07. パッション(前編)
「練習試合?」
私の内緒の見学がばれた翌日の夜、哲ちゃんから思いもよらない提案がされた。哲ちゃんはちょうど日課の素振りから帰ってきたところで汗だくだ。
「え? 行ってもいいの?」
「ああ、黙って来られるよりはずっといいからな。日曜のダブルヘッダーの試合で……スタメンだ」
「やった! 最近スタメン多いね!」
夏休みの部活も大詰めで、練習試合がたくさん組まれているようだ。
以前に一度、兄に練習試合の応援へ行っていいか聞いたことがある。その時は少し歯切れの悪い返事で、来てほしくないことをなんとなく察したので、それ以来言わなかった。
「でもなんか意外。前に聞いた時、微妙な反応だったのに」
「まあ、自分に自信がなかったというのもあるな。……しかし本気でレギュラーを取るならそんなことも言ってられない」
そう言った兄の目には強い意思が宿っていた。
「ただ、これは伊佐敷の提案なんだが……」
「伊佐敷さんが?」
「ああ。『コソコソせずに堂々と見に来い。俺がホームランぶちかましたらぁ!』とのことだ」
「へぇ〜勇ましいなぁ」
「そうだな。……あと、ブ」
兄にしては珍しく言い淀んだ。
「ブ? 何?」
「『ブラコンの妹によ〜く言っとけ!』と」
「そ、そう……」
私は頭を抱えた。昨日、兄が私のことを伊佐敷さんに紹介していなかったのが少し気がかりだった。兄は今日改めて私を妹と紹介したのだろう。まぁ、当然の流れではある。
「わかった。楽しみにしてるね」
若干の誤解はあるものの、せっかく伊佐敷さんが直々に誘ってくれたのだ。もう腹をくくって正面から見に行くしかない。
日曜日の練習試合当日。まだまだ残暑は厳しいが、気持ちのいい晴天で絶好の試合日和だ。兄がスタメンで出る試合は午前中から行われる。
スニーカーをはいた足取りも軽く、徒歩で青道へ向かう。今日は堂々と、真正面からグラウンドに入った。そしてホームの後ろあたりの、全体がよく見渡せる特等席を陣取る。
グラウンドには、すでにかなりの数のギャラリーが集まっていた。近所の野球好きのおじいちゃんやおじさん、OBっぽい若いお兄さんや、選手のファンと思われる女子高生、雑誌記者みたいな人までいて、注目度の高さを実感する。
その時私は、人混みの中に見知った顔を発見した。いつかここで会った、おじいさんとサラリーマンの人だった。なんだかんだ言いながら、やっぱり青道ファンなんじゃないかと私は密かに眺める。いつもはこんな時間に来ないので、この光景は新鮮だった。
甲子園を目指すということは、選手だけじゃなく応援してくれる周りの人々も巻き込んで、多くの思いを背負わなければならないんだと改めて思い知らされた。
選手達はすでにノックを始めていた。今日の練習試合の相手は千葉の学校だった。確か、甲子園に何度か出場したことのあるかなりの名門校だったと思う。
「今日の相手は相当強ぇぜ。特にエースの変化球はキレッキレッって話だ」
「へ、青道大丈夫かよ」
周りにいたお兄さんの言葉に私は、ほうほうとうなずく。エースの変化球はキレッキレッらしい。
青道の新チームの四番は、二年の東さんが最も有力とのことだ。けれどチームがまだ若いこの時期、監督がいろいろ試して選手の力を測るため、スタメンはよく入れ替わるようだ。
この日は三番・センターに伊佐敷さん、四番・ファーストに哲ちゃんと、クリーンナップに一年生が二人も起用されていた。先発は丹波さん。他にも、小湊さん、増子さん、アニマルの息子さん・もといクリスさんも出場するらしい。青道は後攻のようだ。
「プレイボール!!」
晴れ晴れした青空の下、審判が高らかに宣言する。いよいよ試合が始まった。
青道・新チームは強力打線がウリと聞いていたが、意外にも試合は投手戦にもつれこんだ。相手ピッチャーの巧みな変化球に翻弄され、青道は本来のバッティングができないでいる。
四回の表、試合が動いた。相手のヒット、味方のエラーが重なってツーアウト一・二塁の場面になる。打席には四番バッター。この試合で初めて迎えるピンチだ。グラウンドの空気はピリッと張りつめていた。
「ボール!」
丹波さんのコントロールが定まらない。懸命なピッチングもむなしくフルカウントになる。
「丹波! 一つずついこう!」
「オラァー! 外野ヒマで仕方ねぇぞ!」
みんなチームメイトによく声にかけている。伊佐敷さんは試合中でもお構いなしに吠えていた。
マウンドの丹波さんはすでに汗びっしょりだ。帽子を取り、ふーっと息をはいて心を落ち着かせている。無理もない、丹波さんじゃなくてもこの場面は緊張するだろう。
「タイムお願いします」
見かねたクリスさんがマウンドへ向かう。丹波さんはクリスさんの言葉にうなずくものの、表情はすぐれない。
強張った面持ちで投球姿勢に入った。長い手足を存分に使って大きく腕を振る。が、甘く入った球を相手バッターが当てにいった。
「ショート!」
鋭い打球が二遊間を抜ける。飛距離は十分だと思ったのだろう、二塁にいたランナーが三塁を蹴った。
抜けた球を掴んだ伊佐敷さんが体を大きく捻る。
「死ねオラァーー!!」
物騒な言葉と共にレーザービームのような鋭い球がセンターラインを一気に走った。それはバウンドすることなくキャッチャーミットに収まる。そのあとのクリスさんの反応は凄まじく、三塁に戻りかけたランナーに素早くグラブを当てた。
「アウトーー!」
ギャラリーにわっと歓声が起こる。
ピンチをしのぎ切ったあとのチームの雰囲気はとても良い。
「伊佐敷、ナイスだ!」
「うがー!」
「あいかわらず、外野からはどストライクだよねぇ」
「うるせぇ!『からは』ってなんだよ!」
各々が伊佐敷さんのプレイを讃えながらベンチに戻っていく。
周りからは、安堵と感嘆の息がもれた。
「おー!! すげぇな、あのセンターの肩!」
「そうですねぇ。……んん? あのセンター、もしかして前にブルペンで見た一年ピッチャーじゃないですか?」
「あ! あのよく吠えるノーコンピッチャーか?!」
「そうですよ!」
例のおじいさんとサラリーマンが伊佐敷さんの正体に気づいたようだ。
「いやー、俺はあいつは外野で成功すると思ったね! なんせあの強肩だからな!」
「えー、本当ですか?」
「うるせぇな!」
私はその二人のやりとりを横目に、調子いいなぁと心の中で笑う。徐々に高くなる太陽を見つめながら、うちわを持ってくればよかったなぁと、流れる汗をぬぐった。
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