05


翌朝――。

マルコとマヒロはキリグの港に停泊している船に向かって歩いていた。しかし、何も無い道中でマルコはピタリと足を止めた。マヒロはどうしたのかと少し首を傾げてマルコの背中を見つめていた。
溜息を吐いて軽く項垂れる様子にマヒロは瞬きを繰り返してキョトンとした。
マヒロが不思議に思ったのも束の間、妖気がみるみる内に集まって来ていることに気付いてハッとした――が、異様な数にマヒロは眉を顰めた。

―― ちょっ…、集まって来るにしても妖気の数が尋常じゃない気がするんだけど!?

困惑したマヒロの気持ちを察したのかマルコが振り向いて声を掛けた。

「マヒロ、悪ィが船に戻る前に浜辺に寄るよい」
「あ、えェ、それは良いですけど……あ、あの」
「何だい?」
「これって……」
「あァ、心配する必要は無ェよい。”こいつら”はおれが狙いだからよい」
「は、はあ…そう……」

苦々しい表情を浮かべながらそう答えたマルコは足早に歩いて町外れの浜辺へと向かった。呆気に取られつつマヒロも小走り気味にマルコの後を追った。

そして――。

「う、嘘でしょ!? 何なのあの妖怪の群れは!?」

浜辺に出るとワラワラと集まって来る妖怪達の群れにマヒロは思わず叫んだ。

「ミツケタ」
「ウマソウ」
「クウ」
「オレノ」
「メシダ」
「オンナ」
「アノオンナモウマソウ」
「フタリイル」
「「「ラッキー」」」

妖怪達は喜々として発言した。だが次の瞬間――。

「ラッキーじゃねェェェェッ!!」

どっかーん!!

どうやらマルコの癇に障ったようだ。それが何かは言わずもがな、容赦の無い反撃を受けた妖怪達はガタガタと震え上がった。

「ひィッ!? す、すみませんでしたァァァッ!!」

謝罪を口にする妖怪達の中にマルコは見覚えのある妖怪を見つけて凄んだ。

「お前ェ……」
「は、はい!」
「数日前にも襲って来た連中の中にいたろい」
「お、覚えてらしたんですね……」
「返り討ちに遭ったはずだが、何でまた来たのかねい……?」
「そ、それは」

しどろもどろになる妖怪にマルコは怒りの形相を浮かべてギロリと睨み付けるとその妖怪は背筋をピンッと伸ばして体育会系宜しくの如くに声を張る。

「はい! 食欲には勝てませんでした! ですがやっぱり怖いので逃げます!!」
「待て」

マルコの問いに答えた妖怪は丁寧に頭を下げると逃げようとしたが、マルコはガシッと妖怪の首根っこを捕まえて阻止された。

「ひィッ!? おれを食べても腹を下すだけっすよ!!」
「誰がてめェを喰うかってんだよい!?」
「じゃ、じゃあ!」
「大半は死んじゃいねェんだから連れて帰りやがれ!!」
「は、はいいい!」

マルコが指し示した先には妖怪の山が築かれている。マルコが倒したのは数体だけで、その殆どは気絶した状態で折り重ねられていた。
妖怪の山なるものを初めて見たマヒロはただただ呆然と立ち尽くす。

―― ……強過ぎるから引き寄せちゃうんだ。あまりに強過ぎるのもある意味問題ね。

相当苦労してるんだなァとマヒロはマルコに同情しながら妖怪の山を呆れながら見つめる。するとマルコが怯える妖怪に話す声が耳に飛び込んで来る。

妖怪の山は気絶をしている者達だけ――。

―― え?

襲って来た妖怪達はマルコに容赦無く返り討ちにされていったようにマヒロには見えていた。だが浄化したのはほんの数体程度らしい。
倒す者とそうでない者とを瞬時にどうやって判別しているのか、そしてどう対応しているのかがマヒロにはわからなかった。

「ねェ、マルコさん」
「ん?」
「どういうことなの?」
「あー……」

マヒロが質問するとマルコは明らかにマヒロから視線を外した。
何となく話したくないような、気まずげな表情を浮かべるマルコにマヒロは首を傾げる。

「マルコさん?」

じっと見つめて来るマヒロに観念するかのようにマルコは小さくかぶりを振りながら溜息を吐いた。そして簡単に説明した。

「……は? な、何それ?」
「ほら、ロダの村の連中を見りゃあ全員が凶悪な妖怪だってェわけじゃねェことは見て明らかだったろい?」
「え、えェ、それは理解してますけど……。で、でも、相手に殺気があるか無いかで判断して殺す者と殺さない者とを分けて対応してるなんて、一瞬でわかるものなの?」
「ま、まァ…ねい」
「しかも同じように殴り飛ばしても力の加減は一人一人変えてるですって?」
「ょ、ょぃ……」

愕然とするマヒロにマルコは渋い表情を浮かべながら頭をガシガシと掻いた。

―― はァ、やっぱり思った通りの反応だよい……。

マヒロの『負けず嫌い』という炎に油を注ぐみたいな気持ちになるマルコはマヒロから顔を逸らすと口元を手で覆いつつ視線を彷徨わせる。
一方マヒロは、圧倒的な強さと圧倒的な器用さを見せ付けられたことを察し、思わず奥歯をギュッと噛み締め、俄かにワナワナと身体を震わせながらギュッと手を握って拳を作りつつ顔を俯かせる。

―― そうだった。この人は何でも出来る天才肌の万能器用人間だった。

ゆっくりと顔を上げたマヒロはジト目でマルコを見つめてポツリと零す。

「……器用な天才肌の人が本当に羨ましいわ」
「いや、そのよい……これは必要に迫られて身に付いただけだからよい」
「必要に迫られて器用な天才肌になれるなら私もなりたいですよ!!」

宥めるマルコにマヒロがそう叫んだ。するとマルコは落胆するように溜息を吐いた。

「やっぱり……そう言うと思ったよい」
「……不器用で努力型の人間から見るとマルコさんのような器用な天才肌の人間が羨ましいもの」

二年間、頑張って自分なりに修行を重ねてそれなりに強くなったのだと自負できる自信があったマヒロだが、マルコとの能力的なレベル差は縮まるどころか開く一方だと思い知らされた。

悔しい気持ちが通り過ぎて惨めな気持ちになる。そして、ここに来てマヒロは自分の力が本当に必要とされるのだろうかという疑念が沸いた。

―― ……私、マルコさんの側にいて…良いのかな……? あまり役に立たないんじゃ……?

そう思った。

「……私、何かの力になれるの……?」
「!」

思わず気持ちを吐露したマヒロはハッとして口を手で覆うがマルコの耳にはしっかり届いたようで、目を丸くしたマルコが直ぐに眉間に皺を寄せて厳しい表情を浮かべた。

「ッ…、な、なーんて、冗談! あははっ!」

慌てたマヒロは笑って誤魔化したがマルコの表情は変わらない。
怒ったような、悲しむような、相反する感情が入り交じる何とも言えない複雑な表情だ。
そんなマルコの表情を初めて目の当たりにしたマヒロは心臓がドキンと跳ねると笑みを消して息を飲み、咄嗟に顔を俯かせた。

―― ……怒らせちゃったみたい……。

ぐっと唇を噛み締めながらマヒロは自分の気持ちがどんどん沈んでいくのをただ耐えるしかなかった。

「……マヒロ」
「……はい……」
「おれはお前ェに側にいてくれるだけで十分だって言ったろい?」
「う、うん……。でも」

マルコの声に少し怒気が含まれてる気がしたマヒロは思わず身体をビクつかせた。俯く顔をゆっくり上げるとマルコの目はどこか鋭く、視線を咄嗟に逸らしたい気持ちにはなったが、まるで石になったかのように固まり逸らせなかった。本当に本気で怒ってる――そう思った。

「なァマヒロ……」
「ッ……はい」

まるで大人に叱られる子供みたいに身を小さくするマヒロは、緊張しているのか返事する声が少し上擦った。だがそれは畏怖を抱いてしまった時点で仕方が無いことだろう。

―― ……能力の差があまり桁違いで、私の力なんか何の役にも立たないじゃない。あなたの為に私に何が出来るのか、本当にわからないんだもの……。

小さく息を吐く。そうするとやっとのことで視線を逸らすことができた。そしてそのまま顔を俯かせて目をギュッと瞑る。
そんなマヒロにマルコは静かに大きく深呼吸をするとゆっくりと話し出した。

「能力的にはおれの方が強いかもしれねェが、精神的にはマヒロの方が強いと思ってる」
「……え?」

マルコの言葉にマヒロは目をパッと開けると顔を上げた。するとマルコの両手がマヒロの頬を包む様にフワリと触れた。

「マヒロはたった一人でずっと生きて来た」
「……」
「きっとおれがお前ェの立場なら直ぐに根を上げただろうよい」
「そ、そんな――」

反論しようと口を開き掛けたマヒロにマルコは首を振って言葉を続けた。

「おれには理解してくれたオヤジや家族がいた。だからこうしていられんだ。もしマヒロのように一人で生きろと言われたら、とてもできそうに無いよい」
「ううん、そんなこと無いよ……。私はマルコさんが来てくれてどれだけ救われたか、私はマルコさんが来てくれなかったら今頃きっと生きて無い。怪童児にも鬼雷鳥にだって勝てなかったわ? マルコさんがいたから私、私……!」

マルコが言う程に心もそう強くは無いとマヒロは言う。どれだけ救われ支えられたことかとマヒロは瞳を潤ませながらマルコに強く言った。

「あなたが来てくれたから、甘えることも泣くことも出来るようになったの。私ばっかり……私ばかりがマルコさんから多くのものを貰ってる。……それがとても辛くて、悲しい」

私はあなたに何をあげたのだろう?
私はあなたに何をしてあげたのだろう?

できないことが怖くて、辛くて、悲しくて、何よりも悔しくて――。

感情の箍外れ、堰を切ったように気持ちが溢れると考えるよりも言葉が口から飛び出していた。

「マルコさん、私はあなたの為に何ができるの!? 私はあなたの為に何か役に立てることがあるの!? 私の力なんて何の役にも立たないじゃない!! 私ばかりが助けられて守られてる!! あなたを助けたいのに、守りたいのに、何も…できないのがッ…悔しい……」

ボロボロと涙が零れてもお構い無しに思いの丈を叫ぶ。最後は気持ちが昂り過ぎたか言葉が途切れ途切れに、声も小さくなっていった。
本当はこんなことを言いたくは無かったのに、こんなことを言ったとて何も変わらないのに、マヒロは嗚咽を漏らしそうになる口元に手で覆いながら泣いた。

―― マルコさん、私はここに……、あなたの側に……、本当にいて良いのかな?

この気持ちこそ言葉にすべきだろうが、とても言えなかった。
マヒロの両頬を包む様に添える両手をそのままに、マルコは興奮気味に涙するマヒロを真っ直ぐ見つめている。マヒロが吐露する言葉を取り零すことの無い様に一言一句全てを受け取るかのように真剣な面差しだ。

だが――。

「……マヒロ」
「ッ…ふっ…うっ……」
「お前ェは何もわかってねェよい!」
「ッ!」

マルコは怒鳴を滲ませた声でマヒロを怒鳴った。
額には若干だが青筋を張り、目尻を吊り上げながら唇をぐっと曲げる。そんなマルコの表情を見たマヒロはもう涙が止まらなくなり、我慢していた嗚咽を漏らし始めた。
ひっく、ひっく――と、喉を鳴らしながら手で涙を拭うもどんどん溢れ出す涙で顔はぐしゃぐしゃだ。そんな顔をマルコに見られたくなくて、マヒロはマルコの手を払い除けようとした。しかし、マルコの手に触れる前にその手は離れていった――と思った瞬間に後頭部に回されてグッと押される感覚にマヒロは目を丸くした。

自分の額がトンッと着いたのはマルコの胸元だ。紺色の刺青が間近にあって何かと思う間も無くマルコの手がスルリとマヒロの背中へと移動してギュッと抱き締められる。その手付きはあまりにも自然で、そして優しくて、とても温かい。

マヒロは胸がキュンッと締まるような感覚に襲われて切ない気持ちになった。

「なァマヒロ」
「ッ……」

急に優しい声音で名前を呼ばれたマヒロは鼓動がトクンと柔らかく打つのを感じ、そっと顔を上げた。

―― あ……。

怒った顔は既に無く、寂しさと悲しみが混在したような切なげな笑みがあった。マヒロはマルコのその表情を見た途端にツキンと胸が痛むのを感じた。

「マヒロはおれの心を救い上げてくれただろい?」
「え……?」
「不死鳥の能力をお前は好きだって言ってくれた。綺麗だってなァ。再生の能力を生かして仲間の弾除けとなって戦うおれにマヒロは止めろと言ってくれた。もっと自分を大事しろって怒ってくれたよい」
「……」
「不死鳥の姿を、能力を知っても、マヒロの口から出た言葉はおれ自身の苦しみを労わるものだった。おれにとってはそれが何よりも救いで……嬉しかった。嬉しかったんだよい」
「ッ、マルコ…さん……」
「だから、十分なんだ。側にいてくれるだけで良いんだよい」

マルコは思いを告げるとマヒロを抱き締める腕に力を入れてより強く抱き締めた。

「忘れたかい? おれァ男だから女のお前ェが欲しいんじゃねェ。ただ、マヒロというお前ェが欲しいんだって、そう言ったろい?」
「あ……」

マルコはそう言うと抱き締める腕を解き、涙で濡れるマヒロの頬を両手で包む様に添えると親指でそれを拭った。優しく、柔らかく、溢れ出す涙を何度も拭う。その内にマルコは少しだけ困ったように苦笑を浮かべた。

「側にいてさえくれりゃあそれだけで十分だよい。マヒロも戦うだろうが戦闘は極力おれがする気でいるからよい」
「ッ! マルコさん、それは!」
「悪ィ……「私だって戦える」って言いてェんだろい? 戦うなとは言わねェよい。けど、無茶だけはしてくれるな。危険だと感じたら必ず逃げることも考えて欲しい。何もかも一人で抱えて解決しようとするな。おれだけじゃねェ、仲間を、家族を頼れ。遠慮無く甘えて良いんだ。マヒロ、お前ェはもうおれ達の家族なんだからよい」
「……私、何だかマルコさんから与えて貰うばかりです……本当に」
「あァ、まだまだ足りねェぐらいだよい」
「え? あっ……」

マルコはマヒロを再び懐へと引き込んで抱き締めた。マヒロの後頭部に添えた手で優しく撫でては軽くポンポンと叩く。背中に回した腕には力が込められてより二人の身体が密着した。
つい先程まで強張っていたマヒロの身体からはすっかり力が抜け堕ちていた。止まらなかった涙も今では嘘のように止まった。その代わり、顔に熱が集まるのを感じた。

「おれにとってのマヒロはそれだけ価値があるってことだよい。何をどんだけくれてやっても足りねェぐらいになァ。おれはマヒロが兎に角大事で、大切で、守りてェんだよい」
「っ……」
「もう手放せねェんだよい。二度と……手放したくねェ」

マルコの切なる気持ちにマヒロは胸がキュンと締まる思いを抱いた。だがそれは辛く苦しいものでは無く、温かみのある想いが凝縮したようなもので、嬉しさと愛しさが沸々と込み上げる。そしてマヒロはそっとマルコの背中に手を回してギュッと抱き返しながら微笑んだ。

「それは私も同じです。側にいたい、いさせて。マルコさん、あなたの側に、ずっといさせてください。お願い……だって私は――」

――もうあなたを手放せない。二度と手放したくないもの――

マヒロが顔を上げて真っ直ぐマルコを見つめながらそう伝えるとマルコは少し照れを交えた嬉しそうな笑みを零した。

「マヒロ」
「はい」
「ありがとよい!」
「っ……」

礼を述べたマルコの声音を耳にしたマヒロは少し目を丸くして瞬きを繰り返した。気のせいだろうか? 何だかまるで甘える子供染みた様な雰囲気を纏った声音だったような気がした。

―― ……マルコさん?

優しく包み込むように抱き締めてくれている。だが抱き返しながら同じ気持ちであることを告げると一転して甘えて来るような雰囲気に変わったような気がする。
こんなの初めてだ。本当に珍しい。
思わず背中に回していた手がマルコのシャツをギュッと握った。するとマルコは少しだけクツリと喉を鳴らして笑った。

「マヒロにお願いされなくても側にいてもらうよい。それを願うってんならおれの方だい!」

抱き締める腕に力が込められる感覚と共に何だかまるで子供のような物言いにマヒロはまた胸がキュンとなるのを感じた。

―― まさか、マルコさんが甘えてくるなんて……ちょっと可愛いかも……。

マルコがマヒロの肩に頬を寄せるとポツリと呟く。

「マヒロが側にいると落ち着くよい」
「……」

意外にも母性本能を擽るのが上手い気がする――とマヒロは思った。
ぎゅううぅぅぅ…と抱き締める力が増していくのを感じながらマヒロは心内で軽く悶えた――のだが、それは一瞬にして途絶えて苦しさが増した。

「んっくっ…ちょっ…ちょっ、ま、マルコさん! 苦しっ…苦しいです!!」
「んー……離れたくねェからよい」

―― ちょっ! ミシミシミシって骨が鳴ってる! 折角の甘い雰囲気だったのに何なの!?

マヒロは抱き締めて来るマルコから逃れようと軽くもがきながら抵抗の声を上げようとした。

「もっ! 本当にっ――んンっ!?」

だがマルコの手がマヒロの顎を掬い上げ、抗議の声を飲み込むように唇が重ねられた。すると目を丸くしたマヒロは口付けを受けながら眉尻を顰めて困惑した。

―― この人、こんなに感情の起伏があったの? さっきまでの怒りは何だったの? 優しく抱き締めて慰めてくれたと思ったら途端に甘えだして、最後にはこんな甘いキス……。

チュッチュッと小さなリップ音を鳴らしながら重ね合った唇が漸く離れると、マヒロは顔を赤くしながら軽く放心状態となっていた。それを見たマルコは「ククッ……」と肩を揺らし、まるで悪戯が成功して喜ぶ子供のようにケラケラと笑い始めた。

―― な、何? 何なの?

怪訝な様相へと変えるマヒロを前に腹を抱えて笑うマルコは改めてマヒロに向き直すと再び抱き締めた。

「マヒロ! マヒロよい!」
「な、何――」
「好きだよい!」
「あ、うん、好き、うん……え?」

何だかもうよくわからなくなって来たマヒロを他所に再びぎゅうぅぅっと抱き締める腕に力が込められて締められる。

「あああちょっと! 待って!!」
「嫌だよい! 離さねェよい!」
「って、子供みたいな笑顔で言われても! 苦しい〜!」
「偶には甘えさせろよい」
「急に子共化されたら対応に困りますぅぅ!」
「ハハッ! こんなことできるのはマヒロにだけだよい」
「ッ……」

眉尻を下げてそう告げるマルコにマヒロは何も言い返せなかった。

―― やだ何この人? 大人なマルコさんが行方不明だけど本当に可愛いから胸キュンが止まらない……。

大人の余裕を持ったマルコも良いが、こんな子供染みたマルコも可愛い――と、マヒロは思った。
例えどんなマルコであろうと『好き』だから何でも容易に受け入れられる。それに、自分にしか見せない顔をこうして見せてくれたことが何よりも嬉しい。
マヒロは徐にマルコの頭に手を伸ばし、柔らかい金髪に触れるとクツリと笑みを零した。

「ヨシヨシ」

母性全開で頭を撫でる。するとマルコはピタリと停止したかと思うと複雑な表情を浮かべた。

「ッ、……いや、それはちょっとやり過ぎだよい」
「甘えさせてあげてるんだから良いじゃない」
「おれはガキかよい」
「ふふ、似たようなものですよ。意外にも甘え方が可愛いもの」
「……ょぃ……」
「よいよい」

何だかんだと言いながらマルコはマヒロに頭を撫でられるのを素直に受けた。多少気恥ずかしいのか頬を赤くして視線を逸らしてはいるが、嫌がる素振り一つ無いのだからそれもまた可愛いと思わせていることにマルコは気付いていない。

―― ……撫でられるのも悪く無ェ…よい。

一方マヒロはマルコの頭を撫でながらふと思った。

―― 昨日、私がチシみたいな扱いで慰められたように、マルコさんもひょっとして子供返りしたかったとかあるのかな? チシとサコの反動だったりする?

ふと沸いた疑問を聞いてみようと思ったマヒロは「ねェ、マルコさん」と声を掛けた。

「……」
「……マルコさん?」

しかしマルコはマヒロから顔を逸らしたまま沈黙して何も言わない。不思議に思ったマヒロは首を傾げた。

「………船」
「え?」

ポツリと零したマルコの言葉にマヒロは瞬きを繰り返した。するとマルコは頭を撫でるマヒロの手から逃れるように身を引くと背を向けて歩き出した。

「え、ちょっ」
「船に戻るよい。色々やらなきゃなんねェこともあるし、親父にも話さなきゃならねェからよい」
「大人モードに変わるの早っ!?」

マルコの突然の変わり様にマヒロは素の声を上げて唖然とした。

―― ねェマルコさん、この二年の間に本当は何かあったんじゃないの?

片や先に歩き出したマルコは口元を手で覆うと熱が集まる顔を思いっきり顰めていた。

―― ……何とも言えねェマヒロがいる心地良さについ安心しちまったよい。

ガシガシと頭を掻いて軽く項垂れるとマルコは足を止めてマヒロへと振り向いた。

「だから言ったろい……おれよりマヒロの方が精神的に強ェんだってよい」
「……何だか最初と全く違う意味に聞こえちゃうのは私の気のせい?」
「ッ……確かに。言ったおれもそう思っちまった。だから何だ、その……」
「本当に」
「な、何だよい?」
「マルコさんって凄く可愛い」
「はっ!?」
「ふ、ふふ……ハハッ、アハハ! やだ! マルコさんの顔! 耳まで真っ赤ですよ!」
「ッ〜〜う、五月蠅ェよい!」

お腹を抱えて笑うマヒロに対し、顔を真っ赤にしながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたマルコはふいっと背を向けて再び歩き出した。するとマヒロは慌てるように足早に歩くマルコの後を小走りで追った。
怒ったり泣いたりと痴話喧嘩なるものをしたが、最終的に知らなかったマルコの新しい一面を垣間見ることが出来たことは、マヒロにとっては大きな収穫でありとても嬉しい出来事だった。そして、マヒロが先を歩くマルコの腕を捕まえて手を繋ぐと、マルコは未だに顔が赤いままではあったがマヒロに優しい笑みを見せた。

「また、甘えてくださいね」
「……たまにねい」
「ふふ、マルコさんの新しい一面を見ることができて凄く幸せです」
「ッ! ……そうかい」

マルコは少しだけ目を丸くすると空いた手で口元を覆いながら顔を背けた。そんな仕草すら格好良くて可愛いと思ってしまうマヒロは、マルコの事を心の底から好いているのだと改めて再確認した。
お互いを繋ぐ手にマルコが力を入れてギュッと握るとマヒロも応えるようにギュッと握り返す。

こんなちょっとしたことにマヒロはとても幸せに感じていた。

痴話喧嘩を初めてした(マヒロが一方的にキレただけな気がする)。
マルコに本気で怒られたのも初めてだった。
更に、万能で大人なところしか見せなかったマルコが初めて見せた子供っぽい一面があるのを知った。
凄く意外性に富んだ可愛さにマヒロの心を和ませた(それと同時に母性本能を擽られて火がついたのだが、それは内緒にしている)。

お互いの心の距離がもっと近くなったように思った。

甘える顔はマヒロにだけ見せるのだとマルコは言った。それは『特別な人』だからと言われたも同然だろう。
つい先刻に暗く沈んだはずのマヒロ心は嘘の様に軽く晴れやかで、マルコの為に何でも出来るという自信に満ち溢れていた。

―― マルコさん、あなたは私にとっても『特別な人』ですから。

マヒロのそんな気持ちを察しているのか、マルコは静かに口角を上げた微笑を零したのだった。

特別だから

〆栞
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