国士無双
高専のグラウンドに眩しい日差しと蝉時雨が降り注ぐ。中央には苗字と五条が立っている。他の同級生達は任務で不在だ。
呼び出された側の苗字が一体何をするつもりなのかと頭に疑問符を浮かべていると、五条がペンケースを投げて寄越した。
「ペンとか消しゴムで良いから、俺に向かって何か投げて」
「頭でも打ったか? 硝子が帰ってくるまで耐えろ」
「ちっげーよ。 前からやってた無下限の自動化が成功したんだ。硝子と傑には昨日見せたけど、名前は任務でいなかったろ」
無下限の自動化。どこかで聞き覚えのあるフレーズに苗字は記憶を辿った。
「...ああ、前実験したあれか! でもあの時も小刀を自動で弾いてなかったっけ」
「そっからさらに改良して危険度で選別できるようにした。まあ説明するより見せた方が速いからさ、とりあえず投げてみろって」
「呪力乗せるのってアリ?」
「勿論。好きなようにしてくれ」
五条が両腕を広げて的を大きくする。苗字はいたずらっ子のように笑い、彼のペンケースに入っていた全ての文房具を握りしめた。
「っしゃ、いくぞー!」
掛け声と共に大きく振りかぶって呪力を上乗せした文房を投げた。しかし五条に届く寸前、見えない壁に阻まれた。ジャラジャラと音を立てて文房具が地面に散らばる。
「すげえ、マジで全部弾いた」
「...何か俺に恨みでもあんの?」
「やだなあ。信頼してる証拠じゃないか」
「ハッ、どうだか」
苦笑した五条はペンを拾うためその場にしゃがんだ。
その瞬間、苗字が地面を蹴って拳を振り上げた。
「歯ァ食いしばれ!」
「はッ、!?」
五条が咄嗟に顔をあげ、苗字の拳は無下限に阻まれる____と思われたが。
「なーんつって」
白髪の上にぽすんと手のひらが乗った。苗字はしたり顔で、拍子抜けした五条を見下ろした。彼は悔しそうにため息をつく。
「ほんっとオマエさあ...」
苗字は普段とは逆転した目線の高さに優越感を覚えながら指先を白髪に滑らせた。
「撫でるだけなら弾かれねーのな」
「...弾こうと思えばできるけど、今はそこまで気ぃ回してなかっただけだ」
「へー」
足元の文房具を拾い集めながら言い訳じみた言葉を並べる五条がなんだか可笑しかったが、不機嫌になられても困るのでそれ以上揶揄うのはやめた。苗字はペンケースを差し出し、疑問に思ったことを尋ねた。
「これからは術式出しっぱにするのか? 体の負担やばいだろ」
「同時に反転術式も使えば新鮮な脳を維持できるし、問題ねえよ」
「...最強じゃん」
「まあな」
「ムカつく」
否定できないのが悔しい。苗字が自信たっぷりの彼の額を指で突く。
2人のクスクスと笑い合う声はけたたましい蝉達にかき消されていった。
___それからは一層五条の単独任務が増えた。自他共に認める最強と成ったのだから当然だ。しかし苗字はそう思いながらも、心の奥から名状しがたい感情が滲み出てくる気がした。寂しさと不安と嫉妬を少しずつ混ぜ合わせたような。この気持ちを整理する為に相談できる相手はいないかと考えたところ、とある人物が思い浮かんだ。
彼女は早速行動に移し、数日後に都内の小洒落たカフェで会う約束を取り付けたのであった。
「冥さん、お久しぶりです」
「久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「はい! めちゃくちゃ元気です!」
彼女達はテーブルを挟んでソファ席に座った。2人分のアイスコーヒーが届いたところで冥冥が本題に入る。
「さて...、何かあったのかな?」
「もっと強くなりたいと思ってるんですけど、伸び悩んでるっていうか...。在学中に1級術師になるにはどのくらいの実力が必要なんでしょうか」
苗字が真剣な眼差しを向ける。対する冥冥は顎に手をあて、ゆっくりと返答した。
「そうだな...。やっぱり難度の高い単独任務を多くこなせるかが重要だね。君はまだまだ伸び代があるし、経験を積めばいずれ1級にもなれると信じているけど、在学中は厳しいかもしれない」
「やっぱ厳しいですか...」
分かってはいたことだが、現1級術師に厳しいと言われてしまうと苗字は苦笑いを浮かべるしかなかった。冥冥は何か訳ありのようだと察して助言を続ける。
「等級に拘って生き急ぐのはあまりお勧めしないよ。私が1級に相応しい術師だと思ったらまた推薦するから、今はしっかり修行に励むと良い」
「ありがとうございます。時期が来たら是非お願いします」
期待を込めて苗字が軽く頭を下げると、冥冥は諭すように言った。
「五条君と夏油君の活躍がどうしても耳に入ってくると思うけど、彼らは規格外だからね。あまり気に病む必要はないさ」
「...バレてましたか。でも、本当にアイツらがどんどん強くなっていくから、置いていかれそうな気がしてしまうんです」
「君もその歳で準1級なんだから大したものだよ。もっと自信を持っていい」
彼女の言葉で苗字の胸がすく思いがした。相談して良かったと内心でほっと一息ついた。ふと、アイスコーヒーを飲んでいた冥冥が思い出したように尋ねた。
「...そうだ、黒閃を発生させたことはあるかな?」
「コクセン? あー...。授業で聞いたような気が...」
「フフ、居眠りは感心しないな。詳しいことは高専の資料室に本があるはずだから探してみるといい。黒閃を決められたら1級術師に大きく近づくはずだよ」
「本当ですか! 帰ったら早速探します」
できることなら実際に見てもらいたいものだ。そう考えた苗字は控えめに尋ねてみた。
「あの...冥さんのお時間がある時に稽古をつけて貰いたいんですけど、大丈夫ですか?」
「私の稽古は高くつくよ」
「デ、デジャヴ...!?」
彼女の脳裏にいつぞやの男の顔がよぎり、思わず呟いた。またカモになってんのか、と口元の傷痕を歪めて小馬鹿にしてくる姿が目に浮かぶ。懐かしさもあるが、少し腹が立ったので苗字は頭を振った。
動揺している彼女を見て満足したのか、冥冥は冗談だよとクスクス笑う。
「可愛い後輩の頼みだし、特別に無料で引き受けようか」
「よっしゃあ、冥さん優しい!」
「いつでも連絡してもらって構わないよ。私はフリーで活動してるから時間も作りやすい」
「本当ですか!? もう頭が上がらないです!」
苗字はその場で深く頭を下げる。そして胸中では同級生達に負けていられないと闘志を燃やすのであった。