18


ゾイルの記憶にはまだ続きがあった。
カーナとは別の妖気を発する者とも接触している。

王牙鬼だ。

時系列はバラバラだが恐らくこれはレイラの前に姿を現した後のことだろうと思われる。
ゾイルの記憶がはっきりと視覚化されていく――。

〜〜〜〜〜

多くの者が寝静まる深夜、ゾイルの元に一人の男が現れた。
ゾイルは疲れ切った顔をしていたが男が現れたことで警戒心を露わにして武器を手にして身構えた。

「貴様がゾイルだな」
「だ、誰だ!?」
「あー、顔を見ただけで反吐が出るな。貴様は娘と違って見えないようだな。アウディールの子孫が聞いて飽きれる」
「!?」

男の言葉にゾイルは目を見開いた。

―― ま、まさか、ロダの村の……!?

「お前達アウディールの者は度々ロダの連中を、おれ達妖怪を壊滅に追いやった。その歴史を知らないわけでは無いだろう?」
「き、貴様はロダの村の妖怪だな!」
「ククッ、見えない割に『御伽噺』を信じるのか、ん?」
「くっ……!」

ギリッと強く歯を食い縛るゾイルに男は蔑むような目を向けて微笑を零す。

「何が、何が目的だ……?」
「あァ、目的か、そうだな……。貴様の娘レイラだが、あれは良い生気を持った女だ。いずれおれの側に置いて餌食として永遠に生かすことにした」
「なっ、何だと!?」
「だがその前に……、娘を餌に貴様を苦しませる目的もある」
「!!」

冷酷な目を向ける男にゾイルの背中に悪寒が走る。武器を持つ手が震ているのか、僅かにカタカタと金属音が鳴る音がゾイル自身の耳に届く。

「な、何故そのようなことを……!?」

ゾイルは込み上げる恐怖と戦いながら必死に声を上げると、男は無表情だが鋭い視線を向けたまま口を開いた。

「おれ達が知らないとでも思ったのか? コープの町長の嘘にまんまと乗せられてロダの村を殲滅せんとしていることをな」
「!」
「見えない下等生物が舐めたことをしてくれる。アウディールの者は代々見える者の家系だったが、貴様のような見えない低能な子孫が生まれ、そしてそんな低能な男に攻め入られること程の屈辱は無い」
「くっ!」

男の言葉の端々に、ゾイルに対する憎悪と敵意が剥き出しに感じられる。

「ただ殺すだけでは飽き足りん。長い歴史の上で何度も我らを迫害し殲滅せしめんとして来た貴様らに、同じ苦しみを味合わせてやろう。大事な娘を見えない敵から必死になって守るんだな。いつ、どこで、誰が、どうなるか、そして、いつ殺されるかもしれない恐怖を味わうが良い。精神が壊れるまで追い詰め、その果てに殺してやる」
「そ、そのようなことはさせん!!」
「ならばどうするというのだ? 見えない者が我ら妖怪とどう戦う? 今となっては見える者でさえ対等に戦える力を持った人間等、最早この世界のどこを探しても存在しない」
「!」
「ククッ、思い知れゾイル。貴様ら人間に殺された我らが同朋達の恨みをな!」

男は投げ付けるように言うと踵を返して窓辺に立った。

「ま、待て!!」
「あァ、そうだな。レイラに伝言を頼んでおいたのだが、恐らく話してはいないだろう。過去に ”自分を見捨てた父親を気遣う”お人好しのお嬢さんだからな」
「ッ……!」

男が嫌味を吐き捨てるとゾイルはグッと声を詰まらせて苦渋の表情を浮かべた。

「おれの名は王牙鬼。十年前、処刑された紫乃羽鬼(シノバキ)の子だ」
「十年前!? あ、あの女妖怪か!?」
「病で苦しむおれの為に、ただ薬を買いにウィルシャナに来ただけの母を、貴様達お抱えの占星術師のくだらん妄言により『災い』と称して捕らえ処刑したな」
「!」
「おれの父は人間に手を出すなと弱腰だったんでなァ、代わりにおれがお前達に審判を下しに来てやったのだ。因果応報とはよく言ったものだ」

王牙鬼はそう言うと妖気を身に纏い始める。ゾイルの目には何の変化も無いが、異様にピリついた空気を感じたのか焦りの表情を浮かべた。

「ま、待て! あの時は周辺の島々を含めて災害が多く、人々は苦しんだのだ! 占星術師に行く末を聞いて行ったことで、何も妖怪だからといって行ったわけでは無い!!」

ゾイルは必死に声を荒げてそう叫んだ。

「あァ、そうやっていつも見える者の言葉で我ら妖怪は追い立てられて来た。ロダの連中が何もしてこないことを良いことにな。ロダの奴らは腑抜け共の集まりだ。こんなくだらん人間と同じように生きよう等と愚かにも程がある。おれはウィルシャナもコープもキリグも殲滅した後、ロダの村も全て滅ぼし、この島を中心に世界中の人間どもを根絶やしにしてやる」
「なっ!?」
「貴様は前座みたいなものだ。精々苦しめゾイル。あァ、今度行われる同盟国との集まりまでにレイラを守り抜くことができたのなら、おれが自ら出向いてレイラを貰っていってやろう。ククククッ!」

肩を震わせて楽し気に笑う王牙鬼にゾイルはギリッと歯軋りをして睨み付けた。

「最後に良い事教えてやろう。生気が美味い女との性交は一段と格別なのを知っているか?」
「!!」
「レイラはおれが可愛がってやる。精根尽きて無様に死ぬまでな」

愕然とするゾイルを見届けた王牙鬼はニヤリと笑うとその場から姿を消し、ゾイルはガクリと膝から崩れ落ちると床に突っ伏し、低く唸るような声を漏らしながら涙を零した。

〜〜〜〜〜

真実を知ればこれ程厄介なことは無い。王牙鬼達が一方的に悪いというわけでは無かったのだ。それに王牙鬼が人間を憎む理由が実の母親を殺されたとあれば、恨みを持って報復に来るのは当然だ。
そして――。
事を起こそうとしなかった実の父を殺し、それを諫めたのだろう叔父――チシとサコの父親を殺したのだ。

―― ……王牙鬼だけが悪いわけじゃあ無いが、今回は仕方が無ェと割り切るしかねェか……。

マルコは眉間に手を置いて溜息を吐いた。
ロダの村の村長、チシとサコ、そしてレイラ――。
王牙鬼の行いは決して許せないもではあるが、その根本的な原因は全て人間側にある――そう考えるとツキンと胸が痛む。

―― やっぱり、一方的に悪いとは言えねェ。

マルコはこれからの対処に頭を抱えた。だがふと自分自身の記憶が鮮明に呼び起こされた。
幻海の元で修行していた時だ。

――妖怪全てが悪者とは限らない――

何を持ってして『倒すべき妖怪』か『倒さない妖怪』かを区別すれば良いのか、修行の合間の休憩時、握り飯を片手にそんな話をしたことがあった。

「良いか悪いか、善か悪か、そんなことはいちいち考えやしないよ」
「あんた、本当に海賊向きの性格してるよい」
「あたしゃ海賊なんてもんには興味無いよ」
「じゃあどういう判断で倒す妖怪と倒さない妖怪とを区別してんだよい?」
「そりゃ簡単さね」
「?」
「単に気に入らない。それだけで十分さね」
「は?」
「戦っている相手が偶々気に入らない奴だっただけの話さ。あたしゃマルコと違って難しいことを考えるのが嫌いでね」

幻海はそう言い切るとズズズッとお茶を啜った。
判断基準は自分の物差しで気に入る気に入らないで決める。
何とも分かり易い。
幻海らしいと言えばらしいのだが、そんな単純で良いのだろうかとマルコは梅干し入りのお握りを頬張った。そしてゴクリと飲み込んで少し間を置くとガクリと項垂れる。

「……よい」
「よい」
「チッ、真似すんなよい」
「よいよい」
「ッ〜〜」

あの祖母にしてあの孫か。
人の口癖を何だと思って――と、マルコは横道に逸れ始める思考を元に戻した。
時には割り切ることも大事なのだ。
そもそも王牙鬼は後に「人間を根絶やしにする」と宣言しているのだから、戦うに十分過ぎる理由がある。

―― 妙なところに同情して温情なんか掛けてんじゃねェ……、おれは海賊だ。

そう、自分は海賊だ。海賊相手にいちいち忖度なんかしていない。喧嘩を売って来た奴らには容赦無く叩き潰して来たでは無いか。
そう考えると幻海が言ったように単純明快な判断で良いのだとマルコは納得した。

呆然と立ち尽くしているゾイルに視線を落とした。

「とりあえずは王牙鬼かねい。向うから来るなら探す手間が省けたも同然で助かったよい」
「!」
「ゾイル、お前ェには悪ィがおれはレイラと一緒にはなれねェし、この島に留まることもしねェ。おれは海賊だ。一つつ所に留まっていられるような性分でもねェしない」
「……マルコ…殿……」

マルコはクツリと笑って言った。
ゾイルは全身から力が抜け落ちるようにガクリとその場に座り込み、どこを見るともなく視線を彷徨わせた。すると数日前に白ひげと交わした会話を思い出した。

「ゾイル、肝心な事を忘れてやしねェか?」
「何をだ?」
「マルコは海賊だ。一つ所に留まるような男じゃあねェ」
「!」
「それにマルコはおれにとっては大事な息子だ。それを欲しいと言われて「あァそうか」と簡単に息子を他人にくれてやる性分はおれァ持ち合わせてねェ。本人が希望しねェ限り手放す気は皆無だ」
「し、しかし、レイラはマルコ殿を必要としているのだ。それを少し考慮してもらうことは――」
「領主の娘が海賊と一緒になるなんてこたァ端から無理な話だってェことは、お前ェも重々承知の筈だぜ?」
「うっ、それは、そうなのだが……」
「なァゾイル、おれはこの島で何が起きてるのかは聞かねェ。聞いたところで対処はできねェだろうからなァ? だが一つだけ言わせろ」
「な、何だ?」
「マルコを信じろ。マルコに何もかも話しやがれ。そうすりゃあマルコが全て上手く事を進めて解決してくれるだろうぜ! グララララッ!」
「ッ……」

白ひげの言葉は事情を知らないが故のものだと踏んだゾイルはこの時は聞き流していた。だが今になって思えば『見えない敵』を見越した上での発言だったのかもしれないとゾイルは思った。
宙を彷徨わせていた視線がマルコに向けられ焦点が定まると、マルコは「しっかりしろよい」と苦笑を零してゾイルの肩をポンッと軽く叩いた。

苦心したゾイルは眉尻を下げると目を赤くし、自分の肩を叩いたマルコの手を両手で掴むと縋るように言った。

「ッ…マルコ殿、私は、信じてよろしいか…?」
「ゾイル?」
「私は、あなたを信じて、頼って良いのだろうか?」

ワナワナと身体を震わせながら徐々に涙声で縋るゾイルにマルコは真っ直ぐ瞳を見つめ、穏和な笑みを浮かべてコクリと頷いた。するとゾイルは涙で潤んだ目を丸くした。

「あァ、助けるよい。信じろいおれを」
「ッ!!」
「任せろ、ゾイル」
「……っます……頼み…ます、頼みますマルコ殿!」

大の男が惜しげも無く涙を零して何度も頭を下げながらマルコに乞い願い、そしてその場に力無く崩れて地面に額を擦り付け、声を震わしながら泣いた。
マルコはゾイルの背中を軽く叩いて部屋を去ろうと踵を返した。そしてドアノブに手を伸ばして掴んだ時、ふと何かを思い出したように足を止めて振り返る。

「あァ、それとよい」
「……」

ゾイルは力無く立ち上がった。そしてマルコへ視線を向けるが未だにどこか気持ちが不安定なのだろう、少し肩をトンッと押しただけで今にもバタリと倒れてしまいそうな程に萎んで見えた。

―― 余程堪えてんだな……。

人の上に立つ器を持ち、強気で豪胆なゾイルはどこへやら。ただ父として娘の安否を願い、精神を削り続けて弱々しくなった男がそこにいた。
しかしそれはこの案件が無事に終われば元のゾイルに戻ることは確かだろうことから然して心配することは無いと判断し、マルコは一つ言っておきたいことを口にした。

「レイラのことはマヒロが根本的な解決策を見つけてくれるだろうから、あいつのことも信じてやってくれねェかよい?」
「な…に…?」

マヒロの名を聞いたゾイルはピクリと反応して良い顔はしなかった。
やはりゾイルの中でマヒロは良い印象では無いようだ。
カーナの言い分を聞いているとまるで『悪女』みたいなイメージに捉えなくも無い。
マルコは溜息を吐いた。

「おれが妖怪と戦える力を得たのはマヒロのおかげなんだよい。あいつがいなけりゃあ今のおれは無かった」
「な、何!? ……それは本当の話か?」

驚くゾイルにマルコは苦笑を浮かべてコクリと頷いた。そしてマルコは更に言葉を続けた。

「それに正直に言うとねい、今回の件に関しておれは端から気が乗らなかったんだよい。だからパーティーの参加自体も拒否する気でいたんだが、マヒロに説得されてねい」
「なっ!?」

頬をポリポリと掻きながらマルコがそう言うとゾイルは更に目を見開いた。

―― あの娘がマルコ殿を説得した……だと? 何故だ? あの娘に何の得があって説得など……。

眉間に皺を寄せて思案するような表情へと変えたゾイルは視線を地面に落とした。するとマルコは片眉と口角を上げた笑みを浮かべた。

「マヒロがレイラとゾイルを助けたいと思ってんだよい」
「な、何故だ!? 私やレイラのこと等知りもしなかったはずだ! 顔も、言葉すら交わしたことの無い赤の他人だぞ!? それを助けたいだと? 仮にも、仮にもマルコ殿を引き剥がそうとさえした私を!! 怒り恨むならまだしも助けたい等と!」

ゾイルは戸惑いながら声を荒げた。

「あァ、そんなことマヒロは微塵も気にしてねェよい。察してはいるだろうがなァ」
「!」
「ただ助けたい。そう思っただけで理由も何も無ェよい。マヒロは人を助けるのに何にも考えちゃいねェ。目の前で『大切な人を生かす為に必死になっている者』がいれば無条件で手を差し伸べたくなる性分なんだろうなァ」
「……そ、そんな奇特な……」
「人を助けるのに理由がいるかい?」
「ッ……」
「助けてェって思ったから助けんだ。余計な条件を突き付けられてなきゃあ、おれは最初から素直に力になってやるつもりでいたよい。レイラはおれが一度は救った命だ。そう簡単に失くされて堪るかよい」

マルコがそう言うとゾイルは右手で目元を覆い隠しながら天を仰いだ。

「っ…あァ…私は…私は…」
「ゾイル、おれとマヒロを信じろ。必ず助けるからよい」

マルコはそれだけ言うとゾイルの部屋を後にした。
一人残されたゾイルは机の側にある椅子にどさりと腰を下ろすとガクリと項垂れて再び涙した。
領主としての下手なプライド等捨てて素直に頼れば良かったのだと、今更ながらに後悔するばかりだった。

ゾイルの記憶 U

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK