標的8





 彼女は、『家』が嫌いだった。





 寝ざめの悪い朝。
 家人の不知火に起こされるまで、蓮華の目が覚めないなんてことは滅多なことでは無かった。


「おはようございます。――今日は、どこか具合の良くないところでも?」


 心配そうに蓮華の顔を覗き込む不知火。


「だいじょうぶ、そういったことはないから。……つかれてたのかなぁ、多分。そしておはよう、不知火」

「念のために体温を測ってみましょうか」

「……りょーかい」


 ぼうっとする頭で、蓮華は身を起こした。結局、あの赤ん坊は何だったのだろうか。動転していたせいで、思わず帰ってきてしまったけれど。らしくなかったかな、と蓮華は思った。冷静な判断が出来ていなかったかもしれない。
 尋常じゃ無く動揺していたし、冷や汗なんかもかいたりしたし――精神的なものだろうと結論付け、蓮華は何気なく外をみた。図らずも隣の家が目に入る。


「あれ、いつから建ってたっけ……」

「数日前に完成したようですけど、知りませんでしたか?」

「……まったく」


 とは言ったものの、前々から準備はしてあったような。


「蓮華さまと同じ歳の方も、一緒に越してくるみたいですよ」

「そうなの? じゃあ、わたしはなるべく近寄らないようにしないと」


 隣に越してくることができたということは、おそらくは蓮華の『父』の知り合いであろうとあたりをつける。
 同い年なんて、冗談じゃない。それは蓮華と同じ中学生ということで、並盛中学に転校してくる可能性があるということで。いらないことをばらされはしないかと、ひやひやしながら毎日を過ごさないといけなくなるかもしれない。そうならないことを願うばかりだ。

 不知火はそんな蓮華の様子に苦笑いをすると、体温計を手渡した。


「前はイタリアに住んでいたようです。それに『よくしてやってくれ』と頼まれていますから、そうも言ってられませんよ」

「なんと勝手なことでしょうー」


 誰に? などとは聞くまでもない。どうせ『父親』にだろう。そうやって自分は高みで、蓮華が心中穏やかではいられないでいることを、楽しんでいるに違いない。
 体温計がピピッと鳴った。

 蓮華は、体温計をみて、密かに呻く。


「――別に、熱はないよ……?」

「貸して下さい。37度5分ですか……少し高いですね」


 体温計を見て、眉根を寄せる不知火に、蓮華はふふんと笑う。


「そんなことはないよ、だってわたしの平熱はもっと高いからねー」

「どうして、そうあからさまな嘘を吐くんですか」


 じとっと蓮華のことを半眼でみる不知火に、蓮華はだってと眉を寄せる。実際の蓮華の平熱は、35度5分と低めだ。現時点で多少熱がある、くらいには考えておいた方がいいレベルで。不知火がこれを父親に言ったとすると、蓮華にとって、また厄介な事態に転ぶであろうことは容易に想像できることだった。すぐにバレると分かっていても、口から勝手に出て来る嘘は、なんとかその場をしのぎ切れたらいいのになーという気持ちの表れだ。

 ――厄介というか、しばらく外に出ることが出来なくなるだけだけどね。

 蓮華の体は、どちらかというと、病気に強い方ではない。特別に弱いというわけでもないのだが、それでも季節の変わり目なんかは、風邪をひいてしまったり、熱が出てしまったりということが多々あった。そしてそれが父に知れてしまうと、十中八九『過保護』過ぎる父が蓮華のことをしばらくは外に出してくれなくなる。
 今日の日直の担当は蓮華の番であったし、雲雀や草壁にも迷惑がかかるし、出来れば休みたくないという建前のもと。外に出たいというのが、彼女の本心だった。彼女からすると、どちらも本心であり、建前であるわけだが。

 ――さて。


「不知火にはもう言わなくても、わたしの言いたいことくらい分かってると思うんだけどね」

「……なんですか?」

「言わないでね。あの人は『過保護』すぎて嫌になるから」


 彼女は皮肉気に笑う。

 過保護。それは子どもを大切にしすぎることをいう。けれども、蓮華はそれを過度に過剰に、保護をしすぎることの略で使う。それは似ているようで全く非なるものだ。具体的にいうと、前者にはある愛情という感情が、後者にはないというところだと彼女は考えている。父親のいう愛情は、蓮華の考えているそれと異なっていて、根本的なものが違っているのだが。
 保護なんて生ぬるい、それこそ監禁とでも言うような。そんな勢いで向けられてくる愛情に、彼女は応える術を知らなかった。

 不知火が口を開く前に、彼女は言葉をはさむ。


「それとも。不知火は、言っちゃうの……?」


 切なく、眉を寄せて。何かを懇願するように。


「――っ、わかり、ました」

「ありがとう。わたしはそんな不知火のことが、好きだよ」


 裏切るの? という問いかけに、不知火が是と答えないのは分かっている。ずるい、と言われればそれまで。だけど、不知火はそれをしない。
 『あれ』に会いたくないのは、誰でも同じ。



 彼女は、こんな自分が好きではなかった。


 


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