03


居間に残ったマヒロは幼い姉弟の側に寄って膝を折った。
男の子は落ち着いたのか泣き止んで大人しくなっていたが、女の子はマヒロに少し警戒するような表情を浮かべて身構えた。

「大丈夫。何もしないから」
「!」

笑みを零したマヒロが女の子の頭に手を乗せてクシャリと撫でると女の子はビクリと身体を強張らせつつも目を丸くして驚いた表情を浮かべた。

「流石はお姉ちゃんだね。あれだけ泣いていたのに泣き止んじゃった」
「……」

視線を男の子に向けてマヒロがそう言うと女の子も男の子に視線を向けた。

「ねェ、お名前を教えてくれると嬉しいな。あ、私はマヒロ。センザキマヒロっていうの。宜しくね?」

優しくそう言うマヒロに女の子は警戒しながらも少しだけ頬を染めた。そして俯き加減にして名を告げる。

「チシ……だよ」
「そう、チシね。ふふ、チシちゃん宜しくね!」
「!」

恥ずかしいのか少しモジモジとしていたチシはマヒロが自分の名を呼んでくれたことが嬉しかったのか、先程まであった警戒心はどこへやら、ぱァっと表情を明るく変えた。

「本当は愛魂稚子(アイコンチシ)って言う名前なんだけど、お爺ちゃんにはその名前は使っちゃダメだって言われてるの」
「そうなんだ? あ、弟君は?」
「この子はサコ。海氷砂魂(カイヒョウサコン)って言う名前なんだけど、皆はサコって呼んでるの」
「……サコンじゃ無いんだ?」
「サコンって感じじゃあ無いからだと思う。凄く泣き虫だし」
「お、お姉ちゃん……うぅ…ぐすっ」
「ほら、また泣く」
「だ、だって…お、お姉ちゃんだけズルいもん!」

微笑ましく見ていたマヒロだったが、サコの言った「ズルい」に疑問を感じ、笑みを浮かべたまま首を傾げた。
一体何に対してズルいと言ったのか、不思議に思っているとチシがマヒロにぎこちない笑みを浮かべた。

「あの、あのね? その、マヒロお姉ちゃん……」
「ん?」
「その、マヒロお姉ちゃんは、マルコの奥さんなの?」
「へ!?」

チシからの予想だにしない質問を直球(しかも剛速球)を投げ付けられたマヒロは有無も言わずにボンッと顔を真っ赤に染めた。

―― ななな何でそんなことを聞くの!? 今時の子共って怖い!!

チシとサコは不思議そうな表情を浮かべて首を傾げたがマヒロは少し焦りにも似た心境に苦笑を浮かべてしどろもどろになった。
どういう意味での質問なのか、考える余裕も無いマヒロは真っ赤にした顔をそのままに何とか答えようと必死だった。

「おお奥さんじゃないよ! け、けけ結婚してないし!」
「じゃあ恋人?」
「ッ〜〜!」

―― う、うん、恋人……だと思う。え? どうして今それを聞くの!?

「い、一応、そ、その……好き合って……お、お付き合いさせて、頂いております」

真っ赤にした顔を俯かせながら小さな声でマヒロはそう言った。気まずいのかよくわからない心境に追いやられたマヒロは、子供相手に、しかも超丁寧に返答した。

「チシね、マルコのことが好き」
「……そう、チシもマルコさんのことが好きなのね。…………はい?」

チシの言葉にマヒロはキョトンとして顔を上げた。するとチシは少しだけ頬を赤く染め、恥ずかしそうに照れた表情を浮かべていた。

―― えェ!? ま、マルコさんってば、こ、こんな幼い子にまでも惚れさせるなんてどういうこと?!

「パパと似てるの」
「へ? ……ぱ、パパ?」
「うん! さっき抱き締めてくれた時にパパと同じ匂いがしたの。優しくて温かくて……だから凄く好き」
「……」

チシは寂しそうな表情を浮かべた。それを見たマヒロはツキンと胸に痛みが走った。

―― お父さんが恋しいんだ。側にいたら直ぐにでも泣きついて抱き締めてもらいたいんだ。

「ぼ、ボクも……抱っこ……」
「!」

気弱で小さく震えがちな声音でポツリと零したサコにマヒロは「あァそういうことなんだ」と理解した。
サコが言った「ズルい」とはそういうことなのだ。

「サコもマルコさんに抱っこして欲しいの?」
「ッ……」

チシより小さな幼いサコは常に何かに怯えがちで、ちょっとしたことで直ぐに泣く。非常に甘えん坊な子なんだなとマヒロは思った。そんなサコの頭に軽く触れて撫でるとサコは目を瞑ってビクリと震えた。

「サコはね、あまり親の愛情を知らないの」
「え?」
「ママはサコを産んだら直ぐに死んじゃって、パパも忙しかったから構ってもらえる時間が無かったの。だから……」

チシは怯えるサコの頭を撫でながらそう言った。
マヒロは少し考え込むと「うん」と一つ頷いて笑みを浮かべると、チシは目をぱちくりとしてマヒロを見つめた。

「サコ君、マルコさんが戻ってきたら素直に抱っこをおねだりしてみると良いよ」
「え? で、でも、ぼ、ボク……」
「えー、チシも!」
「チシちゃんはさっき抱き締めてもらったから今度はサコの番だよ。お姉ちゃんだから少しだけ譲ってあげて? ね?」

マヒロがチシの頭を撫でて宥めるとチシは「うん」と、納得はしていないようだが小さく頷いた。それにマヒロは「偉いね〜」と褒めて更に優しく頭を撫でると、チシは頬を赤くして照れ笑いを浮かべた。

―― 私、この子達を放っておけない。

目の前で親が死ぬ。
凄惨な親の死に目を幼くして直視せざる得なかったチシとサコの気持ちがマヒロには痛い程よくわかっていた。
親が無残な姿で死んでしまう瞬間を直視した時、親の温もりや優しさが恋しくて毎日泣いていた幼い日々を、過去の自分を二人に重ねたマヒロは手を差し伸べずにはいられなかった。

一方、奥の部屋へ村長を抱えて運んだマルコは、部屋を出て行く寸前で村長に呼び止められ、別の頼みを聞かされていた。

「あの子達を連れて行ってやって欲しいんじゃよ」
「いや、それはできねェよい」
「辛いことがあったこの村にあの子達を置いてはおけん。あの子達は何も悪いことをしておらん。それに、チシがあのように自分から泣き縋る姿など一度も見たことが無い。自分の父親にでさえ、そんな姿は見せなんだ。幼い弟を必死で育てて守り、自分を抑えて生きてきた子じゃ。サコもまた親の愛情を知らん。親の温もりも優しさも受けずに育った子じゃ。どうかあの子達をマルコ殿の側に置いてやって欲しいんじゃよ」
「おれに親になれって言うのかよい」
「そうまでは言わん……言わんが……」
「悪ィがよい、おれの判断で連れて行くわけにはいかねェんだよい」
「……そうか。……すまん、今の頼みは忘れておくれ」
「……悪ィ」
「すまんが少し疲れた。見送ることができんで申し訳ないんじゃが……」
「あァ、構わねェよい。王牙鬼の件は任せろい」
「……すまんのう」
「よい」

村長は弱弱しい声で謝罪の弁を述べたがマルコは村長の額に軽く手を置いて笑みを浮かべた。

「じゃあ、行くよい」

マルコがそう伝えると村長は少しだけ頷いて目を瞑った。
マルコが部屋を出ると女も部屋の灯りを消して遅れて部屋を出た。そして居間に戻ろうとしたところでマヒロと子供達の話し声が聞こえて来て、思わずマルコは足を止めた。

「チシね、マルコのことが好き」
「……そう、チシもマルコさんのことが好きなのね。…………はい?」
「パパと似てるの」
「へ? ……ぱ、パパ?」
「うん! さっき抱き締めてくれた時にパパと同じ匂いがしたの。優しくて温かくて……だから凄く好き」
「……」

そんな会話を聞いたマルコは眉を顰めた。

―― それでおれに泣き付いたってェのかよい。

マルコは自分でこう思うのも何ではあるが、子供からするとどちらかと言うと強面の方である。だから子供に泣かれて逃げられることの方が正常な反応だと思っていた。しかし、初めて会った自分に泣き付いて来たことに不思議には思ったが、今の会話で納得した。

「サコ君、マルコさんが戻ってきたら素直に抱っこをおねだりしてみると良いよ」
「え? で、でも、ぼ、ボク……」
「えー、チシも!」
「チシちゃんはさっき抱き締めてもらったから今度はサコの番だよ。お姉ちゃんだから少しだけ譲ってあげて? ね?」
「うん」
「偉いね〜」

当人をそっちのけでそんな会話が成されることにマルコは眉間に手を当てて溜息を吐いた。

―― ったく……、マヒロは完全に情が移っちまったみてェだよい。

どうしたものかと視線を彷徨わせるマルコに傍にいた女が声を掛けた。

「あの……」
「ん?」
「私のような者が口を挟むべきではないと思うのですが……」
「何だい?」
「あの子達は、その、海賊に憧れを持っているんです」
「……何?」
「能力もありますし、決して足手纏いにはなりません。それに、あの子達の父君様は、いつかあの子達を海に連れ出して広い世界を見せてあげるのだと仰っていました。ですが、その父君様がお亡くなりになられ、引き取られたのはお年を召した村長様です。もし村長様がお亡くなりになられたら、あの子達は愈々頼る者も、心許せる者もいなくなってしまいます。チシ様は弟のサコ様を守る手前、しっかり者の姉として気丈に振舞われております。ですが、チシ様は非常に繊細な子で、本当は誰よりも泣き虫で甘えん坊な女の子なのです」
「……それは、暗に二人を連れていけって言ってんのかよい?」
「ッ……はい。あなた様がお連れにならなければ、あの子達は閉ざした心のまま、この狭い村で一生を過ごすことになってしまいます。どうか、どうか、父君様の願いを届けてはくださいませんか? 私からもお願いします! どうか、お願いします!」

女は何度もマルコに頭を下げて嘆願した。困惑したマルコは首元に手を当てて大きく溜息を吐くと天井を仰ぎ見て暫く考え込んだ。

―― ……これがオヤジならきっと――。

「グララララッ! あァ、わかった! 引き受けてやろうじゃねェか!」

きっと快く引き受けるのだろうとマルコは思った。そして、オヤジと慕う白ひげの懐の深さにつくづく尊敬する――と、自ずと口角が上がり微笑を浮かべた。

「負けたよい」
「え?」
「わかった。あの二人を預かるよい」
「で、では!」
「但し」
「……但し……?」
「全てが終えてからだ。王牙鬼の件が終えたら報告をしにまた来るだろうからよい」
「あ! で、ではその時に二人を?」
「あァ。それに一応オヤジのっ、あー、船長の、許可も取らねェとなんねェしよい。それまで待ってくれねェかい?」
「はいっ…はい、承知致しました。あ、村長様にもそのようにお伝えしても?」
「あァ、そうしてくれるかい?」
「はい!」

女が目に涙を浮かべると何度も頭を下げて御礼を述べ、マルコは少しだけ笑みを零すと居間へと戻った。

「あ、マルコさん」

マルコの姿を見るなりマヒロは駆け寄った。そしてマルコの手を取って握るとニコニコと笑みを浮かべる。

―― わかりやすい奴だよい。

マヒロが何を言おうとしているのかは先の会話を聞いてわかっている。しかし、マヒロの笑顔が所謂『ご機嫌取り』にも似たようなものなので、マルコは思わず苦笑を浮かべた。

「あの、」
「抱っこしてやれって言うんだろい?」
「え?」

マヒロの言葉を遮ってマルコがそう言うとマヒロは握っていた手を離した。そしてマルコはチシとサコの元へと歩み寄り、膝を折って目線を合わせるとチシが嬉しそうな笑みを浮かべた。
マルコはクツリと笑ってチシの頭をクシャリと撫で、チシの背後に隠れているサコに視線を向けた。するとサコはビクンと反応して全身を強張らせた。
例え『似ている』とは言え、やはり赤の他人の、それも畏怖の対象ともなる人間だ。
恐怖して怯えるのは仕方が無い。
マルコは手を伸ばしてサコの腕を掴むと懐へと引っぱり込んで抱き上げた。

「っ!」
「怖くねェよい」
「あ…う…」

最初こそ怯えて目を瞑ったサコだったが、マルコの言葉により不思議と怯えが消えて目を開けた。

「信用してくれるかい?」
「ッ……」

マルコの問いにサコは言葉に詰まりつつコクンと頷いた。そして全身から力が抜け落ちるとマルコの首筋に頭を埋めるようにしてサコは身を預けた。
ずっと怯えていた顔が嘘のように安心しきった表情へと変えるサコに、マヒロは思わず笑みを零し、サコの頬をツンッと突いてみた。

「んん!」

サコは声を上げて嫌々と顔を振りながらも幸せそうな笑みを初めて見せた。そんなサコの様子を見たチシは目を丸くして驚いたものの、寂し気な表情を浮かべて顔を俯かせた。

―― 我慢……、我慢しなきゃ。サコがあんな風に笑うの、初めて見たもん。折角笑えたのに、邪魔しちゃいけないもん。

チシは少しだけ目を潤ませながらもギュッと拳を握り、懸命に何も無いかのように装うよう努めた。

―― お姉ちゃんだもん。我慢、我慢しなきゃ、……我慢ッ……しなきゃ……。

でも、本当は自分も――心の底から甘えたい、そう思っていた。

「マヒロ」
「はい」
「サコを頼むよい」
「え? あ、はい」

マルコはサコの頭を軽く撫でるとマヒロにサコを抱かせた。

「チシ」
「!」
「ほら、来いよい」

マルコが膝を折って両手を広げながらそう言うと、チシの表情はみるみる内に泣き顔へと変わっていった。

「…ふっ、うっ……あああああん!」

マルコの懐に飛び込んだチシを抱き留めたマルコは、先刻に泣いて縋って来た時よりも力を込めてギュッと抱き締めた。
チシは眉尻を下げてボロボロと涙を零しながら嗚咽を漏らし、マルコの首筋に顔を埋めて声を上げて泣きじゃくるのだった。

チシとサコ

〆栞
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