23


深夜――。

あれだけ賑やかだったウィルシャナの様子は一転して人影も無く静寂に包まれている。
楽しい一時を過ごした何も知らない人々は、今頃温かいベッドの中でぐっすりと眠っていることだろう。
マヒロはゾイルと共に訓練場にいた。
城内にはロワナ国王や各領主達が寝泊まりしている。そんなところで戦うわけにはいかず、ゾイルにどこか良い場所は無いかと聞いたところでこの場にいるわけなのだが――。

「……今夜、本当に来るのか?」
「マルコさんはそう言っていました。王牙鬼はパーティーの日にレイラさんを迎えに来ると……ゾイルさんにそう告げていたのでしょう?」
「あ、あァ、そうだが……」
「それが上手く実行できずに標的を私に変えたにも関わらず抵抗されて撤退したわけですから、恐らく仲間を引き連れて力押しで来るのだと思います」

ゾイルと話をしながらマヒロは周囲に気を張り巡らせていた。そして僅かに妖気を感知すると一気に緊張が走り、全身に力が籠った。

―― まだ遠い。でも、確実に近付いて来てる。

体内に霊気を溜め始めつつマヒロはその時が来るのを待った。そんなマヒロを後ろからじっと見つめていたゾイルは思い詰めたような顔をして俯いた。

「マヒロ殿……すまぬ」
「何が…ですか?」
「私はレイラ可愛さに、君とマルコ殿を引き離そうと画策した」
「……」
「君にとっては私は疎ましい存在のはず。なのにどうして守ろう等と……何故だ?」

ゾイルは申し訳ない気持ちと疑念等の感情が複雑に絡まった声音で問い掛けた。
その声から顔を見ずしてゾイルがどんな表情をしているのかをマヒロは何となく察した。そして振り向いたマヒロは笑みを浮かべていることにゾイルは目を丸くした。

「助けが必要としている人を放ってはおけない性質なので、気になさらないでください」
「!」
「ゾイルさんはレイラさんの唯一の肉親で大切なお父様です。レイラさんに助けると約束もしましたし……」

ニコリと笑って答えるマヒロにゾイルは思わず両手をグッと拳に変えて唇を噛み締めた。

「大丈夫。絶対に守ってみせますから」
「ッ……何か」
「?」
「何か、私にできることは無いか?」

ゾイルの申し出にマヒロは微笑みながらかぶりを振った。

「無事に……レイラさんと共に幸せに生きてくれたらそれで十分です」
「!」

マヒロはそれだけ言うとゾイルに背を向け、訓練場から見える地平の彼方を見つめた。
遠く小さかった気配がかなり近くまで迫って来ているのを察した。
妖怪の数は相当の数。だがそこから二つの妖気が離れた。
一つはこっちへ、もう一つは恐らくレイラとサッチがいる場所を目指しているのだろう。それ以外の全ては中庭にいるマルコの元へと向かっているのがわかる。そしてその集団の中心に、一際強い妖気を持った者がいる。王牙鬼だ。

―― 対応すべき敵は一体だけ……ね。強い妖気を持ってる相手だけど、早く倒してサッチさん達の元に駆け付けないと。

〜〜〜〜〜

「マルコを信じろ」

〜〜〜〜〜

無理矢理に納得はしたものの、やはりマヒロはサッチ達が心配なようで、どこか気持ちが散文的だった。
ヒュンと風を切る音がした。
暗がりから一つの影が訓練場の中央へと下り立った。
ゾイルは見えてはいないが異様な気配を察知したのか、少しだけ気圧された表情を浮かべている。
誰もいないはずの訓練場中央に僅かに上がった砂埃がゾイルの心に恐怖を齎した。そして息を呑みながらマヒロへと視線を向けるとゾイルは目を丸くした。

―― 何か見えているのどろうがこの娘は恐れも何も無いのか? 何故そのように平然としていられる?

マヒロは一歩二歩と前に出ると両拳をグッと握り、膝を少し曲げて半身に構えて重心を下に落とした構えを取る。

「時間が惜しい。早く済ませるわよ」

妖怪はゆらりと立ち上がってマヒロを見ると目を細め、少しだけ頷くような仕草を見せた。
黄色い髪に青い皮膚、黒い眼球に黄色の瞳孔があって能面のような不気味な顔をしている。
感情が無いのか表情は一切動くことは無く、動作もまたゆっくりと静かなものだがより不気味さを増幅させる。

「飛獅刃(ヒシバ)」
「…何?」
「名」
「そう、飛獅刃…ね」

無機質な声音で名乗る飛獅刃はマヒロを見据え、その後ろにいるゾイルへと視線を動かして目を細めた。そしてまたマヒロへと視線を戻すとゆらりと両腕を広げるようにして身構えた。

「我、生血、欲す。人間、殺す、楽」
「感情が無いように見える割に人を殺すのが楽しい、そう言うこと?」

マヒロの言葉に飛獅刃は小さく頷いて見せた。そして少しだけ口角をニィッと上げた歪んだ笑みを浮かべ、マヒロは眉間に皺を寄せた。

―― 人間に対する恨みは王牙鬼だけの私怨で、こいつはただの道楽によるもの。……そんなところね。

「所謂快楽犯ってことなら、遠慮無く倒させてもらいます」
「我、強い。マヒロ、否」

飛獅刃はそう呟くと左右に広げた両腕から妖気を発して周囲の大気が揺れた。
マヒロは咄嗟に腕で顔を庇いつつ飛獅刃を伺い見た。妖気の色はそこには無かったが確かに妖気の波を感じ取った。

―― 無色の妖気ってわけね。それもかなり強い。

「殺」

飛獅刃はぐっと身体を屈めるようにすると強く地面を蹴ってマヒロへと襲い掛かった。
音があまり無くて静かなそれに驚いたマヒロは、少しだけ対応が遅れた。
飛獅刃の右腕が振り下ろされる。すると風が起こると同時にマヒロの左肩から腕を引き裂いた。

「くっ!」
「続」
「!?」

飛獅刃は怒涛の如く連続して攻撃を繰り出した。
風と共にマヒロはおろか周囲の空気を切り裂くような攻撃が立て続きに襲い掛かる。
この妖怪は『風による刃で切り裂く特性』を持つ者だとマヒロは瞬時に理解した。
ヒュンッと風を切り裂いた音が発するとマヒロの身体に激痛が襲う。

「うっ……!」

飛獅刃の攻撃はマヒロの腹部を切り裂いていた。
マヒロは負傷した腹部に手を当てながら思わずガクリと膝を地に付けた。それを見た飛獅刃は攻撃を一旦止めた。そして距離を取るように後退すると能面の口をまた醜く歪ませた。

「マヒロ殿!」

何かがマヒロを襲っているのだろうが、如何せん何も見えないゾイルにとっては異様な光景で戸惑うばかりだ。
風が激しく舞う中でマヒロの身体が切り裂かれて血が飛び散るのだから驚き慄くしかなかった。そんなゾイルに飛獅刃は視線を移した。

「目標、殺」

裂かれた腹部の激痛により##動けないと見た飛獅刃は、本来の目的であるゾイルへと的を絞り、攻撃を仕掛けるべく地を蹴った。
風が大きく唸ると疾風の如くゾイルへと襲い掛かる。
途方も無い圧力を持つ風の塊のようなものを感じたゾイルは顔を青くする。今度は自分を目がけて切り裂きに来たのだ察した。

―― 私は…死ぬのか?

思わず目を瞑り、衝撃と痛みを覚悟した。しかし、来るはずのそれは無く、ゾイルはゆっくりと目を開けた。するとマヒロが立ち上がり何かを掴んでいる姿があった――が、その身体から発しているものを見たゾイルは目を見開いた。

―― あ、あれはまさか!

「切り裂くしか能が無いわけ?」
「!?」

ボボボッ!

「青! 炎!?」

マヒロの身体に負わせたはずの傷が青い炎と共に再生して消えて行く。それを見た飛獅刃は無表情ながらに驚いているようだった。
霊子では決して無い青い炎はゾイルの目にも留まり、ゾイルも同様に驚いていた。
マヒロは少しだけ笑みを浮かべると直ぐに真剣な表情へと戻し、ゾイルに襲い掛かろうとした飛獅刃の腕を掴む手を中心に霊気を発して全身から解放させた。

「!!」
「私を甘く見ないで」
「強霊気!? 何者!?」

青い炎が猛ると共に青い霊気がマヒロを覆う。
霊力が極限に高められると飛獅刃の腕を掴んだ手を振るい、飛獅刃をゾイルから引き離すべく投げ飛ばした。
飛獅刃は慌てて身体を反転させて着地をするとマヒロへと視線を向けた。だが既にマヒロは飛獅刃の目前に迫っており霊気を纏った左の拳を繰り出した。

ドゴッ!

「苦ッ!」

重い一撃が飛獅刃の鳩尾にめり込んだ。そして飛獅刃の身体は地面から浮くとマヒロの攻撃はそれだけに止まらずにぐっと力を溜め込んだ右拳から飛獅刃の身体に目がけて霊気弾を放つ。

「ショットガン!」

ズドドドドドッ!!

数え切れない程の霊派の弾丸が右拳から放たれると、それは飛獅刃の全身を襲った。
飛獅刃は呻く声すら出せずにそのまま後方へと激しく吹き飛ばされる。だが痛みに耐えながらも地に手を突いて倒れることを免れ、反撃に出ようと試みた――しかし。

「!?」
「あなたの敗因は戦い慣れをしていないことよ!!」

キィィィィィン…!

飛獅刃に反撃をさせる余裕すら与えない。直ぐに間合いを詰めると右人差し指に溜め込んだ巨大な霊圧に飛獅刃は恐怖を見せたが問答無用でマヒロは至近距離でそれを放つ。

「待っ!」
「霊丸!!」

ズアッ――ドォォォォン!!

大きな霊圧エネルギーが飛獅刃に襲い掛かった。そして飛獅刃の身体は勢い良く城壁を越えて荒野へと弾き飛ばされた。
飛獅刃は力無く地面へと叩きつけられると既に死に絶え、砂状に姿を変えたのだった。

大きく息を吐きながら手をパンパンと叩いて埃を払うマヒロはゾイルへと振り向いた。するとゾイルは唖然としたまま停止している。

「ゾイルさん?」

目をパチクリさせて首を傾げたマヒロは、ゾイルの側に歩み寄って手をヒラヒラと視界を遮るようにして声を掛ける。だがそれでもゾイルは停止したままだった。そして少し間を置いてから漸く「ハッ!?」と声を漏らして我に返ったゾイルは、マヒロを見るなりガシッと両肩を掴んで凄んだ。

「怪我は!? 腹部の傷は!?」
「だ、大丈夫です!」

衣服が破れ、血糊が確かにそこにある。しかし傷は一切無い。

「ば、バカな……。確かに酷い怪我を負っていたというのに……」
「青い炎はゾイルさんにも見えていたはずですけど」
「あ、あァ。し、しかし、あれは、まさかマルコ殿の……」
「えェ、そうです。マルコさんの不死鳥の力です」
「なっ、何だと!? な、何故マヒロ殿が不死鳥の力を!?」

驚くゾイルを前にマヒロはクツリと微笑むと両手を腹部に当てた。
愛おし気に、大事そうに、女の顔を浮かべて笑うマヒロにゾイルは言葉を飲み込んだ。

―― ……そこにマルコ殿がいる……というのか?

「彼は私と共に生きると言ってくれた人だから」
「何?」
「私は小さい頃からずっと妖怪に狙われ続けて生きて来ました」
「!」
「見える人間は妖怪達にとってはご馳走で、欲しくて欲しくて堪らないものです。そして私はその中でも特別だったようで、そのせいで幼い頃に両親を目の前で亡くしました。それからは祖母の元に引き取られました」
「な、なんと……」

穏やかで優し気な外見とは裏腹に壮絶な人生を歩いて来たのだと知ったゾイルは愕然とした。

「祖母は私と同じように特別な力を持った人でした。その為、私に生きる術を……妖怪に対抗し得る全てを叩き込まれました。そして十八歳の誕生日に祖母は行方知れずとなって二度と戻ることはありませんでした」
「ッ……」
「世間に出れば何も知らない人達を巻き添えにしてしまうかもしれない。人里から離れた山の奥深くにあった祖母の家で、私はマルコさんと出会うまでの八年間をずっと一人で過ごして生きて来ました。その間にも何度も何度も死地の中を掻い潜る経験をして来ました」

マヒロの話にゾイルは絶句し「…八年も……」と、何とか振り絞ってポツリと零した。

「時々、思うこともあったんです。死んだら楽になるのかなって……」
「ッ……!」
「でも死んでしまったら両親が命を懸けて生かしてくれたのに、そこで死を選んだら負けたみたいで悔しくて……。妖怪が襲って来ても必死になって戦って撃退して……」
「マヒロ…殿?」

笑って話をしていたマヒロだったが、少しずつ元気が無くなっていった。言葉尻が弱くなって顔を俯かせたマヒロにゾイルが少し心配げに声を掛けてくれたが、マヒロは顔を上げることができなかった。
そんなマヒロをじっと見つめるゾイルは沈痛な面持ちを浮かべて胸が痛むのを感じた。

―― 孤独と言った寂しさを知った子だ。そして並の人間には想像し得ない壮絶な道を歩いて生きて来たこの子を救ったのは……。

「マルコ殿が好きかね?」
「ッ……はい、……好きです……」
「そうか……」

ゾイルは大きく息を吐いて自己反省をして深く頭を下げた。

「マヒロ殿、すまん」
「え?」

ゾイルの謝罪の言葉に顔を上げたマヒロは驚いた。

「あ、あの――え!?」

マヒロが焦って頭を上げて下さいと言う前にゾイルは行動に出てマヒロを抱き締めた。
突然のことで驚き固まったマヒロだったが、自分を抱き締めるゾイルの腕が僅かに震えていることに気付いてそのままでいることにした。

「私は、レイラは、まだまだ…幸せだったのだな」
「……ゾイル…さん……」
「父として、娘として、生きていられるこの時を大事に生きねば罰が当たってしまうな」

ゾイルはクツリと笑うとマヒロを抱き締めていた腕を解いた。
マヒロは気恥ずかしそうにしながらゾイルへと顔を向けると目を丸くした。ゾイルの表情は極めて穏やかで優しく、そこには『父性』を思わせる顔があったからだ。
トクンと柔らかい鼓動が一つ打つと胸の内に温もりが仄かに広がっていくのを感じる。

「無理はあまりしないでくれマヒロ殿」
「!」
「君は強いかもしれない。妖怪と戦って倒せる力を持っているのかもしれない。だが君は可憐な女なのだ」
「ッ……」
「いずれ子を宿し、産み、育てる大事な身体だ。いくら再生の力があるとは言え、傷付けるようなことは良く無いぞ」
「ゾイルさん……」
「マヒロ殿、マルコ殿を信じて頼りなさい。マルコ殿だけでは無い。白ひげ殿も隊長方も皆温かく優しい者達だ。彼らはきっとあなたの孤独と寂しさを埋めてくれる『良き家族』となろう」
「!」
「だから、もう、泣かなくて良いのだ」
「え? ……あ、」

ゾイルに言われて初めて気付いた。
ツゥッ…と頬に伝うものに手で触れたマヒロは、自分が涙を流していることに驚いた。そして慌てて袖口で涙を流して濡らした頬や目元を拭った。
何となく恥ずかしくて頬を赤くして照れ笑いを浮かべるマヒロにゾイルは手を伸ばしてマヒロの頭をクシャリと優しく撫でた。

「ちょっ、まるで子供みたいに」
「ハハ、私からすれば可愛い娘のようなものだ」
「!」
「私の方はもう大丈夫なのかな?」
「え? えェ、そうですね……」
「ならばレイラ達が心配だ」
「あ! のんびりしてる場合じゃ無かった! サッチさん達を助けに行かなきゃ!」

ゾイルの言葉にマヒロはハッとして弾けるように声を上げた。

「じゃ、じゃあ私は失礼しますね?」
「すまない。娘を、レイラを頼む」
「はい!」

マヒロはゾイルに頭を下げると慌ててサッチ達がいるだろう場所に向かって走って行くのだった――が。

「あ、そうだ! ゾイルさん!!」
「む?」

急ブレーキを掛けて踵を返し戻って来るマヒロにゾイルは首を傾げた。するとマヒロがゾイルの腕を掴んで走り出した。
ゾイルは驚きながらも必死に足を動かして共に走ったのだが、如何せんマヒロの足が思いのほか速く、何度か足がもつれてこけそうになった。

「ま、まま待ってくれマヒロ殿ォォッ!」

マヒロに連れて来られた先はゾイルの自室だった。マヒロがドアを開けて後ろを振り返った時、ゾイルは地面に突っ伏し、息も絶え絶えで青い顔をしていた。

「す、すみません! 急いでるから気にもせずに無理をさせてしまって!!」
「ぜェぜェ、あ、ぜェぜェ、いい、はァはァ、か、構わん、ぜェはァ……」

とりあえずゾイルに自室へと誘導してソファに座らせたマヒロは、ポットとカップを見つけて飲み物を用意してローテーブルの上に置いた。

「一応、念の為にこの部屋の周囲に防御バリアを張っておきますから、終わるまでここにいて下さい」
「う、うむ、わかった。改めて言うがレイラを頼む」
「はい、任せてください!」

マヒロはゾイルに再び頭を下げてからその部屋を出ると今度こそサッチ達の元を目指して走って行った。
ゾイルはマヒロが入れてくれたコーヒーを一口飲んで心を落ち着かせると大きく息を吐いてソファに全身を預けた。

人の苦しみ、悲しみ、辛さ、寂しさ、孤独――。

多くの心の痛みを知っているからこそ、人に無条件で優しくできるのだろう。そして強くなれるのだろう。だが彼女の心はまだ大きな傷が癒えずに残ったまま――。

「……成程、マルコ殿が心酔するのもわからなくもないな……」

ゾイルはゆっくりと目を瞑ると徐に目頭を手で押さえるのだった。

飛獅刃戦

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK