彼は今日から女の子?

 ――ピリリリリ!

 日曜の朝、耳をつんざくけたたましい着信音で目が覚めた。
 サイドテーブルの携帯を引き寄せて開くと、ディスプレイには“鳴”の文字。私はせっかくの安眠を妨害されたと不満に思いながらも、通話ボタンを押した。

『......もしもし』
『今なまえの家の前にいんの! とにかく入れて!』
『......え......?』
『もしもし聞こえてるっ? とにかくドア開けて!』
『............』

 夢の続きか、それとも鳴は練習のしすぎで頭がおかしくなったのか。起き抜けの寝ぼけた頭に、なかなか理解が行き届かない。
 そもそも私たちは付き合っているけれど、私は実家暮らしだから、日曜の朝に突然やって来た彼氏を家に入れるのも家族の手前、問題がある。だけど、鳴の切羽詰まったような様子も少し気にかかったので、私はパジャマにパーカーを羽織って階下へと降りていった。
 不審に思いながらも、がちゃりと扉を開けると、

「なまえ!」

 おばけが立っていた。

「............」
「ちょっ! なに無言で閉めようとしてんのさ。いいから入れてよ!」

 しばしの押し問答のあと、私たちは家族に聞こえないよう、こっそり階段を上がり自室へと入っていった。
 それからテーブルを挟んで向かい合い、しばらくの間無言で見つめ合う。

「......なんでウィンドブレーカーなんてかぶってんの? もう六月だよ」
「だって......」
「どうしたの?」

 鳴はなぜか、頭からすっぽり野球部指定のウィンドブレーカーをかぶっていた。ピッチャーだから身体を冷やさないようにしているのかもしれないけれど、それなら普通に袖を通せばいいことだ。
 鳴がふっと顔を伏せたので、思わず覗き込む。

「ね、これ見て驚かない?」
「さぁ、見ないことには」
「そこは驚かないって言ってよ!」
「じゃあ驚かない」
「じゃあってなにさ。なんでそんな投げやりなわけ?」

 私はいつもの鳴だと諦めてひとつ息をつき、大丈夫だよ、とその手を握った。すると安心したのか、鳴はゆっくり、かぶっていたウィンドブレーカーをどけていく。

「ねぇ、コレ、どうしちゃったんだと思う?」
「............」
「おーい。おーいなまえー」

 鳴が私の顔の前で手をひらひら振ったので、ようやく我に返った。
 今、目の前にいるのは、本当に鳴? だって――。

「なんか顔がまるっこい」
「......うん」
「ちょっと髪長い」
「......うん」
「腕とかもなんか細い。背も縮んでるし......声もなんか、高い」
「......うん」
「そんで......」
「わっ!?」

 私は鳴の胸板に手を当てた。――柔らかい。ありえないくらい柔らかい。

「なんで胸があるのーー?!」
「しーっ! 家の人に聞こえるっ」

 目の前から手が伸びて、私の口をむぐっとふさぐ。すぐに手は離されたけれど、しばらくショックで呆然とその姿を見ていた。

「これじゃ、まるで女の子じゃん......」
「やっぱり......そうだよね」
「いつから?」
「今朝起きたらこうなってた。ほんと! ワケわかんないよね!!」

 丸めたウィンドブレーカーに、ボスっとパンチをしてやつあたりする鳴。

「こんな魔法みたいなこと、ほんとにあるんだ」
「魔法?!」

 突然鳴は、弾かれたように顔を上げた。

「うん、そうだ。絶対そう! 昨日の“魔法使い”のしわざだ!」
「魔法使い?」

 私は鳴から、昨日稲実の寮で講演会を行ったという自称“魔法使い”の話を聞いた。話が進むにつれ、うさんくささが増していくようで、もはやため息しか出ない。

「じゃあ、その魔法使いは『明日一日』って言ったんだよね? 次の日には元に戻るんだよね?」
「わかんない......けど、たぶんそうだと思う」
「戻ってもらわなきゃ困るよ」
「そうだよ。大会にも出らんないし。こんな体じゃ、球だってろくにコントロールできない」
「鳴......」

 鳴は無意識なのかもしれないけれど、一番に野球のことを考えるなんて、あきれるほど鳴らしい。
 私はもう一度鳴の手を取り、切り替えるようにわざと明るいトーンで言った。

「ね、元に戻る方法一緒に探そ。女の子の鳴も可愛いけど、やっぱり男の子のがいいもん」
「なまえ......」

 私たちは笑顔で頷き合った。
 そうだ、こんなところにいても仕方ない。とにかく外に出て手がかりを探すのだ。

「よし! そうと決まれば!」
「ん?」

 私は嫌がる鳴を無理やり捕まえ、自分の洋服を着せにかかった。女の子の鳴であれば腕力は互角くらいだから、そう難しくない。女の私から見ても、鳴はアイドル級の美少女ぶりだから、きっと可愛い服が似合うはず。なのに鳴がボーイッシュなものばかり選ぼうとするからこっちも必死。サイズは奇跡的に私とぴったりだった。

「なまえのバカッ! なんでこんなのしか貸してくんないのさ!」
「え〜、ふわふわのスカート似合うよ」
「これ膝上だよ?! エースが風邪引いたらどうすんの?」
「寮でもそのくらいの丈の短パンはいてるじゃん」
「うっわ。スースーする......」

 そしてとうとう、可憐な美少女鳴ちゃんが完成した。白のカーディガンにピンク色のティアードスカート、私なんかよりよっぽど似合う。
 当の本人は怪訝な表情で、姿見に映ったその格好を眺めていた。

「よし、行こうか」
「あー、やだやだ」

 私は駄々をこねる鳴の首ねっこを引っ掴み、外へ出た。



「え......、監督いないんですか?」

 昨日の“魔法使い”のことを聞き出そうと私たちが寮へ行くと、初っ端から行き詰ってしまった。部長は、監督の行方も“魔法使い”の素性も知らないという。
 私たちは肩を落として、とぼとぼ来た道を引き返していた。

「あーあ。とんだ無駄足だったね」
「監督いっつもいるのに、なんで今日に限っていないんだよ」
「まぁ、そういうこともあるよ」

 さて、これからどうしよう。頼みの綱の監督も今はいないというし。

「ね、これからどうする?」

 ちらりと鳴の方へ視線を向けると、

「あー! もうっ!!」
「ど、どうしたの?」

 ついにヤケでも起こしたか。
 けれど鳴は、どこか吹っ切るように大声で言い放った。

「せっかくのオフなのに時間もったいない! どうせこんなんじゃ寮にも戻れないし、今日はこのままデートしよ!」


 私たちは駅前の方へ歩き出した。ここなら、雑貨屋さんやカフェなどのお店がいくつも並んでいて、デートにはうってつけの場所だ。
 鳴は普段練習で忙しいため、デートは今まで数えるほどしかしたことはなく、突発的だったものの、私は内心とても嬉しかった。
 しばらくの間、二人でお店を見るともなく見ていると、向かい側から見知った女の子が歩いてきた。その手の中には、真っ白い猫が大事そうに抱えられている。あの子は確か白河くんの彼女だ。クラスは違うものの、選択授業で何度か言葉を交わしたことがあった。

「あ、こんにちは」
「ちょっ、バカッ」
「え?」

 鳴が体を縮こめて私の後ろに隠れる。そうだ、今こんな姿を見られたら不審に思われてしまう。

「こんにちは」

 白河くんの彼女は私たちの存在に気づき、にこっと笑顔を浮かべた。

「そっ、その猫可愛いね。ペット?」
「ううん。さっきそこで会ったの」
「ふぅん?」

 それはちょっと変わった猫で、こちらを見上げて終始「びみゃ、びみゃ〜」と変な鳴き声で鳴いていた。
 後ろの鳴が、早く切り上げろとでも言わんばかりに私の背中をつつくので、早々に手を振って別れた。

「なまえのバカ。知り合いにバレたらどうすんのさ」
「ごめんって。つい」

 手刀をきってごめんのポーズ。鳴は、まぁいいけど、とそっぽを向いた。
 それから少し歩いていると、

「あ、あれ鳴に似合いそう」

 私は鳴の肩をつつき、ショーウィンドウを指す。

「女物じゃん! 着ないよ」
「え〜」
「『え〜』じゃない! てか、なまえのが似合いそう。入ろ」
「ちょ、ちょっと」

 鳴は私の手を掴んで、ずんずんお店の中へと入っていく。鳴は鳴でこの格好にももう慣れたのか、全く物怖じしない様子だ。
 結局、私は鳴の見立てでワンピースを買い、店を出た。その後、カフェでコーヒーとカフェラテをテイクアウトし、噴水のそばのベンチに並んで座った。こんな当たり前なデートが、今の私にとっては目が眩みそうなくらい幸せだった。隣は女の子の鳴だけれど、鳴は鳴だし気にしない。

「あの白いワンピース、鳴に似合いそうだったなぁ......」
「くどいなぁ。 着ないって言ってるでしょ!」

 鳴はプンスカ怒りながら、カフェラテのストローをガジカジ噛んでいた。せっかく可愛いのにしぐさが残念だなぁ、と思わず笑ってしまう。天気も良く幸せすぎて、とんでもないことが起こったなんて、つい忘れてしまいそうになる。
 けれどその時、見つめた地面の先に大きな影が差した。

「キミたち何してんの? ヒマ?」
「ね、一緒に遊びに行かない?」

 顔を上げると、私たちの目の前に大学生くらいの男の人が二人立っていた。その視線は明らかに鳴の方を向いている。
 さてはこいつら鳴狙いだな、と思い、ここは私が守らなけれればと口を開きかけた時だった。

「そこどいて! 邪魔!」

 鳴がものすごい剣幕で怒り出した。

「え、あの......」
「見てわかんない? 今俺たちデート中なんだけど?!」
「はぁ......」

 男の人たちは気の抜けたような返事をし、ぽかんとした顔で鳴を見つめている。たぶん私も今、似たような顔をしてると思う。

「なまえ行こ!」
「あ、うん」

 鳴が私の腕を掴みずんずんと歩き出す。その手はひどく華奢なのに、なぜかとても逞しく感じた。あの二人もさすがに追ってこないようだった。
 しばらく無言で歩きながらも、私はついに堪えきれなくなって吹き出した。

「あの人たちの顔!」
「ぽかーんってしてたね」
「私たちレズだと思われたんじゃない?」
「いいよ別に。他人からどう思われたって」

 なまえがいれば、なんて鳴が付け足したものだから、思わず顔がかーっと熱くなる。とんだ不意打ちをくらってしまった。
 けれど、こんな心を浮きたたせるような台詞を言ってくれた鳴は女の子の姿で、私は急に不安におそわれる。

「......大丈夫だよね。鳴、ちゃんと元に戻れるよ、ね?」
「なに不安がってんの。大丈夫だって。エースは最後まで信じるもんだよ」

 鳴がいつもみたいに自信満々な笑顔で言うから、心が少しだけ軽くなった。うん、鳴が言うんだから間違いない。そう確信して鳴の顔を見る。だけど、その顔はどこか遠くの方を見つめていたかと思えば、徐々にこわばったものに変わった。

「......いた......」
「え、何が?」
「あいつ。“魔法使い”!」

 そう叫んで鳴が勢いよく駆け出す。その方向を見ると、五十メートルほど先に怪しげな中年の男がいた。男が鳴の存在に気づき慌てて逃げる。私も二人を追うが、その距離は開く一方だ。

「っ、逃がすかよ!」

 鳴がぐんぐん男との距離を詰めていく。すると突然、男が振り返り、鳴に向かって何かを投げた。
 ふわりと弧を描いたそれが野球ボールだと気づいた瞬間、「ポン!」という爆発音とともに、視界が色とりどりの煙に覆われた。

「鳴ーー!!」

 鳴の体が不思議な色の煙に包まれる。
 ――爆弾だ。そう確信し、私は死にものぐるいで鳴にしがみついた。鳴、鳴、とばかみたいに必死に叫びながら。
 次第にカラフルな煙が晴れていき、視界がクリアになっていく。鳴はしばらく気を失い倒れていたけれど、軽くゆすると、うーん、と唸って目を開けた。

「鳴っ!」
「あれ......俺、どうしたんだっけ」
「どっか痛いとこない?」
「なまえ? うん......大丈夫」
「よかった」

 鳴の胸に顔をうずめると、安心して急に涙が溢れた。よかった、本当によかった。怪我はなさそうだし、いつも通りの逞しい胸板が、
 ――逞しい、胸板?

「元に戻ってる! 男に戻ってるよ鳴!」
「ほんと?!」

 鳴がぺたぺた体を触って確かめる。それから、「はぁー」っと深く、本当に深く息をついた。

「よかった......」
「ほんと、戻れてよかったね」
「うん。今日なんだかんだで楽しかったけどさ、俺、やっぱ男がいいよ」
「うん!」

 二人で笑い合って、どちらからともなく顔を近づけると、軽く唇が触れて可愛いリップ音。
 ああ、なんて幸せ。
 現在の鳴が一見すると女装男子だなんて、そんな些細なこと今は気にしないったら気にしない。

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