標的7
後ろ、前、足もと――。蓮華はきょろきょろと視線をさ迷わせて、声の主を探す。そうして蓮華が『彼』のことを見つけることができたのは、カウンターの前に並べてあるイスに何気なく目をやった時であった。つまりは、自分が座っているところのすぐ横の席になる。
おかしい、と彼女は思った。
先ほどまでそこには、誰も居なかったはずだ。ましてや黒いスーツを着て、首におしゃぶりを下げている、赤ん坊の姿なんて。
マスターは、その『彼』と知り合いらしく、いつの間に用意したのかコーヒーなんかを出している。「マスターの入れるコーヒーは、いつ飲んでも絶品だな」と、手元にあるコーヒーを飲む赤ん坊。それに、マスターは「こちらこそ、いつもご贔屓にして下さり、ありがとうございます」と答えていた。
――赤ちゃんが、しゃべる。赤ちゃんが、コーヒーを飲む。
しかも、飲んでいるのはブラック。……今のこれは、限りなく関係が無い話題ではある。とにかく、蓮華は。それらのことよりも、もっと別のことに気を取られていた。
――この、男の子。わたしの横に、いつ座ったのかなー……?
と。気配もなく、それでいて音を立てずに、入口からここまで来ることは至難のわざ。蓮華は子どもの外見年齢を正確に測れるわけではないが、どうみてもまだ――などと考えていたら、また彼が切り出した。
「そのコーヒーを選ぶとは、なかなかに趣味がいいな」
「は……? ……あ、ありがとうございます」
一瞬、何を言われているか分からなくて、思わず変な声を上げてしまう。嫌に優雅な仕草で、コーヒーを飲む彼は二ヤリとした。手元に持っている、これのことで良いんだよね、と蓮華の口から出てきたのが、ひとまずの礼だった。
そして、反射的に敬語になってしまったことに驚いた。敬語なんて目上の者くらいにしか使わないのに。蓮華はこういう時に別のことばかりに気がいってしまうのは、悪い癖だなぁ。自分も何か言わなければと何か話題を模索する。
蓮華が手に持っているそれは、彼女の年代のものが持っているには、少々不釣り合いなもので。スーパーのような手近なところには、置いてあることはなかった。
遠くまで買いに行くのも面倒で不知火に捜してもらってやっと、並盛の中にこれを取り扱う店をたまたま見つけることができたくらいだ。値が張っていて、需要が偏るために、それを売る事を専門としている店でしか売っていないくらいには、珍しい。金のことについてあれこれ聞かれることは、嫌いだった。だからこそ、草壁に『買い物』を頼むことも回避した。
その時になったら、上手い言いわけでも考えればいいだけだったが、つまりは面倒だった。彼女を形づくる成分の内約半分は『めんどう』という気持ちでできている、というくらいに、何をするにもまず「めんどうだなぁ」から始まるのが空柩蓮華だ。風紀の人たちは適度に疎くて助かるなぁ、なんて思っていたのに。
しかしながら、今はその話題については一時休題。
――故に、彼女は。
目の前の赤ん坊に対して、不信感を強くする。
店内に居座ることに、居心地の悪さを感じた蓮華は、マスターに一度低頭すると、出口へと足を向けた。
――と。
「オレの名はリボーン。おまえ、空柩蓮華だろ?」
「……っ!」
蓮華は思わず振り返った。
「親父さんによろしく伝えといてくれ」
「な、んで――!?」
――家のことを知ってるの? 冗談きついってば。
赤ん坊こと、リボーンはニヒルに笑っていた。蓮華はそのまま走って店を出る。
並盛では聞くことは無いだろうと思っていたことを、まさか聞くことになろうとは。――余談だが。大抵、蓮華の家のことを知っている連中が、蓮華に幸福をもたらしてくれることなんかない。そういえば、と蓮華は考えた。
――綱吉くんも、赤ん坊がどうとかって、言ってたっけ。
頭の片隅で思い出した。リボーンとやらが、わざわざ接触を図ってきたということは、厄介事に巻き込まれるという予兆だろうな、と思いながら。
それでも今は少しの間だけでも、逃げるという選択をしたことが吉と出てくれることを願って。父親のことを知っているヤツなんてロクなヤツはいない。
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