対症下薬

年が明けてから早数日。若い女性客で賑わう都内のカフェの一角で苗字は両脇に置かれた大量の紙袋を眺めながら、向かいに座る家入に言った。

「予想以上に買ってしまった」
「まあいいじゃん。私達、なんだかんだ言って給料良いし」
「特に年末はこき使われたしな!」

12月にどっと任務が舞い込んできたのは苗字達の記憶に新しい。おかげで1年前のように穏やかな年末年始を過ごすことは叶わなかった。

ようやく仕事が片付いたところで、今日は苗字と家入で街中へ買い物に繰り出したのであった。
目当ての店は一通り巡ったので、今はコーヒーとケーキのセットをつついている。
会話が途切れた時、ふと思い出したように家入が尋ねた。

「ところで、五条とは最近どうなの?」
「どうって言われてもなあ。別に何も無いよ」
「あんなに五条の部屋に入り浸ってんのに?」
「馬鹿、映画見るかゲームしてるだけだって!」
「五条も案外奥手なんだな」
「知らねー」

揶揄された苗字は恥ずかしさを誤魔化すようにしてケーキを口に運んだ。五条と付き合ってしばらく経つが、家入が期待するような事は起こっていない。そもそも苗字はそういった経験が0なので、何かあれば真っ先に家入に相談するつもりだ。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、家入はにやりと笑ってひとつアドバイスをした。

「何かされそうになったら壁を叩くと良いよ。隣の部屋から夏油が駆けつけてくれるはずだから」
「あははっ、覚えとく」

丁度その時苗字の携帯が鳴った。任務の呼び出しでは無かろうかと急いで画面を確認すると、五条からのメールを受信していた。噂をすれば何とやら、とはよく言ったものだ。

『熱があった。金は後で払うから帰りに風邪薬買ってきて』

夏油は朝から任務で留守にしているので、今頃五条は寮で一人で過ごしているのだろう。心配になった彼女は文章を手早く打ち込み、お大事にと一言添えて返信した。パタンと携帯を閉じて、家入に声をかける。

「あとで薬局寄っても良い?」
「良いよー。何か頼まれた?」
「五条が風邪ひいたっぽい。薬買ってきてだって」
「珍しいな。疲労でも溜まったんじゃないのか」
「あー...有り得るな」

苗字が難しい顔で呟く。五条も年末から多くの任務を請け負っていた。しかもその殆どが1級以上のクラスを相手とする単独任務。疲労が蓄積して当然だ。病人を待たせる訳にもいかないので彼女達は店を出て薬局へ向かった。


___寮に戻ると苗字は紙袋を抱えて真っ先に五条の部屋に足を運んだ。彼の部屋の扉をノックして少しだけ開く。部屋の明かりはついていない。

「五条〜生きてるか〜?」
「...生きてる」

五条はベッドの上で横になっていた。苗字がベッドの傍に寄って床に腰を下ろすと、眠たげな目が向けられる。先程まで寝ていたのだろう。

「熱は何度くらい?」
「さっき37.8だった。寒いし、だるいし、頭痛え」
「うお、結構高いな。インフルの可能性もあるから市販の薬は飲まない方がいいかも」
「はー...きっつ」
「この時間だともう病院は閉まってるし、明日の朝熱があったら行きな。梅津さんに頼めば送ってくれるだろ」
「そうする」
「ここに薬と飲み物置いとくからな」

苗字はベッドの傍にローテーブルを引き寄せて、薬局で購入した物を並べた。壁の時計に目を向けると時刻は夕飯まであと1時間を示している。食欲はあるのだろうか、と苗字は心配して尋ねた。

「夕飯食べられそうか?」
「多分。昼間は何も食ってねえし」
「そっか。じゃあ食堂でお粥でも作って貰って、私が部屋まで運ぶよ」
「わりぃ」
「気にすんな。五条もたまにはゆっくり休まないと」

そう言って苗字は五条の髪に手を伸ばした。乱れた髪を指で梳きながら整えていく。指通りの良い真っ白な髪はさながら絹の様だ。彼はしばらく大人しくしていたが、くすぐったくなったのか苗字の手首を緩く掴んで制止した。そのまま自身の頬に宛てがって目を細める。

「名前の手、冷てえ」
「私は冷えピタじゃねえっての」

苗字は冗談で返したが、内心では彼の頬の熱さに驚いた。この調子だと明日は病院に行くことになるだろう。薬は下手に飲まなくて正解だったかもしれない。苗字が思考を巡らせていると、不意に五条が指を絡めてきた。僅かに潤んだ青い瞳と視線が交わり、心臓が小さく跳ねる。そして掠れた声が彼女の耳朶を打った。

「...もう少し、ここに居ろよ」
「しょうがねーな。絶対うつすなよ」
「オマエがうつされないようにしろ」
「わがままだな」

苗字は口ではそう言いつつも立ち去る気配は見せない。普段とは打って変わって弱々しい五条の姿にすっかり絆されてしまったのだ。
五条は安心したのか、ゆるりと目を閉じた。暫しその長い睫毛に見とれていた苗字だったが、いつの間にかつられて意識を手放したようだ。彼らは指を絡めたまま穏やかに微睡みの中を漂った。

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