16. あやしいふたり

 チェックのスカートにくっついた花弁をはらう。その小さな桜色はひらりひらりと宙を舞い、ピカピカに磨き上げられた体育館の床に着地する。顔を上げると、若干頭髪の寂しくなった校長先生が壇上で新入生に向けて挨拶をしていた。私は一応まじめくさった顔で前を向いているけれど、ありがたい話は全然耳に入ってこなかった。

 今日は青道高校の入学式。着慣れない新しい制服は、まだどこか居心地が悪い。中学はセーラー服だったため、高校でのブレザーがうれしくて入学式前には何度も試着した。今日のために新しく買ってもらったローファーの革もまだ固い。けれど、すぐに慣れることももう知っている。
 視線だけを動かして同じクラスの顔ぶれをちらりと観察すると、学校が近所のため見知った顔がチラホラ。春休み中、野球部の見学に来た時にチェックした新人もチラホラ。あくびを噛み殺していたりどこか遠くを見ていたり、多少の差はあれど皆一様にどこか退屈そうだ。
 このたくさんの生徒の中で、私はどの子と仲良くなるのだろう。この場所は私に、一体どんな素敵な出会いを与えてくれるのだろう。新しい人間関係にドキドキするけれど、ワクワクの方が断然勝っている。何よりも今の私は、昔から憧れていた青道高校に入学できた喜びでいっぱいだった。

 式が終わり、次のホームルームまでの休み時間。新しい友達とファーストコンタクトを取る重要なタイミングだ。もうすでに少しずつグループの輪ができはじめていて、私も誰かに声をかけなければと焦っていた時だった。
 隣の席から、二人の男子が野球の話題で盛り上がっている声がした。私の野球センサーが反応する。なんとなしに聞いていると、今年の春の選抜の試合についての話題だった。二回戦の強豪同士がぶつかった大会屈指の好カードだ。話に混ざりたいけれど急に声をかけるのも変なので、私は二人の会話にしばらく耳を傾けていた。

「ちげーよ! 5回にタイムリー打ったのは7番だろーが!」

 机の前に立ったツンツン頭の目つきの悪い男子が、拳をついて力説している。

「お前こそ間違ってんだろ。あれは8番だぜ」

 メガネをかけた机の主は、冷静に否定していた。互いに一歩も譲らない攻防。テレビの前で熱心に観戦していた私は覚えていた。そして、ずっとムズムズしていた反動で脊髄反射のように口が先に出てしまった。

「あれは8番だよ」

 言ってからしまったと思った。急に話に入ってしまってなんだか気まずい。二人もぽかんと私を見ている。仕方がないので話を続けることにした。

「えーと、そのあと9番のピッチャーがあっさり三振したの覚えてるから、あのタイムリーは8番だったんじゃないかな?」

 そう続けると机の主は「だよな!」と同調してニッと笑った。そして目の前に立っていた男子に向き直る。

「やっぱり俺の記憶で合ってんじゃねーか」
「ハイハイ、わかったっつーの。俺も今思い出した」

 そう言いながら目つきの悪い顔を更に怪訝そうに歪めて、私へ視線をやる。机の主が私の方を向いた。

「つーか、アンタよく覚えてたな。野球好きなの?」

 人懐っこい笑みを浮かべて尋ねてきた。茶色っぽい髪で、端正な顔立ちに黒縁メガネをかけている。座っていて正確にはわからないが、背がとても高そうだ。

「うん。春休み中は宿題ないのをいいことにずっと選抜見てたよ。二人はもしかして野球部?」
「おう。俺は御幸。んでこっちが倉持」
「......よろしく」
「よ、よろしくね......」

 倉持くんという男子は、また私に鋭い視線を投げかけた。髪型や目つきが不良みたいで、「よろしく」よりも「夜露死苦」のほうが似合いそうだ。おまけに全然よろしくするような表情ではない。さっきからなんなんだろう。

「私は結城なまえ。家はこの近所で、なんと自転車で十分の距離!」
「へー」

 倉持くんの不機嫌な顔をほぐそうと私はわざとおどけて見せるが、反応は微妙であまり効果はなかったようだ。

「いいじゃん。俺ら寮だからな」
「おー」
「そっかぁ。親元から離れて大変だね」
「ま、野球のためだしな」

 当然のことのようにさらりと言い御幸くんは笑う。伊佐敷さんといい、自分のやりたいことを貫こうとする人は強いな、と思った。

「じゃあ野球好きで青道に来たってことは、もしやマネージャー志望?」
「ううん。中学でも入ってたソフト部にしようと思って。見るのも好きだけど、やるのはもっと好きだから」
「ふーんやる方か」
「あ!!!」

 突然、倉持くんが大声を出し私を指差したので、何事かとそちらを向いた。

「思い出した! お前、春休み中に野球部を見学してたストーカー女だろ!」
「すっ、ストーカー?!」
「へー」

 御幸くんは私の顔を見てニヤニヤ笑った。

「どっかで見たことあると思ってたんだよな。さてはお前......」
「違うって! 私は純粋に野球部が好きで!」
「御幸ィーー!!」

 突然、教室の入り口から大きな声が響き渡った。聞き覚えのある声に体がピクリと反応する。目の前の御幸くんと倉持くんの雰囲気が、なんとなくピリッとしたのを感じた。
 ゆっくり入口の方を振り返ると、やっぱりその正体は伊佐敷さんだった。まともに話すのは受験の時以来だ。向こうも私に気付いたようで、ばちっと目が合ったが、なぜか不機嫌そうに顔を歪めてこちらへ歩いて来た。その時、私は伊佐敷さんの様子にどこか違和感を覚えた。
 私の前を通り過ぎて、御幸くんの方へ向かう。御幸くんも倉持くんも、さっきより背筋がピンと伸びていた。

「「チィーッス! 伊佐敷先輩!」」
「オラ、このプリント一年全員に回しとけ」
「はい!」

 あれは部活関係のプリントだろうか。先ほどから私は、ここで伊佐敷さんに話しかけようかどうか迷っていた。あのあからさまに不機嫌な顔、もしかして私と知り合いと思われたくなかったのか。でも、こういうことは最初が肝心で、最初につまずくと後々さらに話かけ辛くなる。私は意を決して恐る恐る伊佐敷さんに話しかけることにした。

「伊佐敷、先輩。お久しぶりです。受験の時はありがとうございました。無事合格したので、これからよろしくお願いします」

「さん」でなく「先輩」に変えたのは、学校内じゃおかしいかなと咄嗟に気付いたからだ。入学して先輩後輩の関係になったため、いまいちどういう距離感で話しかけていいのかわからない、というのが本音だった。

「おう、死ぬほどがんばったみてぇだな」

 フンと鼻をならしながら応えるその態度に、特別よそよそしさは感じられない。さっきのは気のせいだったのかと、私はほっと胸を撫で下ろした。
 すると、今のやりとりを見ていた倉持くんがおずおずと私たちの反応を伺う。

「あの〜、お二人はお知り合いなんスかぁ?」
「あ〜?!」

 後輩の分際で詮索するとはいい度胸だという風に、伊佐敷さんが倉持くんに鋭い睨みをきかす。伊佐敷さんは後輩から見たら結構怖い先輩だと思うが、わざわざ尋ねるところに倉持くんの度胸を感じた。見た目からするに、やっぱりヤンキーか何かなのかもしれない。

「チッ!こいつの兄貴が野球部にいんだよ。二年の結城哲也」

 睨みはきかせたまま、ぶっきらぼうな調子で答える。二人は顔を見合わせて驚いていた。

「えええっ?! 結城って、あの結城先輩っスかぁ?!」
「はっはっはっ、全然似てないっスね!!」
「何か文句あんのかコラァ?!」
「「いえ!!」」

 伊佐敷さんが吠えると、また二人の背筋がピンと伸びた。運動部の縦社会そのものだ。
 しかし、私は伊佐敷さんと普通に話せた今でも、なぜか最初に覚えた違和感を拭えなかった。態度は普通だった。制服姿を見るのが久しぶりだったからか。いや、違う。私は伊佐敷さんの顔をもう一度じっくりと見つめた。

「あ? なんだよ」

 そう、もっと単純なこと......

「そうか! わかりました!」

 私がいきなり大声を出したので、三人は怪訝そうにこちらを見た。

「あ、急にすいません......」
「んだよ、何がわかったんだ?」
「ヒゲです。伊佐敷先輩ヒゲ生やしたんですね。ワイルドで似合ってます」
「............」

 伊佐敷さんはなぜか言葉に詰まったようで、口をあんぐり開けて表情を止めている。私は何か失礼なことを言ったのだろうか。隣を見ると、御幸くんと倉持くんが下を向き、肩を震わせて必死で何かに耐えていた。


 そのあとすぐに予鈴が鳴り、伊佐敷さんはそのまま無言で帰っていった。その後ホームルームが始まったので、私は倉持くんからのストーカー疑惑を解くことができなかった。教室の席が出席番号順なので、「か行」の倉持くんの席は遠く、私の席からはツンツンと逆立てた後頭部しか見えない。「あれは誤解だ」とその派手な頭に念じるけれど、むろん届くはずもなかった。

 その後、先生の連絡事項を書き留めたり、プリント類を回したりと慌ただしくホームルームは過ぎてゆき、気がつくともう下校時刻になっていた。今日は入学式とホームルームのみで終了だ。
 私は鈴木さんという子と仲良くなり、ホームルームが終わったあとも少ししゃべっていた。御幸くんと倉持くんは、クラスメイトと会話することもなく部活へ直行したようだった。

「じゃあ結城さんはソフト部なんだ」
「うん。監督がちょっと怖そうなんだけどね」
「へー」

 二人で席に残ってしゃべっていると、まだ話したことのないグループの女の子たち数人が私たちの席へとやって来た。

「ねぇねぇ、ちょっといい? 結城さんってさ、もしかして御幸くんと知り合いとか?」
「ううん、今日初めてしゃべったよ」
「そうなの? すごい親しげだったけど」
「野球の話してたからじゃないかな?」
「へ〜そうなんだぁ。いいな〜、私も御幸くんと仲良くなりたいなぁ〜」
「え?」

 他の子達も、うんうんとうなずいていた。

「知ってる? 御幸くんってシニアじゃ結構有名な選手だったみたいよ」
「そうなんだ! 知らなかった」
「でもやっぱりあのルックスよね! イケメンメガネがたまらない!!」

 その子たちがアイドルを追っかけるファンのような調子で盛り上がるなか、私は隣の席の御幸くんの顔を思い返していた。確かに端正な顔立ちで黒縁メガネのよく似合う、今流行りのメガネ男子というやつだ。
 女の子の一人が「しかも!」と付け加える。

「プレイする時はサングラスを掛けるんだけど!その時の男らしい感じもまたいいの!」
「ギャップがいいよね〜。普段は知的なクールメガネ。野球の時は男らしいサングラス」

 彼女たちがキャーキャー盛り上がる横で、私の意識は別の方へとんでいた。ギャップといえば、去年の練習試合の時に見た打席に入る前と入ったあとの伊佐敷さんみたいなものだろうか。あれはあれで、相手バッテリーの意表を突くいいギャップだった。
 ぼんやり話を聞いていると、サングラスという言葉で唐突に思い出した。春休みに私がポジション別練習の見学をしていた時、すごくいいキャッチャーが入ったなぁと思って見ていたのだ。去年のクリスさんのような超有望株という印象。確かその人もサングラスをしていた。そうか、あれは御幸くんだったのか。メガネとサングラスでは受ける印象が全く違うので今まで気が付かなかった。そんな大型ルーキーが入部したのなら、これで青道も戦力アップだろうと内心ほくそ笑む。




 翌日私が登校すると、例の二人が話しかけてきた。

「つーか昨日はマジ腹痛かったよなぁ! あの伊佐敷先輩黙らすなんて、お前何モンだよ!」
「はっはっはっ、お前マジさいこー!」

 自分でも原因がわからない私は、恨めしげに二人を見た。

「全然似てない結城哲也の妹です」
「お前それ結城先輩に言うんじゃねぇぞ」

 御幸くんはさすがに半笑いで私に釘を刺した。

「あ、倉持くん! 私ストーカーじゃないからね」
「あ〜わかったわかった」

 とてつもなくどうでも良さそうな生返事に、本当にわかっているのかと疑いたくなる。御幸くんはどこか見世物を見るようにおもしろがるだけで、特に何も言及してこない。
 昨日からいろいろと失礼な二人だった。倉持くんは野球部とは思えないようなヤンキーくささを存分に醸し出し、御幸くんもメガネのせいなのかどこか胡散くさい印象が拭えない。

「てか、あの伊佐敷先輩も前はヒゲなかったんだよなぁ。ヒャハ!なんか想像つかねェ!」
「ちなみに監督も一年前は鼻の下のヒゲなかったよ」
「「マジかよ?!」」
「顎ヒゲだけだから、ちょうど今の伊佐敷さんみたいな感じ?」
「へー、案外監督のヒゲに憧れてマネしたんじゃね?」
「ははっ、それありえるな」
「ヒャハハ! 将来は伊佐敷先輩もグラサンかぁ?!」
「いやそれもう堅気じゃねぇだろ!」

 部活で先輩たちへの鬱憤がたまっていたのか、ヒゲネタで予想外に盛り上がってしまった。

「......ほーう、お前ら。おもしろそうな話してんな」

 背後からのその低い声に、二人の体がピシッと固まった。それからギギギと音がしそうなほど不自然に首だけで後ろを振り返る。

「い、い、いさ......」

 倉持くんは冷や汗ダラダラでもう二の句が告げない状態、御幸くんは眼鏡のブリッジを指で押さえたまま下を向き黙りこむ。
 教室の入口には、プリントの束を抱えたくだんのヒゲの張本人が仁王立ちしていた。話題のヒゲの上の口元は、恐ろしいほどつり上がっている。

ーーそれから数秒後、一年の教室に二人の野球部員の断末魔がこだましたのは言うまでもない。




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