君の存在



教室に着いたとき、何故か彼女の姿は見当たらなかった。鞄だけが、無造作に机の上に転がっている。

朝礼まで残り十分程度。すぐに戻ってくるだろうと思い、私は深くは詮索せずにいた。

しかし、五分経っても、彼女は戻らない。体調を崩して、保健室にでも行っているのだろうか。不意に心配になり、すぐ近くにいたクラスメイトに尋ねた。


「ねえ、伊咲どこに行ったか知らない?」
「えー、知らない。ていうかもう来てたんだ」


クラスメイトは眉をひそめた後、軽く嘲る様に笑った。気分の悪いその笑顔と声に、思わず舌打ちをしそうになった。

朝礼まで、残り一分を切った。生徒会による朝の放送が校舎中に響き渡る。いまだに彼女の姿はここにはない。

慌てて教室を飛び出すと、目の前には探し求めていた彼女の姿があった。


「愛羅ちゃん、遅いよ」


彼女は困ったように力なく笑った。


「ごめん。何処に行ってたの?」
「トイレ……」


彼女は、少しだけ、本当に少しだけ、悲しそうな顔を見せた。

昨日のことを気にしているのだろうか。それならば、本当に悪いことをした。しかし、私には、彼女が思い悩んでしまう理由がわからなかった。

会話の間も、彼女は私に目もくれない。


「体調悪い? トイレも長かったし……」
「なんだ、知ってたなら、探してくれたらよかったのに」


私の真剣な問い掛けに、彼女は少しだけ楽しそうに笑みを零した。よかった、今のは半分、ホンモノだ。なんて冷静に分析している自分に、少しだけ驚いた。

廊下の片隅でそんなことを話していると、チャイムが鳴り響いた。伊咲の背後に担任の先生の姿が見えた。急がなければ、そう思い彼女の手を引こうとするが、その手は虚しくも、払われてしまった。

そうか、触られるの苦手だったな。

傷つかないように、取り乱さないように、必死に自分自身に言い聞かせた。

彼女の笑顔が曇る理由を知りたい。笑顔を見せて欲しい。

そう思ってみても、私にはどうすることもできない。その場を取り繕って接するしか能がない。それで彼女が満足していてくれるのなら、そう思っていたのに、彼女に不安を与えているのは、自分なのかもしれない。

今の私は、何のために存在しているのだろう。君に嫌われてしまっては、意味がないのに。

結局、授業には片時も集中できないまま、彼女の様子を盗み見ていた。

彼女はいつも通り、頬杖をついたまま、虚ろな目で黒板を見つめ、時折ペンを走らせる。そして出された問題を何の気なしに解いたかと思えば、窓の外を眺めては溜め息をついた。

単調な彼女のその行動に、少しだけ愛しさを感じた。

君のことを、こんなにも好きでいられるのは、私だけでいい。君のことを心から理解してあげられるのも、私だけでいい。気づかれないように、悟られないように、こっそりと君のことを見て、私は私だけの幸せに浸るのだ。

そんなことを知らずに毎日を過ごす彼女を、いつかこの手に出来たら。そんな不純な考えが、何度も何度も私の中を駆け巡る。

私の中で、彼女という存在は、この上なく大きいものだった。いつかこの気持ちを打ち明けたら、君はどんな顔を見せてくれるのだろう。

私のために、笑ってくれるのかな。それとも、嫌悪に満ちた顔をするのかな。

どんな君でも受け止められる自信があるよ。

それでもやっぱり、笑っているときが、いちばん君らしいよ。

歪んでいる。そう、自覚はあった。しかし、止めることが出来なかった。こんな感情を抱くのは初めてのことでどうすればいいのか、幾度考えても答えが出なかった。

私はやはり、彼女のことが、誰よりも好きなのだ。










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