玉石同砕:上

冥冥と庵の救助を終えて静岡から帰ってきた2年生達は、任務中帳を降ろしていなかったことが夜蛾に伝わってしまい説教をされる羽目になった。
夜蛾から指導を受けた後、彼らは教室に戻って大人しく席に着いた。主犯だとバレた五条は先程夜蛾に殴られた頭を擦りながら文句を垂れている。

「そもそもさぁ、帳ってそこまで必要? 別にパンピーにみられたってよくねぇ?」
「駄目に決まってるだろ。呪霊の発生を抑制するのは何より人々の心の平穏だ」

夏油が諭すように言った。苗字は意外にも真面目な返答だと思いながら静かに会話を聞いていた。その隣では家入が五条のサングラスをかけて遊んでいる。未だ納得していない五条に向かって夏油は言葉を続ける。

「そのためにも目に見えない脅威は極力秘匿にしなければならないのさ。それだけじゃない、」
「分かった分かった。弱い奴らに気を使うのは疲れるよ本当」
「"弱者生存"それがあるべき社会の姿さ。弱気を助け、強気を挫く。いいかい悟。呪術は非術師を守るためにある」

穏やかな声ではっきりと紡がれた言葉はまさに模範解答に相応しいものだった。苗字は密かに彼の優等生ぶりに感心したのだが、五条には癇に障る意見のようだ。反抗的な目付きで睨め上げ、冷たく言い放った。

「それ正論? 俺、正論嫌いなんだよね」
「...何?」

さすがの夏油も無視できない。教室内に一触即発の雰囲気が漂う。身の危険を察知した家入が苗字に小さく声をかけた。

「名前、逃げるよ」
「おっけ」

二人は静かに、かつ猛スピードで教室から抜け出した。アラートが鳴る事態に発展しないことだけを祈り、上の階の空き教室に逃げ込んだ。適当に埃をはらった椅子に腰掛ける。静寂に包まれた教室で苗字がぽつりと呟いた。

「夏油は本当にすごい奴だな。呪術師としての心構えが全然違う。私あんなに深く考えたことなかったよ」
「アイツが真面目すぎんだよ。私からすれば"自分も他人も死なないように強くなりたい"って、呪術師になった名前もすごいと思うけど?」

頬杖をついた家入が口角を上げた。苗字も釣られて笑う。初めて高専に訪れた日の情景が脳裏に自然と浮かんできた。

「うわー懐かしいな。それ覚えてたのか」
「前日まで普通の女子高生だった子があんなに肝が座ってるなんて思わないじゃん。その場で入学決めたインパクトもデカかったよ」
「人が殺されてんのに見て見ぬふりは私の性に合わないからな。それに高専以外頼れるとこ無かったし」
「ま、夏油みたいに高尚な思考じゃなくても、迷わず戦う道を選んだ度胸は誇って良いでしょ。自信持ちな」
「よっしゃ、硝子に褒められた」

彼女達はけらけらと笑いながら他愛もない話を続けた。
幸いアラートが鳴る気配も無いので五条と夏油は落ち着いたのだろう。そう思った二人が元の教室に戻ってみると問題児達の姿はなく、代わりに夜蛾が教卓の前に立っていた。

「やっと戻ってきたか。とりあえず座ってくれ、オマエ達にも話がある」

苗字と家入が大人しく席につき、天元の同化や星漿体を狙う組織について大まかに説明された。

「___というわけで五条と夏油は護衛任務の最中だ。サポートとして名前は今から『Q』の本部へ向かってくれ。司令塔は見つかり次第すぐに仕留めて欲しい」
「了解しました!」
「硝子は20分後に患者が到着するから治療を頼む」
「げ、私もあるんですか」

___かくして彼女達はそれぞれの仕事に赴いたのだが。結果は苗字の消化不良で終わってしまった。やる気に満ちた彼女がQの本部で暴れ始めた頃、最高戦力のバイエルが倒されたとの連絡が入ったらしい。途端に部下達は戦意喪失し、おかげで彼女は呪詛師を縛り上げる作業をしただけだった。

「誰だよバイエルさん倒したヤツ...。つーかそれで組織瓦解とか弱すぎんだろ」

彼女はブツブツと恨み言を呟きながら小さな飲食店に足を踏み入れた。気分転換ついでに肉まんを注文したところ、店内で見覚えのある人影が目に止まった。相手は通話中なので近づきながら様子を伺う。
数秒後、彼は不満でもあったのか耳に当てていた携帯電話を軽く放った。タイミング良く横から手を出し、それを受け止めた苗字が先に声をかけた。

「甚爾さん、携帯壊れたら買い換えるお金無いんだから大事に扱った方がいいですよ」
「よう、名前じゃねえか。つーか携帯代くらいあるわ」
「たこ焼きしか買ってないってことはどうせ今日も負けたんですよね?」
「...今日のレースは運が悪かっただけだ」
「それいつもじゃないですか。あ、向かいの席座ってもいいですか?」
「好きにしろ」

甚爾の言葉に甘えて苗字は向かいに座った。たこ焼き似合わないなこの人、と彼女は妙に失礼なことを考える。一方甚爾は昼間から制服で彷徨いている彼女を見て気になることがあった。

「オマエ任務中だろ? こんなとこで油売ってて良いのかよ」
「それがついさっき終わったんですよ。私が暴れまくるはずだったのに、先に同級生が敵の最高戦力を倒したらしくて。おかげで弱っちい呪詛師を縛るくらいしかできませんでした」
「...もしかしてその敵ってのは『Q』のことか?」
「何だ、甚爾さんも知ってたんですか。割と有名な集団なんですね。だったら尚更私が壊滅させたかったな。なーんて!」

苗字は肉まんにかぶりつきながら軽く言ってのけたが、甚爾は内心穏やかではない。
___まさか五条の坊と同級生だったとはな。星漿体暗殺の結果次第で苗字の恨みを買うかもしれねえな。
彼は苗字の会話に度々登場する同級生が五条を指しているとは考えてもみなかったが、実際には親しい関係にあるようだ。彼女に懐かれている自覚はあるし、自分も多少なりとも思い入れがあるのでこれは好ましい状況ではない。かといって仕事の手を抜く程生ぬるい人物ではないのだが。
甚爾は水面下で複雑に絡み合う糸に対し、面倒なことになったと内心で舌打ちした。
口を閉ざした彼を見た苗字は何か勘違いしたらしく、困ったように笑う。

「すみません、また仕事取ってしまいましたね」
「気にしなくていい。俺はもっとでけえ仕事が入ったんでな」
「本当ですか!」
「しかもかなりの報酬額だ。成功したら飯でも服でも好きなモン買ってやる」
「珍しく太っ腹じゃないですか! 高い店連れてってくださいね!あー、でも服も捨てがたいな」
「両方でもいいぜ。とりあえず3000万以内で何か考えとけ」
「さ、さんぜ..!?!?」

苗字が驚きのあまり言葉を詰まらせる。肉まんを頬張ったままの顔が幾分間抜けにも思えて、甚爾の口元が緩んだ。先に食べ終えたので立ち上がる。

「そろそろ仕事に行ってくる。またな、名前」
「またね甚爾さん。仕事頑張ってくださいね」

彼は答える代わりに片手を軽く上げ、背を向ける。決して振り返りはしなかった。

◆◆◆◆

戻る
- ナノ -