こいぬ A


「ねぇ、純。あのコって......」
「あ?」

 さっきからミニチュアダックスだのマルチーズだのと騒いでいたなまえだったが、なぜかある一点を見つめたままぴたりと動かなくなった。
 その視線の先には、一組の若い夫婦が店員から何やら説明を受けている。あれがなんだ、と思いながら奥さんの方を見ると、その手には白い何かが抱かれていた。

「あれスピッツだ」

 まぁ、スピッツだ。だからなんだ。俺は今のチームではスピッツと呼ばれてないが、試合でたまに高校の時の知り合いに会うと、未だにそう言ってくる奴がいる。まるで親戚に昔の恥ずかしい話をばらされているような心境だ。もちろんそんなヤローは、吠えて黙らせるの一択に限る。
 するとなまえは、どこか魅入られたように、ふらふらとそちらへ近づいていった。

「おい!」



「あの、そのコ飼うんですか?」
「はい?」

 なまえがいきなり話しかけたものだから、その夫婦はあきらかに困惑している。しかし、奥さんはすぐに微笑んでなまえを見つめ返した。

「はい。もう決めました。インスピレーションです」
「そうですか......。あの、失礼は承知なんですけど、一度だけそのコ抱かせてもらっていいですか?」

 奥さんは一瞬きょとんとしていたがすぐ、どうぞ、と笑って、注意深く子犬を差し出した。旦那さんの方も笑顔でその様子を見守っている。
 それからなまえはぼーっと子犬を眺めたまま、心ここにあらずな様子で両手を消毒しはじめた。そして、奥さんからこわごわと子犬を受け取る。

「わぁ......。 もふもふで可愛い〜。犬くさーい!」

 なまえはうれしそうにスピッツの子犬を抱えていた。犬くさいのが喜ぶとこなのかは俺にはわかんねぇ。その子犬は一見可愛いと思いきや、よくよく見てみると、若干目つきが悪い。可愛いか? こいつ。
 笑顔のなまえが、子犬を俺の方へと向ける。

「ほら、スピッツのお兄さんですよ〜」
「誰がスピッツだコラァ!!」

 俺の声に反応したのか、今までおとなしかった子犬が急にキャンキャン吠えはじめた。

「なっ?!」
「あれ? 今までいいコだったのになぁ」
「んだよ......」

 なまえが俺の方へさらに子犬を近づけると、またかん高い声で吠えはじめた。なんかおもしろくねぇ......。

「わかった!」
「あ?」
「同族嫌悪ってやつだ」
「だからスピッツじゃねぇっつってんだろ!」



 その後、子犬を夫婦のもとへ返し、俺たちは帰途についていた。だが俺にはなぜか、隣を歩くなまえが少し淋しそうに見えた。

「......あのスピッツさぁ、ちょっと純に似てたよね」
「そうかぁ?」
「目つき悪いとことか」
「スピッツにしてはだろ」

 なまえは小さく笑って続ける。

「あの吠え方とか」
「よくわかんねーよ!」

 やわらかなら笑みを浮かべたなまえは、でも似てるのー、と楽しげにつぶやく。

「あのコ、幸せになるかな?」

 心配そうに俺の顔を見上げるなまえ。俺はその頭に手をやり、髪をくしゃりと撫でてやった。

「心配すんな。あの夫婦いい人そうだったじゃねーか」
「うん、そうだね。私にはこのスピッツがいるし」

 途端になまえからは淋しそうな様子が消え、タタタと一気に走り出した。すぐに一旦立ち止まって、くるりと俺の方を振り返る。

「よぅし、今からハウスまで競争だー!」
「だから犬じゃねぇ!!」


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