12


ウィルシャナ城塞内で開催されるパーティー会場の入口付近にて、ゾイルの娘であるレイラと再会したマルコは、本意では無いが仕方が無しにレイラをエスコートした。
レイラは頬を赤らめ、緊張した面持ちではいるが嬉しそうに笑みを零す。
マルコはレイラと他愛の無い話をしながらチラリとマヒロへ視線を向けた。ベンチでサッチと二人で仲良さげに話している様子に眉を少しだけピクリと動かした。

―― ったく、人の気も知らねェでよい……。

出来ることなら今直ぐにでもマヒロをエスコートして楽しみたいと思うものの、パーティーを楽しむ為にここに来たわけではないのだ。
多少、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつもマルコはそれを断ち切って仕事に臨む。ゾイルの真意、そして手紙から感じ取ったレイラの周辺に纏わり付く黒い靄の正体を確かめなければならない。

―― ……はァ、やっぱりマヒロの方が強ェな。おれの方が折れそうだよい。

マルコは数時間前に話したマヒロとの会話を思い出していた。

ウィルシャナ領主のゾイルとその娘のレイラについて、初めて出会ってから今日に至るまでの詳細を説明した。
マヒロは少し眉間に皺を寄せて難しい表情を浮かべて聞いていたが、暫くすると「わかりました」と納得するように頷いてマルコに顔を向けた。

とても強く凛としたその表情はとても懐かしい気持ちにさせた。いつかの奇怪虫に侵された娘を助ける為に真剣な表情で処置していたマヒロの表情がそこにあった。
それは『他人の為に』という強い思いの表れだ。そしてマヒロがきっと口にするだろう台詞をマルコは容易に予測していた。

「マルコさんはレイラさんを助ける為に集中してね?」
「あァ、それは」
「今日は私の事は忘れてください」
「は?」
「私はサッチさんの恋人役ですから忘れてくださいね」
「ッ……」

最初こそマルコはゾイルからの申し入れを拒否する気でいた。参加すること自体拒否したい気持ちがあるのに相手まで決められたとあっては流石に御免だと思った。だが『レイラの文字に掛かる黒い靄』の件とゾイルの娘に対する思いを知ってかマヒロは自らマルコを説得するようにして宥めた。

「はァ…、わかった。今日は割り切ってレイラに付き合うよい」
「ふふっ、そうです。これはお仕事ですよ、お仕事」
「よい……」
「よい!」

本当はゾイルとレイラの話をした際にマヒロが少しでも渋ってくれたら――なんて思いはあった。
しかし、何度想定してもこういう流れになるだろうと思っていたら案の定だ。

眉間に手を当てて溜息を吐きつつマルコは渋々腹を括った。

それにマヒロから懇願の目で頼まれたのでは断ることができなかった。つくづく自分はマヒロにとことん弱いと呆れて笑ってしまう程だ。

「……今更言っても遅ェんだが、何でサッチなんだよい」
「オヤジ様が決めたことですよ」
「全く不満と不安しかねェ……」
「ちょ、マルコさん、露骨にそんな嫌そうな表情を浮かべないでくださいよ」

いつものフランスパンが消え失せたサッチがマヒロをエスコートし、仲良さげに話をする二人を見ると腹の底がムカムカしてしまう。

―― 早く終わらせてェよい。

マルコは顔にこそ決して不満様相を浮かべることは無かったが、内心はそんな気持ちで一杯だった。
そんなマルコの隣に立つレイラは気恥ずかしそうにしながら遠慮気味に自身の手をマルコの腕に絡ませて身体を寄せた。

―― ッ、兎に角、今は……。

集中しろと自分に言い聞かせるようにしてマヒロから視線を外し、レイラへと気持ちを向ける。するとフッと脳裏にロダの村の村長が過った。そしてロダの村の村長の話と『王牙鬼』の存在を鮮明に思い起こされ、ドクンッ……と鼓動が大きく打つ感覚に囚われる。

「――!」

一瞬、ピリッと電気が体内を突き抜けていく感覚が襲った。
思わずレイラの方へ視線を向けるが、レイラは幸せそうな笑みを零している。そしてレイラの右手がマルコの左手に触れると、お互いの指と指を絡ませ合う所謂『恋人繋ぎ』で握った。

―― 何だ?

今度は何故か幼い子供と思われる声が聞こえ始めた。

『……! …っだ…!』

―― この声は……まさかチシ?

徐々に鮮明さが増して声が大きくなると脳裏に映像として凄惨な光景が映し出された。

「やめて! やだァ!」
「ふェェェん!!」

幼い姉弟が抱き合いながら泣いて叫ぶ。

「お願い! パパを殺さないでェ!!」
「くは…はァはァ…た、頼む…、子供だけは、子供達にだけは、手を出すな! 王牙鬼! 頼む!!」
「ガキなどどうでも良い。私はお前が嫌いだ。親父に似て反吐が出る程にな!」

王牙鬼と呼ばれた男は地面に這い蹲る男の胸倉を掴むと問答無用に手刀を繰り出した。

ザシュッ!

「やだァァァパパ! パパ!!」
「うあァァァん!」
「はっ…かはっ…チシ…サ…コ……」

王牙鬼の手刀は男の腹を貫通した。男は口からゴプリと血を吐きながら薄れゆく意識の中、幼き我が子を見つめた。

「まだ息があるか、しつこいな。流石に親父の弟か、ここまでそっくりだとはな」

ザンッ!

王牙鬼は非常にも幼き子供達の前で父である男の首を跳ねた。

「!!」
「…あ…あァ…」

ゴトン…――重く落ちてゴロゴロと転がるソレを子供達は愕然とした目で見つめる。顔は青褪め、眼から涙を零し、ガタガタと身体を震わせる。
王牙鬼の冷たい目が二人を突き刺す様に向けられた。すると王牙鬼は鼻で笑った。

「虫けらだな。この村にいる連中はどいつもこいつもクズだ。チシ、サコ、お前達はまだガキだからよくはわからんだろうが、もう少し大人になればこの村にいるのが嫌になるはずだ。その時はおれの所に来い。お前達は面白い力を持っているからな」

冷たい声音でそう言った王牙鬼に、チシは弟のサコをギュッと抱き締めながら首を振った。

「……い、……嫌い、王牙鬼なんて…大っ嫌い! 誰が…、誰がっ! あんたのところなんか絶対に行かないから!!」

声を上げて叫ぶチシに王牙鬼は「ククッ…」と笑みを浮かべた。

「チシ、お前のその強い気概は嫌いじゃない。寧ろ好感が持てる。そっちで泣き喚いてるだけのガキと違ってなァ!!』

王牙鬼はチシに泣き付いているサコに目掛けて蹴りを放った。

バキッ!!

「あぐっ!」
「サコ!!」

王牙鬼の蹴りはサコの脇腹を直撃した。サコは呻き声を漏らして血を吐き、気を失ってぐったりと倒れた。顔をこれ以上無い程に青褪たチシは慌ててサコの身体を抱き上げた。

「チシ、よく考えろ。良いな?」
「サコ! ねェサコ!! やだよ! サコ!!」

―― 助けて……助けて……お願い……誰か…… ――

――― タスケテ ―――

泣きながら助けを呼ぶチシの声を最後に全てがフッと消えた。

「ッ……」
「マルコ様?」

表情が優れないマルコにレイラは声を掛けるが返事は直ぐに返せなかった。

「どうかなさったのですか?」
「あ、いや…、何でも無ェ、大丈夫だよい」

軽く笑みを零し、その場を適当に取り繕う。

瞬間的に見たソレはまさにチシとサコの父親が王牙鬼の手で殺される場面だった。
王牙鬼に蹴られてぐったりとしたサコを抱えながら泣き叫ぶチシの悲痛な声がマルコの耳にこびり付いて離れない。

マルコは徐に手で口元を覆うとレイラから顔を背けた。眉間に皺が寄って苦悶の表情を見せないように出来る限り努めた。

腹の底からチリチリと怒りの感情が沸々と込み上げる。

あの幼い子を抱き上げた感覚が今にも腕に残っている。
零れた涙を拭った指には熱が残り、頭や背中を摩った手の平の感覚も残っている。
小さな身体をぶるりと震わしながら求めて来たあまりにも小さな手を思い出した。

サコが異様に怖がるのは王牙鬼に攻撃された後遺症が為か、父親を求めながらも男を怖がっているように思えたのはそのせいだとマルコは理解した。
マヒロに甘えを求めたのは母親の愛情を、マルコに甘えを求めたのは父親の愛情を、親の愛情を満足に貰えなかったサコはマヒロとマルコにそれを求めたのだ。そしてチシは――。

「パパと似てるの」
「うん! さっき抱き締めてくれた時にパパと同じ匂いがしたの。優しくて温かくて……だから凄く好き」

ドクン……――。

目の前で王牙鬼により実の父は胸を貫かれて大量に血を吐いた。そして最後には彼女達の目の前で首を刎ね落として見せた。更にチシの弟サコを手加減無しに蹴りつけた。チシはどんな思いで見ていたのか、どんな気持ちで見ていたのだろうか――。

―― 王牙鬼……許せねェよい。

怒りの鼓動が脈打つ。だがマルコはぐっと堪えた。しかし、何故レイラに触れた瞬間にそれが見えたのか、マルコは疑問を抱く。だが今は沸々と湧き上がる怒りを懸命に抑えてポーカーフェースで装い、心配げに見上げるレイラに笑みを落として「大丈夫だよい」と声を掛けて安心させた。
レイラは安堵の色を見せて笑みを浮かべると繋ぐ手にギュッと力が込められた。それに対してマルコは少し考えたが「これも今だけだ――」と、そう割り切って握り返してやると、レイラは嬉しかったのか頬を赤らめながら小さな声で「マルコ様……」と名を呼んだ。

ジャーン! パンパカパーン!!

突然大きな音楽がパーティー会場一杯に鳴り響き、レイラの声は簡単に掻き消されてしまった。だがマルコの耳にはちゃんと届いていた。
レイラは眉尻を下げ、悲しい表情を浮かべると顔を俯かせた。きっと届いていないと思ったからだ。するとレイラの頬にフワリと添えられる手に、レイラは目を丸くして顔を上げた。

「あ……」
「聞こえたよい」
「ッ……マルコ…様……」

優しい笑みを浮かべるマルコにレイラは堪らず泣きそうになる。しかし懸命に込み上げる気持ちと涙をグッと抑えて堪える。
側にいて欲しい――その言葉を受け止めてくれたとレイラは思った。

―― 好き……あなたが好き。マルコ様、私はあなたが好きです。ずっと側にいたいの。できることならこれから先もずっと側にいて欲しい。……お願い、助けて。……お願い、私を守って……お願い。

胸の内でレイラは想いの丈を叫ぶと、数日前に起きたとある出来事が恐怖を呼び覚ます。

〜〜〜〜〜

暗い私室に見知らぬ男がいた。
窓は開け放たれ、風に揺らめくカーテン。
恐らくそこから侵入したのだろう。
男はレイラを見るなり目を細めて近付いた。
レイラは咄嗟に声を上げようとしたが、男の動きは人とは思えない速さでレイラに近付き口元を押さえた。

「くく…、成程。なかなかの上物だ」
「んッ……」
「見える人間がこのように美しい娘が誰の手にも付けられず無傷でいようとは思ってもみなかった」
「やっ……!」

男はレイラの首筋に顔を近付けて匂いを嗅ぐ仕草をした。レイラは堪らず身を捩るが男の力は強くてビクともしない。

「ゾイルを殺そうと思って来たのだが良い代物を見つけた。確かゾイルには娘がいたが……あァ、思い出した、レイラという名だったな。お前がレイラだな?」
「!」

男がレイラの耳元で囁くとレイラは目を見開いた。そして直ぐ側にある男の顔へ視線を向けると男は目を細めてクツリと笑った。

「おれの名は王牙鬼だ。面白いことを思い付いた。レイラ、お前にはゾイルを追い詰める道具になってもらおう。ククッ、一度は娘の命を捨てようとした過去がある。その為にゾイルは娘に対して罪の意識があるからなァ。それを存分に利用させてもらおう」
「な、なに…するの……?」
「ゾイルは見えない人間だが……”知っている”人間だ。見えない輩に襲われる娘をゾイルは必死になって守ろうとするだろう。精神的に壊れる程に追い詰めるには丁度良い。そうは思わないか?」
「ッ、な、何故そんことをするの!?」
「何故? お前達人間はおれ達をどれだけ追い詰め迫害して来た? まさかゾイルの娘でありながら知りもしないのか? ……どこまで平和で甘ったれた生活を送ってやがるのか、無知で愚かで罪深きお嬢さんだ」

王牙鬼はそう言うとレイラの首を掴んでグッと力を込めた。

「うッ……!」
「今はこのまま引き下がってやるが少し腹が減った。レイラ、お前の生気を少し頂いていくぞ」
「うっ、やっ…嫌っ、やめっ――ンん!」

ゾクリと背中に悪寒が走ったレイラは懸命に首を振って抵抗しようとした。だが王牙鬼に敢え無く顎を掴まれ固定されると咬み付かれるように唇を重ねられた。

「んンっ…はっ…んっ……」

ギュッと閉じる口を開けるように顎を掴む手に力が込められ、敢え無く開けさせられる。すると王牙鬼の舌が挿し込まれ、レイラの咥内を蹂躙した。
舌が触れる度に絡められ、チュクチュクと聞きたくも無い水音が響く。

「ッ…はっ、はァ…はァ…」

漸く解放された時、王牙鬼とレイラの唇から伸びる銀糸が繋がりプツリと切れる様がレイラの視界に入った。
ガクリと膝から崩れ落ちてその場に座り込んだレイラは涙をボロボロと零しながら手で自分の唇を拭う。
そんなレイラを足元に王牙鬼は喉を鳴らして満足そうな笑みを浮かべていた。

「あァ、なかなかに甘美な生気だ。おかげで少し腹が満たされた。どうした? 異性に唇を奪われるのは初めてか? クククッ、初めて口付けを交わした相手が『妖怪』だとは夢にも思わなかっただろうなァ? 好いた男がいるのであれば尚更ショックだな」
「ッ――!」
「クククッ、じゃあなレイラ。ゾイルには私の名と共に『後日にお前の元に来る』と伝えておけ」

王牙鬼はそう言うと開け放たれた窓から立ち去り、一人残されたレイラは暫くその場に蹲って無く事しかできなかった。

〜〜〜〜〜

ゾクッと悪寒が走るのを感じたレイラは、空いた手をマルコの腰に回して抱き付いた。
マルコは突然の事で驚いたが、僅かにレイラの身体が震えていることに気付き、無下に引き離すことはできなかった。

記憶の残像

〆栞
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