15


何だか空気が重。居た堪れない気持ちになるマヒロは何とかして会話の糸口を見つけなければと考えた。

「えっと……、あ、レイラさんは何か食べました?」
「……」

焦燥感に駆られながらマヒロは話し掛けるのだが――。

―― 食べ物で釣るなんて相手は子供じゃないのよ!?

咄嗟に出た言葉にマヒロは自分でツッコんだ。そしてマヒロの問いにレイラは返答は無かったものの小さく首を振ったことで―― あ、良かった ――と、心内の子供化したマヒロはホッと胸を撫で下ろして喜んだ。

「じゃあ何か取って来ますね!」

この空気から少し離れるチャンス到来だとばかりにマヒロは嬉しそうにそう言って立ち上がろうとした。だが――ガシッ!――と腕を掴まれてピタリと足を止めた。驚いて振り無けばレイラがしっかりとマヒロの腕を掴んでいる。

「えっ、あ、あの……レイラさん?」

レイラの表情は思うより真剣で、マヒロは何も言わずに元居た椅子にゆっくりと腰を下ろした。するとレイラは意を決したようにマヒロを見つめて口を開いた。

「マヒロさん」
「は、はい」
「マヒロさんはマルコ様をどう思われているのですか?」
「えェはい、……はい?」

何か凄く大事なお話があるのだと背筋を伸ばし、真面目に答えなくてはと緊張したマヒロだったが、まさかの恋敵の話に面食らった。

「マヒロさんはマルコ様をお慕いしているのでしょう?」
「えーっと……」

今日は一日――そんな予定だったはず。
果たしてこれは真面に受け答えして良いのだろうか?
マヒロはレイラから視線を外して泳がせた。
どう答えたら良いのかとマヒロが困惑していると、直ぐに返事が来ないことに苛立ったのかレイラは少し眉間に皺を寄せてマヒロを睨むような目付きに変えた。
それにマヒロは少し驚いた。

「マルコ様はマヒロさんを「好きだ」と仰っていました。無くてはならない大事な女(ひと)だと」
「!」
「後にも先にもマヒロさん以外の女性を心から愛することはまず無いとまで、はっきりと仰っていました」
「……」
「マルコ様にそこまで愛されているマヒロさんはマルコ様を愛していないのですか? そうやって視線を泳がせて言葉を濁すということは、マルコ様程に想われていない、そういうことですか?」

睨み付けるレイラの瞳が徐々に潤い始める。声こそ気丈ではあるが少し涙声だ。そしてマヒロの腕を掴む手には自ずと力が入る。

「好きじゃないのなら……慕っていないのなら……」

声音は小さいが言葉には気持ちが込められてかマヒロの耳にはっきりと届いている。マヒロはその言葉の先に続く台詞が何であるかは嫌でも察した。そして思わず眉間に皺が寄るのも無理は無い。

「別れ――」
「別れて欲しい、そう言いたいの?」
「ッ……はい……」

レイラの言葉に被せてマヒロがそう言うと、レイラは零れ落ちそうになる涙を拭いつつマヒロに真剣な目を向けて頷いた。
今度は流石にマヒロも視線を外すことはせずにレイラに真剣に向き合った。

「好き。凄く好き。マルコさんが私を想う気持ちに負けないぐらいに私もマルコさんを想ってる。私にとってもマルコさんは無くてはならない大事な人です。だって、生涯で唯一愛する男(ひと)だもの」
「!」
「だから私はマルコさんを助けたいし守りたいと思っています。マルコさんの力になれることなら何だってする覚悟もあります」
「ッ!」

マヒロの強い言葉にレイラは少し怖気付いたのか、表情が少し崩れ始めた。

「もし…」
「もし?」
「もし、あなたが命を捨てるようなことになったとしても……?」
「……」

レイラの問いにマヒロは少し言葉を飲み込んだ。
マヒロはレイラから視線を外すことはしなかったが二の句を告げずに止まっていると、レイラは少しだけ怪訝な表情を浮かべた。

―― 好きな人の為に命を捨てる覚悟は無いの?

「私なら――」
「しません」
「――え?」

またレイラの言葉を打ち消す様にマヒロは答えた。予想だにしていない言葉を聞かされたレイラは目を丸くすると、またマヒロをキッと睨み付けた。

「そんな覚悟しか無いの? 好きな人の為に命を捨てる覚悟も無いなんて……!」
「覚悟があるから『しません』と言ったの」
「……どういう…こと…?」

強気に出るレイラに対してマヒロは兎角冷静だった。レイラの質問と答えに対して呆れるしかないと溜息を吐く。

好きな人の為に命を捨てる等、間違っている。そんなことは絶対にしないしさせてはいけない。
もし仮にそうしたとして、生き残った人の気持ちはどうなる? 残された人がどのような気持ちになるのか考えたことはあるのか?

生死の狭間で生き続けて来たマヒロにとってはレイラのそれはただの綺麗事でしな無く、結局は自分の気持ちのみを優先した甘い考えでしかない。

「命は捨てるものじゃない。生きる為に大切なものよ」
「!」
「好きな人の為に命を捨てるんじゃない。好きな人の為に命を生きなきゃいけない」
「そ、そんなの!」
「それは好きな人に限ったことじゃない。大事な家族に対しても同じことが言える。そうでしょう?」
「え?」
「レイラさん、簡単に命を捨てるなんて口にされますけど、あなたの命はそんなに簡単に捨てて良いものなの? あなたの命はそんなに軽いの? 違うでしょう?」
「そ、それは……」
「あなたを生かす為に懸命に生きる人を泣かせて良いの?」
「!」

マヒロはそう言うと腕を掴むレイラの手に自分の手を重ねてギュッと握った。するとレイラは軽くビクリと反応して身を強張らせた。だがマヒロは柔らかく優しく笑みを浮かべるとレイラは息を呑んで目を見張った。

―― どうして? どうしてこの人はこんなに……。

「残される側は凄く辛いの。苦しくて、悲しくて、この気持ちから逃げたくなる。でもどうすることも出来なくて、ただ泣いて泣いて泣き続けるの。大切な人を失い傷ついた心は凄く時間を掛けなければ立ち直れない。立ち直ったとしても元通りに治ったりはしない。傷は一生付いたまま……」
「……失くしたことが…あるの……?」

マヒロの言葉にレイラは問い掛けた。するとマヒロはレイラの手を握る手に力を込めた。ゆっくりと目を瞑り一呼吸を置く。そしてゆっくりと瞼を開けてレイラを見つめて小さく頷いた。

「ッ……」

それに思わず言葉に詰まったレイラはもう何も言えず、とうとう瞳から涙が溢れて零れ落ちた。

「もし、どちらか一方しか助からないなんて場面に陥ったとしても私は諦めない。一緒に生き延びる方法を最後まで足掻いて必死に探します。無様に誰かの手を借りることになったとしても厭わない。プライドなんていくらでも捨ててやります」

強い意志を宿した目を真っ直ぐに、マヒロは強い口調でそう言った。するとレイラはギュッと胸が苦しくなる感覚に囚われながらグッと息を飲んだ。

―― この人は誰よりも命の重さを、命の尊さを、知っているんだわ……。

「ゾイルさんがあなたを生かす為に必死になっていることはわかっているのでしょう?」
「ッ! ……は…い…」
「あなたを助ける為に色々なことを算段して、マルコさんをあなたと一緒にさせたがっているのは、ただ単にあなたがマルコさんを好きだからというわけじゃない。違いますか?」
「っ…はい…はいっ…」

―― 強い人……。私なんか足元にも及ばないぐらいに……。

ボロボロと涙を零して泣き始めたレイラの頬にマヒロはそっと両手を添え、レイラをぐっと引き寄せて額をコツンとくっつけた。

「ッ……!」

驚いたレイラは身を引こうとしたが、間近に迫るマヒロの表情がとても温かくて優しい、人情味のある笑みを浮かべていることに気付いて動けなかった。

「安心してください。私達はあなた方を助けに来たの。もう怖くないから、大丈夫」
「あ……」

マヒロがそう告げるとレイラの脳裏にマルコの声が響いた

〜〜〜〜〜

「おれはお前を助けに来たんだ。だから大丈夫、もう怖くねェから安心しろよい」

〜〜〜〜〜

これは偶然なのかわからないが、マルコと同じ言葉を平然と口にしたマヒロに、レイラは完全に敗けを認めるしかなかった。

―― 敵わない。この人は同じなんだ。心も強さもマルコ様と同じで……とても優しい人……。

様々な思いが複雑に絡み合って混濁した感情に心が一杯になったレイラは涙を零して泣いた。

「泣かないで、レイラさん」

マヒロは額を離すと涙を伝うレイラの頬を親指で拭いながら微笑んだ。

「レイラさんは笑ってる方が素敵です」
「っ…さい…んなさい…ごめんなさい…」

レイラは泣きながら謝罪の言葉を何度も口にした。

―― 別れて欲しいだなんて……私は…私はっ!

浅墓な考えでそんなことを口に仕掛けた自分は何て醜い女なのかとレイラは自己嫌悪に陥り始めた。だが――。

「あ、一つ聞いても?」
「ッ……?」

そんなレイラにマヒロはそう声を掛けた。レイラは涙で濡らした顔をそのままにマヒロへと視線を向けた。
何故かマヒロは「あー」だの「そのー」だの言いながら視線を彷徨わせていた。更に頬に赤みが徐々に差し始め、何やら言い難そうに口をモゴモゴさせている。
レイラは不思議に思って首を傾げた。

「レイラさんは、マルコさんのどういうところに惚れたのかな〜……なんて」
「……え?」
「うっ、その、あの、えっと、えーっと……」

マヒロはレイラから咄嗟に視線を外してまた宙に彷徨わせて眉間に皺を寄せた。

―― 酷なこと聞いたかも!?

心内で激しく後悔して動揺した。
好きな人が想いを寄せる女から「どこに惚れたの?」と聞かれて普通に答えられるわけがない。
寧ろ、このタイミングで絶望的な質問を繰り出す自分は何て浅墓で愚かでバカな女なのか――。

―― ああ、違うの! そんなつもりで聞いたんじゃ無いの! 私のバカ! これじゃあ凄く嫌な女じゃない!!

心内で四つん這いに平伏してガンガンと拳で地面を叩き、後悔の念に苛まれた。それは表情にも如実に表れていた。眉間に深い皺を刻み「くう〜!」と悔やむ表情だ。

「…ぷっ!」
「!」
「…ふふっ…ふふふ…!」

まるで百面相なマヒロの表情の変化にレイラは堪らず噴き出して笑った。それに目を丸くしたマヒロにレイラはハッとして咄嗟に口元に手を当てた。

「あ! ちっ、違います! その!」

涙で濡れる頬を赤くしてレイラが狼狽えて首を振るとマヒロは安堵するかのような溜息を吐いて笑みを浮かべた。

「ふふ、やっぱりレイラさんは笑ってる方が素敵です」

自分と違ってお嬢様育ちのレイラはとても華やかで女性らしい可憐さを持っている。彼女の笑顔を見れば育ちの良さが直ぐにわかる。きっと誰からも好かれる人であることも――。
だから決して自分自身を卑下して欲しく無いのだとマヒロはレイラを気遣った。そんなマヒロの気持ちを汲み取ったのか、レイラは小さく被りを振って笑みを零した。

「……マヒロさんは強い人ですね」
「え?」
「教えてください。あなたはマルコ様の為に何をしますか?」
「えっと、何と言われても色々あると思いますけど……」
「……」
「まずは生きること……ですね」
「!」
「私は失くす人の痛みを知ってるから絶対に死にたくないですし、マルコさんにその痛みを味わって欲しく無いですから、どんなことがあっても最後まで必死に足掻いて生きること……です」

苦笑しながらマヒロがそう答えた。するとレイラは更に質問する。

「もし、もし先に――」
「えっと、殺される以外での話?」
「え?」
「あ、違いました?」
「えっと……」
「じゃあ”両方”にお答えしますね」
「え、えぇ……」
「老いて死ぬ分に関しては自然が決めることではあるけど、それでも私は必ず見送る側でいたいと思います。それから、故意に誰かに『命を狙われて奪われる』なんてことは絶対にさせません。マルコさんは強いからその心配は無いかもしれないけど、私は必死に助けるし守ろうとすると思う……です」
「……」
「仮に私が先に死んじゃったら、残されたマルコさんが心配で……やっぱり死ねないと言うか……えーっと……あれ?」

そう返答するとマヒロは首を傾げた。

―― 仮に死んじゃった場合、心配でやっぱり死ねないって、結局それは死んでも無いんじゃ……?

何が何だかよくわからなくなって来たマヒロは険しい表情を浮かべて悩み始めた。そんなマヒロをじっと見つめていたレイラは視線を地面に落としてフッと微笑を零した。

「マルコ様がマヒロさんを愛される理由が何となく……わかった気がします」
「へ?」

レイラの言葉に悩んでいたマヒロはピタリと思考を停止してレイラへ顔を向けた。

「私はずっとしてもらうことしか考えてなかった。してあげる気持ちなんて無かった。側にいて欲しい、助けて欲しい、守って欲しい、愛して欲しい。ただマルコ様に依存する気持ちしか無かった」
「……」
「私もなれるかしら? いつかマヒロさんのような強い女性に」
「!」
「そして、マルコ様みたいに素敵な人を見つけて、その人の為に生きて、最後は私も見送る側になるの」
「レイラさん……」

涙で濡らした頬を拭い、その頬を赤く染めて照れくさそうに笑顔を浮かべて答えるレイラに、マヒロは胸が熱くなるのを感じた。そしてお互いに顔を見合わせると一緒になってクツリと笑うのだった。

恋敵*舌戦

〆栞
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