07


ここキリグは、ウィルシャナに次いで(と言うとコープの町長が怒るのだが)大きな町だ。
これから先の航海で必需品となるものを纏めて買い揃えるには十分な程で、殆どの買い物を終えたマルコとマヒロは昼時にはまだ少し早い時間ではあったが、まだ人も疎らな内にとレストランへと入っていた。

「必要なものは全て買ったか、とりあえず確認しておくかねい……」
「……もう、当面は買い物しなくても十分ですからね」
「……ょぃ……」

必要なものをピックアップして書いておいたメモを広げて確認するマルコを前に、マヒロはガクリとテーブルに額を突いて突っ伏していた。

時は数刻前に遡る――。

これから先の航海において四季折々に必要となる衣服を買う為にブティック店を訪れた時のことだ。

「この列とあの列を全部頼むよい」
「え!?」
「はい、かしこまりました」
「あァ、できりゃあ――」
「えぇ、えぇ、白ひげ海賊団の1番隊隊長様のことは承知しております。購入された品々は私どもで大切に運ばせて頂きますので」

手ぐすねをしながら嬉しそうに笑う店長にマルコはさも当り前のように事を進め、さっさと会計を済ませようとしていた。
慌てたマヒロはマルコのシャツを掴んで首を大きく左右に振り、マルコはキョトンとして軽く首を傾げた。

「どうしたよい?」
「ぜぜぜ全部は流石に必要無いし、そもそも私は道着があれば十分なわけで――」

マヒロがそこまで言うとマルコは眉を顰めた。

「んなわけにもいかねェだろい?」
「で、でも、こんなヒラヒラしたスカートやワンピースなんて」
「はァ……マヒロ」
「わぷっ!?」

抗議の声を上げるマヒロの口を挟む様にマルコが片手で掴んで指先に力を入れた。すると口先をうにゅっと尖がらせたマヒロは困惑しながらマルコを睨んだ

「もう、前みてェな生活はしなくて良いんだからよい」
「うっ……」
「着飾ることも覚えろよい」
「……むぅ、ひょりあえるはにゃひへふださい(とりあえず離してください)」

マルコが真面目に諭すようにそう言うとマヒロは反論できなかった。だとしても基本的にファッションなるものに興味を持ったことの無いマヒロは、購入するとした大量の衣服の中に混ざる『着ることは無いだろうと思われる品々』を見つめながら不服な表情を浮かべる。
そんなマヒロを尻目に片眉を上げつつ見下ろすマルコは最終確認とばかりに「良いねい?」とマヒロに問い掛けた。

「着ることも無いって思いながら買うだなんて……」
「今は興味が無ェかもしれねェが、その内に心境が変わるかもしれねェよい」
「そうかなァ……?」
「なら」
「ん?」
「今度は女らしく着飾っておれとデートしてくれよい」
「へ?」
「おれの為なら――ってェ考えはできねェかい?」
「えっ!?」
「紺色のワンピースを着たマヒロのことは今でも忘れたことは無ェし、女らしい恰好をしたマヒロは本当に可愛いからよい」
「ッ〜!!」

マルコは屈託の無い笑みを浮かべるとサラリと言った。するとマヒロは目を見開くと同時に咄嗟に口元を手で押さえ、急に熱を集め出した顔を俯かせて背を向けた。

―― か、可愛い? 私が?

「マヒロ?」
「そ、そんな風に言われ慣れてないからっ……!」

ポンッと軽く頭に手が置かれたマヒロは言葉を止めた。クシャリと軽く撫でられて振り向けば優しい笑みを浮かべるマルコがいた。

「いくらでも言ってやるよい」
「え、あ、う、あァあの!」
「お前ェは可愛い女だよいマヒロ」
「ッ――!」

頭に置かれた手がするりと移動してふわりと頬に添えられる。
真っ直ぐ目を見つめながら甘い声で『可愛い』と口にするマルコにマヒロは顔を真っ赤にして絶句する。そして視線の先に確かに居たのはカウンターの向こう側、会計をしている店長とそれを手伝う店員の姿で――。

「やだ、凄く羨ましい」
「あァ、良いなァ。私も彼氏に『可愛い女だよ』って言って欲しい〜」
「こらこら、口を動かして手を動かしなさい」
「「はーい」」

そんな声が聞こえて来た。嬉しい反面とてつもなく恥ずかしい気持ちになるマヒロは激しく動揺し、口をパクパクと開閉を繰り返すだけで「ぐぅ」の音も出ない。そんなマヒロをこれまた楽しそうに見つめるマルコはマヒロに背を向けて小さく笑った。

―― 反応がいちいち面白ェ上に可愛いから、つい弄りたくなっちまうんだよい……。

「……可愛いと思ったから素直に言ったってェのに不機嫌になられるってェのは納得できねェなァ」
「う、嬉しいけど、お願いだから時と場所を考えて……」

しみじみと漏らすマルコの袖を掴んだマヒロは顔を真っ赤にしながら強く引っ張り、『褒め殺し』を続けるマルコに慎む様に頼むしか無かった。

―― ま、マルコさんの性格が変わった気がするのはどうして!?

二年の時を超え、漸く再開し、心と身体を通わせた。
もう二人を隔てるものは無く、これから先にあるのは共に生きることができる未来。
嬉しさと喜びに満ちた幸福感で心(気持ち)が高揚しているのだ。

この気持ちはマヒロだけでは無くマルコも全く同じなのだ。だから少々――自制という箍が外れて常と異なっているのは仕方が無いことなのかもしれない。

「あ、あの、マルコさん」
「何だい?」
「……ありがとう」
「良いよい」

御礼を述べるとマルコは満面の笑みを浮かべた。

―― ……私よりマルコさんの方が可愛いです。

良い歳の大人の、それも男性に『可愛い』と思ったものの、口にはしないでおこうとマヒロは思った。そして――。

「お願い。本当にお願いだから、それだけは本当に勘弁して〜!」
「……何でだよい?」
「下着は一番最初に買ったでしょう!?」
「さっきも言ったがよい」
「えぇ、少しは女らしくしますけど! でも、これは全く別問題です!!」

必死になって抗議するマヒロにマルコは不満な表情を浮かべながら「けどよい」とか「だから――」とか、何とかマヒロを説得しようと試みている様子。しかし、頑としてマヒロは受け入れようとはしなかった。

「似合うと思うよい?」
セクシーランジェリーは必要無い!!

いつだったかリーゼントを整えながらサッチが熱く語っていた。

〜〜〜〜〜

「惚れた女がセクシーな下着を身に付けてベッドに転がる姿を見るってェのは男の浪漫溢れる夢だぜ? おれっちもいつかはそういう女をだな〜――」
「……いればの話だろい」
「絶対に見つけるってんだ!」
「妄想も程々にしとけよい」
「マルコォォォ!」

〜〜〜〜〜

当初こそマルコは全く持って興味は無かったのだが、惚れた女が出来た今となってはどうやら話は変わるようで――。

「お、怒るなよいマヒロ。ただ男の浪漫ってェやつを――」
「……何?」
「――い、いや、な、何でも無ェよい……何でも無ェから、頼む、その左手に高めた霊気を静かに抑えてくれねェか?」
「次は、容赦無く放ちますから……」
「よ、よい!」

大人の女性が身に付けると思われる際どく厭らしい下着を専門に取り扱う店の前を、何だかギスギスとした不穏な空気を纏った二人が静かに通り過ぎて行った。

〜〜〜〜〜

食事を終えた後、目的のものは全て購入した二人は船に一度戻ることにして店を出た。だがマヒロがふと視線を向けた先にあった店に一瞬だけ釘付けになったのをマルコは見逃さなかった。

「寄ってみるかい?」
「え? う、ううん、私には――」
「見るだけでも構わねェ、入るよい」
「あ、待って」

マルコに手を引かれて入った店はジュエリー店だった。煌びやかな装飾品には全く縁の無いものだからとマヒロは訴えるがマルコは聞き入れてくれなかった。
マヒロは仕方無く陳列されている品々に目を向けた。
ネックレスや指輪等が沢山ある。

―― ……ネックレスだと首を絞められるわね。指輪は殴った時に致命傷になるかしら?

身を飾るそれらを見つめながらそんなことを思ってしまうマヒロは根っからの武闘家と言えるだろう。
普通の女性なら喜々として美しく見栄えする自分を想像して見つめるはずなのに――と、ハッとして気付く。

―― うぅ、だから私には縁の無いものだって……あ。

心内で嘆き節を零していると一つのアクセサリーに目が止まった。

―― ……綺麗……。

思わず見惚れたが、しかしやはり自分には不似合いだとかぶりを振って見なかったことにした。
それにこれはペアものだ。
自分が良くてもマルコが果たしてこれを快く身に付けてくれるかどうかはわからない。

「何か欲しいのがあるなら買ってやるよい」
「ううん、見るだけで十分だから」
「マヒロ」
「こういうお店に入るのも初めてだから、ちょっと体験できただけで十分です」

マヒロが笑みを浮かべてそう答えるとマルコは何か言いたげな表情を浮かべたが「……そうかい」と答えるだけに止めた。
結局、何も買わずに店を出た二人は船に戻るべく港へと向かった。

「あァマヒロ」
「はい」
「ちょっとここで待っててくれねェかい?」
「え?」
「一つ用事があるのを思い出したんだよい」

噴水のある広場に出た所でマルコが足を止めてそう言うとマヒロはキョトンとした。必要なことはメモに書き出し、それをレストランで一つ一つ確認していたはずなのに、何故急に――とマヒロは疑問に思ったが、仕事の事かもしれないと思ってコクリと頷いた。

「わかりました。じゃあそこのベンチで座って待ってますね?」
「悪ィ。用が済んだら直ぐに戻るからよい」

マルコはそう言うとマヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でると足早に来た道を戻って行った。マヒロはマルコを見送ると踵を返して木陰にあるベンチに腰を下ろして大きく息を吐いた。

ふわりと優しい風が頬を撫でる。
とても心地の良い風だ。

噴水では「キャー! キャー!」と声を上げて水遊びをしている子供達が沢山いて、少し離れた所で母親達が楽し気に会話を交わしている。

「……ふふ」

こういう光景は自分の世界とも共通してあるんだと思ったマヒロは笑みを零した。こんなにゆったりとした平和な時を過ごすのは何時ぶりだろうか。
滅多に無いこの瞬間をしっかりと味わって心に刻んでおこうとマヒロは思った。そして、何の変哲も無い極一般的なこの光景を見つめながらマヒロは『もし、いつか――』という思いがふっと沸き上がり、ハッと我に戻ってボッと顔を赤くした。

―― ば、バカ! ま、まだ早いから!

顔を俯かせて両手で頬を包みながら深く息を吐いて気を落ち着かせる。そしてふと見慣れた足が視界に入って顔を上げると笑みを浮かべて立つマルコが居て、マヒロは思わず悲鳴を上げそうになった。

「ま、ま、」
「待たせたねい。っつぅか、一人で何百面相して遊んでんだい?」
「ッ〜〜」

マルコの質問にマヒロは答えることができなかった。
まさか――マルコさんとの間に生まれた子供がここで遊んで、私はママ友と話をして楽しんでるなんてことを想像して悶えてました――なんて言えるわけがない。

少し普通の生き方に憧れただけ――。

何も言わずに真っ赤にした顔を俯かせるマヒロにマルコは片眉を上げると隣に腰を下ろした。

「マヒロ」
「……」
「今は無理だが、いつかは叶えてやるよい」
「え?」

マルコの言葉にマヒロは目を丸くするとバッと頭を上げてマルコへと顔を向けた。すると目の前に「ほらよい」と言って差し出されたそれに更に目を見張った。

「こ、これは」
「実はおれも気になってねい。やっぱり欲しくて急いで買って来たんだよい」

笑みを浮かべてそう話すマルコにマヒロは眉尻を下げて泣きそうな表情を浮かべた。するとマルコがマヒロの左腕にそれを代わりに付けてやると、とうとう我慢できなくなったマヒロはポロポロと涙を零した。

青い石が連なるブレスレットだ。マルコの左腕に視線を向ければ同じブレスレットが付けられている。

「綺麗……。私達と同じ青い色……」
「あァ、ペアもんだったからおれ達にピッタリだろい?」
「……うん、うん」

震える右手で左腕に付けたブレスレットを撫でながらマヒロは何度も頷いた。そして溢れ出す涙を拭おうとするとマルコの手が伸びてマヒロの両頬を包んで涙を拭った。

「ッ……」

何も言わないでも少しの行動で気持ちを汲み取ってくれるマルコの優しさにマヒロは心から愛しく思った。

どんどん好きなる。
二年前に別れたあの頃よりずっと、ずっと、好き――。

「マヒロ、――――」
「!」

マルコがマヒロの耳に口元を寄せると小さな声を発した。甘く優しい声音に乗せられた言葉にマヒロはまた泣きそうになる。

「泣く程に喜んでくれるのも良いが、笑ってくれよい」
「……」

マルコがそう言うとマヒロはマルコの胸元に自分の額を落した。

「もう……、狡いですよ」

ポツリとそう零したマヒロにマルコはクツリと笑った。すると、ゆっくりと顔を上げたマヒロも笑みを浮かべた。

『マヒロ、愛してるよい』

青いブレスレットと共に送られた言葉がとても嬉しい――そんな幸せに満ちた笑顔だった。
そして――。
甘い一時を過ごした二人が船に帰還した――ら、甘い一時は直ぐに遥か彼方の遠い過去の記憶となった。

「あ、サッチさん」
「おう、お帰りマヒロちゃん! 無事に買い物を――ぷぎゃっ!?」
「ッ……マヒロ……」
「もう二度とマルコさんに変な知識を植え付けないでくださいね?」

笑顔で出迎えたサッチに見えない攻撃を問答無用でマヒロは放った。当然のようにサッチは軽く吹っ飛び、果ての壁に顔面から激突して地面に突っ伏した。
サッチは気を失ってしまったのだろうか、ピクピクと痙攣こそしているが動きそうに無い。そんなサッチに追い討ちとばかりに満面の笑顔で釘を刺すマヒロにマルコは絶句し、ただただ恐れ入ったのか身を強張らせて小さくなるのみだった。

―― 怒ったマヒロは屍鬼……いや、幻海師範以上に怖ェよい。

これから先の未来は――。

広場で見た光景をいつか…の前に、惚れた女の尻に敷かれる自分が容易に想像できたマルコは目元を手で覆いながら思わず天を仰いだ。
この先どんな些細なことがあろうとも、決して、そう決して――マヒロを怒らせてはいけない――と、マルコは強く思うのだった。

いつか

〆栞
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