18. ひみつのノート

 学校生活にもようやく慣れてきた頃、部活の仮入部がはじまった。
 我が青道高校女子ソフトボール部は、強豪でもないけれど、弱小というほどでもない、いわゆる中堅レベルというやつだ。
 そのユニフォームは、野球部のような青と白を基調とし、まさしく「青道」という感じでかっこいい。サンバイザーではなく帽子、というところもポイントが高い。サンバイザーは頭皮へもろに太陽が照りつけるからだ。
 部の監督は、どうやら片岡監督と同い年でヒゲも同じ位置に生えているが、小太りのためその印象はまるで違った。無口で帽子を目深に被っていて、何を考えているのかさっぱりわからない。青道高校にはどうやら、フレンドリーな監督は皆無のようだった。



 今朝、登校すると、御幸くんと倉持くんは今日も二人で何やら話しこんでいた。教室内ではすでにグループが出来つつあるが、二人はあまりクラスメイトに積極的に話かけてはいないようだった。御幸くんと仲良くなりたいと言っていた子たちは、少々はがゆい気持ちのようだ。

 ところで先日、委員会決めがあった。今日の放課後はその第一回の集まりがあるのだ。
 お昼休みになっても、御幸くんと倉持くんは例のごとく二人仲良くつるんでいた。御幸くんと隣同士の私は自然、二人と話す機会が多かった。

「ふーん、結城は保健委員か」
「うん、ジャンケン負けたから」

 倉持くんはどうでもよさそうにプロレス雑誌をめくる。やはり格闘技好きだったのかと、私は先日の奴の鍛え抜かれたタイキックの痛みを思い起こした。

「お前要領悪そうだもんな」
「うるさいなぁ。けどうらやましい。倉持くん今回は何も当たらなかったんだよね」
「俺も俺も」

 隣の御幸くんがスコアブックから顔を上げてニシシと歯を見せる。

「聞いてねー」
「うん」
「おい!」

 二人とも確かに何かにつけて要領が良さそうだ。

「御幸、ちょっといいかな」

 その時、教室の入口から御幸くんを呼ぶ声がした。静かで落ち着いたそのトーンに引き寄せられるように振り向くと、細身のおとなしそうな男子がこちらへ向かってくるところだった。
 既視感というのか。その柔和な面差しに、私はどこか見覚えがある気がしたけれどなかなか思い出せない。その男子は御幸くんのそばまでやって来て、穏やかな調子で話しはじめた。
 私は記憶を探りながら、その姿をじーっと観察する。わりと最近のことのような気がするけれど、どこの誰だったか。

「今日の部活のことだけど......」
「おう、どうした」
「あ! 思い出した!」

 私の声に反応して、御幸くんと倉持くんとその男子がいっせいに私の方を見る。
 三人の視線が一気に集まり、私はまた別の既視感を覚えた。そうだ、私はこれをつい最近伊佐敷さんの前でやって、失敗したばかりだ。危うく轍を踏むところだった。

「ご、ごめん、話に割り込んで。いいから続けて」

 倉持くんは、またか、と私に怪訝な視線を投げる。

「いやいやそこは言おうぜ。気になんだろ」

 御幸くんが促してくれたので、私は、うん、と一つうなずいてその男子の顔をじっと見据えた。

「えっと、試験の時はありがとう」
「え? 試験?」
「なにお前、渡辺のこと知ってんの?」

 御幸くんが驚いた様子で私の方を見る。

「うん。試験で隣同士になって、緊張してる私に声かけてくれたんだ」

渡辺くん、という男子は、私の言葉を聞いてその優しそうな目をぱっと見開いた。

「ああ......あの時の。そっちも受かったんだね」

 得心した渡辺くんが、私にやわらかい笑顔を向ける。思わぬ恩人二号との再会に、私の胸に温かいものがこみ上げた。一号は言わずもがな伊佐敷さんだ。

「野球部の一年生にも、こんなまともな人がいたんだね」

 私の言葉を受けた御幸くんが

「おい、お前さらっと失礼だから」

とツッコんだのと、倉持くんがまるめたプロレス雑誌で私の頭をはたいたのとほぼ同時だった。



 放課後になり、私はノートとペンケースを小脇に抱え、目的の教室へと向かった。少し緊張しながら教室に入ると、室内にまだ人はまばらだった。どこへ座ろうかとキョロキョロしていると、窓際の席に見覚えのある後ろ姿を発見した。
 そっと席へと近づいてゆくと、どこか眠たげな伊佐敷さんは、頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めていた。少し迷ったが、私はその背中に話しかけることにした。

「あの、こんにちは」
「おう。お前も保健委員か」
「はい」

 私の方へ首をひねった時、その頬に少し寝跡がついていた。きっと今まで夢の中だったんだろう。そこから視線を下げると、どうしてもヒゲに目がいってしまう。伊佐敷さんのヒゲは板についてきたようで、今日もきれいに整えられていた。
 近くに座ってもいいのだろうかと私がおろおろしていると、座れ、と伊佐敷さんは苦笑いしながら促した。

「失礼します」

 この状況で腰を下ろさないのも変だと思い、私はとりあえず後ろの席についた。
 トロンとした目の伊佐敷さんは、大きなあくびを連発している。

「すごい眠そうですね」
「昨日遅くまで市大戦のDVD見てたからな」

 なかなかの勉強家らしい。伊佐敷さんは、ん〜と大きく伸びをしながら、再びあくびをひとつ。

「先生が来るまで寝ますか? 来たら起こしますよ」
「いや、また起きるのつれぇし、このままでいい」
「そうですか」
「おう」
「............」
「............」

 わずかな沈黙。教室にいる人たちも知り合いが少ないのか、みんな携帯をいじったりしていて、教室内は静かであまり話し声が聞こえてこない。
 入学前は伊佐敷さんともっと自然に会話できていたはずだが、時間が空いてしまったせいか、前はどんな風に話していたのか思い出せない。とりあえず無難な話題から攻めてみようと、私は口を開いた。

「ズバリ、伊佐敷先輩の好きな投手を教えてください」
「あ? 唐突だなお前。えーと野茂英雄」
「ドクターKですね。じゃあ一塁手は?」
「落合博満だな」
「なるほど......」

 伊佐敷さんの中で憧れの選手がはっきりしているのか、いずれも即答だった。

「じゃあ二塁手は〜」
「仁志敏久......って、お前これ全部知りてぇのかよ?!」
「はい。ダメでしたか?」

 インタビュー形式は一方的すぎただろうか。
 けれど伊佐敷さんは、不思議なものを発見したように私をしげしげと見つめたあと、小さく笑って言った。

「けっ、変なヤツ......いいぜ、最後まで答えてやるよ」

 その後、左翼手まで聞き終わったところで、隣で突然慌ただしい声が降ってきた。

「あ、伊佐敷ー! 久しぶりじゃん。何、アンタも保健委員なの?」
「そーだけど」
「野球部のくせにマジメに委員会とか出るんだ〜」
「『くせに』って何だよ!」

 伊佐敷さんに軽い調子で冗談を飛ばすその女の人は、話しながら自然にその隣の席についた。すらっと背が高くサバサバした雰囲気の人で、とても親しげに言葉を交わしている。私とは大違いだ。
 伊佐敷さんとの嵐のような会話の応酬にびっくりして、私は思わず黙りこんだ。伊佐敷さんは県外から来たので、同じ中学ということは考えにくく、おそらく去年一緒のクラスだったのだろう。
 私は少し居心地が悪くなり、見るともなしに窓の外へ視線を向けた。もう放課後だが、太陽は校庭を強く照らし、今日も絶好の部活日和だ。

 隣同士の二人は、そのまま楽しげにテンポ良くおしゃべりを続けている。私の知らない去年のクラスメイトの話題のようだ。伊佐敷さんはてっきり女子に恐れられているのかと思っていたが、どうやら間違いだったらしい。もしくはあの女の人が特別なのか。
 私の知らない伊佐敷さんが、そこにはいた。
 そういえば、と、その時唐突に思い出した。好きな捕手を聞きそびれてしまった。手持ち無沙汰になった私は、伊佐敷さんの好きな選手を予想しながら、ノートのはしっこにその名前を書き連ねていく。三人名前が挙がったところで手を止めた。シャーペンに芯を入れるふりをしながら、こっそり前の二人を盗み見る。その女の人は何やら大笑いしながら、伊佐敷さんの背中をばしばし叩いている。
 自然な会話だな、と思った。
 シャーペンの芯をカチカチ出しては指で押し戻す。先生が来るまでひたすら繰り返す。
 さっきの会話は、もう復活しないのか。

 その後、担当の先生が到着し、委員会は滞りなく終了した。私はペンをしまい、帰り支度をしていると、立ち上がった伊佐敷さんがおもむろにこちら振り返った。

「おい、さっきの......」
「はい?」

 むっつりとした面持ちで、ある一人の選手の名前を口にした。
 私はそれを聞いて、温かい気持ちでいっぱりになり、了解です、と大きくうなずく。
 隣の女の人は怪訝な顔をしながら伊佐敷さんの肩をつついた。

「誰それ。何? 芸能人?」
「お前に言ってもわかんねーよ」

 二人が教室を出て行ったあとで、私はさっきのページをそっとひらいた。どうやらあの人にはわからなかったらしい。
 私は、緩む口元を頬杖をついた手で隠しながら、ノートのはしっこ、私が一番初めに書いた名前に赤ペンで大きく花マルをつけた。




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