百花繚乱:下

苗字が目覚めると、見慣れない天井と共に家入の顔が視界に入った。

「あ、名前起きた」
「ここは...?」
「旅館だよ。五条と夏油呼んでくるから待ってて」

家入が部屋を出ていく。苗字が起き上がって体を確認すると、傷はどこにも見当たらない。寝ている間に治療してくれたようだ。その上ラフな格好に着替えさせられていて血に濡れた袴は窓際に干されている。家入にお礼言わなくては、と思ったところで扉から夏油が顔を出した。

「名前、体調は大丈夫かい?」
「ちょー元気」
「それは良かった。それじゃあ温泉に行こうか。今から行けば夕食に十分間に合う」
「お、温泉!! 行く!!」

バタバタと準備を済ませ、四人揃って温泉へと向かった。研修旅行という名目上、高専側が普段よりランクの高い旅館を用意してくれている。夜蛾曰く互いの親睦を深め心身ともに成長してくるように、との事だったが、一年生はもれなく全員が修学旅行気分だ。

「上がったらここ集合ねー」

家入が入口付近のソファスペースを指定し、男女分かれて暖簾をくぐった。
乳白色の温泉に入った女子二人は思い思いに足を伸ばした。他の客は意外にも少なく、ゆっくり出来そうだ。苗字は隣の家入に気になっていたことを尋ねた。

「結局さっきの呪霊ってどうなった?」
「五条が祓ったけど、トンネルが崩れかけたから全員慌てて夏油の呪霊で脱出。まあ任務自体は成功だよ」
「そっか。ごめんな、気絶した上に色々迷惑かけて」
「そんなことないって。名前がいなかったら、私一人じゃ戦えなかったし。でも、縛りを破るのは気をつけろよ」
「す、すみませんでした...」
「私がいつでもいるわけじゃないんだから、怪我しても良いってスタンスはやめな」
「姉さんの仰る通りです...」
「気絶する直前に夏油もそれで怒ってたんだけど、覚えてる?」
「あー何か聞こえたような...」

記憶を辿れば夏油に声をかけられた気がしないでもない。後で謝罪でもしとくか、と完結させる。
二人で他の種類の温泉を試して回っているうちに苗字の異変に気づいた家入が声をかけた。

「名前、顔真っ赤じゃん。逆上せたんじゃない?」
「そうかも...先に上がろうかな。硝子はもっとゆっくりしてていいよ」
「おっけー。ソファで水でも飲みながら待ってて」

立ち上がると体がとても重かった。言われなければ倒れていたかもしれない。苗字は迷惑をかけてばかりだなと申し訳なく思い、せめて夕飯までには回復しようと決めて風呂場を後にした。
苗字は浴衣に着替えて先程のソファに辿り着くと、購入したペットボトルで首元を冷やした。火照った体と段違いの温度に思わず声を漏らす。

「うあー、冷てえー」
「...何やってんだよ。硝子はどうした?」

声の主は五条だった。苗字はぼんやりとした脳内で、その浴衣のサイズあるのかよ、とツッコミを入れた。自分の小ささを馬鹿にされたくないので口にはしないが。足が長いと和服は似合わないってのは嘘かよ、と内心文句を垂れながら、とりあえず質問に答えた。

「逆上せたから、私だけ先に上がってきた」
「ふーん。タコみてえに顔赤くなってんぞ」
「うるさいわボケ。夏油は一緒じゃないのか?」
「髪乾かしてる」
「あー、アイツ髪長いもんなあ」

普段通りに話す苗字とは対照的に、五条は気が気でなかった。彼女の火照った顔や、緩められた浴衣の首元が目に毒だと思ってしまう。気を紛らわす為に、傍にあった自販機で牛乳を購入した。彼が喉を鳴らして飲むのを見上げていた苗字が羨ましそうに呟いた。

「いーな。それ」
「...飲むか?」
「飲むー」
「少しだけな」
「ん」

苗字が手渡された瓶に口をつける。言われた通り少しだけ口に含むと、独特の味わいと冷たさが広がった。温泉上がりに飲みたくなる人が多いのも頷ける。お礼と共に瓶を返せば、五条はあっという間に残りを飲み干した。彼としては苗字に全く意識されなかったことが気に食わないが、その思考を牛乳瓶と共に乱暴に捨てた。これでは自分が期待してるみたいではないか。
丁度その時、夏油が楽しそうに笑ってやってきた。

「珍しく仲良くしてるじゃないか」
「傑、眼科行ってこいよ」
「そーだそーだ」

どこから見てた、と五条が睨むが、夏油は笑みを崩さない。男子二人が無言の威圧を放っているところに家入が合流し四人は夕食に向かった。


「硝子! 寿司あるよ!」
「お、良いネタ揃ってんじゃん」
「傑、その皿二枚取って」
「まだ取るつもりか?」
「食わなきゃ損だろ」
「アイスも食べたいなー」
「俺のも取ってこい」
「あ? 自分で行け」
「バニラよろしく」
「私コーヒー」
「ちょ、夏油と硝子まで!」

この旅館はバイキング形式の夕飯で、それぞれ好きな物を取っていた。先程まで任務をこなしていたとは思えない程、四人の食事は賑やかだ。呪術とは縁遠い一般客にも溶け込んでいる。

時間をかけて食事を堪能した後、彼らは部屋に戻った。明日の朝にはここを出発するので準備をしなければならない。更に今日の報告書も残っている。一気に現実に引き戻された気がして苗字は残念に思った。
家入と話をしながら作業を進めていると、思いの外早く時間は過ぎていった。そろそろ寝ようと思い立った頃、隣から物音が聞こえてきた。男子達が喧嘩でも始めたのだろうか。旅館を破壊しないか不安になりながら、苗字が文句を言った。

「夏油、ちゃんと五条の躾しろよなー」
「二人とも同レベルだから無理だろ」
「夏油はもっと大人って感じすんのになあ」
「名前は夏油の評価を高くしすぎ」
「そう? でも割と助けて貰ってるしなあ」
「五条もそれなりに助けてると思うけど?」
「あーーー。いや、アイツは日頃の行いが悪い」
「ははっ! それこそどっちもだよ」

二人で同級生達の顔を思い浮かべて笑い合う。彼女達はそのまま布団に入り込み、しばらく話をして目を閉じた。男子部屋からはまだ物音が続いている。苗字は明日遅刻したら殴ってやろうかと考えながら深い眠りについた。
翌朝、案の定寝坊した男子二人は荷物持ちをさせられることになった。

◆◆◆◆

戻る
- ナノ -