師資相承


「はい、また私の勝ちー!」

青く澄み渡った空の下で苗字の高らかな声がグラウンドに響いた。拳を掲げて仁王立ちする彼女の足元には二人の人物が仰向けに転がっている。彼らの髪色はそれぞれ黒色と金色で対照的だ。荒い呼吸に合わせて腹部を上下させながらも黒髪の少年が笑って言った。

「名前さんマジで強いですね! もう1回お願いします!」
「そろそろ休憩した方が良いのでは」
「灰原はやる気があってよろしい! 七海は彼を見習いなさい」
「ありがとうございます! 七海もやろうよ」
「はー...」

ため息をつきながら立ち上がると、苗字の合図で再び組手が始まった。

黒髪の少年は灰原雄。金髪の少年は七海建人。彼らは今年度入学してきた一年生だ。二年生に進級した苗字達は彼らの指導を任されている。
今日の予定では苗字、夏油、五条の順で相手をするはずなのだが七海と灰原は一戦目から苦戦を強いられていた。彼女に歯が立たず地面に転がされた回数が増えるばかりで、階段に座って待機している他の二年生の出番はまだ先のようだ。組手を眺めていた夏油は隣にいる五条と家入に向かって言った。

「名前、最近体術が上達したな」
「まあそうだな。アイツらとやってる時は呪力使ってねえし」
「何かこっそり特訓してるっぽいよー」
「さすが努力家だね」
「チビ助そんなことしてんのか」

家入の言葉を聞いて男子二人は素直に感心した。七海と灰原の動きも新入生にしては決して悪いものではないのだが、苗字はそれを遥かに上回っている。しばらくの間、五条達は同級生の洗練された動きに魅入っていた。

___苗字が急成長を遂げたのにはある理由があった。件の出来事は一ヶ月程前に遡る。

某呪詛師団体が計画的に一般人に低級呪霊を憑かせ、祓ってやる代わりに多額の報酬を要求するマッチポンプ商法を行っているとの情報が入った。これ以上被害者が増えるのを食い止めるため、苗字は冥冥と共に団体を壊滅させる任務を割り当てられた。決して強い団体ではないようだが、この任務の担当者が二人しかいないのは冥冥が余程強いのか、呪術師が人手不足なのか、苗字には検討がつかなかった。
団体の拠点に着くと冥冥が涼しい顔で言った。

「今回は呪詛師を捕縛して補助監督に引き渡すのが目的だけど、最悪殺しても構わないそうだよ」
「冥さん、それ冗談じゃないですよね...?」
「こういう任務は初めてかな? 今のうちに慣れておくといい。それに相手は呪詛師だ。罰を受けて然るべきだよ」
「そう、ですよね」

苗字にとって任務で本格的な対人戦を強いられるのは初めてのことだ。さすがに戸惑いを覚えた彼女は今回は木刀で戦う事を決めた。
しかし呪詛師と相対するうちにその戸惑いは段々と薄れていき、本気で攻撃ができるようになっていった。骨を折る感触や血の匂いにも鈍くなった。

「良く動けているじゃないか。その調子なら昇級も近いよ」
「結構ギリギリで動いてるつもりでしたけど、それなら良かったです」

冥冥から褒め言葉を貰ったが、苗字は素直に喜んで良いのか分からなかった。慣れとは恐ろしいものだと心の片隅で思った。

団体の拠点は複数に分かれており、数日かけて虱潰しに回った。任務の最終日、冥冥は首謀者の元へ苗字は呪霊の倉庫と化した廃ビルへと二手に分かれた。倉庫とは言っても団体が扱えるほどの低級呪霊が数体いるだけなので学生一人で事足りるだろうとのことだ。

廃ビルに到着した苗字の視界に映るのは呪霊のみ。彼女は今まで募った罪悪感ごと斬り捨てるように思いのまま刀を振るった。最後に人間ではなく呪霊の相手をさせたのは冥冥なりの気遣いかもしれないと思ったが、団体の首謀者はかなり金を稼いでいたそうなので、彼女の目的はそちらかもしれない。後者の方が可能性が高そうだと感じた苗字は小さく笑った。

残りの呪霊はあと一体。体格は大きいが二級くらいだろうか。今日は調子が良いので直ぐに終わるだろう。
そう考えながら苗字が刀を構えた瞬間、手元から刀が消えた。理解が追いつかない中、かろうじて視界に捉えたのは何者かが呪霊を切り刻む光景だった。荒々しくも無駄のない動きが明らかに只者では無いことを物語っている。冷静さを取り戻した彼女は即座に警戒態勢に入った。しかし見知らぬ男は気にも止めず、手に持った刀をまじまじと見つめて文句を言った。

「これ、呪具じゃねえのかよ」

彼女は普段刀に呪力を流し込んで戦っている。つまりただ刀で斬るだけでは呪いは払えないのだ。その証拠に男の背後で呪霊が歪な形を取り戻した。呪霊の咆哮がコンクリートの壁に反響する。

「チッ」

男は背後に鋭い回し蹴りを叩き込んだ。呪力を纏っていない攻撃だったが呪霊は奥の壁まで突き飛ばされた。その隙に苗字は刀を生成して叫んだ。

「避けてッ!」

一気に呪力を込めて大きな斬撃を飛ばすと呪霊は見事一発で祓うことができた。抉れたコンクリートの壁だけが残っている。攻撃範囲から逃れていた男は切れ長の目を見開き、奪った刀と苗字の手元の刀を見比べた。

「オマエそれ、作れんのか」
「まあそうですけど...。アナタこそ何ですか、今の動き。人間技ですか」
「俺はその辺の人間と身体の造りが違うんでね」

男は首を傾けて骨を鳴らした。肉体は服越しにも分かるほど鍛えられている。先程の身のこなしといい、彼は確実に強い。呪霊が見えているので同業者の可能性はあるが、未だ警戒心を解いていない苗字は刀を握る手に力を込めた。目敏く気付いた男は口元に弧を描く。それに合わせて唇の端の特徴的な傷跡も歪んだ。

「そう警戒すんな。最近この辺の呪詛師掃除してんのもオマエか?」
「...何件かは担当しました」
「オマエのせいで俺の仕事が無くなっちまってな。金がねえんだわ」
「そ、それはすみませんでした...?」

やはりこの人は同業者なのだろうか。苗字は疑問を抱いたまま気休め程度の謝罪を添えると彼はとんでもない事を口走った。

「てことで刀作って置いてけ。質に入れれば金になんだろ」
「いやいや、何言ってんすか!?お断りします!」
「じゃあ金だけ寄越せ」
「私はこれで失礼します。あとそれ返してください」
「おい」

苗字は男から刀を奪おうと試みたが、大きな手で腕を掴まれて阻止された。本気を出せば握力だけで骨が折れそうだと寒気がした。彼女がどうやってこの場を切り抜けようかと思考を巡らせたところ、名案を思いついた。これならば利害一致ではないかと半ば確信して頼み込んだ。

「...私に稽古をつけてくれませんか。強い術師を目指してるんです」
「あー?面倒くせえよ。相手なら他にもいるだろ」
「規格外の強さの同級生達がいるんですけど、そいつらに追いつきたいんです。勿論お金は払います」
「...俺の稽古は高ぇぞ」
「最近儲かってるんで、ある程度なら大丈夫です」
「まあ暇潰しにはなるか。いいぜ、乗ってやる」
「っしゃ、ありがとうございます!」

呪詛師の任務は担当者の負担が大きい分、報酬も跳ね上がる。近頃の苗字は学生らしからぬほどの大金を手にしていた。相手の仕事を奪ってしまったこともあり、金を払うこと自体に戸惑いはない。それに強い術師に回ってくる任務は当然報酬も良くなるので金なら今後いくらでも稼げる。

男が承諾した為、彼らはその場で連絡先を交換した。苗字の電話帳には新たに伏黒甚爾という名前が追加され、奇妙な師弟関係が始まった。
彼女の時間がある日や甚爾の金が無くなった日に相手を呼び出し、廃墟などの人目に付かない場所で帳を下ろして訓練を重ねた。要求される金額は日によって様々だったが苗字は全て応じた。はじめは面倒臭がっていた甚爾も金払いが良い彼女を無下に扱うことはなかった。


___そうしてこの一ヶ月で急成長を遂げた苗字は、またもや後輩達を地面に転がした。

「お疲れ〜っす!」

彼女は快活な挨拶と共に屈んで灰原と七海の顔を覗き込んだ。疲れきった彼らは息を切らして苦笑いする。

「はは、先輩元気ですね...。お疲れ様でーす」
「...お疲れ様です」
「私に負けてるようじゃ、あの白髪と前髪は倒せないぞー」
「チビ助! 変なあだ名教えてんじゃねえ」
「私達とも一戦やろうか」
「おーおー、やってやんよ!」

横から参戦してきた五条と夏油に対し、苗字は好戦的な笑みを浮かべた。家入は喧嘩っ早い同級生達に呆れながら怪我人が出ないことを祈った。

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