奮励努力

梅雨を迎えてしばらく経った頃、苗字の元に昇級査定の話が舞い込んだ。どうやら推薦者は夜蛾と冥冥らしい。
まずは一級相当の術師と共に幾度か任務をこなし適性があれば準一級になれるということで、近頃の苗字は既に一級術師になっている五条や夏油の任務に交互に同行していた。

今回は五条との任務だ。目的は盗まれた呪具の奪還と呪詛師の捕縛。場所は東京郊外の怪しげな施設で、中には呪詛師集団が潜んでいるという。
現地に着いた苗字達は早速二手に分かれた。五条が彼女の著しい成長を評価し単独行動の作戦を提案したのだ。対人戦における技術は学内でもトップクラスだろ、と珍しく褒められ嬉しくなった苗字は期待に応えるために気を引き締めて戦闘に臨んだ。

___苗字は屋内に放たれた呪霊を祓いながら長い廊下を走り抜けていく。
途中で遭遇した呪詛師を気絶しない程度に木刀で殴って呪具の在処を聞き出せば、地下に武器庫があると判明した。彼女は縛った呪詛師を床に転がして再び駆け出す。

「結構狭いし、ここじゃ五条の術式は調整が大変だろうな」

彼女は呪霊の相手をしながら独り言を零す余裕があるようだ。しかし本命の地下へ続く階段を探す途中、角を曲がったところで死角から鈍器が飛び出してきた。咄嗟に木刀で捌いたが後方に転がってしまう。

「いってぇ!」

素早く体制を立て直すと、目の前にはバットのような武器を携えた男がいた。おそらくあれが盗まれた物だろう。男よりも禍々しい呪力を纏っている。

「ハッ、連中が騒いでると思ったらこんなチビガキに手こずってたのか」
「うるせえな。デカい図体で武器振り回してるだけじゃ強くもなんともねーよ」
「テメェ、口の利き方には気をつけな!」

男が武器を振り下ろす。頭に血が上っているのか動きは単調だ。甚爾に比べれば赤子の様なもの。体格は見掛け倒しで所詮は呪具頼みかと呆れながら、苗字は下から相手の肘に一撃を叩き込んだ。怯んだ隙に流れるような動作で胴体にも打撃を入れる。チビガキという言葉が癪に障ったので、喉に重い一発を加えて終わらせた。男が床に伸びて動かなくなったので慌てて呼吸を確認したが死んではいなかった。
懐から縄を取り出して縛りあげようとした時、背後から丁度五条がやってきた。サングラスをかけたままなので余裕だったのだろう。いつから見ていたのか定かでは無いが、彼はニヤニヤと笑っていた。

「うっわ、容赦ねえなー」
「手加減したってしょうがないだろ」
「まあな。俺の方も終わったし、梅さんとこ行こーぜ」

呪具を回収した二人は外で待っている梅津の元へ向かった。呪詛師の連行は別の窓が請け負ってくれる予定だ。梅津は苗字達が建物から出てきたのを確認すると、車から降りて労いの言葉をかけた。

「お二人ともお疲れ様です」
「ありがとうございます!」
「今日の帰りはどこか寄りますか?」
「あー...チビ助はどうする?」

梅津は昨年のクリスマスの件を覚えているようだった。彼に意味ありげな笑顔を向けられた五条は苗字に話題をふって誤魔化した。しかしタイミングが良いのか悪いのか、苗字の携帯が着信を告げた。彼女は一言断りを入れて電話に出る。

「あ、すみません。...もしもし」
『一時間後にいつもの場所』

声の主は甚爾だ。指定された場所は二人がよく稽古に使う廃ビルのことで、一時間あれば余裕を持って辿り着ける。

「突然すぎません?」
『金が必要になった。遅れてもいいから来い』
「はいはい」

大方賭博で負けたのだろうなと予想を立てる。彼は驚く程運がないのだ。苗字は電話を切ると梅津に謝った。

「本当にすみません、急用ができたので駅までお願いしていいですか」
「はい、大丈夫ですよ。五条君はどうしますか?」
「...俺はこのまま帰る。腹減った」
「悪いな五条。どこか行く予定あった?」
「別にー」

問いかける苗字に対し五条はそっぽを向いて車に乗り込んだ。明らか不機嫌になった彼を見て苗字は申し訳なく思った。車内では微妙な空気が駅まで続いた。

___苗字が駅前で降りた後。車内に残された五条が不貞腐れているのを見て、梅津は可笑しそうに言った。

「五条君、今回は残念でしたね」
「...うるせえ」

彼は苗字の行先については知らなかったが、そちらを優先されたのが何となく面白くなかった。別にそこまでアイツと出かけたかった訳じゃないし、と心の内で愚痴を零しながら座席を後ろに倒す。梅津は寝る体勢に入った彼を微笑ましく思いながらハンドルを握り直した。

___無事に間に合った苗字は廃ビル内で甚爾と一戦交えていた。
今日は互いに木刀を手にしている。苗字は殴り合いよりも武器を使った方が得意なはずだが、僅かに動きが遅い。いつもの積極的な姿勢は何処へやら、今は防御で精一杯のように見える。違和感を覚えた甚爾は攻撃を止めずに尋ねた。

「あ? やけに反応が鈍いな」
「そうですかね」
「余計なこと考えてっと命取りになんぞ」

甚爾の言葉通り苗字は別のことに思考を遮られ集中できていなかった。指摘されずとも彼女は動きが鈍っている自覚はあった。
その原因は五条だ。任務後のやり取りが脳内で勝手に再生される。またどこかに連れて行ってくれる予定でもあったのだろうか。逸らされた青い瞳を思い出し、僅かに期待を抱いてしまう。
再び上の空になってしまった苗字の脇腹に甚爾の一撃が入った。

「うぐッ、」
「ほらな。今日はもうここまでだ」
「ゲホッ...す、すみません」

床に仰向けに転がった彼女は深く反省した。戦闘中に妙な思考に囚われるなんて論外だ。そうして自責の念に駆られる彼女の隣に甚爾が腰を下ろした。普段とは違う様子に興味が湧いたらしい。

「何かあったのか?」
「お、甚爾さんって意外と相談乗ってくれるタイプの人間なんですか」
「女ってのは話すだけで満足するだろ。聞いといてやるから言えよ」
「扱い雑すぎません?」

甚爾が何人もの女性の元を渡り歩いていることは知っているが、世の女性達はよくこんな男を受け入れるものだと感心する。もしかして猫を被るのが上手いのだろうか。
苗字が胸中で愚痴を零していると、甚爾はふと何かを思いつき特徴的な口元を歪めた。

「...まさか男でもできたか?」
「なっ、ちょ、違いますけど!」
「ハッ、図星かよ。分かりやすいヤツ」
「だああークソ! だから違うんですって!」
「オマエもまだまだガキだな」
「そのガキからお金巻き上げてるのはどこのどいつですか」
「聞こえねー」
「都合の良い耳ですね。まあお金払ってる分、しっかり相手してもらいますよ!」

いつもの調子を取り戻した苗字は立ち上がって木刀を握った。甚爾は面倒だと言いながらもなんだかんだ付き合ってくれるので、そこは感謝している。
その後も彼らは取っ組み合いを続け、甚爾が女性に呼び出されたところで解散になった。苗字が渡した本日分の金はきっとホテル代にでも使われるのだろう。その先は想像したくない。彼女は疲れた体を引きずって高専を目指した。


___苗字が高専に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。任務に加えて甚爾の相手で疲労感が尋常じゃない。呪力でガードできるとはいえ、木刀のせいで体にいくつか打撲を負った。部屋にある湿布のストックが切れていないことを祈るばかりだ。
静まり返った寮の廊下を歩いていると、黒いスウェット姿の五条と出くわした。夕飯も風呂もとっくに済ませているのだろう。彼は未だに制服姿の苗字を見て驚いたようだ。

「名前、今帰ったのか」
「おー五条。ちょっと色々あってな」

唯一、家入に怪我の治療を頼む際に「特訓している」とだけ話して以来甚爾との関係は口外していない。もし仕事に支障が出たら面倒だと甚爾から口止めをされたのだ。他にも金銭が絡んでいるからなどの理由があるが、密かに特訓しているとバレたくないという小さなプライドもそのひとつだ。
しかし先日の組手の最中に家入から話を聞いていた五条はすぐに勘づいた。

「またコソコソ特訓でもしてたんだろ」
「なんで知っ...」

苗字が言いかけた時、五条が彼女の顔に手を伸ばした。彼の乾燥した親指が頬を撫でる。驚いて身動きが取れない苗字に対し、静かに事実だけが告げられる。

「ココ、血ぃ出てる」
「...気づかなかった」

言われてみれば、頬から僅かに痛みを感じる。甚爾に何度か床に転がされたのでその時にでもついた傷だろうか。これでは誤魔化しがきかないなと苗字が思っていた矢先、五条が口を開いた。

「何やってるかは知らねえし、止めるつもりもねえけど。...無理しすぎんなよ」
「ありがと」

ぶっきらぼうな言い方は相変わらずだが、気遣いが伝わってくる。苗字は深入りせずにいてくれた彼に感謝をした。

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