07


白ひげが徐に話し始めたのはマヒロと出会う前のマルコに関することだった。聞けば聞く程に今のマルコとは全く想像できないものだった。

「マルコは警戒心や猜疑心が人一倍強い為にそう易々と他人に心を許すような男じゃあ無かった。自分に厳しいのは今と何ら変わらねェが当時は周りにも厳しくてなァ、今みてェに助けを乞う者が誰であれ手を差し伸べるようなことはしなかった」
「……」
「マヒロにとっちゃあ酷な話に聞こえちまうだろうが、女に対する概念も酷くてなァ。ただの性の捌け口ぐれェにしか思っちゃいねェところがあった」
「ッ……!」

白ひげの話にマヒロは驚いたのか思わず小さく息を飲んだ。

―― ……マルコ…さんが?

サッチやイゾウ等、周りの者達も同じようにマルコについて『人が変わった』と言っていた。
マヒロは過去のマルコについて知りたいと興味はあった。

以前のマルコと今のマルコの何がどう変わったのか――。

だが実際にこうして過去のマルコについて話を聞く機会を得るとなると、マヒロは知ることが少し怖いと思った。
マヒロの表情を見て察したのか白ひげは一呼吸程の間を置いた。

「マルコの過去を聞きてェか?」
「少し……気が引けます。でも、」
「……」
「私は全てを知った上でマルコさんを愛したい」
「!」
「だから、教えてください。オヤジ様が教えてくれたのならマルコさんも許してくれると思うから」

白ひげは異世界云々以前のマルコのことをマヒロが知れば、多少なりとも気持ちに差異が生じて減滅さえするのではないかと心配でもあった。
マヒロに対するマルコの想いの強さは知っているが、マルコに対するマヒロの想いはどれ程のものかはわかっていない――が、マヒロの強く真っ直ぐな目を見た白ひげは取り越し苦労だったかと小さく笑った。

「グラララッ、あァわかった。少し長くなる。そこの椅子に腰を下ろすと良い」
「あ、はい」

隊長会議の時に使用するマルコの席にマヒロを座らせると、白ひげはどこから話そうかと思案しながら徐に口を開いた。

「マルコは不死鳥の力を手にしてからというもの過酷な道を歩いて来た男でなァ」
「……そう、みたいですね」
「マルコが話したか?」
「いえ、あまり不死鳥の力には良い思いをしたことが無いように見受けたので……」

二年前、怪童児との戦いで初めて不死鳥の力を見た時のことを思い出しながらマヒロは答えた。

「不死鳥の能力によってどんな傷を負っても再生するマルコはそう簡単に死にはしねェ、死にはしねェが……」

白ひげはそこまで話すと途端に言葉が途切れた。
その様子からあまり良い話では無いのだろう。だがマヒロは白ひげが話すのをただ黙って待った。
白ひげは少し溜息を吐くと再び口を開いた。

「……マルコを追い詰める為に敵がすることと言やぁ何だかわかるか?」
「え……?」
「ただじゃ死なねェ凡そ不死身の身体を持つマルコをどう攻略すれば倒せるか」
「それは……」

白ひげの問いにマヒロは少し眉を顰めて考えた。

―― マルコさんをどうやって……うーん。

マヒロにとってマルコの側にいて知る限りは生半可な強さでは太刀打ちできない程にマルコは強い。その為、敵に追い詰められるイメージがとんと沸かない。
ただ一つあるとすれば、マヒロの盾となって鬼雷鳥の攻撃を真面に受けて重傷を負ったあの瞬間しか――。

―― !

マヒロはハッとして顔を白ひげに向けた。すると白ひげは小さく頷いて答えた。

「……まさか……!」
「肉体的に殺せないのなら”精神的に”殺せば良い」
「!」
「人質となった仲間の身代わりとしてマルコが拘束されたことがあった。だが結局、人質となっていた仲間はマルコへの見せしめとして次々と殺しやがった。助けることもできずに無残に死んでいく仲間をマルコは目の当たりにした」
「そ、そんな……」
「今のマルコからは想像はつかねェだろうが、未熟で若ェ間は何度かそういう目に合って来た。それでもマルコは耐えて耐え抜いて生きてきたんだ」

マヒロは絶句した。そして胸がグッと締め付けられる思いに自ずと手は胸元に、そして衣服をギュッと握り締めた。

―― ……マルコさんは大切な人を目の前で失う痛みを何度も経験して来たんだ。……私なんかよりもずっと……。

ゆっくりと目を閉じて深呼吸を繰り返す。そんなマヒロを見やりながら白ひげは更に話を続けた。

「悪魔の実の能力者ってェのは何かと世間から嫌われる対象でなァ。マルコはその中でも特に希少種とされる不死鳥だ。どんな傷でも再生するだけじゃなく不死鳥にもなれる。そんな人間に『畏怖』を抱かねェ奴なんてェのはそうはいねェ」

白ひげの言葉にマヒロは閉じた目をパッと開けた。

「あいつはこの船にいてもどこか孤独を背負ったままだった。仲間内でもマルコを特別視しているところがあったから尚更かもしれねェ。マルコは決して口にはしねェが心無い罵声なんてェのも浴びて来ただろうなァ」
「えっ……、仲間内って……」
「今は無ェ。マルコがまだ若い時の話だ」
「ッ……」
「人伝に聞いた話だが『死にゃあしねェんだから弾除けぐれェ出来んだろ』ってなァことを言われたらしい」
「なっ……酷い!」
「マルコが誰よりも率先して死地に向かい戦うようになったのも仲間の弾除けを自ら望んで行うようになったのはそれからだ。例えそんな罵声を投げ掛ける仲間だとしても、この船にいる限りはおれにとってそいつらは息子であり、マルコにとっては家族。大事なものを守る為なら失うよりも遥かに良いってなァ、そういう考えはマルコらしいと言えばそうなんだが……」
「ッ……」

当然のように自らの身体を盾にして敵からの攻撃から守ろうとする。攻撃を受ければ生身の人間と同様に痛みを伴う。なのに、深手を負っても再生するから良いのだとマルコは話していた。
大事なものを守る為なら失うよりも遥かに良い――確かにそうなのかもしれない、そうかもしれないが……それでもマヒロはやはりそんな戦い方はして欲しくはないと強く思った。

「マヒロ」
「……はい」
「何故お前ェにこういう話をするかわかるか?」

震える手をギュッと握りつつ顔を俯かせたマヒロは小さく首を左右に振った。

―― ……もっと、もっと早くに知ることができてたら良かった。

マルコは自分の過去の話は一切しない。何度か聞いてみたいと思うことは確かにあった。しかし、不死鳥の力を初めて見せてくれたあの時の苦しそうな表情が脳裏を過ると聞かない方が良いのだと度々思い止まった。
白ひげがこうして話してくれなければ、きっと恐らくずっと知らないままでいただろう。
マルコの過去の話を知ったマヒロは深く傷付いただろうマルコの心を想うと胸が苦しくなった。
目に涙が込み上げると堪らずにポロポロと涙が零れ落ちて行く。

「ッ……」

手で涙を拭うものの次から次へと涙は零れ、胸や手の甲に膝の上等を濡らしていった。
マルコを慮って涙を零すマヒロに白ひげは微笑を浮かべた。

―― グラララ、マルコがマヒロに心酔するのは何も恩人だからってェだけじゃねェな。こんな他が為に涙を零してくれる女なんてェのは貴重だ。どこまでも深くて純粋な愛情を受けりゃあおれでも確実に落ちらァな。

「マルコの深く暗い底に沈んだ凝り固まった心を、明るい世界に救い上げて溶かしたのは他の誰でも無ェマヒロ、お前ェだ」

白ひげの言葉を耳にしたマヒロは脳裏にマルコが言った言葉が声となって響く。

『不死鳥の能力をお前は好きだって言ってくれた。綺麗だってなァ。再生の能力を生かして仲間の弾除けとなって戦うおれにマヒロは止めろと言ってくれた。もっと自分を大事しろって怒ってくれたよい』

―― !

「おれから見りゃあマルコの心は常に泣いていた。孤独と痛みでボロボロになっちまっていた。それをマヒロが救い上げて癒したとなりゃあマルコがマヒロを手放せねェ理由がわかるってもんだぜ」
『もう手放せねェんだよい。二度と……手放したくねェ』

ニヤリと笑って話す白ひげにマヒロは涙を拭いながら小さく頷きつつ、少しだけ笑みを零した。

「だからだろうなァ、心にゆとりが生じたマルコは人の痛みや苦しみが誰よりも理解できるからこそ『器のでかい優しい男』になりやがった。その妖怪のガキ達の辛さも理解してんだろう。目の前で大事な命が失われていく怖さを誰よりも身に染みて理解しているからなァ」

そう話す白ひげの顔を見た時、微笑を浮べつつもその瞳は悲哀に満ちてどこか寂し気な印象だった。

「オヤジ様……」

本来なら『オヤジ』と慕ってくれる息子同然のマルコを救うべきは自分の役目であったのだと責任を感じていたのだろう。しかし、どうやって救えば良いのかわからずに悩んでいた――が、マヒロのお陰でその悩みは意図も簡単に解消された。マルコだけでは無く白ひげの心の足枷をもマヒロによって解かれたことになるのだ。

「グララララッ、どうすべきかと思っていた矢先にマルコがマヒロの世界へ行っちまったからなァ」
「私……そんな、マルコさんの心を救い上げただなんて自覚はありませんでした。私もまた孤独でしたから、辛くて、寂しくて……。でも、誰にも助けを求めることなんて出来なかった。そこにマルコさんが現れたんです。そして私に『守りたい』『頼れ』と初めて言ってくれた人で、凄く…嬉しかった……」

救われたのは自分の方だとマヒロはそう言うなり言葉を続けた。白ひげは目を細めると黙ってマヒロの声に耳を傾けた。

「私も幼い頃に両親を目の前で亡くしました。一般的に見ればただの事故だったのですが、あれは妖怪が私を狙って起こしたものだって、後に祖母に聞かされた時にショックを受けました」
「……」
「血に塗れた父と母が苦し気な表情を浮かべながら徐々に死へと向かい、やがて息を引き取るその最後の瞬間まで間近で見つめなければならなかった。あの辛さや苦しみは決して忘れたことはありません。自分のせいで周囲の人が巻き込まれて死んでいく。それが怖くて、辛くて、悲しくて……。だから祖母が亡くなってから私はずっと一人で生きて……生きてっ……」

留まること無く涙がボロボロと零れ落ちる。胸が苦しくて胸元の衣服をぎゅっと握ると堪らずに嗚咽を小さく漏らした。

「側にいてさえくれりゃあそれだけで十分だって、マルコさんには言われました。でも、それは私も同じなんです。私だって、もうマルコさんを手放せない。マルコさんが私を救いだと言うのなら、私にとってもマルコさんが救いだから」
「……マヒロ……」
「もう、辛くて寂しい孤独は……嫌です」

涙を腕で拭うがどんどん溢れて来る。
マヒロは何とか平静を取り戻して涙を止めようと懸命に意識し始めた時、ふっと身体が浮いた感覚に目を丸くした。

―― え?

背中に回された大きな手が支えとなって、マヒロは白ひげの懐に優しく抱き締められていた。

「マヒロ、すまねェ、辛い思いを起こさせちまった。マルコの過去を知った上で共に生きてやって欲しいと思って話したんだが、まずおれが先にマヒロの話を聞いてやるべきだったなァ。許せマヒロ」
「っ! そ、そんな、謝らないでください。悪く…無い、オヤジ様は悪く無いです」
「形は違ェが二人は似たような境遇だなァ。グララララッ、お前ェ達が出会い結び付くのは必然だったのかもしれねェなァ」
「……!」

白ひげが声高らかにそう言うとマヒロは目を丸くして言葉を飲み込んだ。

―― 必…然……? 必然…だったのかな……?

初めて会った時、お互いに何の怪訝も無く自然体で言葉を交わした。
直ぐに打ち解けて話をするようになった。
意地とか気遣いで言葉を濁して話すこともあったが、結局は全部を打ち明けて何もかも話せる間柄となっていた。
共にいて、共に戦って、それが当り前のようだった。
今思うとお互いに警戒心が強い者同士だったはずだ。それなのにも関わらず直ぐに打ち解けて自然体で話せたことが不思議な出来事で奇跡とも言える事態だったと言える。

全ては――同じ色、同じ鼓動、同じ魂の色――青。

―― ……。

「マルコが好きか?」
「え?」
「マヒロはマルコのことが好きか?」
「……はい。……好き…です」
「そうか。ならマヒロ」
「はい」
「改めて言うのも何だが、親として言わせて貰うが」
「!」
「マルコの事を頼んだぜ?」
「……オヤジ様……」
「グララララッ! お前ェらの結び付きは大したもんだなァ。マルコとマヒロが出会うのは必然、いや運命と言った方が良いかもしれねェ。どのみちマルコとマヒロはお互いに無くてはならねェ存在だってェことだ。それがわかりさえすれば何も問題無ェ。例えこの先に何があったとしても、お互いを強く信じることだ。なァ、マヒロ?」
「はい、信じます。信じる。だって同じ色だもの。同じ青の鼓動を灯した力と魂を持ってるもの」
「青の鼓動か。不死鳥は青い炎を灯しちゃいるが、確かにあれはマルコの魂そのものの色に見えなくもねェなァ。命の限りを尽くして戦い、必死に生き抜こうとするあいつの魂が形に現れた色なのかもしれねェなァ」

白ひげが微笑を浮かべてそう言う頃には、あれ程止まらなかったマヒロの涙は不思議と止まって落ち着きを取り戻していた。

「ふふ、ありがとうオヤジ様。マルコさんのことを教えてくれて」
「辛くはなかったか? 女としてはあまり聞きたくねェ話もあっただろうが……」
「いえ、そんなことは無いです。それに――」
「ん?」

マヒロは何かを言おうとしたが慌てて口を噤んで視線を泳がした。その顔は妙に赤くなったことから『羞恥心』を抱いたことは明白なのだが――、白ひげは軽く首を傾げた。

―― 急に照れ始めたみてェだがどうしやがった?
―― ッ……あ、危なかった。流石にこれは『爆弾』よね!?

『偶には甘えさせろよい』
『ハハッ! こんなことできるのはマヒロにだけだよい』

急に子供のように甘えて来たりして、それは私にだけだって言ってくれたから――なんて、口が裂けても言えない。言ってはいけないとマヒロは自重した。

「ハ、ハハ、な、何でもありません」
「……そうは見えねェがなァ?」

ニヤリと何やら悪い笑みを浮かべる白ひげにマヒロはサッと血の気が引くのを感じ、慌てて白ひげの懐から飛び退いて距離を取った。

「グラララ、二人だけの秘密か。妬けるじゃねェか」
「やっ、ち、違っ…わなくも無い…かなァ?」
「否定するのかしねェのかはっきりしやがれ……」

頬を赤らめながら否定どころか「えへへ」と何やら嬉しそうな笑みを零すマヒロに白ひげは少しだけ顔を顰めると「デレやがって」と小さく呟いた。

―― 若ェ……。

どうやらその若さ(青春)が少し羨ましいと思ったようだ。
そして――。
明るさを取り戻したマヒロの表情に白ひげはどこかホッとしたような面持ちを見せ、「グラララ」と笑った。
マヒロはそんな白ひげの『親心』のような気持ちに感謝した。改めて今度は自ら白ひげの元に歩み寄る。そして両手を広げて「良い?」と伺いを立てると白ひげはマヒロを懐に迎え入れて優しく抱き締めた。

愛情に満ちた温もりをマヒロは全身で感じた。
マルコから与えられるものとはまた違った安心感がある。
気持ちが落ち着いてとても楽になる。

―― 本物の父性愛ってこんな感じなのね。凄く偉大だなァ……。

男親に縁が薄いマヒロにとっては感慨深いものがあった。そしてチシやサコが『父』を求める気持ちがよくわかったような気がした。

「チシとサコの件も許可を出してくれてありがとう」
「あァ二人に会うのが楽しみだ。おれからすりゃあ孫みてェなもんだな」
「……へ?」
「せいぜい父親と母親として二人の面倒を見てやれってことだ。あァ勿論マルコとマヒロの間に生まれる子供も楽しみにしてるからなァ、グララララッ!!」

白ひげの爆弾発言にマヒロは顔を真っ赤にさせたまま口をパクパクと開閉を繰り返した。

―― よ、世の中には順番というものがあるんですよ!? ま、まだ夫婦にもなっていないのに気が早過ぎませんか!?

「わ、私とマルコさんはまだ夫婦になったわけじゃ――」
「することしてんだろうが? ならもう夫婦みてェなもんだろうが、グラララ!」
「なっ!? す、すす、することしてって……!?」
「グララララッ! 顔が凄く赤ェがどうしたァマヒロ」
「も、もう! わかってる癖に!」
「グララララッ!」

真っ赤にした顔のまま頬を膨らませて怒るマヒロに、白ひげは心底から楽しそうに笑って見つめていた。

―― 何だかこういうところもマルコさんとそっくりな気がする……。

「じゃ、じゃあ、私は失礼しますね」
「あァ、明日に備えて今日は早めに休め。勿論マルコにもそう伝えてくれ」
「はい」

マヒロは軽く頭を下げると船長室を後にした。

マルコの過去

〆栞
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