合縁奇縁

蝉が鳴く季節がやってきた。これから迎える繁盛期に備え、二年生達は今日も稽古場で自主的に鍛錬に励んでいる。
現在は五条と苗字の組手の最中だ。二人とも額に汗を滲ませ激しい攻撃を繰り出している。夏油と家入は端の方で水分補給をしながら組手に熱中している彼らを眺めていた。

「チッ」
「短ぇ脚だなチビ助!」
「うるせー!」

五条は苗字が仕掛けた足技を素早く避けると余裕の笑みを浮かべた。直ぐに体勢を立て直した彼女から拳が連続で向けられる。五条が掌で往なしていた時、稽古場に電子音が鳴り響いた。家入は近くに置いてある携帯に気づいて持ち主に声をかける。

「名前、電話鳴ってるよー」
「え、マジ」
「隙あり!」

苗字が呼ばれた方を向いた瞬間、五条は彼女の足をはらった。反応が遅れた彼女はその場に転がり、ありえないという視線を向ける。

「今のは無いだろモヤシ!」
「誰がモヤシだ馬鹿。余所見してるヤツが悪いんだろ」
「この卑怯者! あー硝子、携帯取って」

五条にこれ以上何かを言っても無意味だと感じた苗字は突っかかるのを諦めた。それよりも通話相手を待たせている事のほうが気になる。家入は鳴り止まない携帯を彼女に差し出した。

「はいどーぞ」
「ありがと。...もしもし?ああ、はい...別にいいですけど...。いやさすがにそれは...あー、じゃあそれでお願いします。...はいはい、分かってますよ!」

五条は電話口に親しげな声で語りかける彼女を見て、先日二人で任務に行った時の事を思い出した。
___また電話かよ。相手はこの前と同じヤツか?
あの時彼女は突然の呼び出しに応じて何処かへ向かった。今回も何となく嫌な予感を抱いたところ、案の定電話を終えた彼女は申し訳なさそうに片手を上げた。

「ごめん、急用入ったから先に上がるわ。また明日の放課後に続きしよ」
「何ー? 名前の彼氏?」

家入の冗談を聞いた途端、何故か五条の心臓が跳ねた。彼は思わず苗字の顔を凝視する。しかし苗字は彼の動揺に気づかないまま笑って否定した。

「違うわ! 彼氏いないってこの前も言っただろ! んじゃ、私急がないといけないから3人ともまたなー」
「いってらー」
「気をつけて」
「...じゃあな」

苗字は同級生達に軽く手を振って退室した。本日は自主練なので家入と夏油は快く送り出す。暫し固まっていた五条が絞り出せたのは最後の一言だけだった。その様子を察した夏油が口を開く。

「硝子、名前の電話の相手は彼氏だと思うかい?」
「敬語だったし、違うんじゃね。彼氏いないのは本当だと思う」
「良かったじゃないか悟」
「何で俺に言うんだよ」
「随分と気にしてるみたいだったからね」
「んなわけないだろ!」

くつくつと笑う夏油の隣で家入も同じように悪い笑みを浮かべている。対照的に五条の眉間には深い皺が刻まれた。面白がった家入が追い討ちをかける。

「五条って隠すの下手だよな」
「はっ、俺が一体何を隠してるってんだよ」
「だってオマエ、名前のこと好きだろ」
「硝子。そんなにはっきり言ってやるなよ」

夏油があっけらかんと言い放った彼女を窘める。五条は内容を処理できずに一瞬フリーズした後、声を荒らげた。

「はぁあ!? 俺があのチビ助を好きだって!? ありえねえだろ!!」
「ははっ、オマエら似たような反応するんだな。マジでウケる」
「あ?」
「そう怒んないでよ。多分もうちょい押したらいけると思うよ。脈ナシでは無さそうだし」
「だから好きじゃねえつってんだろ」
「私から言えるのはそんだけー。先に部屋戻るから続きは二人でやっときな。大怪我した時だけ助けてやる」

家入は男子二人の鍛錬には喧嘩が付き物だということを知っているので巻き込まれる前に稽古場を出ていった。閉ざされた扉を見ながら五条が口を尖らせる。

「んだよアイツ。わけ分かんねー」
「硝子なりに応援してるんじゃないのか」
「されてたまるかっての。傑まで変なこと言うなよ」

一見冷静さを取り戻したような五条だったが、心は掻き乱されたままだ。家入の言葉が脳内で反芻される。
___俺が名前を好き? 絶ッ対ありえねえ。チビだし、うるせえし、手がかかるっつーか、無茶ばっかりしやがる。... ...まあ、別に、嫌いじゃねーけど。妹とかの感覚の方が近いだろ。...多分。
五条はそこで思考を止め、鍛錬に集中するように切り替えた。夏油と共に無心で拳を交わすうちにようやく普段の調子を取り戻していったのだが、煩い拍動は激しい組手のせいなのか苗字のせいなのかは本人にも分からなかった。


___甚爾が苗字を呼び出したのは町外れの小さな公園だった。植え込みやフェンスに囲まれて死角が多いこの場所は不審者の目撃情報が相次いでいる為、人が寄り付かない。しかし彼らにとっては好都合で帳を降ろせば丁度良い練習場に早変わりだ。
軽い組手を終えて、二人は休憩がてらベンチに腰掛けた。そこで苗字は五条との組手を思い浮かべる。

「ねえ甚爾さん」
「どうした?」
「...やっぱチビで近接戦は不利?」
「ハッ急に何を言い出すんだ。不利っちゃ不利だろうが、有利な戦法が無いわけじゃねえ」
「本当ですか?」
「まあ技術次第だけどな。オマエの体格だと小回りがきく上に油断も誘いやすい。おまけに武器を即席で作れるっつー便利な術式もある。相手の懐に潜り込んだら小刀とかで喉笛掻っ切ってやりゃいいんじゃねーの」
「なるほど、小刀か...。ちょっと物騒だけど良さげですね」
「物騒とか言ってられっかよ。やるなら徹底的にやれ。それに俺の仕事は殺しが大半だ」
「...そうでしたね」

甚爾は苗字に仕事の詳細は明かさず、フリーで対人戦の依頼を受けているとだけ伝えている。苗字は呪詛師の相手だけを想像しているようだが、生憎彼の異名は術師殺しだ。依頼があれば誰でも手にかけることができる。甚爾は隠すつもりはないが、追求もされないのであえて言う必要も無いだろうと判断した。彼女も高専生として部外者に話せない情報が多くあるのでお互い様だ。

少し間を空けて苗字は以前から疑問に思っていたことを口にした。

「今更ですけど、甚爾さんって呪具があれば呪霊祓えるんですよね。高専と契約すれば仕事たくさんあるでしょ」
「確かに祓うのは可能だけどな。俺は呪術師でもなんでもねえし、そんなとこで仕事受けるつもりもねえよ。透明人間らしく裏で生きていくわ」

苗字は天与呪縛であるということ以外甚爾の出自について何も聞かされていないが、彼の様子から呪術界とわだかまりがあることは察せられた。彼女は濁してしまった空気を戻そうと冗談めかして言った。

「...ちゃんと仕事してくださいね。いい歳して女子高生から金貰ってるんですから」
「あ? 最初にオマエが払いたいって言ってきただろ」
「その言い方は語弊がありますって。ていうかアナタから呼び出した回数の方が多くないですか」

ここ数ヶ月の間で打ち解けた二人は軽口を言い合う仲になっていた。苗字にとって兄というよりは離れていて父にしては近い年齢差の甚爾と過ごす時間は奇妙な感覚だったが、居心地は悪くない。

「まあ、そうだな。いつか仕事が入ったら奢ってやる」
「ははっ、約束ですよ」

そして甚爾もまた金で成り立っているこの妙な師弟関係を気に入っているのであった。

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