五里霧中

とある休日、庵の誘いを受け苗字と家入は街中のカフェを訪れた。昼時を過ぎた店内は人影も少なく、角のソファ席へと案内された。
久方ぶりの再会を果たした3人はドリンクバーとケーキのセットをつつきながら世間話で盛り上がっていた。そして庵のひょんな発言から色恋沙汰の話に転じたのだった。

「硝子、そういえば歳上の彼とはどうなったの?」
「ああ、別れましたよ」
「んなサラッと...」

平然と答える家入を見て、近況報告を期待していた庵は残念がった。一方苗字は家入の浮ついた話は初耳だったので、意外だと言わんばかりに目を見開いた。

「え、硝子彼氏いたのか! 全然知らなかった 」
「結構前だけどねー。割と短かったし」
「名前はそういう話何も無いの?」

庵の好奇心を含んだ問いに苗字は苦笑いして答えた。

「残念ながら無いですね」
「あれ、五条とは進展ナシ?」
「アンタまさか五条が好きなの!?」

家入の発言に驚いた庵の手元に思わず力が入った。ケーキに刺したフォークが勢い余って皿とぶつかり、カツンと音を立てる。盛大な勘違いをされた苗字は慌てて否定の言葉を挟んだ。

「違いますって! 変なこと言うなよ硝子!」
「だって佐竹先輩が五条と名前が付き合ってるって寮内で言いふらしてたから」
「は、アイツありえねーんだけど!!」
「ウケる。やっぱガセネタだったか」
「当ったり前だろー」

クリスマスの日に目撃されていたことを思い出した苗字は面倒な先輩もいるものだと呆れる。正月の件の腹いせのつもりだろう。そしてネタだと分かっていながら揶揄う家入も厄介だ。会話から状況を把握できた庵は胸をなでおろした。

「びっくりした...本気で五条のこと好きなのかと思ったじゃない」
「歌姫先輩、マジで違いますからね! アイツはライバルみたいなもので!」

苗字は半ばテーブルに乗り出して念を押す。確かにクリスマスや正月は二人で過ごしたがそれ以来何も起こっていない。その説明をしても、かえって根掘り葉掘り聞かれそうなので、これ以上は何も言わないが。そして勿論ライバルだという言葉に嘘はない。夏油も含めて彼らには追いつきたいと日々思っている。
彼女はこの話題を切り上げるつもりでカフェオレに口をつけた。しかし家入が横からとんでもない爆弾を落とした。

「でもさ、五条は名前のこと結構好きだと思うけど?」
「〜っ!? 何でそうなるんだよ」
「だってアイツ、名前には優しいとこあるじゃん」
「いやいや、そんなわけないだろ!」
「なーに赤くなってんの」

ニヤニヤと笑う家入の言う通り、苗字は顔に熱が集まるのを感じた。脳裏では今までの五条の行動が浮かんでは消える。普段は腹が立つ物言いをする五条だが、ふとした時に見せる優しさがあるのは確かだ。それが気まぐれではなく特別な感情を含んでいたのだとしたら。
___待て待て。相手はあの五条だろ。ありえない。しかも何で期待してんだよ。
苗字は早くなった鼓動を無視するようにかぶりを振って、自分に言い聞かせるように声を出した。

「アイツの中身はともかく、見た目は良いから彼女くらいいるでしょ。私の事とか絶対何とも思ってないって」
「まあ見た目だけは良いのかもしれないけど...」

庵は大嫌いな相手の容姿もあまり認めたくないらしい。反対に苗字の発言は純粋な本心だった。五条に恋人がいてもおかしくないというのは前々から思っていたことだ。しかし架空の彼女を想像した苗字は胸に痛みを感じた。先程に続いて期待をしているような自分に嫌気がさして、彼女は感情を抑制するようにカフェオレを喉に流し込んだ。そんな彼女の胸中を知ってか知らずか、家入だけは意味ありげに笑っていた。
その後も3人は他愛もない話を続け、キリが良いところで解散となった。店を出る頃の空は綺麗なオレンジに染まっていた。

___その夜、風呂を済ませた苗字は部屋着のまま共有スペースへ向かった。目的は冷凍庫にあるアイスだ。以前五条にデザートを盗られたことがあるのでしっかり記名もしている。今回は大丈夫だろうと鼻歌交じりに廊下を抜けた時、先客がソファに座っていることに気づいた。

「夏油じゃん。今日任務行ってたのか。お疲れ様」
「ありがとう名前」

彼の声音には珍しく疲れが滲んでいた。よく見ると顔も青ざめているようだ。苗字は具合でも悪いのかと思い不安げに尋ねた。

「...なあ、顔色悪いけど大丈夫?」
「大丈夫だよ。さっき呪霊取り込んだからそのせいかな」

具合が悪いわけではないと判明して安堵したが会話の流れでひとつ気になることがあった。

「あれ? そういえばどうやって呪霊取り込んでんの?」
「飲み込むんだよ」
「それ美味しい?...わけないよな」
「例えるなら吐瀉物を処理した雑巾みたいな味だね」
「キツくないかそれ」
「もう慣れたよ」

夏油が困ったように笑う。慣れたと言えるようになるまで一体どれほど不味い呪霊を取り込んできたのだろうか。苗字は彼が保有している呪霊の正確な数は知らなかったが、今まで相当な苦労と苦痛に耐えてきたことは考えずとも分かった。
ふと思い至った彼女は冷凍庫から本来の目的であったものを取り出した。赤い紙箱の蓋を開ければ、チョコでコーティングされたバニラアイス粒が六つ並んでいる。そのうちの1つに付属のピックを突き立てて夏油の目の前に差し出した。苗字は立っていて、彼は座った状態。互いの位置が丁度良かった。

「これ、口直しにどうぞ」
「いいのかい? ありがとう」

夏油は一瞬躊躇ったが、相手は気にしていないようなので素直に好意を受け取った。アイスだけを咥えて器用にピックから引き抜く。舌の上に広がる甘さが心地良い。
苗字がこれで上書きできると良いのだけれど、と考えていたところで第三者の声がかかった。

「...オマエら何やってんだよ」
「夏油とシェアハピしてる」
「意味わかんねえ」

現れた声の主は五条だ。風呂上がりなのか、首には長いタオルがかかっている。彼は乱雑に髪を拭いていた手を止めて苗字に歩み寄った。端正な顔は僅かに曇っている。彼の胸中を察した夏油はなんだか面白くなり、あえて弁解せず事の成り行きを見守ることにした。
苗字は何も気づいていないようで疑問符を浮かべながら五条を見上げた。視線がかち合うと彼はいつもように高圧的な態度で言った。

「俺にも寄越せ」
「しょうがねえな」

苗字がピックでアイスを貫くと五条は腰を少し折って視線の高さを合わせた。ソファに座る夏油よりも随分高い位置にあった顔が急に寄せられて、苗字は固まった。青い目に催促され慌てて口元にアイスを差し出せば形の良い唇が開かれて奪っていく。

「ん、さんきゅ」
「...おう」

一連の動作から目が離せなかった苗字は辛うじて返事をした。急に心拍数が上がるのを感じ、複雑な心境に陥る。
___夏油のときは何ともなかったのに。...何で五条の時は緊張してんだよ。昼間、顔は良いとかいう話をしたから? あー...そうかもしれない。
彼女が黙りこくって自問自答をしている隣では五条が夏油を睨みつけていたのだが、彼女は気づいていないようだった。

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