17. ヤンキー君とメガネくん

「なまえ、学校はどうだ?」
「うん、楽しいよ。友達もできたし担任の先生も優しそうだし」
「そうか。よかったな」

 今日の夕食は新ジャガの煮物をはじめ、春野菜が食卓を彩っていた。哲ちゃんは静かに微笑みながらご飯に手を伸ばす。

「あ、でも野球部の御幸くんと倉持くんが......」
「何だ?」
「ああ、ええと、同じクラスだからちょっと話したよ」

 いろいろと失礼な二人だと言いかけそうになり何とか思いとどまった。一応哲ちゃんは二人にとって先輩に当たるから、告げ口をするようでよくないと思ったからだ。気まずい気持ちを隠すためにお味噌汁をずずっとすする。

「あの二人はかなり良い筋をしているぞ」
「御幸くんはシニアでも活躍してたんだってね。クラスの子から聞いた」
「ああ。それにあいつらはスカウトだからな」
「そうなの?!」

 哲ちゃんは菜の花のおひたしを口に運ぶのをやめ、不思議そうな顔をしていた。

「何でそんなに驚くんだ?」
「いや、だって御幸くんはともかく倉持くんって不良みたいだし......。よくスカウト来たなぁと思って」
「ああ、確かにな。まぁそのあたりは高島先生の手腕なんじゃないか?」
「そっか......」

 私は入学式で見た高島先生の知的な面差しを思い出した。それに羨ましいくらいのスタイルがくっついてくる。全体像はデキる女の理想形だ。
 スカウトした時期は不良じゃなくて、そのあとハメをはずしすぎて不良になったのか。それとも、不良でも目を瞑っていいと思えるほどの野球センスの持ち主なのか。いずれにしろ、いろいろな意味で目が離せない二人だった。

「不良といえば、なまえは純のヒゲを見たか?」
「うん。アゴヒゲだよね」
「ちょうど入部した頃の監督みたいでな......」
「哲ちゃん、もしかして羨ましいの?」

 私の言葉を受けて哲ちゃんは複雑な面持ちでお茶をすすった。不良とは少し違うが、あのヒゲは野球部として大丈夫なのかと思った。私にはそのあたりはよくわからない。

 そういえば最近、兄は伊佐敷さんのことを「純」と名前で呼ぶようになった。二人の距離がそれだけ縮まった証なのだと思う。
 「純粋」の「純」。「単純」の「純」。どことなくあの人にぴったりだ。はじめに聞いた時は誰のことかわからずに思わず聞き返してしまった。その時私は、「純」なんて顔に似合わず可愛らしい名前だなぁと、なんだか微笑ましい気持ちになったのだ。





 翌日。今日から通常の授業がスタートしていた。まだ席替えはしていないので、あいかわらず御幸くんと隣同士だ。そしてあいかわらず私は倉持くんからストーカー疑惑がかけられたままである。

 黒板の前には、まだ大学生の雰囲気が抜け切っていないような若い男の先生が現国の授業をはじめていた。
 私が真新しい教科書に視線をおとしていると、突然その上にぽんと紙くずが降ってきた。いきなり天井からゴミが落ちてくるわけはないので、近くの誰かが投げたんだろう。大げさにすると目立つので、小さい動きで私はその主を探した。
 すると左隣の御幸くんが意味ありげな笑みを控えめに浮かべながら、口パクで「か・み」と言っている。
 私はそれを一瞥して、くしゃくしゃに丸められたノートの切れ端を広げた。するとそこには、綺麗だけれど少し癖のある字でこう書かれていた。

 “ストーカー疑惑は晴れた?”

 今まで特にフォローもしてくれなかった御幸くんが今更何を言ってるんだろう。でも私たちは出会って間もないのでフォローも何もないかと思い直し、御幸くんの文字の下にシャーペンで“まだ”とだけ書いた。目の前の先生が板書をはじめるタイミングを見計らって御幸くんの机に紙をぽいと放り投げる。
 すると御幸くんはすぐに何やらサラサラと書き、私の机に投げ返した。

 “おれ実は結城センパイから野球好きの妹がいるって聞いてたぜ”

 私は再び隣の御幸くんの顔を見た。先ほどよりもその笑いが癪に障るのは気のせいだろうか。それから私は“じゃあなんで御幸くんからも言ってくれないの?”と書き紙を飛ばした。
 そして間髪入れずにまた私の机に紙が落下する。

 “カンチガイしてた方がおもしろそうじゃん?”

 私は数秒間その文字を眺めたあと、固めにした紙玉を右手のスナップをきかせて御幸くんの側頭部へ思いきり投げつけた。

「いてっ!」
「ん? 何だ御幸。初日からおふざけか?」
「いや、何でもないっす。すいません」
「野球部は青道の顔なんだから、ちゃんとしてもらわないと困るぞー?」

 先生が爽やかな笑みを浮かべながら御幸くんをたしなめる。周りから途切れ途切れにクスクスといった笑いが起こっていた。
 隣の御幸くんがむすりとした顔でこちらを見たのを視界の端で捉えたけれど、私は教科書を睨んで無視した。「先生は学生時代ラグビー部だったんだ!」と授業が脱線した隙に、私は先ほど取りきれなかった板書を書き写していた。ノートの細い罫線を眺めながら、私は自分の心のノートに“御幸くんは性格が悪い”と記した。



 その後の休み時間に、職員室の前で偶然伊佐敷さんに遭遇した。私は先生に頼まれていた少量のプリントの束を抱えながら、思わずその背中を呼び止めていた。別段用はない。

「伊佐敷、先輩」
「おう」

 「伊佐敷先輩」は呼び慣れていないのでやはり呼びにくく、どうしてもつっかえてしまう。けれど兄のように「純」と呼ぶのもそれはそれでおかしいので先輩呼びに落ち着くしかない。

「あ、特に用はないんですけど」
「なんじゃそりゃ!」
「えーと、御幸くんと倉持くんって部活ではどうですか?」
「あ? 御幸と倉持? そうだな......認めんのは癪だけど、あいつらまぁセンスあると思うぜ」

 伊佐敷さんは苦い顔をしながらも答えてくれた。

「なるほど。あと倉持くんって元ヤンなんですか? それとも目覚めたて?」
「ああ? 知るかよそんなこと!」
「ですよね......」

 伊佐敷さんはフンと鼻を鳴らして窓の外を眺める。

「でも亮介は倉持のこと結構気に入ってるみてぇだな。あいつがあそこまで人に当たんのは珍しいしよ」
「へぇー。あの小湊さんが」

 普通にしていても逆らえないようなオーラを放つ小湊さんがキツく当たるだなんて、想像しただけで震えが止まらない。それが小湊さんの愛情表現なのか。それに耐え抜く倉持くんはきっと生粋のヤンキーなんだろう。今の話からするに、倉持くんのポジションは内野のどこかだろうか。伊佐敷さんに尋ねようと口を開きかけたところでチャイムが鳴ったので、私たちは慌てて各々の教室へと戻った。



 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、お昼休みになった。今日は寝坊してせいで慌てていてお弁当を忘れてしまったので、私は仕方なく下の購買まで向かうことにする。

「結城さん場所わかる? ついてこうか?」
「大丈夫大丈夫!」

 心配そうな鈴木さんに笑顔で返事をしたものの、私は少し心配だった。元来の自分の方向音痴は、こんな狭い場所でも発揮されようとしている。
 その時、隣の席から話し声が聞こえてきた。

「倉持購買?」
「おう。ちょっくら行ってくる」

 朝買ってきたものなのか、御幸くんの机にはすでに惣菜パンとお茶が乗っている。寮でもちょっとした食べ物なら売っているらしい。これはチャンスとばかりに私は、購買へ向かう倉持くんの後をつけることにした。
 廊下を出てポケットに手を突っ込んで歩いていた倉持くんが急に私の方を振り返った。

「あ? なんだお前。ついてくんなよ」
「わ、私もこっちに用があるから」
「ふーん?」

 そのツンツン頭を目印に、私はしばらくスタスタとその後を追う。
 けれど倉持くんは急にピタリと足を止めた。それから先ほどよりも足早に歩き出す。それを見失ってはいけないと、私はそのペースに合わせた。

「なんでお前も急ぐんだよ!」
「なんとなくだよ!」
「意味わかんねェ!」

 そう言い放ち、倉持くんは早歩きのペースから一気にギアを上げ走り出した。私も負けじとペースを上げる。ここで見失っては購買の場所がわからないのだ。

「だからなんでお前も走んだよ?!」
「う、動いてるもの見ると追いたくなるじゃん!」
「野生動物か!」
「人間だって!」
「野生に帰れ!」
「そっちこそ!」

 わけのわからない言い合いをしながら、前方の倉持くんは軽やかに腕を振って更にスピードを上げる。加速装置でも付いているんだろうか。そのサバンナを駆けるチーターのような速さに感心しつつ、こちらも負けてはいけないと全力を出した。

「追っかけてくんな!」
「追ってない!」
「ウソつけ! お前やっぱストーカーだろ!」
「ちっ、ちがうっ!」

 今まさにストーキングしておいて違うも何もないだろうと、私は自分でも少し恥ずかしくなった。
 廊下を突っ切り、階段を駆け下りる。さすがに男子に追いつくことはできなかったが、とりあえず後ろ頭を捉え続けることは成功したようだ。そのまま二人で購買までドドドドと突入する。

 しかしいざ到着したものの、いつもは混み合っていると評判の購買が、今はなぜかがらんとしていた。嵐の前の静けさよろしく、売り子のおばちゃんがイスに腰掛けてのんきにクロスワードに興じていた。
 私たちは、はぁはぁと息を整えながらお互いの顔を見やる。

「......お前、意外に足速ぇな」
「......倉持くんこそ」

 けれど、さすが野球部で鍛えられているだけのことはあり、すぐに息を整えた倉持くんは周囲の様子を伺った。

「つか、誰もいねぇんだけど」
「そうだね......」
「ああ、アンタら一番乗りだよ〜」

 私たちの存在に気づいた購買のおばちゃんのどうでもよさそうな声が響いた。

「一番乗り......」
「マジか」
「やった! パン選び放題だよ!」

 倉持くんは私の顔を見てマヌケにぽかんと口を開けた。

「......ぶっ、はははは!!」
「え? 何......?」
「いや、ゲンキンな奴だなーと思ってよ」
「でも現に......」
「おう、混む前にとっとと買おうぜ!」
「うん!」

 私たちはまだ誰にも手をつけられていないパンたちを物色した。いつも「ヒャハハハ」と笑う倉持くんも、本気で笑うと「ははは」なんだなぁと、どうでもいいことを考える。

「このプレミアム焼きそばパンってのうまいらしいぜ」
「すぐに売り切れるやつだよね。じゃあこれにしよう。あとは......クリームパンにするか」
「二個も食うのかよ!」
「しょっぱいあとには甘いもの〜」
「ま、確かにな」

 私にツッこんだ倉持くんも更にあんパンを買っていた。私たちがお会計を終えた頃、徐々に購買が混みはじめてくる。勝負するように慌ただしく購買に入ってきてしまったけれど、帰りはなんとなしに私たちは並んで戻り始めた。

「昼はご飯じゃなくていいの?」
「ご飯の奴もいるけど、俺はもうご飯の顔なんか見たくねぇ......」

 パンを抱えた倉持くんがげんなりした顔をした。

「あ〜三杯ノルマだもんね」
「先輩らに監視されたら残せねーしよ。......特に伊佐敷先輩」
「ああ......」

 伊佐敷さんが後輩のそばで吠えている姿が容易に想像できる。

「でも面倒見良さそうだよね。なんとなく」
「まぁな。よく声かけてくれるし」
「へぇ〜。あ、ご飯といえば増子さんっていうよく食べる先輩知ってる?」

 倉持くんはその時、そのつり気味の目をぱっと見開いた。

「知ってるも何も俺と同室だぜ?」
「うそっ!」
「増子先輩マジよく食うよな......」

 そこから増子さんの話題が弾み、部活の話になると、どうやら倉持くんも私と同じポジションだということが判明し、ショートのあるある話で盛り上がった。第一印象こそ最悪だったものの、話してみると倉持くんは根はいい奴らしいことがわかった。

「あのよ......」
「ん?」

 倉持くんは私から視線を外しうろうろと泳がせた。

「悪かったな。ストーカーとか言ってよ」
「ああ、別に気にしてないよ」

 「前にも疑われたことあるし」とはさすがに言えなかったけれど。

「お前はてっきり御幸狙いなのかと思ってた」
「御幸くん? まさか!」
「ま、お前は男のケツ追っかけるより食いモンの方が大事そうだしな!」
「ちょっと! 何それ」

 私の両手はパンとジュースでふさがっているので、肘で倉持くんの背中をずんとついた。

「あ? なにすんだコラ」

 そう言い放ち倉持くんの脚がしなった時にはもう遅かった。私のふくらはぎは奴のタイキックの餌食になってしまった。

「わっ!」
「ヒャハハハ!」

 特徴的な笑い声を上げながら、私の次の肘鉄攻撃から逃れるために倉持くんが脱兎のごとく走り出す。

「ちょっとー!」
「ヒャハッ! 遅せぇよ!」

 せっかくいい雰囲気になったと思ったのに、教室に着く頃には行きと同じ追いかけっこ状態に戻っていた。またしても私たちはドタバタと慌ただしく目的地の教室に到着した。

「倉持くん、さっきの蹴りは私の肘鉄二回分に相当すると思うんだけど」
「うっせぇなぁ」

 私たちの騒がしい声に反応して、隣の席で頬杖をついてスコアブックを読んでいた御幸くんが顔を上げた。

「お前らいつの間に仲良くなったんだ?」
「仲良くない!」
「仲良くねェ!」
「ははっ、見事なハモりだこと」




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