20


マルコがマヒロから離れるとそれを狙っていたかのようにマヒロの手を強引に取る男が現れた。
驚いたマヒロが振り向くと目の前にはあのラウレンス王子がニコリと笑みを浮かべている。

「あれは、君の何かな?」
「へ?」
「彼だよ。君のフィアンセか?」
「あ、いえ、えっと……」
「いや、違うな。レイラのフィアンセか。そう言えばレイラには予てより好いた男がいると聞いていたがあれがそうか。君は主人であるレイラの為に、他の女子に付き合わされていたレイラのフィアンセを取り返しに行ったのだな。中々出来た使用人では無いか。気に入ったよ」
「えっ、ちょっ、」

ラウレンスはマヒロがレイラに付き従う使用人なのだと勘違いをしている。しかし、ラウレンスの取り巻きも同じように認識した為に訂正する者はいない。
ラウレンスはマヒロの手を引っ張ると手慣れたようにマヒロの腰に手を回してギュッと抱き締めた。

「え!?」

急なことに驚き固まるマヒロは顔を赤くしながら目に渦を巻いた。

―― な、ななな何!?

戸惑い焦るマヒロを他所に、ラウレンスはマヒロの耳元に口を近付けると甘く囁く。

「君に一目惚れをした」
「なっ!?」
「私の妃として君を迎えようと思う」
「ま、待って!」
「クク、照れているのか? 可愛い娘だ」

ラウレンスは公衆の面前だろうと関係無く、懐に閉じ込めた愛らしい将来の妃となる娘にプロポーズと洒落込む。
マヒロの耳元から顔を離す際にワザと息を吹き掛ける。

「ひゃっ!?」

思わずビクリと反応したマヒロの口から官能的な声が漏れた。背筋からぞわぞわとした悪寒が突き抜ける。
兎に角離れなければと、腕に力を入れてラウレンスの胸を押して突っ張った。

「わ、わわ私は、その、か、海賊ですから! 妃になれるような者ではありませんので遠慮します!」

マヒロが懸命に声を上げてそう言うとラウレンスは驚き、周りの貴族達もどよめいた。

「何だと!? 君の様に可憐で美しき者が海賊だと!? 斯様に細い身でありながらそのような……」

どんなに驚こうが、どんなに突っ張られようが、ラウレンスはマヒロの腰に回した手を解こうとはしない。

―― き、気持ち悪い! 早く離してェェェ!

マヒロの心の叫びは当然のことながらラウレンスには届かない。これがマルコなら直ぐに伝わるのにとマヒロは思った。

「あァ、そうか」
「な、何?」
「気付いていないのだな。君にはもっと相応しい場所があるということを。元海賊だろうと気にはしない。周りがどうこう言おうものなら私が何とでもしてみせようではないか。身分のことなど気にする必要は無い」
「いいいえ! 気にします! 私が気にします!!」

ラウレンスは白い歯を見せて笑うとマヒロを再びグッと引き付けて抱き締めるようにして身体を密着させた。
マヒロは混乱している為に気付いていないが、運の悪いことに今はチークタイムの様で、ダンスホールにはムーディーな音楽が流れていた。

左右に緩く揺れるように踊る。

ラウレンスはマヒロの白い首筋に視線を落とすと口角を上げた笑みを浮かべる。

―― 今宵はこの娘で決まりだ。何とも可憐で美しい……。私に組み敷かれ、どのように啼くのか、凄く楽しみだ。

男前にイケメンモードを保っているつもりでいるのだろうが、鼻の穴が膨らみ、多少鼻息が荒くなっている。
マヒロは心底から焦った。
ラウレンスがマヒロの首筋に息が掛かる程に顔を近付けたからだ。腰元に回す腕に力が込められ、より身体が密着する。そしてラウレンスの視界には鎖骨越しに自分の身体に押し潰されて形を変える柔らかそうな胸が映った。

―― クゥ〜! たまらん!

「美しいな」

内心とは別に気取った声音で褒めるラウレンスにマヒロは嫌悪感に支配されて顔を青くする一方だった。

―― ひえェェ! 本当に気持ち悪い!!

誰でも良いから助けて欲しいとマヒロは思った。だがチークタイムの為に会場の照明は薄暗く、家族(白ひげ海賊団)にはマヒロの現状に気付くことは無い。
それは仕方が無かったのだ。
イゾウ、ハルタ、エースは貴族女子のエネルギーに押され気味で、自分のことで手一杯であり、サッチは『結婚前提』を口にした女と良い雰囲気作りに没頭してチークタイムを楽しんでいたのだから――。

一方、レイラの元に向かったマルコはチークタイムの為にダンスホールの照明が落ちて目を丸くした。そして何の気なしに振り向いた瞬間、眉間に皺を寄せて額に青筋を張ったのは言うまでも無い。
瞬時にピリっとした空気を纏ったマルコではあったが、深呼吸を繰り返して何とか動揺を抑えて理性を保つ。

―― くっ…、い、今はとりあえずレイラだよい。

ゾイルに約束した手前、今はレイラを優先しなければならない。
マルコは後ろ髪を引かれる思いをしながらレイラの元へと足を向けた。
レイラはマルコがこっちに向かって来ていることに気付くと、男の手を振り解いてマルコの元へと走った。

「レイラ」
「え、あっ……」

マルコの後ろに逃げ込もうとしたレイラをマルコが正面から抱き留めるとそのままギュッと抱き締めた。するとレイラは思わず目を丸くして顔を赤く染めた。

「悪ィな。レイラはおれの女なんだよい」

―― ま、マルコ様…!?

銀髪の男に威嚇をするような目を向けつつニヤリと笑ってそう言ったマルコに、男は眉を少しだけピクリと動かした。だが直ぐにフッと微笑を零すと軽く頭を下げる。

「……そうですか。それは大変失礼なことを致しました」

男があっさりと引き下がったことで周りにいた貴族女子達がその男の元へと一斉に駆け寄って行く。その光景を見届けつつマルコは懐に抱くレイラへと視線を落とした。
レイラは顔を赤らめながら瞳をギュッと閉じ、マルコは眉尻を下げて苦笑を漏らした。

「……離したまんまで悪かった」
「い、いえ…、それより」
「ん?」
「マヒロさんは……?」
「あァ、マヒロは――なっ!?」
「え…? どうし――ッ!!」

マルコはマヒロに視線を向けると停止した。それを不思議に思ったレイラもダンスホールに目を向けてマヒロの姿を探した――が、直ぐに見つけて唖然とした。

ムーディーな音楽が鳴るダンスホールの中央。
見慣れた女が貴族の男に唇を奪われて固まる姿がそこにあった。
周りのカップル達は挙って黄色い声を上げて囃し立てる。

チュッ……。

甘いリップ音を残して密着した唇が離れるとラウレンスは言った。

「甘美だ。ただ唇を重ねただけでこのように甘いとは。より濃厚に口付けを交わしたいが人の目もあるので控えるが……この続きは今宵、私の部屋で二人きりの時にしようではないか、なァマヒロ」
「………………」

マヒロはラウレンス王子を適当にあしらって何とか逃げようとばかり考えていた。だがふと顎を掴まれたと思った瞬間、目の前にラウレンスの顔があって目を丸くした。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。

唇に感じる柔らかく生暖かい感触。
これがどういうものか知ってはいるが決して知らない感触。
誰と何をしているのか――。

―― キス…して……る?

触れるだけならまだしもしっかりと重ねられる唇。そしてリップ音と共に離れる瞬間、ラウレンスの舌がマヒロの唇を舐めた。
顔を真っ赤にしたまま目を見張り、まるで魂を奪われたかのように呆然と立ち尽くしたマヒロの視線の先には驚き固まるマルコの姿。

「愛しているマヒロ」

ラウレンスがマヒロを抱き締めながら甘くそう囁くと、周囲で見ていた貴族(女子)達が挙って声を上げた。

「きゃー! キスしたわ〜!」
「ラウレンス王子が愛の告白をされたわ!」
「おめでとうラウレンス王子!」
「ラウレンス王子の妃となられるなんて凄く羨ましいですわ!」
「「「ラウレンス王子、おめでとうございます!」」」

黄色い声援と祝福の声を投げ掛ける貴族達にラウレンス王子は笑みを浮かべ、彼らの声に応えるように手を軽く振った。
当のマヒロは、徐に顔を俯かせてプルプルと肩を震わせていた。その様を見ていた周囲の貴族女子達はきっと嬉しくて泣いているのだと思って楽し気に言葉を交わしている。

一方――。

眼鏡を外して眉間を指で押さえながら大きく息を吐いたマルコは、再び眼鏡を掛けるとレイラの手を取って無言でダンスホール中央へと歩き出した。

「え? ま、マルコ様?」
「気晴らしに踊るよい」
「え? あっ、」

ダンスホール中央に立つとマルコはレイラの腕を引いて懐に抱き留めると、右手はレイラの左手を支え、左手をレイラの腰元に置いた。
レイラは顔を赤く染めながら夢見心地のような瞬間に思わずうっとりとした表情へと変え、マルコに甘える様にマルコの胸元にそっと右手を添えた。

―― 今だけ……。ごめんなさいマヒロさん……今だけ、許して。

マヒロに悪いと思いつつもやはりレイラはマルコが愛しい気持ちが押さえ切れずに断ることができなかった。
そんなレイラとマルコの姿を視界の端で捉えたマヒロは仕方が無いと思いつつ、しかしどうにも面白く無くて、気持ちが落ちた。
当然だ。
隙を見せた自分が悪かったにせよ、公衆の面前でわけのわからない男に唇を奪われる失態をし、それをマルコにばっちり見られたのだから何も言えなかった。

「……やはり待ち切れないな」

ラウレンスはポツリと零すとマヒロの首筋に顔を埋めながら囁く。

「今からでも部屋に行き、二人きりで愛し合わないか?」
「……」

ラウレンスはそう言うと顔を上げてマヒロの耳元に口を寄せて更に囁いた。

「君とのセックスが待ち切れないのだ」

そう言った瞬間にマヒロはラウレンスの頬にそっと手を添え、ラウレンスはてっきりマヒロが了承したものだと思った。

「一度、死んでくれます?」
「え?」

ふわりと柔らかい笑みを浮かべてとんでもないことを口にしたマヒロに、ラウレンスの思考は止まった。

「調子に乗るなァァァッ!!!!」
「!?」

ぶあっ! ズダァァァァン!!

「かはっ!」
「「「!?」」」

マヒロはキレた。
ラウレンスの頬に添えた手を落してラウレンスの腕に絡め、ラウレンスの懐に入り込むとラウレンスの身体を腰で跳ね上げ、そのまま地面へと叩き付けた。
所謂一本背負いだ。
見事なまでの投げ技に会場はシーン……と静まり、ラウレンスの呻く声が酷く大きく聞こえた。
ラウレンスはそのまま白目を剥いてパタリと気を失った。

「はァはァ…………ハッ!?」

ふしゅーっと怒りが収まると同時に我を取り戻したマヒロは慌てふためいた。

―― やっちゃったァァァァ!!

「ご、ごめんなさい! ついカッとなってしまって!」

気絶するラウレンスを抱え上げて声を掛けるが、ラウレンスは白目を剥いたアホ面で気を失ったまま一向に意識は戻らず、ラウレンスの付き人兼ボディーガードと思われる男達が慌ててラウレンスを助けに駆け付けた。

「王子! しっかり!」
「いかん! 王子を部屋へ!」
「君! 後で話がある! 絶対に逃げるんじゃないぞ! ここに残れ! 良いな!?」
「うっ、す、すみません……」

声を荒げるボディーガード達にマヒロは頭を下げて謝った。

―― え? 何で私が謝らなきゃいけないの?

そもそもラウレンスが行き過ぎた行為をした為に起きたことだ。

―― なんで!?

納得の行かないマヒロはガクリと項垂れながら会場の端に置かれた椅子へと戻って腰を下ろし、両手で顔を隠して深い溜息を吐いた。そんなマヒロをレイラが唖然と見つめていると「ククッ!」と笑う声が側で聞こえて振り向いた。するとマルコが必死に声を殺して笑っていることに気付いた。

―― ッ……マルコ様……。

「ハハッ…あァ、悪ィなレイラ。あまりに面白かったんでついな」
「いえ……」

楽しそうに笑うマルコにレイラはキュッと胸を締め付けられるのを感じた。

「あの…、マルコ様……」
「何だい?」
「私は、もう良いので…、その……、マヒロさんと」
「いや、あいつは大丈夫だよい」
「で、でも!」
「心配してくれてありがとな。けど本当に大丈夫だからお前ェは気にするな」
「ッ……」

レイラはマルコのマヒロに対する気持ちがただの『愛情』だけでは無いことを思い知った。ただ好き合って愛し合っているだけの二人では無い。そこには『信頼』があり、決して揺るがない『強い絆』があることに気が付いた。

―― あァ、本当に……二人の間に誰かが入り込む隙間すらも無いんだわ。

レイラはマルコの背中に遠慮がちに手を回し、マルコの胸に顔を埋めてギュッと抱き締めた。するとマルコが優しく抱き返してくれる。

―― ごめんなさいマヒロさん。そして……ありがとう。

憧れて夢に描いていた瞬間をほんの少しの間だけ貰ったのだと、レイラはマヒロに心の底から謝ると同時に感謝した。
もう一度欲しかった優しい温もりを感じたかった。
子供の頃に自分を救ってくれた優しくて温かいその温もりをもう一度全身で感じたかった。

レイラはマルコを諦め、この恋に別れを告げる覚悟を心に決めたのだった。

貴族の戯れ U

〆栞
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