萎縮震慄

呪術師にとっての繁盛期、夏が来た。一年生たちも数日おきに任務に駆り出される。家入は重傷者の手当で重宝されて、多忙を極めている。
今日は夏油と苗字がペアを組んで任務に派遣された。夕日に照らされながら二人で山道を突き進み、呪霊の元へ向かう。車が通れるような道ではないので、補助監督には麓で待ってもらっている。

しばらく山を登ると、開けた場所に出た。帳を下ろすとオレンジの陽の光を遮って、辺りは黒に染まった。案の定、そこには呪霊の姿が浮かび上がる。大蛇のような体は粘液に塗れて不気味に光っている。目があるはずの部分は潰れており、視力はないのだろう。代わりに触覚や突起が全身に生えている。

「気持ち悪い見た目してんな。しかもヌルヌルしてる」
「地面の草が萎れているね。粘液には気をつけた方がいい」
「了解」

今回は二級程度だと聞いているが、訓練も兼ねて苗字がメインで祓うことになっている。さっそく地面を蹴った彼女が大蛇に切りかかった。打ち合わせ通り、苗字の近接戦闘を夏油は遠距離から支援する。呪力に当てられて、どこからともなく低級呪霊が沸いてきたので彼はそちらもカバーしていく。
数分後、追い詰められた大蛇がごぽごぽと喉を鳴らし、勢い良く粘液を吐いた。すかさず避けた苗字が首を切り落としたが、彼女の右腿に粘液がかかってしまった。

「いッ」

粘液は袴の一部を溶かして肌まで到達した。大蛇が消えていくのと同時に、苗字もその場に座りこんだ。離れた位置で見ていた夏油が駆けつける。

「大丈夫か!?」
「なんか、痺れて感覚ない」

夏油が膝をついて確認すると、破れた袴の間から黒く爛れた皮膚が見えた。灰色の煙がうっすら立ち上り、通常の怪我では無いのは明らかだった。

「呪力が入り混んでいるみたいだ」
「じゃあ、抜いた方がいいよな」

額に汗を滲ませたまま苗字は刀を握った。呪力を込めて自らの腿に刃を滑らせると、黒かった傷がたちまち鮮やかな赤に染まった。地面に滴る液体を見て、夏油は困ったように言う。

「思い切りが良すぎじゃないか...?」
「感覚ないから大丈夫。...って思ってたけど、戻ってきたな」
「その脚じゃ帰りは歩けないだろう。麓まで上から戻ろうか」
「上から?」

苗字が首を傾げると、突然両足が地面から離れた。彼女を抱き上げた夏油はマンタのような呪霊を出してその背に座り込む。

「えっ」
「掴まっててくれ。すぐ着く」

マンタは空を泳ぐように上昇し、木々を通り抜けて山の側面に出た。辺りは帳で薄暗いが、地面からどれほど離れているのかは想像にかたくない。浮遊感に耐えかねた苗字は思わず夏油の首元にしがみついた。その反応を見た彼は、とある事実に思い当たって尋ねてみた。

「...もしかして、高い所苦手かい?」
「...悪いかよ」
「いや? 名前にしては意外だなと思っただけさ」
「うるさいな。無理なもんは無理なんだよ」
「悟に教えてやろうか」
「やめろ。絶対馬鹿にされる」

本当に苦手なようで、彼女は一切下に目を向けない。眺めが良いと言って喜ぶと思ったのだが、予想は外れたようだ。夏油はなるべく揺れないように善処した。地上に着いてすぐ傷口に布を巻いてもらい、二人は補助監督の車に乗り込んだ。高専まで車を飛ばしてもらう。

高専に着くと、夏油は苗字を背負って真っ先に医務室に向かった。偶然廊下を通った五条が、夏油の背中を指さして言った。

「傑、それ新しい呪霊か?」
「こんなのを取り込んだ覚えはないかな」
「おい、下ろせ。二人ともぶっ飛ばす」

暴れそうな勢いの彼女を宥めるように背負い直す。落ち着いたところで夏油が尋ねた。

「ところで硝子を見てないか?」
「あー昼前に任務行った」
「それは困ったな。名前、治療までしばらく我慢できるか?」
「余裕。とりあえず布巻き直したいかな」
「医務室にある物を使おう。悟、鍵を借りてきてくれ」
「しょうがねえな」

五条が職員室から取ってきた鍵を使って医務室に入る。苗字は椅子に座らされると、夏油の制服にシミができていることに気づき頭を下げた。

「ごめん。夏油の制服汚した」
「目立たないし、気にしなくていいよ」
「本当に申し訳ない。落ちなかったら困るし、着替えて水につけてきなよ」
「じゃあそうしようかな。着替えたらすぐ戻ってくる。悟、あとは頼んだよ」
「はー? 何で俺が」
「夏油、自分でできるしいいよ。気にすんな」
「すまないね。包帯とガーゼの場所は悟に聞いてくれ。じゃあまたあとで」

夏油が退室すると、五条がため息をついて棚を漁り始めた。蒸留水のボトルとタオル、包帯をまとめて苗字に手渡す。

「ほらよ。洗ったらそれ巻いとけ」
「分かった」

苗字は言われた通り傷口を洗うまでは順調にできた。ところが包帯を巻こうとして、誤って落としてしまった。怪我人の代わりに五条がそれを床から拾い上げる。彼女は馬鹿にされると思って身構えたが、予想外の言葉を聞いた。

「下手くそか。俺がやる」
「いやいや。いいって」
「大人しくしてろ。傷開くぞ」
「...悪い」

苗字は大人しく低い台に足を乗せ、膝を直角にした。洗ったばかりの腿に再び血が滲んでいる。五条が裂けた袴から包帯を差し込んで手際良く巻いていく。一瞬だけ彼の手が腿を掠めたが、互いに沈黙を保ったまま作業に集中する。巻き終わると、少し背の高い台を配置して声をかけた。

「ほらよ。あとは足上げとけ。伸ばしてこれに乗せときゃいいから」
「...足置き遠くねーか?」
「あーー俺としたことが。チビ助の足の短さ忘れてたわ」
「おい、わざとだろ。そこに足届くのオマエくらいだって!」
「傑も届くだろ」
「アイツもサイズがちげえよ!」

苗字と五条が騒いでいるところに、丁度夏油が帰ってきた。廊下まで聞こえていたらしく、五条に釘を刺した。

「悟、怪我人で遊ぶなよ」
「コイツうるさいし怪我人じゃねえよ」
「アホか。さっき傷見たのは誰だよ。白髪だしボケてるし、老人か?」
「あ? 身長縮めてやろうかチビ助」
「二人とも硝子がくるまで静かにできないのか」

呆れた夏油が部屋に帰りかけたところで家入がやってきたので、無事に苗字の治療は終了した。

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