the devil

遥か頭上にはクジャの召喚したバハムートが鋼のように重く鋭い翼を広げ、空を舞っていた。そのまた上空では狙ったかのように青い月と赤い月の双方がぴたりと重なり合い、太陽の光を失ったアレクサンドリアの街を幻想的に照らしつけている。酷く現実味の感じられない光景だった。

“融合に失敗したテラはガイアに取り込まれているのさ。僕に課せられた使命はガイアの魂の循環を乱すこと。いずれ、テラがガイアを取り込む日の為にね。”

ふと頭に浮かんだ先日の彼の言葉にアレクサンドリア城を真っ正面に腕を組み、微笑む彼の姿が重ね合わさる。今の彼はガイアにとっての死神なのかもしれない。私は驚くほどに平静を保っていた。眼前の城には家族同然の面々とたくさんの思い出が詰まっているというのに、だ。

「(でも、もうブラネ様はいないもの。)」

私の視線はその鈍重そうな見た目とは裏腹に軽やかに身を翻すバハムートの炎があっさりと城下を包み込むのを追っていた。これでもう後戻りはできないのだろう。バハムートが城を眼下に捉え、動きを止める。生態は違うとはいえ、なんとなくは行動を察することができる。恐らくこれで決めるつもりなのだろう。

「(今まで、ありがとう。)」

意を決し、心中で別れの言葉を呟いた時だった。

「アレクサンダー…?」

城を庇う城。城下を逃げ回る町人は空を覆う翼に頭を傾げているだろう。クジャは感嘆の声を漏らしているが、私の耳には入らなかった。バハムートの吐き出す炎はアレクサンダーに向かっていくというよりかは真っ白な翼に吸い込まれていると言ったが近い。竜王の攻撃をもろともしないアレクサンダーが翼を広げれば、無数の光がバハムートを追い、一ヶ所に集結すると彼を巻き込んで弾け、夜の闇を青白く染めた。

「あれが聖なる審判…」
「…シェリー?」
「大丈夫、なんともないから。」

クジャは心配そうに私を振り返るが、私の意識はアレクサンダーに夢中だった。五百年前、あまりに強大な力であるが為に封印されたという召喚獣を目の当たりにすることになったのだから、当然といえば当然だろう。

「あとは仕上げだけだ。もし、何かあったら…」
「分かってる。」
「………だといいんだけど。」

神妙な面持ちでクジャは私の腰を抱き、インビシブルを呼ぶ。

“そろそろ転職しようかと思ってね、次はガイアの救世主ってところかな。その為には、アレクサンダーは手に入れておきたい。君の故郷は犠牲にしてしまうけれど…。でも、こうでもしないと君もこの星ごとテラの餌になってしまう。僕は自由になってただいつも通りを過ごしたい。君がいなかったらきっとこうは思わなかったよ。だから…”

雲の裂け目からインビシブルの底部が顔を出し、アレクサンダーを一筋の光が貫く。金属製のカバーのようなものがゆっくりと開き、赤色の目のような装置が現れる。



ーーー空に浮かぶ目…?



「…インビシブルの制御がきかない。どうして………もしや、ガーランドなのか?ならば何故インビシブルを………まさか!シェリー、逃げるよ!…シェリー!?」




“シェリー!!”




***



目の前に広がるのは何処を見ても白一色の廊下だった。その先には厳重に錠が施された鉄製の分厚い扉が待ち構えている。

「(…これは初対面の時。)」

“シェリー、君が産まれた年のことだよ。マダイン・サリの空に目が現れて、全てを焼き尽くしてしまったんだ。父さんは召喚獣について調べたいことがあって村に向かっていたところだった。父さんなりに色々調べてみたけど、今でもあの目玉がなんなのか、全く分からないんだよ。その直後焼き尽くされたサリでディアボロスと出会った。父さんにとっては運命的な年だったよ。”

錠を解きながら父はさぞ愉快そうに当時を語る。後ろでは面白くなさそうに、幼い私がそっぽを向いて後ろで腕を組んでいた。

“君にも気に入ってもらえるといいけど。”

重たい扉が金属の擦れる音を立ててゆっくりと開いた。
ガラスケースに入った悪魔は眠りを妨げられたとでも言わんばかりの気だるさで、しかし鋭い眼光を此方に向けた。

***

“また来たのか、お嬢ちゃん。”
“言っておきたいことがあるの。”

二回目に会った悪魔も同様に面倒臭そうに視線だけを此方に向ける。

“私、魔法なんか大嫌い。だからもし私と融合させられたら、私を殺して出ていっていいよ。”

悪魔はがさついた声で大爆笑する。

“…何?”
“それができたら苦労はしないぜ。憑物石を知っているか?”
“漬物石?”
“つ、き、も、の、だ。”

その憑物石とは悪魔が憑依するかのように魔力同士を一体化させてしまう代物らしく、どちらかが命を落とせばもう片方も生きてはいられないとディアボロスは説明した。当たり前のように言われたが、悪魔が憑依する際に魔力を一体化させるという話は初耳だった。

“それは残念。今後はきっと兵器として使われるだけ、つまらないわ。”
“同感だ。どうだ、手を組まないか?”

「(手を、組む…?)」

《そうだ。忘れたか、お嬢ちゃん?》

聞き覚えのある声が現実味を帯びた臨場感で脳内に響いた。

***

視界は何処を見ても真っ黒だった。白くなったり黒くなったりと忙しいものだ。

「此所は?」
《夢の中ってところだな。》

がさついた声が答える。

「私、アレクサンドリアにいたはずだけど。」
《俺もたった今目が覚めたんだ。お嬢ちゃんを見るに随分長い間寝てたみたいだな。》
「…私が思い出したからか。」

失くしていた記憶は全て取り戻したようで、膨大な情報量に少し困惑している。

《で、どうするんだ?今のままじゃ、一生目は覚めないぜ?》
「目は覚めない…ね。私、一体起きて何がしたいんだろ。」

ブラネ様を失い、故郷、そして姫やベアトリクス、スタイナーまでをも見捨て、私は何をする気なのか。私はあれでよかったのだろうか。決心したはずの事柄が次々と揺らいで、崩れてしまいそうだった。

《悪魔には困っている人間を放ってはおけない気質があってな。お嬢ちゃんみたいなのは大好物なのさ。いいように利用…おっとなんでもないぜ?人生相談なら喜んで、だ。》

けたたましい笑い声には些か癪に障るものがある。

「たぶんあんたには相談しない。」
《そいつは残念だ。しかし、今も昔も弱っちいもんだぜ。研究所をぶっ潰して、記憶を封じて、今度は男一人の為に故郷を見捨てて、そこまでしといて自分はお寝んねしたまんまときた。》
「うるさい!」

“おお、怖い怖い”とわざとらしくディアボロスは言ってみせた。それがまた腹立たしく、私のとりあえずの目的の輪郭をうっすらと浮かび上がらせた。

「………ねえ、あんたと離れるにはどうしたらいいの?」
《そんなに俺と離れたいか?》
「うんすごく。」
《こんなところで、くたばってるお嬢ちゃんには難しいかもな。》

挑発的な台詞に乗せられて自分でも思いもしない台詞が発せられる。

「あんたとこんなところで一生過ごすくらいなら、なんだって頑張れる……気がする。そうだ、約束!」

しかし、代わりと言っては難だが、幼い頃にこの悪魔と交わした約束があったことがふと頭をよぎった。

《人間ってのは、たぶん悪魔より不誠実だぜ。俺とお嬢ちゃんが融合したら、俺の力は全て無償で貸してやる、代わりにお嬢ちゃんは憑物石を探し出す。記憶に間違いはないな?融合を解くには憑物石が必要不可欠だ。》
「それってまたあの研究所に…?」
《いや、一度使ったものは使い物にならない。あれは魔法の発達した文明のものだ。空に浮かぶ目の話は聞いたか?》
「耳が痛くなるほど。」

あの研究所に足を運ぶのは勘弁だったが、どうやらその必要はないようで安堵した。代わりに違った意味でハードな仕事にはなりそうだが、私の推測が合っていればそれはわりとこなしやすい仕事だ。

《憑物石はあの目がサリを焼いた時に見つかったんだ。あの目のことが分かればもしかすると……お嬢ちゃん、心当たりでもあるのか?》
「うん。たぶんテラにあるんじゃないかな?ついでに行く算段もつきそうだよ。」
《そいつは心強いぜ。それじゃあそろそろ起こしてやるか。》
「ちょっと待って、眠らせてたのって…」

本当にこの悪魔を信用してもいいものなのだろうか。少しばかり心配になるも、既に今更だ。

《まあ、怒るなって。お嬢ちゃん、名前はなんてんだ?》
「シェリー。」
《じゃあ、シェリー。お前がまたこの約束を忘れようものなら、俺がお前の人生をぶち壊してやるぜ!》

意気揚々とした声が頭から遠ざかったのと同時に私は瞼を開いた。

***

「シェリー!」

まだぼやける視界のまま抱き締められ一瞬わけが分からなかったが、徐々に目が慣れ、此処がベッドで何処かの部屋であることだけは分かった。

「クジャ、私の中身ディアボロスだったよ。あと、私もテラに用ができたから。」
「三日間寝たきりでやっと目を覚ましたかと思ったら、一言目はそれかい?…全く、僕は君がこのまま目を覚まさないんじゃないかと心配でならなかったというのに。」

三日も経っていた実感のない私には事の大きさはあまり実感できなかったが、クジャにとっては一大事だったのだろう。しばらく放してはもらえなさそうだ。

《幸せそうで何よりじゃないか、シェリー。》

突然、かすれた低い声が私を冷やかす。

「(…ディアボロス、まだいたの?)」
《俺はいつでもいるぜ?》
「(そっか。あんまり出てこないで。)」
《冷てえな、おい。》

これからは何時なんどきも彼が私に付いて回るような状態になるようだ。私は記憶が戻ったことを若干、いや、だいぶ後悔したのだった。



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