24. 鬼と地獄とウォーターメロン(1)

 先日、一軍昇格メンバーが発表された。
 日頃の鍛錬の積み重ねが認められたのかはわからないが、ありがたいことに俺もその中の一人に選ばれた。同じ二年のメンバーには純、増子、亮介、クリス、丹波がいる。
 去年は正直、ここ青道高校野球部の練習についていくことだけで精一杯であり、一軍に昇格することなど夢のまた夢だった。だが今年は違う。己の手で、望みを実現するチャンスを手に入れたのだ。
 チームのため、監督の思いに応えるため、自身目標を叶えるためにも、今年は必ず甲子園に行ってみせる。

 六月も二週目に差しかかり、今年も恒例のあの合宿が行われる。
 ーーその名も「地獄の夏直前合宿」




「ゆっ、結城先輩は上と下、どっちがいいですか?」
「俺はどちらでもかまわないぞ」
「え? ええと......」

 目の前の一年生が、困ったように俺とベッドを交互に眺めている。
 今年も通い組の俺たちのために、寮の空き部屋があてがわれた。部屋はそれほど多くないため、寮組と違い四人一室の大所帯だ。二段ベッドが二つあり、三年生の先輩二人は早々に一つのベッドを占領した。

「俺は......えーと」

 おそらくこいつは、どちらを選んだら俺に有利なのか考えているのだろう。そういえば去年の俺は、選択権がなかったため、二段ベッドの上で眠ったのだ。その時とっさにそのことを思い出し、俺は口を開いた。

「俺は上にしよう」
「はっ、はいッス!」

 威勢のいい声で応え、やっと荷物を広げはじめた。
 去年、上で寝た俺は、厳しい合宿で散々鞭打った身体が悲鳴を上げ、夜トイレに行くためにベッドのはしごを上り下りするのにも骨が折れた。まだ合宿の過酷さを知らないこいつには下の方がいいだろう。
 ここは去年と同じあの部屋だ。普段は誰も使わない予備の部屋だから、今もまだあれがロッカーにあった。幸運なことに、去年同室だった三年生の先輩に、俺の相手をしてくれる人がいたが今年はどうだろうか。一年生の中に、あれをたしなむ奴がいたらいいのだが......。




「どうしたオラァ! もっと来いやーー!!」
「まだまだ足りないよ!」
「うがぅ!」

 合宿一日目。もう日は落ち始めていたが、厳しい練習はまだまだ終わらない。去年は体力作りのメニューだけで死にそうになった俺たちだったが、この一年の努力は裏切らなかったようだ。皆、長時間のノックにも耐えられるほどには体力がついていた。

「もう一本!!」

 俺は自分自身を鼓舞するように、声を張り上げ白球を追った。

 夜も更けてきた頃、地獄の合宿一日目が終了した。グラウンドには、疲労で立ち上がれなくなった部員がそこここに点在している。
 俺が食堂の方へと歩きかけた時、何気なく背後を振り返ると、グラウンドの遠くの方に屍が一つ、ぽつんと横たわっていた。ナイターの光がサングラスに反射してその表情がわからないため、俺はそちらへと足を向けた。

「合宿はどうだ?」
「っはぁ、はぁ......」

 息もたえだえという様子だったが、それを悟られたくないのか、すぐに息を整えてから起き上がる。

「無理するなよ」
「は、はは、こんなの全然っすよ!」

 一年の中で唯一ベンチ入りを果たした御幸だったが、さすがに疲弊しているのだろう。なかなか立ち上がることができないでいるようだ。

「......クリス先輩はやっぱスゴイっすね」
「ああ、今年はクリスが正捕手だろうな」

 しかし、先ほどまで口許に笑みを浮かべていた御幸だったが、俺の言葉を受け、その表情は真剣なものに変わる。

「はっ、でも俺、そんな気ぃ長い性格じゃないんで!」

 そう言いながら勢い良く立ち上がる。その瞳は、好戦的な色をたたえていた。

「別に一年が正捕手務めたっていいんですよね?」
「............」

 思わず返答に窮した俺を、御幸はいつもの飄々とした顔で一瞥し、そのまま勢い良く走り去っていった。

「あいつも相当な負けず嫌いだな......」

 自身の心の内よりこみ上げる嬉々とした思いと、それに比例するようにふつふつと湧き上がる闘争心。その両方を抱えながら、俺は食堂の方へと歩き出した。

 それから、食事を済ませ日課の素振りを終えて、風呂から上がった頃。今から早速あれの相手を探すため、俺は例の物を両手に抱え、寮の扉の前を行き来していた。

「おっ、哲じゃねーか」
「ああ」

 前方から、純が片手を上げこちらに近づいて来る。

「今年もやんのか......」
「もちろんだ」

 純は怪訝そうに俺の手の中の物を見たあと、思い出したように口を開いた。

「そーいや今、御幸の部屋に亮介たちが集まってっから行ってみねーか?」
「そうだな。もしかしたら相手が見つかるかもしれん」
「や、それは知らねーけど......」

 御幸の部屋の扉を開けると、そこには亮介、増子、倉持、中田それから部屋の持ち主である御幸がいた。室内はすでに男五人でいっぱいだ。そこに俺たち二人が加わるとかなりの人口密度になった。
 亮介はベッドでホラーマンガを読み、増子は身体を丸めて夜食の大福を美味そうに頬張っている。倉持と中田はテレビゲームに熱中し、御幸は机に向かってスコアブックを広げていた。練習後はあんなにつらそうにしていたのに、今年の一年は体力のある奴が多いようだ。

「ん? どーしたんすか哲さん」

 倉持が俺の存在に気づき振り返った。

「みんな聞いてくれ。この中に囲碁をする奴はいるか?」

 一瞬、その場がしんと静まり返った。皆が俺の手の中の碁盤に注目している。ゲームの楽しげな音だけが室内を支配していた。

「誰もいないのか?」
「哲、今年はあきらめろ。お前、去年あの先輩に『しつこい』って散々怒鳴られただろーが」
「そうだな......」

 去年、囲碁に付き合ってくれた先輩は、初めは快く相手をしてくれたものの、俺が何度も対局をせがんだため怒らせてしまったのだ。

「へぇ、哲さんシブい趣味っすね」

 御幸がスコアブックから顔を上げ、俺の方を向く。

「俺、将棋だったら指せるんですけどね」
「将棋?」
「はい。まぁ、たしなむ程度には」
「将棋......。そうか、将棋か......」

 純が俺の横で、おーい、などと声をかけている気がしたが、俺は将棋に気を取られその内容を把握することはできなかった。
 将棋か。
 はじめてみる価値はあるかもしれない。俺は、新たな扉を開けるような感覚に、わずかな興奮を覚えていた。

「ふぅ、ちょっと休憩すっか」

 倉持がコントローラーをカーペットの上に置き、立ち上がる。

「おう倉持。ついでだからマッサージしろや!」
「ええっ?! カンベンしてくださいよ純さ〜ん」

 純が先輩の権限を振りかざし、倉持に脅しをかけている。もちろん、後輩である倉持は断ることができず、不慣れな手つきでマッサージをはじめたその時だった。

「純さん!! こんなとこにおったんですか!」

 バーンと勢い良く扉が開き、前園が大声を張り上げながら顔を出す。

「昼間、俺のスイング見てくれるて約束したやないですか!」

 前園はそのままドスドスと部屋へ上がり、室内はとうとう男八人になってしまった。

「俺はもう寝るのね......」

 うんざりした面持ちの中田が御幸に声をかけ、扉の方へ向かう。

「んじゃあ俺もっと」

 御幸も枕を片手に、中田について行くようだ。ここは御幸の部屋なのに、御幸はどこへ行くのだろうか。

「御幸、テメェ逃がさねーぞ」

 倉持が右手で純の腰をマッサージしながら、左手で御幸のジャージの端を掴んだ。

「放せよ。俺、別の部屋で寝んだけど」
「ごちゃごちゃうるせぇな! ついでに御幸も脚の方マッサージしろや!」
「はぁ?! なんでそうなるんですか!」
「純さん、俺のスイングはー!」

 人が慌ただしく入り乱れ、もう足の踏み場もない。

「楽しそうだな......」

 その時、無意識に自分から出た言葉に、自分自身が一番驚いていた。俺は通いだから、この寮の雰囲気にいまいち溶け込めていないようだ。

「哲、何たそがれてんのさ」

 亮介がマンガから視線を外し、俺の方へ視線を向ける。

「いや、なんでもない」

 そうだ。俺たちは同じチームメイトなのだ。通いも寮も関係ない。
 先ほどの寂しさのようなもの振り払うように、俺は首を振った。

「あ、そういや純さん。なまえとは最近、どんな感じなんスかぁ?」
「あ?」

 倉持がニヤニヤしながらマッサージを続けるが、純は明らかに不機嫌な顔をしていた。

「なぁ〜んかいい雰囲気ですけど」
「は? なんもねーよ!」
「なんなら今、電話してみます? ちょうどみんな揃ってるし」
「あ? なんじゃそりゃ! するわけねーだろ! ......つーか、なんでお前、あいつの番号知ってんだ?」
「へ? だってクラス一緒ですし。御幸も知ってんよなァ?」
「おう」

 御幸がどうでも良さそうに、純のふくらはぎを揉みながら返答する。

「俺も知ってますよ」

 すると、前園のその言葉に、純ははっとしたような顔になり、倉持たちにマッサージを止めさせゆっくりと起き上がった。

「なんでゾノまで知ってんだ? あいつとクラス違うだろーが」
「まぁ、ちょっとした協定結んでるんですわ」
「協定だぁ〜?」

 そういえば先日、なまえが前園と何やら協定を結んだと言っていたのを思い出した。抜けがけさせないためだなんだと言っていたが、一体何の協定なのだろう。そういえばこの二人は、純によく懐いている。

「おうコラ、スイング見てやっから詳しく聞かせろや」
「純さん。顔がマジなんッスけど......」

 前園の最初の威勢はどこへ行ったのか。青い顔色の前園に、純はがっちりとベッドロックを極め、二人はそのまま御幸の部屋をあとにした。

「さて、もう部屋戻ろうかな」
「うが」

 すると、それが解散の合図のように、皆、各自の部屋へと引き上げていった。

 自分の部屋へ戻ると、同室の一年生は健やかないびきをたて、気持ち良さそうに眠っていた。隣の二段ベッドの上下は空だ。おそらく、まだ東さんたちの練習に付き合っているのだろう。
 俺は一年生を起こさないよう、そっとはしごを上りベッドに入った。その時、枕元に放り出していた携帯が光っていることに気づき、画面を確認する。母からの新着メールだ。

 “明日の差し入れ楽しみにしててね”

 差し入れとは初耳だった。母が持ってきてくれるのだろうか。
 しかし、深く考える前に、俺の意識はもう途切れはじめていた。目を閉じると、まどろむ意識の端に、部員のかすかな話し声とバットを振る音が途切れ途切れに聞こえてくる。俺もやらなければ、と思うのに疲れた身体はどうしても言うことを聞かない。だが、俺の身体は幸せな疲労感で満たされていた。

 ああ、ここは本当に、羨ましいぐらい野球で溢れている。





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