28


暗い闇の中、月夜に照らされた弱い明かりを頼りにマヒロは平原を走った。
向かう先は強い霊気と妖気がぶつかり合う場所。
自身の霊力を遥かに超えた強いエネルギーの衝突は、まだ遠く離れた場所にいるマヒロの周囲の大気でさえも震わせていた。

「……凄い……」

遥か先に感じた強いエネルギーに伴うように青い光がより一層強くなって光る様が見えた気がした。
マルコの霊気だ。
妖怪からすればそれはとても驚異的な霊気だ。
マヒロでさえもその霊気の強さに驚く程だ。そしてそこに近付けば近付く程に自ずと足の動きが鈍る。

―― ッ、な…何…?

目視で確認できる距離に近付いた時、マヒロは目を丸くした。
青い光と炎が混在する中心にマルコの姿があった。
強く鋭い霊気をバチバチと音を発して右手に纏わせ、青い炎が右手とマルコを包むようにして激しく猛り揺らめく。
その様に驚いているのはマヒロだけでは無かった。マルコの目先に立つ王牙鬼と思われる妖怪も驚嘆した表情でそれを見つめていることにマヒロは気付いた。

―― 額に目が……あれが王牙鬼の本来の姿……。

驚きと恐怖が混在した赤目の中に一際目立った額の金色の目は何を思い見つめているのだろうか。何故かその目が少し悲し気なものに見えるとマヒロは感じた。

「マヒロ」
「ッ! は、はい!」
「そこを動くなよい。まだ……上手くコントロールできねェからよい」
「え?」

マヒロを見ることも無くそれだけ伝えたマルコは王牙鬼の方へと一歩二歩とゆっくりと足を進めて構えた。
王牙鬼は気圧されたのか少し後退ったが、目付きを鋭くすると妖気を最大限にまで引き上げて白炎を全身から滾らせて纏った。
マルコの青い炎と同じように王牙鬼の周囲を白い炎が激しく舞う。その妖気の強さはマヒロの予想を超えて凄まじく、マヒロは思わず自身も霊気を纏って身構えた。

「ま、マルコさん!!」
「悪ィ、もう終わるよい」
「!」

マヒロの声にマルコは静かにそう答えた。その言葉にカチンと来た王牙鬼は怒りの表情を浮かべて猛り纏う白炎と共にマルコに攻撃を仕掛けようと構えた――が、勝負は本当に一瞬で終わった。

―― 嘘…? い、今、な、何をしたの?

気付けば王牙鬼は力無くその場に倒れ、あれだけ凄まじく強かった妖気がみるみる内に萎んで消え掛かっていることにマヒロは驚いた。

「ハッ…クッ…ば…化物か…貴様……!」
「あァ、そいつは褒め言葉だよい」

外傷はそれほど見受けられないが致命傷を負ったのか王牙鬼の命は最早風前の灯火だった。
倒れた王牙鬼の側に歩み寄るマルコの後ろにマヒロも追う様にして王牙鬼の元へ近付いた。
身体の痛み――と言うよりは、悔しさが大半を占めての顔の歪みがそこにある。赤い瞳がマルコをキッと睨み付けるが力は無く、額の金色の目は徐々に存在すら失い始めていた。

「……桁外れだッ……何もかも……」
「……」
「……不死鳥……オレは……」

倒れた王牙鬼はマルコを見つめながら小さな声を発すると苦し気に呻きながら呼吸を荒くした。
ガクガクとぎこちなく動く口からヒュッヒュッと小さく空気が出る音に負ける程の声を発した。
徐々に全身から力が抜け落ちていく。
生気を失い、開けられた眼(まなこ)からは涙が零れて伝い蟀谷を濡らす。それがポタリと落ちて地面を濡らすと同時に王牙鬼は息を引き取り、額にあった金色の目も同時にフッと消えた。

――…お前が…羨ましい…――

王牙鬼の最後に発した言葉は意外なものだった。
マルコは目を瞑った。
ゆっくりと息を吐くと徐に手を伸ばし、開いたまま絶命した王牙鬼の瞼を閉じ、その手で王牙鬼の頭を軽く撫でた。
王牙鬼の身体は足元から砂上へと変化し、夜風に吹かれて暗闇の中に消えていったのだった。





ほんのひと振りによるたった一撃で全てが決した。

王牙鬼が構えて地を蹴ろうとした瞬間、マルコはその場を動くことなく右手を払うように振るった。すると王牙鬼の背後に切り裂かれたような空間が現れると遠く離れた大地を切り裂いた。

何が起きたのかマヒロにも王牙鬼にもわからなかった。

気付けば王牙鬼は血を吐き、ガクガクと足を後退させるとその場にグラリと背中から崩れ落ちて倒れた。
王牙鬼は突如として全身に激しい痛みが襲われて思わず顔を歪め、高めたはずの妖気が一瞬にして霧散して弱まっていくのを感じた。

―― オレは負けたのか? こうも呆気無く……死ぬというのか?

一体何をしたのか、何が自分を襲ったのか、全くわからなかった。そして側で膝を折り腰を下ろして見下ろして来る男の目をキッと睨み付けた――が、その目を見た王牙鬼は一瞬だけ瞠目した。

―― に、人間のお前が……何故だ? どうしてそんな目をおれに向ける……?

哀れみや悲しみを伴う同情した目だ。
人間に同情などされたくは無い。
権力や金、人の数で物を言わせるだけしか能の無い人間に、そんな目を向けられることは恥以外何ものでも無く、大いなる屈辱だ。
王牙鬼は呼吸を荒くしながら身体に力を入れて起き上がろうとするが思うように身体を動かすことができなかった。
力を入れるどころか徐々に力が失われていった。
高めた妖気も霧散してみるみる内に小さく失われていくのを感じた王牙鬼は確実に『死』を予感した。

―― まさかこんな……こんな人間がまだ……残っていた…とはな……。

昔は妖怪と対等に渡り合える強さを持った人間がいたという。
ロダの村を作ってそこに妖怪が人間と同じように暮らせるようになったのは、且つてのそういった人間が協力したことによって成せたことだという話を幼い頃に祖父から聞いたことがあった。

元来、妖怪は人間を『食』としてしか見ていなかった。
人間もまた、妖怪を自分達に害を成す悪鬼だとしか認識しておらず、妖気を持つ妖怪に対抗し得る人の命のエネルギーを転換した『霊気』という力を持ってして抗っていた。
妖怪と人間の間には戦いが付き物だったのだ。

しかし、そんな中でも、戦いを嫌い、人間を愛し、共に生きたいと願う妖怪と、それを理解し、共に笑い、共に生きることを望む人間がいた。
そんな彼らが手を取り合って築いた村が『ロダの村』だった。
戦いを好まず平穏を好む妖怪達にとっては奇跡の村と称され、徐々に移住を求める者達が増えていった。だが一方では、そのような村は妖怪たる者にとっては屈辱的なもので不要なものだと潰しに掛かる妖怪や、そんな危険な村の存在を見過ごすことはできないとした人間が潰しに掛かってくることがあった。

それでも、平和と共存を願う妖怪と人間がお互いに手を取り合い、それらの脅威から村を、この島を、懸命に守り抜いて来たという歴史が『御伽話』として村に残っていた。

アウディール家の始祖とロダの村の村長――王牙鬼の始祖がまさにそれだった。

いつしか人間は人間の、妖怪は妖怪の、それぞれ住むべき場所が必要として別れることとなった。すると途端に人間は妖怪を恐れて迫害を始めた。
妖怪は妖怪で人間を恐れ、力でそれをねじ伏せようとして争いが勃発する。
権力と財力を持ってして戦う者を集め、小さな村に集まる少数の妖怪達を圧倒して攻撃する人間達に、ロダの村の妖怪達は辛くも何とか逃げ遂せるが、徐々に徐々に山の奥深くに身を潜めるように追い立てられていったのだ。

「悪かった。……おれがそれを言ったところでお前ェは納得できねェだろうが……」
「ッ……」
「人間ってェのは臆病な生物だよい。変わった力を持つ者が側にいたら一方的に怖がり畏怖の対象として距離を置こうとする。それだけならまだ良いが、一度でも『危険』だと感じたら牙を剥いて来やがる。それが人間だよい」
「……ハッ……ま、まるで…知ったような…口を聞く…。……自分も迫害されたっ…ことがあるような……」
「あァ、おれも似たような経験はしてるからよい」
「っ! ……悪魔の実……不死…鳥…か…?」

マルコは眉尻を下げた笑みを浮かべると小さく頷いた。それは『孤独』を知る者の笑みだと王牙鬼は瞬時に察した。
悲しく、哀れで、寂し気――。
疎外されて迫害された者のみが持つ心の痛みそのものを知っている――そんな笑みだ。

―― 人の身であったとしても、我らが受けた仕打ちと同じ目に遭ったことがあるのか……。

マルコの背後でそれを見届けていたマヒロは、マルコの表情こそ見ることはできなかったが、どのような表情を浮かべているのかは王牙鬼の言葉から容易に想像できた。そして胸が締め付けられるような切ない気持ちで一杯になり、自ずと涙が込み上がるのを感じた。

―― マルコさん……。

王牙鬼は一つマルコに聞いてみたくなった。

「恨みは……無いのか……?」
「無ェよい」
「何故…だ…?」
「お前にもいたはずだ」
「な…に……?」
「それでも愛してくれる者が側にいたはずだよい」
「!」

マルコの答えに王牙鬼はハッとして言葉を失くした。マルコはクツリと笑うと言葉を続けた。

「お前ェの父も、祖父である村長も、お前ェの身を案じた。真実を話さなかったのは、母親の掟を破る行為や醜さをお前ェに知らせるべきではないと思ったからだろうよい」
「くっ……そ、そんなこと……き…綺麗事だ……」
「お前ェの中の母親は綺麗なままでいさせてやりたい。父親として、きっとそう思ったんだとおれは思う」
「!」

マルコの言葉を切っ掛けに、王牙鬼が自らの手で殺した父と叔父の言葉が脳裏に響いた。

〜〜〜

「王牙鬼! 私はお前を!!」
「黙れ! 何もせずに傍観しかしなかった貴様を最早父だとは思わん!」
「それは…! わ、私はただ……」
「言い訳か。つくづく臆病で姑息な男だ。自ら愛した者を守ることすらしないのだから」
「ッ――王牙鬼!」
「死ね」

父の言葉など聞く耳を持たず、問答無用で殺した。
力無く倒れて絶命した父を置いてその場を立ち去った王牙鬼は、きっと父を引き留めたであろう父の弟である叔父の元へと向かった。

そして――。

「お前は何もわかっていない王牙鬼!」
「お前も父と同じ言葉を吐くのは流石に兄弟といったところ……とでも言わせたいのか? 父を言い包めたのはお前だろう!」
「あ、兄は、お前の父は、ただお前を守ろうとしただけだ!」
「ハッ! おかしなことを言う。おれを守るだと? 何からだ? あいつが守るべきだったのはオレの母であり妻であったはずの紫乃羽鬼だ!!」
「違う! その紫乃羽鬼からお前を守ろうと――」

側で泣き叫ぶ幼い二人の目の前で彼らの父を、自分の叔父を、問答無用で殺した。

お前を母親と同じ道に歩ませない為に、お前の中の純粋な母親の姿を汚さず、壊さない為に――そんな言葉を吐いていたが全く耳を貸さず、最後まで言わせることも無く、殺した。

〜〜〜〜〜

父と叔父の言葉の真意が王牙鬼の心に暗く重く伸し掛かった。

「落ちたお前ェを見て最も心を痛めてんのは村長だよい」
「……」
「二人の息子を孫に殺された挙句、その孫は村の掟を破って人間を襲い喰らうようになった。他の者がそれを行うならまだしも、ロダの村を作った始祖の末裔でもあるお前ェがそれを行うのが、村長にとっては何より辛く悲しいことだったんじゃねェのかよい」
「オレは……」
「愛されていたんだ。お前ェは守られてたんだよい。ただ、お前ェがそれに気付かなかっただけだ」
「ッ……」
「それに気付いていれば、こんな結果にはならかったはずだよい。人の血を、生気の味を知ったお前ェは元には戻れねェ。……残念だがよい」
「……お前は……」

その痛みは自分が知るものよりも深いのか。
失う辛さを、恐怖を、目の当たりにしたことがあるのか。
それでも――。

マルコの目を見つめる王牙鬼は言葉を詰まらせた。

大切な者が死ぬ姿を見るどころか、愛してくれた者の気持ちに気付きもせず、自分の一方的な思い込みで大切な者達を自ら手を下した。
自分にとって大事なものだったはずのそれらを自ら捨てたも同然だったことを思い知らされた。

「……桁外れだッ……何もかも……」
「……」
「……不死鳥……オレは……」

もし、あの日、あの時、マルコの様な男がいたら、ひょっとしたら何もかも違った結果となっていたかもしれない。
王牙鬼はヒュッと息を漏らす様に喉を鳴らして力無く自嘲した。

「…二人を…」
「……何?」
「チシと…サコを…決して…オレのように……させる…な……」
「……あァ」
「祖父に…、お、王翔鬼(オウショウキ)爺に……すまなかったと伝えて…欲しい……」
「わかった。必ず伝える」

王牙鬼から血の気が失せ始めていた。
睨み付ける目は疾うに消えて哀願へと変わり、怒りに満ちていた心は微塵も残っていなかった。

「…人間が…羨ましい…」
「…王牙鬼?」

村を出て『自由』を知った。
場所に縛られずに好きな時に好きな所を闊歩して広い世界を見た。

『ロダの村』は妖怪達にとっては確かに奇跡の村だ。

だがそれは逆に自分達をそこに縛り付けるものであって決して自由ではなかった。
平穏無事に一生を過ごせる保証は無い。
いつ、人間が牙を剥いて襲ってくるかもわからない。そんな恐怖を未だに引き摺って生きていくことに何の意味がある。それを平穏な暮らしと言えるのか、平和だと言えるのか――。

外を見て知れば知るほどに疑問が増えた。

アウディール家の現実を見れば愈々それは夢か幻でしかないと思った。
所詮は『御伽話』。
妖怪と対等な力を持った人間の存在など無かった。例え見える者がいたとしても見えるだけで、決して力は無く、戦う術すらも知らない人間ばかりで愕然としたものだ。

「…妖怪は…何故…人間と…違う? …何故…自由であってはいけないのか…」
「……!」
「…少しだけ海賊をしてみたが面白かったぞ。自由とは良いものだ…なァ…不死鳥……」

王牙鬼の呼吸が苦し気に小さく短い間隔に変わって荒くなった。そして全身から力が抜け落ち、やがて生気を失い始める中、開けられた眼(まなこ)からは涙が零れて蟀谷を濡らしていった。

自由が無いのは妖怪だからか?
力があるのがいけないのか?
人間は力無い変わりに自由がある。

―― おれは…力より…自由が良いと思ったんだ……。

「…お前が…羨ましい…」
「!」

微かに残る力を振り絞るようにして発した小さな声でそう言葉にした王牙鬼は、瞳から溢れた涙が地面を濡らすと同時に静かに息を引き取った。

人間の真似事で海賊をした時、何もかも忘れられた。
父や母のことも村のことも自分が妖怪であることも、全て関係無く忘れることができた。
広い海を、空を、風を感じたあの瞬間は、自由を感じて、不思議と心が晴れた。
お互いの目的は違っても『仲間』ができた。
共に笑い、共に戦い、共に生きたあの瞬間は仲間を家族に思えたことだってあった。

不死鳥、お前は人間でありながら戦う術と力を持ち、そして自由な海賊だ。
心の底から本当に欲しいと思った何もかもをお前は持っていた。
だからこそオレは、お前が羨ましい――そう、思ったんだ。

王牙鬼の思い

〆栞
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