06


船に戻るとマルコは自室のドアを開けた瞬間に仕事机にある書類の惨状に気付き、思わず額に手を当ててガクリと項垂れた。
マルコの背後にいたマヒロはどうしたのだろうかと首を傾げ、マルコの背中越しに部屋の中を覗き見るが何がマルコをそんな風にさせたのかがわからず、眉を顰めながら視線をマルコの背中に移した。

「マルコさん…、どうしたの?」
「あー…いや、どうもしねェよい。あァそうだ、マヒロ」
「ん?」
「悪ィんだが、例のパーティー参加の件とチシとサコの件をオヤジに話しておいてくれねェか?」
「え!? わ、私がですか!?」

驚くマヒロにマルコはドアを大きく開け、とある方向に指を差した。

「あの山を見て察してくれると有難ェんだがよい……」
「……あ、はい、……私からはもう『頑張ってください』としか……」
「……ょぃ……」

仕事机の上に積まれた書類の山に気付いたマヒロは、マルコの背中を軽くポンポンッと叩いて慰めることしかできなかった。

妖怪の山にも驚かされたが書類の山にも驚かされた。

書類の山はドアが開けられたことで空気の流れが変わったからかバランスを崩し、バサバサと音を立てながら雪崩を起こして床へと落ちていった。
その様を見たマルコは不機嫌な表情を浮かべて額に青筋を張り、マヒロは息を飲みながら少しだけ後退った。

―― お、鬼の形相だわ……。怒られた時よりも今のこのマルコさんの方が遥かに怖い!

「じゃ、じゃあ私はオヤジ様の元に行ってきますね」
「……」

マルコの返事は無い。
『触らぬ神に祟り無し』とはよく言ったものだと、マヒロはそっとその場を後にした。
マルコと別れたマヒロは一人で船長室へと向かった――「……あれ?」―― が、マヒロは早速迷子になっていた。

―― ここどこ!? どうして船の中なのにこんなに広いの!? 誰か助けて!!

現在地すらわからずに焦り始めた時、今いる廊下の先にある突き当りを左に曲がった付近に小さな妖気を感じたマヒロはハッとして身構えた。

―― どうして船の中に……?

妖怪が侵入して隠れているのだろうかと思ったマヒロは、気配を殺しながらゆっくりとした足取りで向かった。
突き当りを左に暗い廊下の先にあったドアの向こう側に妖気がある。
思わずゴクリと固唾を飲みながらマヒロはそのドアをゆっくりと開けて中を覗き込んだ――が、恐怖だとかそう言う類のものでは決して無い悲鳴を上げそうになった。

「ッ…、ど、どうしてここにあなたがいるの!?」
「む? おお、マヒロか! 久しいのう!」

暗い部屋に揺らめくハンモック。そこにはご機嫌でリラックスした空幻がいた。
ドアを開けたまま立ち尽くすマヒロを前に、ハンモックから身体を起こした空幻はニコリと笑みを浮かべた。

「な、何してるの?」
「ん? ただ単に寝ておっただけなんじゃが……」
「はい?」
「ここは人通りが少なくて滅多に誰も来んからのう、勝手にわしの部屋として使わせてもらっとるんじゃよ」

然も当り前のように話す空幻にマヒロは若干放心した様相のままに疑問をぶつけた。

「ま、マルコさんは、あなたがここにいることを知ってるの?」
「勿論知っとるよ。わしがここを自室にすると言ったら「勝手にしろい。どうせ誰も見えちゃいねェんだから」と冷たく突き放されたわい」

空幻は着物の袖からハンカチを取り出すとそれを噛み締めてワザとらしくシクシクと泣いた。
一方マヒロは放心状態が徐々に解消されていくに連れて表情を強張らせていった。

―― ちょっと待ってよ。

屍鬼に傀儡化された祖母幻海に襲われて瀕死となったマヒロを助け、異世界であるこの世界へと誘う際に空幻は確かに言った。

〜〜〜〜〜

「わしは真尋を転送した後、妖力の回復の為にまた暫く眠る。力を相当使うことになるから次はいつ起きるかわからんが……」

〜〜〜〜〜

このことを鮮明に覚えていたマヒロはまさかと思いつつ質問した。

「……妖力を回復する為に暫くここで眠ってたってわけ?」
「なかなか心地が良くてのう。いや、しかし無事に辿り着くことができて良かったのう」

カンラカンラと楽し気に笑う空幻に対して不満気な表情を浮かべながら愕然とするマヒロ。
二人の雰囲気は何とも対照的で、予想だにしていない再会を果たしたこととなった。

「して、マヒロよ」
「……何……?」
「もう子は身籠ったのかのう?」
「なっ!?」
「愛しい男と再会を果たしたんじゃ。もう疾うにできても良い程にやっとるじゃろうて」
「ッ〜〜!!」

空幻はそう言うと常に持っている杖を胸に抱き、キスをする真似をして見せてニヤリと笑った。するとマヒロはボンッと音を成して顔を真っ赤にさせた。

「で、でで、できてるわけないでしょうがァァァ!!」
「おぶふっ!!」

瞬間的に霊気を帯びたマヒロの右拳は見事に空幻の腹部にクリーンヒットした。

「はァはァ…、馬鹿……」
「うぐっ…な、何するんじゃい、こんな幼気な年寄りに本気で霊気弾をぶち当てる奴がおるか!!」
「何か……問題でも?」

涙目で訴える空幻にマヒロは底の知れぬ真っ黒なオーラを背後に従えて睨み付けた。

「マヒロ……、お前さんは何だか恐ろしいに性格に変わってしもうたのう……」

実に嘆かわしいことだとワザとらしく泣き真似をする空幻にほとほとげんなりしたマヒロは、反論する事も無くその部屋を後にしようとした。すると空幻は何を思ったのか部屋を出るマヒロの後をついて来た。

「……何?」
「いんや〜何となくのう」

不機嫌に振り向くマヒロに対して空幻は顎鬚に触れながらニコニコと笑顔でマヒロを見つめている。

「因みに船長室はあっちじゃよ」
「へ……?」
「わしの方が先輩じゃて、この船に関してはマヒロより遥かに詳しいんじゃぞ?」
「……そりゃどうも」
「むぅ……何だか素っ気無いのう……」

空幻は寂し気にそうポツリと零すとマヒロとは反対の方向へと歩いて行った。
空幻が向かった先はマルコの部屋だろう。
空幻はマルコに構ってもらいに向かったのだとマヒロは思った。しかし、今はマルコの部屋に行くのはあまりお勧めできない――が、止める気が無いのかマヒロは何も言わなかった。そして、空幻に教えられた通路を辿ると見知った大きな扉のある部屋へと辿り着いた。
船長室だ。
ここに一人で訪れるのは初めてだからか、マヒロは少し緊張しながらコンコンッとノックした。

「誰だ?」
「マヒロです」
「あぁ、マヒロか。構わねェ、入れ」
「失礼します」

大きな扉を開けて船長室内へと足を踏み入れるとマヒロは目を丸くした。
船長室にいたのは定位置に腰を下ろしている白ひげだけでは無かった。
白ひげの前に立って話をする男の姿があった。
男の身形は海賊のそれとは到底思えないことから恐らくこの船の人間では無いと思われる。
込み入った話をしていたのではないかと、マヒロは遠慮気味に壁伝いを歩いて部屋の隅へ寄ろうとした。
だが白ひげがマヒロに目を向けると手招きをし、マヒロはピタリと足を止めた。

「マヒロ、こっちに来やがれ」
「え? で、でも……」
「構わねェ、来い」
「は、はァ……」

白ひげと話す男に目配せをしながら遠慮がちにマヒロは白ひげの元へと歩み寄った。そして、男の方へ向き直せと促されたマヒロは戸惑いながら反転して男へと向き直った。すると男は眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべながらマヒロを見やった。

「この子が?」
「あァ、おれの新しい娘となったマヒロだ」
「あ、えっと……センザキマヒロと申します。初めまして」

何だかよくわかっていないマヒロだったが、失礼の無い様に丁寧に頭を下げながら挨拶した。
男は目を細めるとマヒロに対して軽く頭を下げて応じた。だが男の目にはどこか不服そうな色が含まれているような気がしたマヒロは、あまり良い印象を持たれていないのだなと思った。そして、お互いの視線が合うと男はふいっと顔を逸らして白ひげへと向き直した。

「招待状はおれと隊長連中のみとなっているが、このマヒロも参加させてェんだが」
「!」

白ひげがそう言うとマヒロは驚いて白ひげを見上げた。白ひげは男に目を向けていたがマヒロをチラッと見やるとニヤリと笑みを浮かべた。
わざわざ許可を得る必要は無く、白ひげは最初からマヒロも参加させるつもりでいたようだ。

「……わかった。あなたの頼みなら仕方が無い。あァ、手紙にも書いてはあるが二人一組で参加されることをお勧めする。此度のパーティーは同盟国の王子の嗜好でなァ、社交パーティーのような形式で行われることになっている。私としては貴族紛いのようなことはしたくないのだが仕方が無くだ」
「グララララッ! 手紙を読んだ時はとうとう貴族共に染まっちまったかと思ったが、どう考えてもゾイルの柄じゃあねェからなァ、少し安心したぜ」
「ハハハ、全くだ! 勘違いされては困ると思い、こうして直に話をしに来たのだが正解だったな」

白ひげと気さくに笑いながら話をしている男はゾイルという名前らしい。
この者が一体何者なのか、マヒロは知らない。
だがどうしてだろうか?
白ひげと話をしながらも男は時々マヒロに視線を向けるのだ。どこか鋭さを持つ眼差しは、まるでマヒロを値踏みをするかのように探っている印象を与える。その為、やはり良い印象を持たれていないのだとマヒロは確信した。
しかし、どうしてそんな目を自分に向けるのかがわからない。あまり良い気もしないのは当然で、流石にマヒロも眉間に多少の皺を刻んだのは仕方が無いことだろう。

「――ということで宜しく頼む。あァ、カップルに関しては強制では無いとだけ言っておこう。単独参加の者もいるだろうから然程気にする必要は無いだろう……が、まァ一応、念の為にな」
「グララララッ、わかった。その辺りは息子達の好きにさせらァ。どのみちおれはお前に付き合わされて、別に会いたくも無ェ相手と終始顔合わせしなきゃあなんねェだろうからなァ?」
「ハハッ……それに関してはすまなく思う。どこをどのようにして知られたのかわからんが、私と白ひげ殿が親しいという話が伝わってしまったようでな。本当に申し訳無い」
「あァ、何、構わねェよ。どのみちログが溜まるまで数日掛かるんだ。その間の暇潰しにはならァ」
「恩に着る」

ゾイルは頭を深く下げると「では、私はこれで失礼する」と言ってそのまま船長室から出て行った。
ゆっくりと扉が閉まってパタンと音が鳴る。
ゾイルの気配が船長室から離れて行くとマヒロの頭にポンッと何かが触れた。
マヒロが目を丸くするとクシャリと撫でられる感覚に白ひげへと顔を向けた。すると金色の瞳が温かく優し気な色を灯してマヒロを見つめていた。

「わからねェ話に付き合わせちまってすまねェなァマヒロ」
「あ、いえ……」
「ゾイルはこの周辺一帯の島々を統治するウィルシャナ領の領主だ」
「あの人がウィルシャナの?」
「あァ。……マルコからこの島の話について聞いたか?」
「はい、一応。近々パーティーが開かれて招待されているという話も聞きました。その件で私も参加できないかと思って……。先に話が出て驚きましたけど、参加できることになったみたいで良かったです」
「あァ、おれは最初からマヒロにも参加させるつもりでいたからなァ」
「……あの、オヤジ様」
「何だ?」
「その――」

マヒロは時折向けられるゾイルの視線がどうにも気になったことを白ひげに話した。すると白ひげはマヒロから視線を外し、少しだけ眉間に皺を寄せながら軽く溜息を吐いた。そして一呼吸置くとマヒロに視線を戻した。

「実はな――」

白ひげが話した内容を聞いたマヒロはドキンと大きく音を成した心臓が止まるような感覚に襲われた。

―― ……マルコさんをゾイルさんの娘婿に欲しい?

マルコを欲している人がいることを感覚的に察していたマヒロだが、実際にそのような話があったことをマルコからは聞いていない。
マヒロは少し不安気な様相を浮かべながら徐に胸元に手を置いて衣服を握った。そんなマヒロの心情を察してか、白ひげは片眉を上げると小さく微笑を零した。

「安心しやがれマヒロ。その話は既に断ってある」
「え?」
「大体、マルコはマヒロ以外の女には目もくれねェからなァ」
「!」
「どんなに頼まれようがこればかりはどうしようも無ェだろうが」

白ひげはそう言って笑うと身を乗り出してマヒロに顔を近付けた。

「マヒロ、お前ェがマルコを信じてやらねェでどうする?」
「ッ……」

白ひげの言葉にマヒロはグッと息を飲んだ。

「この件に関しちゃあマルコは無視を決め込んでらァ。それにマヒロを連れて行きたいと言ったのはマルコだ。あいつはマヒロに協力を頼むつもりでいるって言ってたからなァ。それが何よりもの証拠だと思わねェか? マルコがマヒロに絶大な信頼を置いてるってなァ」
「ッ!」
「グララララッ!」

不安に襲われて曇ったマヒロの心を見事なまでに打ち掃い晴れやかな心へと導いた白ひげは楽し気に笑った。

―― マルコさんが心底からオヤジ様を敬愛するわけがわかった気がする。

白ひげの人の心情を見抜く観察眼や洞察力と、どこまでも広くて深い愛情に満ちた心に、マヒロは心底から感嘆して感謝した。

「あ、あと――」
「ん?」
「新たな別件があるのだけど……」
「何だ?」

マヒロは『ロダの村』に関する報告の一切を伝えた。

妖怪が人の姿で人として生きる者達が集う村がある。
村長から依頼された話。
そこで出会った幼い姉弟の話――等々。

普通、このような話を聞かされては、見えない人からすれば妙な話をする頭のイかれた奴だと思うだろう。しかし、白ひげはマヒロの話を真剣に耳を傾け全てを理解して受け入れた。そして納得したように「そうか、わかった」と、優しい笑みを浮かべてマヒロの頭をクシャリと撫でした。

―― 本当に心が寛大で温かくて優しい人……。この親にしてあの息子……かな?

白ひげとマルコに血の繋がりは無いと聞いてはいるが、どこか似た親子だなァとマヒロは思った。

「――で、マヒロはそのチシとサコってェ妖怪のガキを引き取りてェって言うんだな?」
「はい。でもそうなると、その、この船に乗せることになるので……」
「乗船させる許可が欲しい、そう言いてェんだな?」
「はい」

マヒロが真剣な面差しで頷くと白ひげはニヤリと笑った。

「グララララッ! その二人がマヒロに懐いてんなら仕方がねェ、許可してやらァ!」
「あ、いえ、違います」
「あァ?」
「私じゃあ無いんです」
「……どういうことだ?」
「あの子達はマルコさんに懐いてるって言うか、マルコさんに父親を重ねてると言うか……。」
「何?」
「あ、でも、何だか憧れてるような雰囲気も出てたから表現は違うのかな? と、兎に角、チシとサコは私にでは無くてマルコさんに懐いているの。凄く懐いて、離れたくないって、そんな顔をしてました」

マヒロがそう報告すると白ひげは目を見開いて驚いていた。だが直ぐに破顔して高らかに笑った。

「グララララッ! あァそうか! そりゃあ面白ェなァ!」
「……お、オヤジ様……?」

何がどうしてどう面白いのかはマヒロにはわからなかった。だが楽し気に笑う白ひげはどこか嬉しそうで、何度か頷くと改めてマヒロに言った。

「乗船を許可してやろう。ガキとはいえ妖怪なら、力さえつければ自分達の身を守るぐれェにはできるんだろう?」
「はい、そのつもりでいます」
「グララララッ、あァそれなら構わねェ。マルコが良いなら尚の事問題は無ェ」
「本当ですか!? マルコさんも親父様が許可さえ出すなら良いと言ってくれましたから良かったです!!」

マヒロがそう言うと白ひげは更に驚きの色を示して感嘆の溜息を吐いた。

「そうか……、あのマルコがなァ……」
「あの…マルコがって……どういうこと?」

眉を顰めたマヒロがそう質問すると白ひげはどこを見るともなく視線を彷徨わせた目をゆっくりと閉じた。

「……あいつはマヒロと出会ってから本当に変わりやがった」

ポツリとそう零すと白ひげは何かを思案するような表情を浮かべた。そうして一つ間を置くとゆっくりと目を開けてマヒロに視線を落とした。
どこか少しだけ辛く哀し気な表情に見える。
白ひげが意を決して話そうとしているような気がしたマヒロは、背筋を伸ばして真剣な眼差しを浮かべて話を聞こうと耳を傾けた。

船長室にて

〆栞
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