30. 決意の夜に

 試合に負けた翌日、俺は監督からスタッフルームに呼び出された。ただその理由に、自分でも身に覚えがあり過ぎるほどあった。昨日の俺の打席のことか、はたまたベンチ入りメンバーから外されることか、いずれも好ましい要素は何一つ思い浮かばなかった。
 しかし、そこで監督から告げられた内容は、まったく思いもよらぬものだった。

『結城、お前に新チームのキャプテンを任せたい』

 監督や先輩たちが、俺をキャプテンに選んでくれたことは素直に嬉しい。だがその反面、自分には荷が重すぎて簡単に引き受けることはできなかった。
 夕飯の時、なまえは心配そうに俺の顔を覗き込んでいたが、俺は適当に濁した。まだ本決まりではないことを話して、家族に心配をかけるわけにはいかない。
 だが、なぜ俺だったんだろう。そんな思いだけがただ、頭をもたげていた。




「な〜にシケたツラしてんだよ」

 ぼんやり見つめていた湯呑みの水面に、ゆらゆらと見知った顔が写り込んだ。純だ。その表情が心配で歪んだのを、きっと茶が揺れているせいだろうとごまかす。
 衝撃の出来事から一夜明けた今日。今は食堂で昼食を食べ終え、各々身体を休めている最中だった。俺の近くには純、増子、亮介が座り、先ほどまで何か言い合っていたようだ。だが、俺は昨日のことで気がそぞろであり、話の内容までは耳に入ってこなかった。

「ぼんやりしてるけどどうしたの?」
「いや......」
「哲! んなボーッとしてたら一年にレギュラーかっさらわれんぞ!!」
「うが」

 俺は、そうだな、と曖昧に相槌をうった。今ここで何も知らない純たちに、キャプテンの件を持ち出すわけにはいかない。
 拳を突き上げて力説する純を横目に、では純がキャプテンならどうだろうと考えてみる。自分は弁の立つ方ではない。純はこうやって元気のないチームメイトによく声をかけているし――その方法は、いささか乱暴ではあるが――キャプテン気質でいえば、俺より優れているかもしれない。
 増子は縁の下の力持ちという感じで頼りがいがあるし、亮介の気が強くてストイックなところはキャプテン向きと言えるかもしれない。また、今は戦線を離脱しているが、部内一野球の知識に長けていて、皆からも信頼の厚いクリスなんかはまさに適任と言えるだろう。
 顔を上げ、食堂にいる部員の顔ぶれをぐるりと見渡す。夏の大会に敗れ、俺を含め昨日は皆ひどく落ち込んでいたものの、徐々に回復しつつあった。先輩たちには悪いが、俺たちには次があるのだ。
 ――次の世代。俺たち自身の手で、築き上げるチーム。
 その色は、キャプテンによって大きく変わる。本当に自分でいいのか。野球への情熱は誰にも負けない自信があるが、かといってそれがキャプテンシーに結びつくかといえば、必ずしもそうではない。ましてやこの大所帯のチームをまとめ上げるのは、並大抵のことでなはい。
 今の俺には、結論を導き出すすべが思い浮かばなかった。ただ、こんな中途半端な気持ちで引き受けたところで、チームに迷惑をかけるだけだ。きっぱり断ろう。俺には、自信がなかった。
 日が落ちた頃、自主練を終え、俺は監督の姿を探した。部長の太田先生から、監督がプレハブにいると聞き、鈍る己の足を奮い立たせながらそちらへと向かった。




 監督と話し終え、プレハブをあとにしてすぐ、俺はグラウンドのそばで昼間の面々に会った。

「お、哲。まだいたのかよ」
「ああ、ちょっと所用でな」

 それぞれの手にはしっかりバットが握られている。皆、一様に気持ち良さそうな汗をかいているので、ちょうど素振りを終えたところなのだろう。

「なんかお前、ずいぶんすっきりした顔してんじゃねーか」
「......そう見えるか?」
「昼間、すっげぇ湿っぽかったからよ」

 純は本当によく人のことを見ていると思う。俺は人の機微に敏感なたちではないので、こういったところは見習いたいものだ。
 一度は断ろうと思っていたが、先ほど監督の言葉を、思いを聞き、俺はキャプテンを引き受けることにした。すっきりして見えたのは、きっと俺の中の迷いのようなものがなくなったからだろう。
 純は若干照れたように、俺に向かって右手を上げた。

「まぁ、あれだ。明日から新チーム始動だしよ。よろしく頼むぜ、キャプテン!」

 一瞬俺はわけがわからず、しばしの間ぼんやりそれを見つめていた。その手のひらに、相当バットを振りこんだ痕跡があるのはわかる。だが俺は、その手にタッチをすればいいのだろうか。

「なにボケっとしてんだよ。もちろん引き受けたんだろ?」
「あ、ああ。いや、なぜ純が知ってるんだろうと思ってな」
「うが?」
「なに言ってんのさ。普通、副キャプテンには知らされてるでしょ」
「副キャプテン?」

 三人はなぜか、あきれた顔で俺を見つめていた。

「哲、監督から聞いてないってことはないよね?」
「何がだ?」
「副キャプテンが俺と増子だって話だよ!」
「む? ......むむむ?」

 俺の返答を辛抱強く待つ三人。
 瞬間、俺の中にピンと何かが閃いた。

「そういえば......俺がキャプテンを引き受けると言ったあと、監督が何か話していた気がするな。自分のことに必死で耳に入らなかったようだ」
「......お前、集中すっとほんと何も聞こえなくなんのな」
「哲らしいというか何というかって感じだね」
「ああ」

 うんうんと納得する三人に、俺だけが今ひとつ腑に落ちず首をひねるが、誰もそれに応えようとはしなかった。やはり人の機微とは難しいものだ。

「そうか、副キャプテンは純と増子か」

 監督の人選なら間違いないだろう。俺とてこの二人が副キャプテンなら心強い。昼間考えていたそれぞれの長所が、バランス良く生かせるような気がする。そして俺は、俺らしくプレーして皆を引っ張ればいいのだ。

「つーか、監督に何か言われたか?」
「あ、ああ」

 監督からの言葉を言いかけた俺は、だが一瞬躊躇して口をつぐんだ。

「秘密、だ」
「......は? なんだそれ」

 純は、もったいぶってんじゃねぇ、と吠えたが、監督からのあの言葉は自分の中だけに留めておこうと決めた。おそらくこれから先、困難にぶつかった時、俺を支えてくれるであろう柱になると思ったからだ。
 そして純は、まだ不満そうに唇をとがらせながらも、ぐるりと俺たちの顔を見回した。

「とりあえず俺らの代で甲子園獲ったらぁ!」

 その言葉に、全員力強くうなずいた。
 明日から俺たちのチームが始動する。不安がないといえば嘘になるが、この胸中には、例えようのない高揚した思いが湧き上がっていた。こいつらもきっと、同じ気持ちを抱えていることだろう。
 俺は一つ息をついて、肩のエナメルバッグのベルトをかけ直した。

「さて、俺はもう帰るか」

 明日に備え、今日は早めに寝ようと思いながら歩きかけた俺に向かって、純が慌てて声をかける。

「......なぁ、そういや最近なまえ来ねぇけど忙しいのか?」
「なまえ? そうだな、あいつも部活があるからな。何か用があるのか?」
「いや、用ってわけでもねぇけど。いっつもグラウンドの周りチョロチョロしてたやつが来なくなると、なんか調子狂うっつーか」

 と、気まずそうに頭をかく。

「へぇ。純、もしかしてなまえちゃんに慰めてほしいんだ?」
「あ? そんなんじゃねーよ!」
「純、俺でよかったら慰めてやるぞ」
「俺も」
「仕方ないから俺もね」
「テメェらの慰めなんざいらねーよ!!」




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