明かり一つ灯されていない暗闇。月明かりさえも届かず、例えるならば深淵。
 その奥深く。
 そこでは、耳障りな水音が響いていた。粘着質で、纏わりついて離れないようなそれは、耳を塞ごうとしても聞こえて来るようで。
 更に残念なことに、耳を塞げる状態ではなかった。
 音は、よりねっとりと時を追うごとに追いかけてくる。耳の裏側かわそろりと侵入を図ろうとしている。
 残滓を振り払うように頭を振ろうとも、音はどこからともなくなってきては、ひたりひたりと音もなく入り込み。まるで謀ったかのように耳から浸食していく。浸食された耳から脳へ、そこから心臓、四肢、と音は伝わっていき、感覚となって身を震わせる。
 自力ではどうしようもない音が、耳からねぶっていくようだ。痒みとも判別がつかない痛みに似た感覚が素肌に掌を這わせる。冷たく、宛ら侮蔑するような指に、意図せずして震える体に自嘲すらわくも、止められはしなかった。
 けれど、それを止めようとも思っていなかった。
 止めても無駄だと諦めているわけではなかった。
 ただ。止めようとは、思わない。
「っ、………」
 やめてくれ。
 ただ、抗うように思った。止めてほしいわけでもないのに、身を捩って逃れたくなる。
 心臓が、まるで撃ち抜かれたかのように熱く、焼けるようだ。
 身悶え、体をねじった。
 しかし、追捕の手は止まず、逃れようとしているのに捕えようと手を伸ばして来る。それでも諦め悪く逃れようとしては、より強い浸食に侵されるばかり。
 熱い。熱い熱い熱い。
 やめてくれ。
 心の底から思う。
 けれど、熱を浮かす、体中を這いまわる手に、すぐさま撤回を余儀なくされた。
 熱で茹だるようだ。制止は一秒たりとてもたず、払った手は何も掴めず空を彷徨う。最早、固く拳をつくる他ない。
「……っ、……………っ、っ!!」
 堪え切れない熱さ。そして、恥辱。
 まるで、自分が自分でなくなるようで、顔を覆った。
 ダメだ。これは、ダメだ。
 俺が、俺という形が、溶けてしまう。溶けて、どろどろになって、俺という形がなくなってしまう。
 怖くなって、目を固く閉じた。
 瞼の裏には暗闇のみ。
 それなのに、体の中から熱く、色付けられていくようで。
 ダメだ。ダメだ。ダメだ。
 ダメ、なの、に。
 ダメと、分かっているのに。
 目を開けてしまいそうになる。目を空けて、この熱の正体を見たいと思う。
 熱に浮かされているからか、火中に飛び込む夏の虫だ。
 この熱をどうにかしたい。いや、したくない。いや、どうにかして。
 熱が、身体を支配していく。
 支配されて、感覚や思考も作りかえられて。
 視界が徐々に狭まった。じわじわと脳が酸欠のような状態になる。
 それでも、体だけは相変わらず揺さぶられているものだから、息をすることもできない。
「……っ、………っ、ア!」
 ずっと抑えていた声が、一際強く最奥を抉られることによって解放された。絞り出したような声はかすれていて、呻きに似た、この場にはにつかわしくないものだった。
 同時に、途轍もない解放感が襲った。頭は追い付かず、パンクしそうだ。
 そう思った時には、白い世界が暗闇を覆っていた。
 瞬き程の時間で覆る世界。のみこまれた闇。
 目を空けているはずなのに、眩しくて何も見えなくさせるおかしな感覚。
 解放は、しかし、熱さを引き起こした。解放されたはずなのに、熱くてたまらなかった。
「っ、」
 おかしい。熱くて、熱くて、火傷しそうなのに。火傷したと思ったのに。
 眠くてたまらない。
 それなのに、揺り籠はいつまでも大きく振動し、眠さを吹き飛ばそうとしていた。
     
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