29


王牙鬼の身体が風と共に消えるとマルコはゆっくりと立ち上がった。
マヒロは王牙鬼の言葉があまりにも意外なものだった為に呆然としたが、ハッと我を取り戻してマルコに目を向けた。
両手をぐっと握り締めて暫く佇んでいるマルコのその背中はどこか悲し気なものに思えた。
マヒロは無意識に手を伸ばした。
そっと背中に触れると俄かにマルコが反応を示した。だが何も言わず、振り返りもしなかった。

「……大丈夫……?」
「……」

沈黙を保つマルコの背中にマヒロは抱き付いて額を押し当てた。

「チシとサコに……彼の分も含めて広い世界を見せてあげなきゃ。自由を教えてあげなきゃ…ね?」
「マヒロ……」
「それが王牙鬼に対して私達がしてあげれるせめてもの弔いになると思うの」
「……怖くねェか?」
「え?」
「おれが…怖くねェか? ……マヒロ……」

マルコは腰に回され腹部で結ばれるマヒロの手に右手でそっと触れながら言葉を零した。

―― 何を……どうしてそんなことを聞くの?

マヒロは眉間に皺を寄せて何故マルコがそのような質問をするのかがわからなかった。
マルコの問いにマヒロが答えあぐねているとマルコは顔を上げて夜空に瞬く星々をじっと見つめた。

「強過ぎるってェのも……問題だよい」
「……」
「おれが何をしたか……わからなかったろい?」
「ッ……えェ、一瞬だったから……」

王牙鬼に向けて放った攻撃は王牙鬼の背後の空間と少し離れた後方の大地を切り裂いた。王牙鬼の身体には何の外傷も見られなかったにも関わらず王牙鬼はその不可思議な技によって致命傷を負って絶命した。
マルコが言うようにその技がどのようなものか、マヒロには全く見当は付いていない。

「何を……したの?」

背中に額をくっ付けたままマヒロは瞼を閉じて耳を澄ました。

「斬ったんだよい」
「え?」
「王牙鬼の内側を斬ったんだ」
「内…側……?」
「空幻曰く、あれは『次元斬』っつぅ技らしいよい」
「なっ!?」

―― 『あらゆる空間を断ち斬る』っていうやつじゃ……。

「……嘘? そ、それって、余程の力と技術を要する技じゃない……」

空間を闊歩する空幻道士のような者達でさえ身に付けることが不可能に近い力だと言われている。それを人間であるマルコが成し得たのだと知ったマヒロは思わず愕然とした。

〜〜〜〜〜

「おれが…怖くねェか?」

〜〜〜〜

空間を圧する力を持つ人間など聞いたことが無い。恐らく祖母の幻海でさえも知らないはずだ。それ程に『次元を斬る』というのは凄まじく強い力と技術を要する技で、本当にそんな技が存在するのかさえも怪しい程に幻とされる技だ。

それを成し得た者は空幻道士のように空間を渡り歩く者と言うよりも、全ての空間を支配する者とされる者――古き名、時津守和多利(ときつのかみのわたり)――人でも妖怪でもない謎の存在とされる者。

「い、いつ? いつ、そんな力を得たの?」
「いつだったかねい……。屍鬼に捕まったマヒロを助けた時があったろい? あの時にはそれなりに形にはしていたよい。ただ、コントロールが難しいから滅多にやらねェんだが……」
「……」

マヒロは顔を上げた。マルコが右手を翳してじっと見つめている。何を思い、何を考えているのかわからかった。マルコを抱き締める腕に自ずと力が入った。するとマヒロの手に添えられたマルコの手がピクリと反応し、マヒロの手を包む様にギュッと握った。

「……マルコさん」
「……何だい?」
「…修行……頑張らないと」
「……マヒロ?」
「強過ぎる力を持て余してるようじゃまだまだですよ!」

マヒロは声を張って少し叫ぶようにはっきりと言い切ると、マルコを抱き締めていた腕を解いて前へと回り込み、マルコの顔を覗き込んだ。

―― ほら! やっぱり!!

きっと何も無いように装っているつもりなのだろうが、マヒロからすればその顔は苦しんでいるように見える。
並の人間から掛け離れた力をどんどん身に付けていく度に暗く辛い時を生きた過去を思い出すのだろう。

「私を見くびらないで!!」
「!」
「そんな…苦しい顔しないで……?」
「マヒロ……」
「側にいる。私だけじゃない。オヤジ様も、サッチさんも、エースも、……みんながいる。家族がいる。あなたは一人じゃないし、どんなに強くたって、どんなに人と掛け離れた力を持っていたって、マルコさんはマルコさんでしょ!?」
「ッ……」
「王牙鬼とは違う。あなたは愛されてることを知ってる。気付いてる。周りがあなたを気にかけてることを知ってる。だからこそあなたは人に優しくできる。そうでしょう?」
「……」
「もし仮に……絶対無い話だけど、もし! もしみんなが、マルコさんに牙を剥いたとしても、私はあなたの側にいる」
「!」
「私はあなたと一緒にいたい。生きたい。そう願ったからここにいるの。どんなに異質な力を持っていたって、私にとってマルコさんは唯一愛した人だもの。だから――」

マヒロはマルコの懐に飛び込んで抱き締めた。

「泣かないでマルコさん。あなたは私と同じ色だもの」
「ッ……」
「同じ…色だもの」

労いや慈しみを持った抱擁にマルコは心底から救われる気がした。
怖かったのだ。
異質な力を目の当たりにして距離を持たれることを過去に何度もあった。
不死鳥の力では無く『次元を斬る力』はより異質。
人の身で成せることでは無い事は空幻や幻海からも聞かされていた話でマルコも知っていた。だがそれを可能にしてしまった自分にあの空幻ですら呆気に取られた程で、それを人前で振るうことは決して良しとはしなかった。

それを見せたら怖がられるかもしれない。
距離を置かれるかもしれない。

ただでさえ思念を追えば過去の出来事を視覚化して見ることができる能力を得たことで、並外れてずば抜けた力を持っていることに驚かれているというのに、それ以上は――そう思っていた。
だからこそ『来るな』という伝言をシバに持たせた。だがマヒロのことだ。どうせ聞きはしないだろうとも思っていた。しかし、それでも伝えずにはいれなかったのだ。

そして案の定、マヒロはこの場に現れた。

――― やっぱり来ちまったかよいマヒロ……!

ほんの一瞬だけだが技を放つことを躊躇わなかったと言ったら嘘になる。だが王牙鬼を瞬時に仕留めるには必要な力だった。決して望まない状況だったが意を決してそれを振るってみせた。

マルコにとっては相当の覚悟をした一撃だった。

「……泣いてやしねェよい……」

マルコはマヒロが自分に向ける愛情の深さをこれまで以上に感じた。
大事で大切で愛しくて仕方が無い。
抱き付くマヒロを優しく大事に抱き締めるとマヒロはクツリと笑みを零し、マルコの胸元に額をトンとくっ付けた。

「マルコさん、お疲れ様です」
「あァ、ありがとよい。……マヒロ、おれァ幸せ者だよい……」
「ふふ」

労いの言葉を受けてより強くマヒロを抱き締めるマルコの脳裏に王牙鬼の言葉が蘇った。

―― お前が羨ましい……か。確かに、そうかもしれねェな。

マルコはマヒロや白ひげ海賊団の者達を思い浮かべると改めて自分が身を置く環境は恵まれているものだと感じた。
異質な力を持ちながらも受け入れてくれる仲間(かぞく)がいて、海賊で、自由で――。

「あァ、恵まれたもんだよい」

クツリと喉を鳴らして笑みを浮かべたマルコはマヒロをより強くギュッと抱き締めた。

「はえ!? ちょっ、い、いい痛い! 急に――」
「マヒロ!」
「なっ、何!?」
「好きだよい!!」
「へ!? あ! えェ!?」

何の前触れも無く突然に満面の笑顔を向けてマルコがそう言った。あまりにも急な変貌ぶりにマヒロは焦った。

―― な、何で急に子供化したの!?

「ま、マルコさん!!」
「ハハ、悪ィ。何だか嬉しくてよい、痛かったか?」
「あ…いえ…えっと……」
「なァマヒロ」
「…は、はい」
「チシとサコだが……おれ達で守るよい」
「え?」
「あの二人を船に乗せて、人間と妖怪が共に生きる道っつぅのを可能にするよい。それに……」
「……それに?」
「一度、人を食して落ちた妖怪を救い上げる道ってェのを探そうと思う。その為には妖怪をもっと深く知る必要がる。だからチシとサコに協力してもらおうと思ってる」
「!」
「王牙鬼みてェな妖怪は他にも沢山いるだろうからよい、そんな奴らを叩きのめすなんてことは出来れば止めてェんだ。救える道があるなら助けてやりたいと思うんだよい」
「……もう、本当に……」
「何だよい?」
「マルコさんって優しい……の前に、天才気質過ぎます。そんなことを考え付くだなんて……」

今度はマヒロが何の前触れも無く突然に気落ちしてしみじみと言葉を漏らし始めた。

―― て、天才気質って……お前ェ、まだそんな風におれを見てるのかよい?

ヒクリと頬を引き攣らせるマルコを前にブツブツと小言を漏らすマヒロは「だから試すだなん…て……あ!」と何やら思い出したように大きな声を上げて勢い良くマルコのシャツを掴んで言い寄った。

「な、何だよい!?」
「サッチさんを実験しましたよね!?」
「は!?」
「本人の同意も無く、霊気や妖気に対する耐性力を強化するだなんて――」
「それはー……」

マルコは視線を宙に泳がせた。

―― っつぅか実験って……人聞きが悪ィ……。

試したことは事実だ。実験と言われても仕方が無いのかもしれない。
マルコは弁解に走った。

可能だと思った。
できると思った。
サッチは強いから。
信じた結果だから。
あいつのことはよく知ってるから。

と、色々と言った。

「もう…、サッチさんは人が良いからってそんな……」
「は!?」

マヒロの零した言葉にマルコは目を丸くした

「お、お前、サッチは、あ、あいつはそんな人が良いなんてェもんじゃねェよい!?」

―― あァ見えて結構鬼畜なところがあるんだよい!? 海賊だからな! ……じゃねェ、そうじゃねェ!!

マルコはマヒロのサッチに対する認識が間違っていると訂正に走る。普段のサッチは温和で気さくな性分をしているが、本性は狂暴的で野性的だったりする。その上で頗る女好きで――と話すがマヒロは決して信じなかった。

〜〜〜〜〜

「おれっちねェ、普段は穏和で通してっけど、実際はそうでもねェからね?」

〜〜〜〜〜

対迦魔羅戦において、とてつもない程の殺意を滲ませて迦魔羅を睨み付けて圧倒したサッチの姿を見ていれば、きっとマヒロはマルコの言葉を信じたかもしれない。だが実際にマヒロは見ていないのだ。サッチが迦魔羅を倒した瞬間に漸く駆け付けたのだから――。
いつもの気さくで明るいサッチしか知らないマヒロにとってマルコの言うサッチの本性なるものの方が想像し難く信憑性に欠けるというものだ。

「マルコさんはサッチさんに対して厳し過ぎるんだから!」
「ちょっ、マヒロ!?」

―― さっきの慰めはどこにいったよい!? 何でおれが説教されてんだよい!?

「ちょっと! マルコさん! ちゃんと聞いてるの!?」
「よっ、よい!!」

夜が明け始め、徐々に明るくなって来た平原の中心地。
背の高い大の男が胸元ぐらいしかない背丈の小柄な女に怒鳴られて説教されている姿がそこにあった。

「そもそも頼ってくれないのはマルコさんだって同じじゃない!!」
「よ、よい」
「もっと私を頼ってよ!!」
「…よ、ょぃ……」
「マルコさんだって一人だと何もでき……なくはないわね。……天才気質だから……」
「あのよいマヒロ……、その『天才気質』ってェの、やめてくれねェか? おれァそんなんじゃねェしよい」
「わかった。変態気質ね」
「は!? な、何でそうなるんだよい!?」

『天才と変態は紙一重』という言葉がある。
天才気質を拒否するならば変態気質だとマヒロは断言した。

「や、て、天才で良い。天才にしてくれよい……頼む……」

額に手を当てて大きく項垂れながらマルコはマヒロにそう懇願した。そもそも『変態』なんて言葉はそれこそサッチに相応しい言葉だと、マルコは心底からそう思った。

「ぶえっくしょん!!」
「キャッ!?」
「む…? 風邪でも引かれましたかなサッチ殿?」
「あー、いや、悪ィ。だ、大丈夫だってんだ」

サッチは苦笑を浮かべながらズピッと鼻を鳴らした。

―― 何だ? 誰かがおれっちのことを噂してんのか? ……………は!? ま、まさか、つい先日に酒場で出会ったあの可愛い子ちゃん達がおれっちの噂をしてんのかも!!

サッチは気晴らしにキッチンを借りてレイラとゾイルに朝食を作り、レイラはサッチの料理を隣で見学して「凄い! 美味しい!」と目を爛々と輝かせて尊敬の眼差しを向けている。

「ハハ、これでもおれっちはコックだからなァ」
「戦うコックさんって、何だか素敵ですね」
「ハッハー! レイラちゃんったら見る目あるってんだよ〜!」
「ふふ」

何故だか甘い空気がそこに漂っているが、満更でも無いサッチは鼻の下を伸ばしながら朝食作りに精を出す。その頃、ゾイルは自室に引き篭もり、妖怪の一件で不安に駆られていた為に全く手に付かなかった仕事を必死になってこなしていた。

ウィルシャナ連合共和国領主アウディール家の危機は脱し、シャブナス島には平穏が戻って来た。

ざわつきは消えて静かになったとても穏やかな島――の真っただ中を、マルコはマヒロの説教を聞きながら弁解しつつ領主の館を目指して歩いている。
「マルコさんがどんなに強くなったとしても心配はするわよ!」と、マヒロは相変わらず言葉に怒気を含ませてマルコに説教するが、何だか惚気が混じっているような気がしてよくわからなくなってきた。

「もう! 私がどれだけマルコさんのことが好きなのか、いい加減にわかってください!」
「なァマヒロ……そりゃあもう説教じゃねェよない……?」

力強く叫ぶマヒロにマルコは少し頬を赤くしながら小声でツッコむ。満更でも無いのだ。

―― 嬉しいけどよい……。

夏島シャブナス、本日快晴。
盛大なパーティーが終わった翌日もまた、いつも通りの平和な一日が始まるのだった。

次元を斬る力

〆栞
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