08. パッション(後編)
試合はこの後、六回の裏に青道が一点、七回の表に相手チームに二点入ったが、それ以降は膠着状態が続いていた。哲ちゃんも伊佐敷さんもヒットは打つが、なかなか得点に繋がらない。相手に一点を先制されたまま、九回の裏の攻撃を迎えた。
青道の最後の攻撃、打順は二番からだ。ファールで粘るもレフトフライであっさりワンナウトになる。
三番の伊佐敷さんが打席に立った。なぜか打席に入る時は「お願いします!」と礼儀正しいのに、打席に立つと「来いや、オラァー!!」と別人みたいにギャップが激しい。今日のちょっとした発見だ。
「ストライク!」
ここにきて相手ピッチャーのコントロールが冴え渡る。ボール、空振り、ボール。その後はファールで必死に打球へ食らいつくも、なかなか球を捕らえきれない。伊佐敷さんは、涼しい顔でロージンバッグを放り投げるピッチャーを睨みつける。そして、バットを先ほどより短く持った。
私たちは固唾を飲んでそれを見守る。
青空を裂くように鋭く、ピッチャーが振りかぶった。
「オラァーー!!」
ボール球を強引に引っ張った。一見ボテボテのゴロだが打球の勢いはある。ショートが捕球体勢に入るも、バウンドが変わりグラブを弾いた。その隙に一塁を一気に駆け抜ける。
「セーフ!」
ギャラリーにどよっとざわめきが起こった。
「わはは! ナイスゴロだぞ伊佐敷ー!」
「ヒ、ヒットはヒットですよー! ナイバッチー!」
むっとした私は負けずに叫ぶ。どんな形でも塁に出たのだ。あの粘り強さは本当にすごいと思う。
ワンナウト一塁、打席に立つのは四番哲ちゃん。初球ボール球はあっさり見送る。
よしよし、球はしっかり見えている。
二球目ストレートは空振り。けれど迷いのない鋭いスイングだ。続く、三球目の微妙なコースのスライダーを見送る。
「ストライク!」
ギリギリ入っていたようだ。ギャラリーからは、あ〜、という残念な声色がもれた。
さすがに相手も名門、四番相手に厳しい球が来る。握りしめた手のひらが汗ばんだ。
それから兄は口元に手をやり、フーッと息をはいたあとバットを構えた。先ほどとは少し表情が違う。今の兄は、向かってくる球にのみ全神経を集中させている。周りの音など聞こえていないようだ。ほどよく力の抜けた、それでいて一分の隙もないフォーム。兄の持つオーラを敏感に感じ取ったのか、相手ピッチャーが不敵な笑みを浮かべた。
“兄は必ず打つ”
私の予感は確信に近いものだった。
ピッチャーの右腕がしなる。足を大きく踏み出した。この場面で来るのはおそらく相手のウイニングショット、スライダーだ。
兄は見逃さなかった。
キィーーンと気持ちのよい金属音が鳴る。球は美しい弾道を描きながらぐんぐん伸び、右中間をまっぷたつに切り裂いた。
長打コースだ!
すでに大きくリードをとっていた伊佐敷さんは早くも二塁を駆け抜ける。コーチャーが回った。三塁も蹴る。相手もバックホーム態勢。ランナーが思いっきり突っ込んだ。スライディングとタッチはほぼ同時。タイミングは微妙だ。砂煙が舞い上がる中、グラウンドが静まりかえる。
「セーーフ!!」
わぁっとこの日一番の歓声がわき起こった。
「っしゃあーー!!」
伊佐敷さんはその場でガッツポーズ。そしてすぐに振り返り、二塁にいる哲ちゃんへ拳を向ける。哲ちゃんも控えめなガッツポーズを返していた。
結局その後も、五番がヒットを打ち、試合は3ー2で青道が勝利した。整列した選手たちの笑顔は、太陽を受けてキラキラと輝いていた。みんな緩む頬を必死に引き締めているのが少しおかしかった。私たちギャラリーからは自然と拍手がわく。
私は素直にとてもいいチームだ、と感じた。甲子園だって夢じゃない。どつきあいながら笑い合うみんなを見てそう思った。
休憩をとるため、一旦グラウンドから選手たちが出てくる。ギャラリーから次々と声援が飛ぶなか、もみくちゃにされながらも私は哲ちゃんたちの前まで出た。
「みなさんお疲れさまでした!」
「ああ」
試合を終えた哲ちゃんは、とても晴れやかな顔をしていた。
「噂の哲の妹だね。クスッ、哲も早く紹介してくれればいいのに。俺は小湊。で、こっちが増子」
「うがっ!」
「はじめまして」
兄は他の部員の人たちにも私のことを話してくれたのだろう。だいたい顔を知っていたけれど、面と向かって挨拶をかわすのは初めてだ。増子さんのこの「うがっ!」はよろしくの意と解釈する。兄のまわりは楽しい人たちが多い。
「おっ、俺は坂井! ポジションはレフト!」
「あ、こんにちは」
「......俺は......丹......ッチャー」
「こんにちは」
あいかわらずノミの心臓は直っていないらしい。
「テメェら! んなとこで油売ってねぇでさっさと昼メシ行くぞ!」
後ろから伊佐敷さんはニヤリと笑いながら近づき、坂井さんと丹波さんの首に腕を回そうとする。......ヘッドロックだろうか?
けれど、二人の方が背が高く腕が回りきらない。
「どうした伊佐敷?」
「なんだぁ?」
「なんでもねーよ!」
不機嫌そうにむっつり黙りこんだ伊佐敷さんがなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。明るいところで見る伊佐敷さんは意外に背が低い。顔も思っていたより怖くなかった。夜に見た地獄の番犬が、昼に見ると実は気のいいペットだったみたいな感覚だ。ああ、年上に犬は失礼か。
私は伊佐敷さんと目が合った。
「............」
「............」
私たちはしばしの間見つめあった。見つめあうといっても、恋人同士のような甘いものではなく、気まずさから来る連帯感のようなものだろう。ただ、別に私たちはいがみ合っていたわけではない。今更だが、きちんと挨拶したかった。
「こんにちは。結城なまえです」
「......おう。伊佐敷純。センター」
「純、あれやらないの?『憧れの選手は』ってやつ」
小湊さんがニコニコしながら問う。
「けっ! どうせ興味ねぇだろ」
「そうだね」
今のは空耳だったのだろうか。人の良さそうな小湊さんがサクっと毒を吐いたような。結構興味のある話題だったけれど、もう聞ける雰囲気ではないので諦める。私はさっきの試合を思い出した。
「伊佐敷さん、最後ナイスランでした!」
「......まぁ、結局最後打ったのは哲だけどな」
少し照れながら、きまり悪そうに視線をそらす。
「でもそれは、伊佐敷さんが繋いだからです」
これはお世辞ではなく本心だ。次の打者に繋ぐ意識。私も見習わなければ。
伊佐敷さんはフンと鼻をならした。
「今日は呼んでいただいて、ありがとうございました」
「おう。......また見に来いよ」
「はい!」
遠くの方で先輩の呼ぶ声がした。哲ちゃんたちがぞろぞろと寮の方へ向かいはじめる。一旦歩きかけた伊佐敷さんが、何か思い出したように振り返って叫んだ。
「ただし! 勉強は死ぬほどがんばれよ!」
「は、はい!」
私は背筋をしゃんと伸ばして、その大声に負けないよう力いっぱい応えた。
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