09. 秋の空ふたりぼっち(前編)

「うひゃあぁぁ〜」

 私は思わずうなじを押さえた。ここに入ってから三度目のこんにゃくだ。薄暗い教室内を振り返ると、またしても犯人が物陰にサッと隠れてしまった。私の後ろではカップルらしき男女が、寄り添いながらゆっくり進んでいる。振り返るのも本日三度目。

「う〜ら〜め〜し〜や〜」

 私の右横にある井戸らしきものから、白い着物の女の人が出てきた。手にお皿を握りしめているので、きっとお菊さんのつもりだろう。

「はぁ」

 私はそれを一瞥して出口の方へ進んだ。お菊さんは若干戸惑ったような顔をしていたけれど、構わず歩を進める。今の私はお菊さんなんかより、突然襲来する謎のこんにゃく攻撃をうらめしく思っていたのだった。

「お疲れさまでしたー」

 係りのお姉さんが笑顔で教室のドアを開けてくれる。外からは明るい光りがもれていた。やっと外の空気が吸える。

「ぃひゃあぁぁ〜」

 安心しかけた私の右腕に、またしてもこんにゃくがひっついた。

 やっとお化け屋敷から一人這い出て、ひと息つく。ひどい目に合った。
 私は今日、ここ青道高校の文化祭、通称“青道祭”に来ていた。
 しばらく壁際にもたれて休んでいると、お化け屋敷の出口から見知った髪色の男子生徒がひょいっと出てきた。小柄な体躯がこちらを向く。

「……あれ、小湊さんですよね? こんにちは。お久しぶりです」
「ああ、なまえちゃんだよね? こんにちは」

 ニコニコという表現がピッタリなほど人の良さそうな笑顔をたたえて、小湊さんが近づいて来た。

「このお化け屋敷、小湊さんのクラスだったんですね」
「そうだよ。って言っても、俺はたいして手伝ってないけどね」

 小湊さんはお化けの格好ではなく、普通に制服を着ていた。上はワイシャツのみでブレザーは着ておらず、腕まくりをしているから、きっと裏方の仕事なんだろう。

「どう? 中、怖かった?」
「はい。セットが凝っていてすごく雰囲気ありました。でもお化けよりも、こんにゃくが何回も私にひっついてきてビックリしました……」
「ふぅん、そっか。あれ、そういえば一人で来たの? 青道祭」
「いえ。友達と来たんですけど、途中で別れて今は一人です」
「へぇ」
「小湊くーん! 出番だよ!」

 お化け屋敷の方から女子の声がした。

「了解。今戻る」

 小湊さんはそちらへ首を傾けて返事をし、私に向き直った。

「じゃあ、あと楽しんでいきなよ」
「はい、ありがとうございます」

 私は踵を返して歩きはじめようとした。

「小湊くん急いで。はい、こんにゃく!」

 先ほどの女子が棒に紐でぶら下げたこんにゃくをぶんぶん振っている。私は再び小湊さんと向き合った。

「…………」
「…………」
「あの、小湊さん、こんにゃ」
「何?」
「え……、あの、こんにゃ」
「だから何?」

 小湊さんは第一印象と寸分違わない、人の良さそうな笑顔を浮かべている。ああそうか、この人は真顔が笑顔なのだ。

「あ、えっと、呼び止めてすいませんでした」
「ううん。またね」

 体が勝手に謝っていた。反射というやつだろう。
 小湊さんが右手を挙げて去っていく。きっと私の中の本能のようなものが、あの人に逆らうなと警鐘を鳴らしたんだろう。

 私は今日、青道祭へ友達と一緒にやって来た。その友達も来年青道を受けるため、学校見学という意味もあった。
 けれど、途中で入った喫茶店で友達は、かつて憧れていた赤堂中学の先輩(男)に再会した。なんとなくいい雰囲気になってきたので、私は空気を読んでフェードアウトしたわけだ。その後、何の気なしに入ったお化け屋敷で先ほどのこんにゃく攻撃を食らい、今に至る。

 再び壁にもたれかかって窓の外を見ると、遠くに野球部のグラウンドが広がっていた。高い所から見ると、いつもとは少し違う表情をしている。入学したらこんな風に見られるんだなぁと想像してみる。
 私は気を取り直してパンフレットを開いた。青道高校は学校行事にも力を入れているらしく、いろんな出し物があった。次は何にしようかと眺めていた時、「野球部」の文字が目に留まった。内容は、グラウンドにて「バッティングセンター、ストラックアウトコーナー」とある。バッティングセンターとは、つまりマシンの球が打てるということだろうか。部活を引退してからは素振りばかりだったので、久しぶりに思いっきり打ちたかった。パンフレットの中の校内案内図で場所を確認する。

「え〜と、現在地は……」

 青道は近所だが、中に入ったのは春の学校説明会の一回きりだ。方向音痴なので場所がいまいちよくわからない。図とにらめっこしながらくるくる回す。哲ちゃんによく回すなと言われるけれど、こればかりは仕方ない。

「おい、そんなとこで何やってんだ?」

 背後からどこか聞き覚えのある声がして振り向いた。

「あれ、伊佐敷さん? こんにちは」

 そこには制服姿の伊佐敷さんが立っていた。今日はよく知り合いに会う日だ。伊佐敷さんも小湊さんと同じく制服姿だった。紺のブレザーにブルーのネクタイ、ダークグレーのズボン。気崩すことなく意外にきっちり着ている。野球部は普段の生活態度も見られているからだろう。けれどやっぱりこの人は神出鬼没だ。
 伊佐敷さんは不思議そうに私の周りをキョロキョロ見た。

「ん? お前一人か?」
「いえ、実は色々ありまして……」

 私はさっきまでのいきさつを全部話した。

「けっ! お前もおせっかいなヤツだな」
「まぁ、いたたまれなくなったので……」
「ああ、哲なら今、クラスの方だぜ」
「そうなんですか……」

 別に今日は哲ちゃんに会いに来たわけではない。広い校舎の中で会えたらラッキーというくらいで、私たちは特に待ち合わせの予定などない。私は都合よく忘れかけていたブラコン疑惑を思い出した。
 伊佐敷さんは、予想外に私が薄い反応を示したためか、どこか不可解な面持ちをしていた。

「そんでこれからどーすんだ?」
「あ、この野球部のバッティングセンターに行ってみようと思うんですけど、場所がわからなくて」

 私は手元のパンフレットを指した。

「あ? どんだけ方向音痴だよ!」
「すいません……」

 伊佐敷さんは口をへの字にして、しばらく腕を組んでパンフレットを見つめていた。

「しゃあねぇな。どうせもうすぐ交代だし連れてってやるよ」
「え、いいんですか? 助かります!」



 こうして私たちは二人並んで歩きだした。校内は一般のお客さんも多く来ているらしく、とても賑わっていた。キャラクターの仮装をした人や、可愛いウェイトレスさんもいる。出し物や屋台の種類も豊富だ。中学の文化祭とは規模が違うんだなと感動した。

「あの、クラスの仕事はよかったんですか?」
「まぁ、部活ばっかで準備なんざほとんど手伝ってねぇからな。段取りのわからないヤツは、力仕事だけ手伝えばいいんだとよ」
「へぇ、そうなんですか」

 小湊さんも同じようなことを言っていた。こんにゃくで脅かす係りなら準備も特に必要ないだろう。野球部はそういったイベント事免除みたいな決まりがあるのだろうか。哲ちゃんはあまりそういった話はしないので、よくわからない。

「つーか、女でバッティングやりてぇなんて珍しいな」
「あ、はい。昔から野球やってて、中学ではソフト部だったので。引退してからは打ってなかったので楽しみです」
「へぇ、お前も野球やってたのか」

 伊佐敷さんは少し目を輝かせたように見えた。同志を見る目、だろうか。

「伊佐敷さんは中学はシニアだったんですか?」
「おう、綾上シニアってんだ」
「綾上……伊佐敷さんどこの出身なんですか?」
「神奈川だ」
「神奈川! 野球留学じゃないですか」
「ま、ウチじゃ珍しくないだろ」
「う〜ん。確かにそうですけど、やっぱりすごいですねぇ」

 伊佐敷さんは、そうかぁ?、と特に何でもなさそうに応えた。
 私には、この歳で親元を離れるということが単純にすごいと思った。だって、今の私の歳でその進路を決めなければならなかったのだ。歳は一つしか違わないのに、自分とは経験値が違うんだなぁと改めて実感する。
 ふと隣に目をやると、伊佐敷さんが私の顔をじっと見つめていた。私はさっき喫茶店で食べたクッキーのかけらでもついているのかと口元に手をやるが、別段そんなことはなかった。

「なんですか?」
「いや、別に何でもねぇ」

 伊佐敷さんは私から目を背けるようにそっぽを向いた。おかしな人だ。



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