12. 冬の背中

 加速度をつけた秋はいつの間にか冬に変わり、私は中学校生活最後の冬休みを迎えた。志望校は変更することなく青道高校で通し、受験勉強も大詰め。哲ちゃんたちは地獄のような冬合宿をこなし、私は暇を見つけてはそれを見学する日々だった。
 あと数日で新しい年を迎える。
 今日は「お正月準備手伝いなさい」という母の命令を振りきって、友達と遊びに出かけた。冬休み中も受験勉強に勤しんでいるのだから、たまの息抜きくらいバチは当たらないだろう。久しぶりにハメをはずして夕方まで遊び、今はもう帰るところだった。
 天気予報はチェックしていたけれど、意外に早くちらつきはじめたようだ。コートのフードをすっぽり被り、ふわふわと雪の舞い落ちる家路を急ぐ。真冬の日の沈みは早く、年末の住宅街は静かで、すっかり夜の闇に沈んでいた。

 コートについた雪を軽く払い、いつものように玄関の戸を開ける。中へ入り、ふと足元へ視線をやると、靴の並びに少し違和感を覚えた。哲ちゃんのローファーの横に、見慣れない男物のローファーが一足、きれいに並んでいる。
 誰だろう。哲ちゃんの友達でも遊びに来ているのか。
 ローファーをさらにじっと観察すると、哲ちゃんより少し足の小さい人物であることがわかる。まず増子さんは除外。もっと大きそうだ。小湊さんも除外。あの人の場合、もっと小さいはず。とすると残りは――

「ただいまー。誰かお客さん来てるの?」

 暖房のきいた暖かい居間へ入っていくと、案の定、ダイニングテーブルにつくとある人物と目が合った。制服のネクタイをゆるめ、ずいぶんくつろいでいる様子だった。

「お」
「あっ、やっぱり伊佐敷さんだ」

 伊佐敷さんの隣には哲ちゃんが座り、まったりとお茶をすすっている。

「おかえり。寒かっただろう」
「うん、明日積もりそうだね」
「そうだな」

 私は伊佐敷さんの方をうかがった。

「あの、珍しいですね。うちに来るなんて」
「おう、急に悪かったな。本当はすぐ、実家に帰るつもりだったんだけど」
「俺が誘ったんだ」

 哲ちゃんの言葉に、私は少々驚きながら、そうなんだ、と返した。
 そういえば先日、寮生に年末年始の一斉帰省が命じられたと兄から聞いたのを思い出した。いくら年がら年中、野球に明け暮れているとはいえ、長期の休みくらいはあるだろう。
 今までにももちろん、兄が家に友達を連れて来たことはあったが、それほど多くはなかった。兄は誰からも慕われる性格だとは思うけれど、自ら家に連れて来るような友達は限られている。
 コートを脱いでストーブの前で乾かしながら、哲ちゃんたちの方をちらりと盗み見る。伊佐敷さんがうちにいるなんて、ずいぶんと不思議な心地がした。
 夕食の準備が整うまでの間、二人の会話といえば、もっぱら野球のことだった。冬の朝練は地獄だの、ウェイトトレーニングでちょっと筋肉がついただの、二人ともリラックスした様子で話している。
 そういえば私は、この二人がこうやってゆっくり会話しているところは初めて見るなぁと気がついた。兄は少し天然なところがあるから、いかにもツッコミ役の伊佐敷さんとは相性がいいのかもしれない。まるで漫才を見ているようだ。

「さ、できたわよ」
「はい! あざっす!」
「伊佐敷くんはすき焼き大丈夫だった?」
「はい! 肉は大好物ッス」
「ならよかった」

 母は鍋の蓋を開け、煮え具合をチェックしている。

「あの、すいません……。こんな年末に押しかけて」
「いいのよ、そんなの。むしろ、にぎやかになってうれしいんだから」
「ありがとうございます」

 母の前でとても礼儀正しい伊佐敷さん。まるで借りてきた猫のようだ。いや待てよ犬かと、つまらないことをぼんやり考える。
 鍋のすき焼きが美味しそうにぐつぐつと煮えてきたところで、私も食卓についた。斜め前に座る伊佐敷さんが、はふはふとうまそうに食べているので、こちらも自然と食欲がわいてくる。
 しばらく経った頃、玄関からガラリと戸の開く音がした。時間的におそらく将司だろう。

「ただいま」

 予想通り、将司が居間へのっそりと顔をのぞかせた。
 伊佐敷さんが将司の方を見た時、その目が驚きで見開かれたのを私は見逃さなかった。
 将司が来客の存在に気づき

「……ッス」

 と軽く会釈をしたことで、伊佐敷さんははっと我に返ったようだった。どこかばつが悪そうに、ッス、と同様のあいさつを返す。
 将司が一旦、二階へと引き上げたところで、伊佐敷さんは哲ちゃんに小声で囁くように言った。

「お前らそっくりだな。一瞬、哲がもう一人現れたかと思ったぜ」
「そうだな。それはよく言われる」
「あいつ何年だよ?」
「中一だ」
「中一であのガタイかよ?!」
「ああ、あいつは俺よりでかくなるだろうな」

 伊佐敷さんは苦々しそうに、へぇ、とつぶやいて再び食事を再開した。
 無理もない。成長の早い将司は、中一にしてすでに立派な体格になりつつあった。この調子で伸びれば、高一になる頃には伊佐敷さんの身長を追い越しているだろう。
 私はすき焼きの具を小鉢に取ったあと、ふと思いついて口を開いた。

「でも、哲ちゃんもこの一年で伸びたし、伊佐敷さんも伸びたんじゃないですか? 今、170くらい?」
「……だ」
「え?」
「169pだっつの!」
「あと1pですか。ちょっと惜しいですね」

 とりなすように話題を振ったつもりだったが逆効果だったらしい。170pと169pでは1p差だが、受ける印象がずいぶん違うため、本人もそこを気にしているのだろう。あとほんの1pを埋めるように、伊佐敷さんは豪快にもぐもぐと肉を頬張っていた。
 母は食卓に加わるよう将司を呼んだが、照れているのか何なのか、二階から下りてこようとはしなかった。弟も思春期真っ只中なのかと、私は白滝をふぅふぅ冷ましながら納得する。

「さ、伊佐敷くん。遠慮なくどんどん食べてちょうだい」
「はい!」

 最初は喜んで食べていた伊佐敷さんだったが、あまりにも母が鍋の具材を投入するものだから、途中からあきらかに顔がこわばっていた。母は兄が久しぶりに友達を連れてきたから単純にうれしいのだろう。結城家の歓迎の意は食事の量だ。

 夕食が終わり、哲ちゃんと伊佐敷さんは二階の兄の自室へと引き上げていった。私が居間でテレビを見ていると、盆を持った母が私に

「なまえ、ちょっとこれ哲也たちに持ってって」

 と声をかける。

「あ、うん」

 盆には湯のみが二つと、お茶うけにお煎餅が乗っている。私はそれを落とさないように、慎重に階段を上がりながら哲ちゃんの部屋の前まで来た。外は雪が降るほどの気温のため、家の廊下もひんやりと冷たい。
 けれど部屋の戸をノックしかけたところで、室内から何やらくぐもったような会話がもれてきた。私は不思議に思い、無意識にそちらへ耳を傾けた。

「すげーな……」
「ああ、きわどいな……」

 ストライクゾーンの話だろうか。あいかわらずの二人の野球馬鹿ぶりに思わず小さく笑ってしまう。だけど他人の会話をいつまでも盗み聞きするのはよくないので、一旦、盆を下に置き戸をノックした。

「哲ちゃん、お茶持って来たよ」

 つかの間、部屋がしんと静まりかえった。それからすぐ沈黙が破られ、嵐がやってきたようにバタバタという騒がしい音が聞こえた。いったい二人は中で何をやっているのだろう。

「なまえ、悪いな」

 そう言って、哲ちゃんが自ら戸を開け迎え入れてくれた。でもなんとなくソワソワした様子で、私と目を合わせようとしない。

「これお母さんから」
「ああ、ありがとう」
「おう、サンキュ」

 お茶を出しながら伊佐敷さんの方へ視線をやると、どこかわざとらしそうに手元に広げられたDVDのケースを眺めたりしていた。それは高校野球の試合のDVDだった。ラベルには几帳面に対戦校や日時、何試合目かまで細かく記されている。

「あ、これ稲実戦じゃないですか」
「おう。寮にいっぱいあっから、一緒に見ようと思って持って来たんだよ」
「すごい、ちゃんと一回戦からあるんですね」
「こいつら負かさねぇと甲子園には行けねぇからな。しっかり研究しとかねーと」
「ああ。今年は特にすごいスラッガーが入ったと聞いたしな」

 無表情で手元の湯のみに視線をおとす哲ちゃんだったが、背中から暑苦しいほどのオーラを放っていた。ポーカーフェイスのくせに妙にわかりやすい性格をしているな、と兄妹ながらしみじみ思う。

「原田だっけ? あいつデケェよな。あれで同い年なんだからよ……」
「だが、俺たちは俺たちの野球をやるだけだ」
「はっ、まぁそうだよな。気にしたって仕方ねぇな」

 伊佐敷さんはわずかに口許をほころばせ、哲ちゃんの方へ視線をやる。それから手元のお煎餅を引き寄せ、ぱりんと音を立てながら食べはじめた。
 哲ちゃんは真剣な面持ちで、今から見るDVDを選んでいるようだ。
 長居しても邪魔だろうと思い、私は盆を持ってよいしょと立ち上がった。
 するとその時、先ほどまで気がつかなかったが、ベッドの下からわずかに何かがのぞいているのを発見した。プラスチック製の何か、おそらく映画などのDVDのケースだろう。

「ん? 映画も持ってきたんですか?」

 それに手を伸ばそうとした瞬間、ものすごい速さで伊佐敷さんがベッドのそばに移動し、私の前に仁王立ちになった。

「なんでもねぇ! これはなんでもねぇ!」
「え」
「そう、映画。映画だ」

 哲ちゃんもそれに深く同意するようにぶんぶんとうなずいている。

「あ、あ、東さんの、お、おすすめ映画だ。たまに貸してくれんだよ」
「へぇ、洋画ですか?」
「お、おう……」
「ああ、金髪の女性が主役だ」

 どこか目を泳がせながら応える哲ちゃんの頭を、伊佐敷さんは慌てた様子でぽかりと殴りつけた。二人の顔は、こころなしかほんのり赤く染まっている気がする。

「ま、とにかく今から集中して見っからよ! じゃあな」

 私は急き立てられるように哲ちゃんの部屋を追い出されてしまった。部屋の戸をしばらくじっと見つめながら、やっぱりか、と思わずつぶやいた。ケースの肌色がちらっと見えた時、なんとなくそうなんじゃないかという気はしていたのだ。

 それから私も自室へこもり、ベッドに寝転がって見るともなく雑誌をめくっていた。
 その時ふと、そういえば、と気がついた。もう結構遅い時間のうえ、この雪なので、伊佐敷さんは今日これからどうするのだろう。まさかうちに泊まるのだろうか。でも神奈川なら帰れないこともないのか。そんなことをしばらく悶々と考えて、私はもしもの時のためにタンスから可愛いパジャマを出しておいた。

 一時間ほど経った頃、玄関からバタバタと物音が聞こえた。寝転がって目を閉じ、耳をすませていると、足音に混じって金属特有のあの音をはっきり聞き分けることができた。
 外は雪なのに今日もやるのかと、呆れを通り越してむしろ感心し、起き上がって窓のそばへと歩み寄る。そのままガラリと窓を開けると、外は凛とした静謐な空気が広がっていた。それに寄り添うかのようにやさしく雪が舞い踊る。すっと息を吸い込むと、キンとした凍てつく空気に鼻が痛んだ。けれど、確かに寒いはずなのに、雪が降るとどこかあたたかい気持ちになるのはなぜだろう。
 白く霞む視界の向こう、二つの背中がじゃれあうように駆けていった。



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