金科玉条

天内護衛任務失敗から4日が経過し、怪我の治療や報告書など事後処理に追われていた術師達はようやく一息つくことができた。
2年生の授業は今日から再開したのだが、教室にはひとつ空席があった。席の主は護衛任務の一件以来、寮内ですら姿を現していない。休み時間に入ると夏油が家入に尋ねた。

「硝子は名前に会えたかい?」
「いや、相変わらず部屋に籠ってるよ。夜中にコンビニには行ってるみたいだけど」
「んだよアイツ...」

隣で話を聞いていた五条が呟いた。その視線は空席に向けられている。夏油はこの場にいない友人の胸中を察したように言葉を続けた。

「無実が証明されたとはいえ、まだ顔を合わせづらいんだろう」

特に悟と私は気を使われているかもな、と小さく付け加えられた。彼らは甚爾に殺されかけた身だ。苗字に直接関係はなくとも、彼女が責任を感じているのは察せられた。同級生達は苗字と甚爾に関わりがあったことを気にしていないが、会えないので伝える手段がない。携帯の電源も切っているらしい。
彼らの会話はそこで打ち切られ、教室には物憂げな雰囲気が漂った。


___事件直後、苗字は禪院甚爾の協力者つまり内通者の疑いをかけられ呪術界上層部から日をまたぐ程の尋問を受けた。

「星漿体の所在を漏らしたのはオマエか」
「禪院甚爾に協力していたのか」
「五条悟の術式の情報を売ったんだろ」

薄暗い部屋の中央に立たされ、彼女は老人達から次々に言葉を投げかけられた。甚爾の旧姓を耳にしたのはこの場が初めてで、何も知らない自分に嫌気がさす。しかし彼女は気を強く保ち、はっきりと事実を述べた。

「違います。体術を習っていたのは事実ですが、星漿体護衛任務について口外していません」

このようなやり取りが何度も続けられた。甚爾との関係について洗いざらい記した報告書を提出し、携帯電話の履歴データも見せたにも関わらず苗字の疑いは一向に晴れなかった。
嘘をつくな、信じられない、呪術界の被害の責任を取れ。
同じ言葉を繰り返し吐き出されては、ふりだしに戻るのであった。

苗字が堂々巡りを続ける尋問に疲弊しきっていた頃、第三者の声がその場に響いた。

「もう十分だろ。俺の報告書に全部書いてんだろうが。責任擦り付ける為に誘導尋問紛いのことしてんじゃねーよ」

声の主は五条だった。彼はざわめく老人達に無視を決め込み苗字の手首を引いて退室した。驚きのあまり彼女はされるがままについて行った。
互いに終始無言で寮に辿り着き、五条は彼女を部屋に送り届けてそのまま立ち去った。彼女が戸惑いがちに言ったお礼は聞こえていたのかは定かではない。

その後夜蛾からの連絡で判明したことだが苗字が不在の間、五条は彼女の無罪を主張していたそうだ。甚爾が御三家出身であること、一般家庭出身の彼女が内通者になれるほど情報を持っているはずがないということ。他にもいくつか報告書に記して上層部に提出したらしい。

___数日前の出来事が苗字の脳内を巡った。現在彼女は自室のベッドに凭れて床に座りこんでいる。五条は勿論、夏油や家入その他今回の任務に関わった人物達にどのような顔で会えばいいのか分からず、ずっと部屋に籠ったままだ。

「どうしよ...平気な顔して会える立場じゃないよな...」

半ば疑問形で呟かれた言葉に返事をする者はいない。静かな部屋にいると、ふとした拍子に甚爾の姿が頭をよぎる。彼が死んだことは悲しいが、受け入れている自分もいるのは確かだ。そういえば両親の死もすんなり受け入れて涙は流れなかった。何だか自分は薄情な気がして余計ため息がでる。入り乱れた感情のせいで疲れが溜まっていく。
面倒な思考を放棄したくて顔を伏せた時、ドアがノックされる音が響いた。

「おい、名前。開けるぞ」
「...五条」

彼は苗字に歩み寄るとサングラスを外して見下ろした。穏やかだがどこか叱るような声音で話しかける。

「少しは顔出しに来いよ。傑も硝子も心配してんだからな」
「...悪い。気持ちの整理がついてなくて」

彼女が視線を逸らしたまま答える。五条は隣に腰を下ろし、ゆっくりと状況を説明した。

「先生にオマエの報告書を見せてもらった。ついでに携帯の履歴データもな。他の術師も確認済みだ。高専にオマエのことを疑ってる奴はいねえから安心しろ。当然、俺と傑もだからな」
「そっか...」

解呪のような声が苗字の耳朶を打ち、強ばっていた顔が幾分緩んだ。
そして決心がついた五条は神妙な面持ちで尋ねた。

「俺がアイツを殺したこと、恨んでるか?」

彼はどんな返答がくるか少しだけ不安を募らせたがそれは杞憂に終わった。

「恨むわけないよ。甚爾さんは高専の敵に回ったんだから、五条は当然のことをしたまでだ」

苗字がはっきりと告げた。五条は相手の瞳に僅かに滲む憂いを感じ取り、言い聞かせる様に声を押し出した。

「アイツが死んでも受け継いだ技術はオマエの中で生き続けるからな。大事にしろよ」

彼の言葉が苗字の胸に溶け込んでいく。ほんのりと熱が宿った心地がして微笑んだ。

「...そうだな。五条、訓練付き合ってくれるか?」
「いいぜ。ついでに俺の術式の改良も手伝え」
「じゃあお互い頑張らないとな」

ニッと歯を見せた彼女。五条もつられて同じように笑う。

「今頃傑と1年が組手してるはずだ。当然オマエも参加するだろ?」
「お! 久しぶりの組手だな。ついでに灰原から紅芋タルト貰わないと」
「土産頼んでたのか。俺にも寄越せ」
「オマエは現地で食っただろー」

普段の調子を取り戻した2人は肩を並べて稽古場へ向かった。久しぶりに交わした軽快な会話で胸つかえも気にならなくなっていく。
稽古場に着くと以前と変わらない様子で友人達が迎え入れてくれた。

「2人とも遅かったじゃないか。私1人で相手するのはさすがに疲れたよ」
「名前、訓練終わったら夕飯一緒に食べよう」
「苗字さんやっと会えましたね! お土産ちゃんと用意してますよ!」
「お疲れ様です。久しぶりに手合わせお願いします」

揃って声をかける友人達に苗字は快活な笑みを浮かべた。

「皆、待たせてごめん!」

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