25. 鬼と地獄とウォーターメロン(2)

「お、重い......」

 一輪車の持ち手に、ぐっと力を込める。
 夕暮れ時。なぜか私は今、大量のスイカを一輪車に乗せて運んでいた。いつもの通い慣れた学校までの道のりが、今日はとてつもなく長く感じる。
 突然、車輪がガタリと何かに引っかかり、手のひらに振動が伝わった。

「ああっ! また段差が!」

 必死な私をあざ笑うかのように、その大量のスイカたちはゴトゴトと音を立てながら揺れている。このスイカ独特の縦縞模様が、どこか悪魔的に見えてくるから不思議だ。
 発端は母だった。

『明日、哲也たちに差し入れ持って行ってね』

 どうせスポーツドリンクの粉末か何かだろうと決めつけ、適当に生返事したのが悪かったのだ。現に毎年の差し入れはそれだった。

『そうそう、帰りに学校で一輪車借りてきてね』

 こう言われた時、嫌な予感はしていた。今日は部活が休みで、いつもより早めに帰宅した私は、この大量のスイカを見て言葉を失った。なぜドリンクの粉にしなかったのだと文句を言った私に、母は無情にも言い放った。

『そんなのみんな持ってくるじゃない。どうせならちょっと変わったものの方がいいでしょ』

 みんながよく差し入れをするものは、重宝されるという理由からなのに、なぜそこで奇をてらいたがるだろう。有無を言わさない母の顔は、まさしく鬼そのものだった。



 結局、家から学校まで二往復し、すべてのスイカを運び終えた頃には、西の空が橙色に染まっていた。
 寮の食堂の前に一輪車を止め、中にいるおばちゃんに声をかける。

「あらっ、これあんた一人で運んだの?」
「はい」
「ご苦労さま!」
「はい。もう腰が痛いです......」
「若いのに何言ってんの!」

 おばちゃんの逞しい腕は瞬く間にスイカを運び入れ、私が慌てている間に作業は終了した。
 先ほどの動作で痛む腰をトントン叩きながら、やっと終わったとひと息つき食堂を出た。

 六月の二週目。東京はすでに梅雨入りし、昨日はぐずついた天気だったが、今日は梅雨の晴れ間を見せていた。気温も高く、湿気を帯びた生暖かい風が火照った肌を撫でる。野球部のグラウンドでは現在、地獄の夏直前合宿の真っ最中だった。
 帰るついでにグラウンドのそばをゆっくりと横切っていく。するとその時、カーンカーンと絶えず鳴り響くバッティング音と、無数の選手のかけ声の中に「だらっしゃー」というあの独特の声を聞き分け、ふと足が止まった。
 ちょっと見ていくか。そう思い直し、よく見える方へと歩みを進めた。
 夕焼け色に染まるグラウンドでは、ちょうどバッティング練習が行われているところだった。その周りでは、一年生が必死の形相でランニングに励んでいた。いつもはふざけた様子の倉持くんも、さすがに真剣な面持ちでじっと前を見据え走っている。
 更にグラウンドへと近づいてゆき、金網越しにじっと眺める。思えば私は、いつもここからいろんな風景を見てきたのだ。
 優しかった榊監督。まだコーチだった頃の片岡監督。一緒に野球をやった近所のお兄ちゃん。さまざまな時間軸の風景が混ざりあってフラッシュバックする。そう、去年はあのランニングの列の中に、哲ちゃんと純さんがいた。けれど今年は違う。もう、あれから一年も経ったのだ。
 私は手前のケージの方へ目を向け、あの声の持ち主を探した。打っているのは皆、一軍メンバーだろう。かなり速い球を確実にミートしている。

「だらっしゃーー!!」

 純さんの声は大きいから、離れていてもすぐにわかる。三人の部員がケージに入ってバッティングをしていたが、吸い寄せられるように目がいくのはやっぱり純さんだった。他の体格のいい部員と比べると、身体はそれほど大きくなく見劣りするけれど、不思議と存在感がある。それはたぶん、あの豪快なバッティングのせいだろう。
 夕焼けでオレンジ色に染まった練習着は、すでに汗と泥にまみれていて、合宿の過酷さを物語っていた。ギンと、鋭くマシンの球を見据えるその鋭いまなざし。鍛えられて体幹がしっかりしているためか、全くぶれることのない安定したフォーム。身体を大きくひねり、軽快にバットを振る。その打球は美しい弾道を描きながら、センター方向へ勢い良く飛んでいった。

「おっ、センター返し」

 打球の行方を見守る純さんは、とても満足そうに笑っていた。
 それを見た瞬間、なぜかきゅっと胸を締めつけられるような正体不明の痛みのようなものを感じて、思わずそこを押さえた。
 なんだろう、これ。
 わずかに混乱する頭を、とりあえずぶんぶんと勢い良く振り下を向く。
 その時、ふと自分のポケットの中の携帯の存在に気づき、取り出して開いてみた。
 ここには昨日もらった、とある一枚の写メが保存されていた。昨晩、前園くんから送られてきたものだ。写メには、純さんが倉持くんと御幸くんからマッサージを受け、気持ちよさそうに目を細めているシーンが写っていた。
どこか間の抜けたその表情は、年上なのになんだかちょっと可愛いくて、思わずなごんでしまう。
 なぜ私がこんなものを持っているかというと、先日、前園くんと私は“純さん協定”なるものを結び、互いのアドレスを交換したからだ。

『純さんについて知っていることは、お互いに包み隠さず話すこと』

 協定の内容はそれだけ。けれど、純さんと寮で一緒に生活する前園くんの方が、すでに純について知っていることは多く、実際この協定は私にとってしか有利でないだろう。だからこれは前園くんなりの優しさなのだと解釈し、私は甘んじてそれを受け止めた。

「あれ、あなた......結城くんの妹さん?」

 背後からかけられた声に思わず振り返ると、そこにはマネージャーである藤原さんが立っていた。

「あ、こんばんは」
「こんばんは。スイカ持って来てくれたんだって? 重かったでしょ。わざわざありがとう」
「いえ、むしろ仕事増やしちゃったんじゃないかと心配で」
「ううん。今日は暑いし、みんなも喜ぶと思うわ」
「ありがとうございます......」

 にこっと笑顔を浮かべる藤原さんはやっぱりきれいで、女の私でも見惚れてしまうほどだった。顔の造作がどうこうというより、部員のために一生懸命駆け回ってがんばる姿は美しいと素直に思う。

「貴子せんぱーい!」
「あ、はいはい、今行くー!」

 グラウンドの方からショートカットの女の子がこちらに大きく手を振っている。あれは確か同じ学年の夏川さんだ。

「なんか忙しそうですね」
「そうなの。今日、三年の先輩が風邪で休んじゃって。合宿でいつもより仕事も多いし、マネージャーの人数も少ないしでちょっと大変かな」
「そうなんですか」
「さ、私も仕事に戻ろっと。じゃあ気をつけてね。今日は本当にありがとう」

 そう言って微笑み、藤原さんは駆け足で夏川さんの元へと向かった。

「大変そうだなぁ......」

 グラウンドの方では、あいかわらず藤原さんたちが忙しそうに仕事をしていた。私はそれをただしばらくじっと眺めていた。
 どうしよう、時間はあるけど。
 自分には関係のないことだろうし、おせっかいになるかもしれない。しばらくグラウンドと寮を交互に見つめ、悶々と逡巡していたが、結局すぐに覚悟は決まった。
 迷っているならやってみよう、そう決心し、私は太田先生の姿を探すため歩き出した。

 その後、太田先生に何度も「大丈夫か?」と心配そうな顔で尋ねられたけれど、私はなんとか許可をもらい食堂へと向かった。

 マネージャーの皆とあいさつを交わしたあと、私に命じられたのはおにぎり係だった。炊きあがった途方もない量のツヤツヤの白飯は、ほかほかとおいしそうに白い湯気を上げている。

「うわぁ、熱そう......」
「ある程度冷ましたから大丈夫よ。それに、熱いうちに握ったほうがおいしいから」

 藤原さんは手に水と塩をつけ、ごはんを手に取り、軽く握ってから皿に乗せた。

「ほら、こんな感じで」
「わぁ、きれいな三角ですね」
「ありがと。じゃあ、私たちも向こうの仕事終わったら手伝いに来るから」
「はい」

 さっそく気合を入れておにぎり作りに取りかかる。ひとつ、ふたつと握って先ほどの藤原さんのものと比べてみると、どうも自分の作った方はおいしくなさそうだ。一体何が違うのだろう。

「不器用だねぇ。おにぎりがガチガチだ」
「すいません......」

 後ろから見ていたおばちゃんが、おかしそうに笑いながら白飯を手に取る。すると、形のなさない白飯は、おばちゃんの手のひらの中でコロッコロッとリズミカルに踊り、あっという間にきれいな三角形が完成した。まるで魔法みたいに。

「わぁ、キレー。それに早い」
「さ、あんたもやってごらん。まず背筋を伸ばす!」
「はい!」
「コツは握るんじゃなくて形を整えるんだよ。中はフワフワに!」
「は、はい!」

 おばちゃんに励まされ、私はしばしの間、おにぎり作りに没頭した。
 その後、藤原さんたちがおにぎりを部員たちへと運んでゆき、一旦私の仕事は終了した。
 食堂を出て、物陰からこっそりグラウンドの様子をうかがう。すると、部員たちが我先にとおにぎりを取り合っている光景が目に入った。見た目はマネージャーさんのおにぎりに劣るものの、みんなお腹を空かせているためかおかまいなしという感じだ。
 二年生の輪の中に哲ちゃんと純さんを発見する。純さんは地面にどっかりとあぐらをかき、哲ちゃんとしゃべりながらおいしそうに頬張っていた。
 あんなにおいしそうに食べるんならもっと作ってあげたいな、そんな気持ちが自然とこみあげる。そうだ、今度は好物のチーズを入れて......
 そこまで考えてはっと我に返った。今日は臨時で手伝っただけだから、そもそも食べてもらう機会なんてないのに。ああでも、個人的な差し入れなら。いや、それはどういう名目で? それに、純さん一人に渡すのもひいきのようだ。
 おにぎりのことで、一人うんうんうなっていると、その時、背後に人の気配を感じた。

「結城。ご苦労だったな」

 振り返るとそこには、鬼軍曹、もとい片岡監督が立っていた。




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