるげに風呂と夕食を済ませた。食堂で会った家入からは夏油と話したこと、五条を新宿に呼んだことを教えてもらった。その後彼らの間でどんなやり取りがあったのかは家入にも分からないらしい。

自室に戻った苗字は机に散らばっている報告書をまとめ、やり残していた課題に手をつけた。袴や刀の手入れも忘れずに行う。彼女ルーティンをこなしていくうちに、現実に引き戻されたような妙な心地になった。今週中に夏油の部屋を片付けなくてはいけないなとぼんやり考えた。

暫く時間が経った頃、扉の向こうからコンコンと音が聞こえた。隣の部屋から出入りする音は聞こえなかったので家入では無いはずだ。おそらくもう1人の同級生だろう。
苗字が扉を開けると予想通りスウェット姿の五条が立っていたが、いつものようにゲームや映画の誘いで訪ねてきた訳では無いのはひと目で分かった。彼女は暗い表情の五条を見上げ、扉をさらに開く。

「とりあえず、中入りなよ」
「ん」

苗字に促され五条はベッドに腰掛けた。彼女も隣に寄り添うように座り、静かな声で尋ねる。

「...夏油と何か話せたか?」
「昼間、少しだけ。... ...次会った時は、傑を殺すかもしれない」
「...そうか」

彼は俯いたまま、膝に置いた拳を固く握りしめた。夏油はこの様子を見ても、自分は親友だと認識されていないなどと言うのだろうか。苗字の脳裏で昼間の夏油との会話が蘇る。彼女は少しでも孤独が紛れるように、自身の手を五条の拳にそっと重ねた。

「私は悟から離れたりしないからな」
「っ、名前」

五条がぱっと顔を上げると小さく微笑む苗字と視線が交わった。堪らなくなった彼は苗字の華奢な身体を引き寄せ、首筋に顔を埋めた。
最強の男は実は寂しがり屋のようだ。白絹のような髪に頬を撫でられ、彼女が困ったように笑う。

「くすぐったい」
「知らね。...さっきの、もう1回」
「さっきの?」
「名前」
「... ...悟」

望み通りに名前を呼べば、彼の腕にぎゅっと力が込められた。苗字も同じように相手の背中に腕を回し、クスクスと笑う。

「このまま私と一緒に寝るか?」
「それマジで言ってる?」
「どうせ眠れなくてここに来たんだろ。ひとりきりだと嫌でも色々考えるからな」
「まあ、そうだけどさ」

彼は少し体を離して戸惑いがちに相手の顔色を伺った。てっきり二つ返事で賛成すると思っていた苗字はその様子が意外に感じられ、冗談混じりに言った。

「言っとくけど、手は出すなよ」
「ハッ、それはこっちの台詞だ。オマエが襲う側だろ」
「アホか。ほら、電気消すぞ」

軽口を叩き合いながら苗字が立ち上がる。五条は大人しく先に布団に入り、もう1人分のスペースを空けるべく端に寄った。照明のスイッチを押して部屋を暗くした後、苗字も布団の間に身を滑り込ませる。狭いシングルベッドに2人並ぶのは窮屈なので横を向くと背後から五条が擦り寄ってきて腕にすっぽりと収められた。

「おやすみ。名前」
「...悟、おやすみ」

彼らは互いの体温が溶け合う心地良さに身を包んで目蓋を閉じた。どちらの顔も赤く染っていたが、暗い部屋では気づくはずもなかった。

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