06


マルコがシャワー室から出て衣服を着替えると、ベッドの上でもぞもぞと動くマヒロに声を掛けた。

「マヒロ、起きたかい?」

シーツを頭から被るマヒロの顔を覗こうとマルコが手を伸ばそうとすると、途端にマヒロが勢い良くガバリと起き上がり、マルコは手を止めてキョトンとした。

「マヒロ?」
「おはようございますマルコさん」
「あ、あァ、お、おはよい」
「あのね、マルコさん」
「ん?」
「私、こっちに来てから生活習慣がすっかり変わっちゃってリズムが狂っちゃったの」
「あァ…そう…なるだろうなァ」

マルコはマヒロの世界での生活を思い出しながら頷いた。規定時間に起きて、規定時間に飯を食べ、規定時間に修行をして――と、常に同じ生活リズムで日常を過ごしていた。
恐らくその生活リズムは祖母譲りだろうとマルコは思いながら「それで?」とマヒロに先を話すように促した。

「修行もしたいですし、……マルコさんは皆さんの前で修行をしているわけじゃあ無いですよね?」
「そうだねい、流石に皆の前で堂々とはできねェなァ」
「どうしてるの?」
「おれは島に寄港する度に人気の無ェ場所に出向いて修行してるよい」
「そうですか……。あ、でも、皆さんは霊力のことはご存じなんですよね?」
「あァ、まァ一応……『見えない力』ってェ認識で」
「成程、わかりました。そろそろちゃんとした生活リズムを作らないとって思って」

正しい生活習慣が身に染み付いているマヒロにとって狂ったまま過ごすというのはどうしても気持ちが悪いようで、マルコはクツリと笑みを浮かべて感心するように頷いた。

「船の連中にも見習って貰いてェなァ。きちっとした生活を繰り返してりゃ……書類仕事だってこんなに堪るこたァ無くなりそうだしよい」
「ふふ、規則正しい海賊だなんて、それも何だかおかしいですけどね」
「ハハ、そりゃそうだねい」
「じゃあ、そうとなれば色々と算段しないと……あ、その前にシャワー室を借りても良いですか?」
「ん、この部屋にあるもんは何でも自由に好きに使えよい」
「……良いの?」
「マヒロなら構わねェよい」

マルコがそう答えるとマヒロは小さく「ふふ」と笑い、マルコが片眉を上げて「何だよい?」と声を掛けた。

「サッチさんが言った通りだったなァって思っただけです」
「ん? サッチ?」
「『マヒロちゃんならあいつは喜んで自由に使わせるってんだよ』――って」
「……」
「大親友って感じで、何だか羨ましいです」
「あー、止めてくれよい、気持ち悪ィ……」
「……」

マヒロが感じたマルコとサッチの関係性を聞かされたマルコは顔を顰めて舌を出して首を振った。

―― そ、そんなに露骨に嫌そうな顔をしなくても……あんなに仲が良さそうなのに。

しかし、嫌そうな顔をしていたとしても何となく頬が赤くなっているようにも見える。存外満更でも無いのかも――と、マヒロは思った。

「とりあえず島に着いたのなら買い物に行くから準備しろよい」
「え? 買い物?」
「生活に必要なもんを色々と調達する必要があるだろい?」
「成程。……あ、でもお金……」
「金の心配なんか必要無ェよいマヒロ。おれん時もそうだったろい?」
「!」

マルコは金貨の入った袋を片手にクツリと笑って言った。

「それにこいつはオヤジからマヒロにってな、預かってんだよい」
「え!? そ、そんな、悪いですよ!」
「ハハ、娘に色々買ってやりてェんだ。そのオヤジの心を有難く受け取ってやってくれねェか?」

マルコが眉尻を下げてそう言うとマヒロは抗議の声を飲み込んだ。

「……わかりました。じゃあ買い物が終わったらオヤジ様にお礼を言わなきゃいけないですね」
「あァそうしてやってくれるとオヤジも喜ぶよい」
「ふふ」

嬉しそうな笑みを零したマヒロは身体にシーツを巻き付けてシャワールームへと入って行った。そして、温かいシャワーを浴びながら長く伸びた髪を手で束ねて鏡に映る自分の姿を見つめる。

「少し切ろうかな……」

髪を纏め上げた後に身体を洗おうと鏡から視線を外そうとした時、長い髪に隠れていたのだろう首筋に赤くなっている箇所を見つけ、思わず二度見した。そしてそれはよく見ると首筋だけでは無く、全身に散りばめられていることに気付いた。

「あわわ、あ、赤い印がそこかしこに!」

情事の際にマルコから受けた愛(キス)の証みたいなものだ。顔を真っ赤にしたマヒロは思わず狼狽しながらも軽く身悶えてしまった。そして途端に思い出すのだその瞬間を――。

―― や、違う! ダメよ!

自制心を働かせようとするが「マヒロ……」と、甘く切ない声音で何度も名前を呼ぶマルコの声が脳内で勝手に再生された。するとカァァッと身体の中心から熱くなるのがわかる。

「ッ……!」

咄嗟に自身の身体を抱くように両手を交差させながらその場にしゃがみ込んだマヒロは、排水溝へ流れ行く湯水を見つめながら口をパクパクと開閉を繰り返した。

―― な、ななな何を考えてんのよ!? あ、あれだけ抱かれたのにまだ足りないってわけ!?

二年という月日の中でどれだけマルコに飢えていたのか――ということだろうか、知らぬ間に自分の身体はマルコを貪欲に求め続けている気がしてならない。あれだけ抱かれたのに――だ。

―― うぅ……、は、恥ずかしい。……でもそれだけマルコさんのことが好きってことだもの……ね。

両手で頬を包みながらそう納得するとニンマリと笑みを浮かべるマヒロだが、その表情がどれだけ締まりの無い現を抜かした間抜けな顔をしているかは自覚していない。
マヒロはマルコが残したキスの跡を指でなぞってみた。するとゾワッと背中に電撃が走るように身体が反応を示し、愈々これ正にと自覚して溜息をく。

―― 今度、またマルコさんに……。

『触れて欲しい』『抱いて欲しい』等と、一瞬でもそんな思考が過る。

「あァ、もう、どうしちゃったんだろう……?」

全く自制が利かなくなっている自分にほとほと呆れて困惑するしかなかった。そうして悶々としながら身体を洗い終えたマヒロがシャワー室から漸く出るとマルコの姿が部屋に無かった。
マヒロは少しだけホッとした気持ちで軽く息を吐いた。そしてマルコが畳んでくれたのだろうか、ソファーに置かれた自分の衣服に手を伸ばして「あ、」と声を漏らした。

「さ、流石に下着は……辛いかも」

島に降りて最初に買うべきは下着だと直ぐにマヒロは思った。あまり身に着けたくは無いが生憎これしか無いのだから仕方が無いかと溜息を吐いた。
するとガチャッと部屋のドアが開けられる音がして振り向くと何かが目の前に飛んで来てバサッと顔に当たった。

「な、何!?」

ファサリと手元に落ちたそれは女性ものの下着で、マヒロは目を丸くした。そして顔を上げるとマルコが片眉を上げて笑みを浮かべてマヒロを見下ろしていた。

「着替えが無ェだろい? ナースのリタって奴がマヒロと体型が似てっからねい、真っ新だからあげるってよい」
「……」

淡いピンクの花柄があしらわれた可愛らしい真っ新なショーツとブラのセットだ。

―― え? ま、まさか、これをそのままマルコさんが手にして医務室から部屋まで歩いて……?

汚れた下着を身に付けるのには躊躇していたから、真っ新な下着を貰えたことはとても有難いことなのだが、そんなことよりもマヒロは『マルコが女性ものの下着を手にして歩く』ということの方が問題な気がして、何やら妙な目つきでマルコを見つめた。

「何だいその目は……。まるでおれを変態みてェな目で見るんじゃねェよい」

マルコはヒクリと頬を引き攣らせると空になった袋をマヒロに見せながら弁明を行った。するとマヒロはパッと表情を変えて「そ、そうですよね〜」と、安堵の溜息を洩らした。

―― お前ェ……おれを何だと思ってんだよい。

マルコが眉間に皺を寄せて不満気な表情を浮かべるとマヒロは「ハハッ…アハハッ」と誤魔化す様に笑いながら下着を持ってシャワー室へと急いで戻った。そして受け取った下着を身に着ける――のだが、マヒロは面白い様にシュンと凹んで項垂れた。

―― し、仕方が無いもの。着替えを仕入れるまではこれで我慢……我慢……うぅ……。

震える手でシャツを羽織り、道着を身に付けて準備を整えたマヒロは程無くしてシャワー室から出て来た。
ソファに腰を下ろして待っていたマルコはマヒロを見るなり目を丸くして唖然とした。
マルコが驚くのも無理はない。
何故か悲哀の表情を浮かべ、項垂れて丸くなる背中にズドーンと重たい影が落とされ、酷く落ち込んでいるからだ。

―― な、何だ? 急にまたどうしたよい?

あまりにも酷く凹むマヒロに何と声を掛けようか、少しだけ躊躇した。しかし、マルコはソファから立ち上がると酷く凹むマヒロの元へと歩み寄りながら遠慮気味に声を掛けてみた。

「ど、どうしたよいマヒロ?」
「……似たような体型ですか。……えェ、そうよね」
「……ん?」

ボソリと言葉を零したマヒロにマルコは軽く首を傾げた。

―― な、何か…不味かったか?

「な、何だ? 悪ィがはっきり言ってくれねェと――」
「この世界の女性はどうしてバストが異様に大きいの!?」
「――……あァ、それかよい!」

悲痛に嘆くマヒロを前にマルコは得心が行ったと言うようにポンッと手を叩いて笑い、マヒロはそんなマルコにキッと睨み付けずにはいれなかった。

―― 「あァ、それかよい!」……じゃない!

マヒロのショックはブラジャーにあった。
似た体型と言われ、確かに身に付けてみればサイズはピッタリだった。だがしかし、悲しいことにカップのサイズはそうはいかなかった。
見事に生まれるカップの隙間にマヒロは電撃が走る程にショックを受けた。

女として大きな傷となった。
女として非常に悲しいことだ。
女として――エトセトラ。

そんなショックを背負いながら事の真相を告げれば、マルコは納得してホッと胸を撫で下ろす様子を見せるのだから、マヒロにとってそれをそれは癪に障るもので、不機嫌になるのは仕方が無いことだった。
マヒロはマルコからそっぽを向いて隣を通り過ぎるとソファーにポスンと腰を下ろし、側にあるクッションを胸に抱き締めて涙に暮れ、マルコはポリポリと頬を掻きながら苦笑を漏らし、怒るマヒロを宥めようと隣に腰を下ろしてクシャリと頭を撫でた。

「悪かった、そう怒るなよいマヒロ」
「……どうせ」
「ん?」
「私の胸は小さいですよ……」

小さく嘆くマヒロにマルコは眉尻を下げて優しい笑みを零した。

「おれはマヒロのサイズが好きだけどなァ」
「――っ!?」
「手に収まるぐれェが丁度良いよい」

予想だにしなかったマルコの言葉にマヒロは怒りを忘れる代わりに羞恥に見舞われ顔を真っ赤に染めた。

「そ、そういうことを言っているわけじゃ――」
「凄く柔らけェし、弾力だって申し分無ェよい?」
「ま、マルコさん! だ、だからそれとこれとは話がっ――」
「綺麗な色してるしなァ、おれ好みだよい」

マルコはそう言ってマヒロの胸を人差し指でツンと突いた。するとマヒロは愈々恥ずかしくなって堪らず顔を俯かせた。先程まで背負っていた悲哀の影や怒りさえも疾うに消えて羞恥心だけが残ったマヒロはワナワナと身体を震わせて目を白黒させた。

―― や、やだ! もう! そんな感想……。

「胸の大きさなんざ気にするなよい。それとも何だ? おれ以外の男を誘惑してェからそんなことを言ってんのかい?」
「えっ!? ちっ、違います! そんなこと決してあるわけ無い!」
「胸をでかくして男を誘惑してェんだな?」
「ち、違っ……わ、私の胸はマルコさん専用だもの! 他の人に見せるなんてあり得ないわ!?」
「――んなっ!?」
「って……、な、なな、何でまたマルコさん専用だなんて言っちゃうの!? バカバカバカ! 私のバカァァァッ!!」

マヒロはこれ以上真っ赤にできないという程に赤く染めた顔を両手で覆い隠すと、自ら自身の頭をポカポカと叩いて反省の弁を叫んだ。そんなマヒロを尻目に口元を手で覆い隠して視線を泳がせるマルコもまた同じように顔を真っ赤にして軽く狼狽えていた。

―― は、破壊力が半端無ェ。何だよいおれ専用って? …………間違っちゃ無ェけどよい。

マヒロの爆弾投下術の威力は超絶大だ。しかも自滅する諸刃の剣だ。それは無意識から生じて投下されるのだから非情に性質が悪い。

「……ま、まァ、胸はあるに越した事は無ェが、おれはその、マヒロの……専用で十分満足してるから……な?」
「せ、専用とか言わないでください。ほ、本当に恥ずかし過ぎて憤死しちゃう」

羞恥で顔を赤くするマルコがそう言うと、マヒロは全身を真っ赤に染めつつ苦悶の表情を浮かべるのだった。

―― うぅ、……専用なのは間違いじゃないけど恥ずかしい! ……わ、話題を変えなきゃ!

「か、買い物! 買い物に行きましょう!!」

この話題を打ち切るべくマヒロは空元気で声を上げて立ち上がった。

「ね?」
「……ククッ……あァ、準備が整ったんなら行くよい」

マルコは笑いながら立ち上がるとマヒロと共に部屋を出て甲板へと向かった。そして――。

「マヒロ」
「え?」
「ほら」
「あ、」

港へと下りるとマルコは人目を憚ること無く当り前のようにマヒロに手を差し伸べた。マヒロは少しだけ目を丸くして瞬きを繰り返したがクツリと嬉しそうに笑みを零して自分の手を差し伸べるとマルコ自らマヒロの手を握った。
お互いの指と指が絡むようにキュッと――そうしてマルコとマヒロは二人並んで町へと出掛けて行く。
これには隊長達だけでは無く、忙しなく働いていた隊員達が特に驚いた。
マルコとマヒロの何とも自然な行動にマジマジと見つめて呆気に取られた。そしてマルコとマヒロが町中へと姿を消す頃になって漸く盛大な声が上げられた。
後方から聞こえてくる怒号に似た声にビクッと身体が跳ねて驚いたマヒロは振り向いてモビー・ディック号に目を向け、片やマルコは眉間に手を当てて溜息を吐いた。

「「「あの二人ってそういう関係だったんですか!?」」」

マルコとマヒロが『恋仲』であるということを知るのは船長白ひげと隊長達だけであるということを、マルコはすっかり忘れていた。
マルコは本日最大の溜息を吐くと「また失態だよい……」と言葉を零した。

―― けど、まァ、遅かれ早かれ直ぐにバレることだしなァ。良い牽制にもなったろい。

マヒロは『マルコの女である』ということを示しておけば、マヒロを一人の女として見る隊員達はいなくなるだろう。
マヒロを襲って手籠めにしようと思う輩がひょっとしたらいるかもしれない。故に、そういった予防線を張るのは必要なことだ。
マヒロからマルコの手を取って繋ぐ――ならまだしも、マルコ自ら率先してマヒロと手を繋いだことが船員達をより驚かせることになった。

「マルコ隊長が女を侍らせて歩いてる」
「しかも自ら手を差し出して繋いだよな?」
「確か身を寄せて歩きたがる女とかってェ嫌いじゃなかったっけ?」

隊員達の視線を背中に受けるマヒロは「あ、そっか」と言葉を漏らし、マルコと繋いだ手を解こうとした。だが、マルコの指に力が込められて解くことはできず、より強く握られて不思議に思ったマヒロはマルコを見上げて首を傾げた。

「手を繋ぐのは嫌かい?」
「ううん、そうじゃないですけど……良いの?」
「構わねェ」
「……ふふ」

マヒロはマルコの腕にそっと頬を寄せて笑みを零すとマルコも満更でも無いようにクツリと小さく笑う。
指と指が絡み合う『恋人繋ぎ』をしたまま寄り添うように仲睦まじく歩く二人。そんな姿を見送って「キャー!」と声を上げて騒ぐのは良い年したいかついおっさんどもだ。

―― どの面下げて「キャー!」なんて言ってんだい……ったく。

天下の白ひげの名を背負う者達が上げる悲鳴では無い。
マルコは心内で舌打ちをしつつも「まァ良いか」と許すのは、隣に歩くマヒロの存在があるからで――。

「じゃあ、まず何から買うとするか――」
「下着です」
「えらくまた即答だなァ。……まだ気にしてんのかよい?」
「女にとっては大問題だもの。私にだって小さいなりにプライドぐらいあります」
「そう言う程にも小さくねェよい。揉み応えあるし十分に魅力的な胸してっから、卑下する必要は――」
「ちょっ! も、もうストップ! こんなところでそんなこと言わないで!」
「ハハッ、悪ィ悪ィ。あんまり気にしてるみてェだからよい」
「うぅ…、嬉しいけど凄く恥ずかしいんだから……」
「クク、マヒロの反応が面白ェなァ。もっと言ってやろうか?」
「ッ!? も、もう、マルコさんのバカ!」

顔を真っ赤にして怒るマヒロがマルコの腕をポカポカと叩き、片やマルコは「痛ェよい」と楽し気に笑ってマヒロを宥める。
マルコにとってこの町はつい先日に偵察で訪れたばかりの町だ。しかし、一人で歩くのとマヒロを引き連れて歩くのとでは天と地程に世界が違って見える。
マルコは自分自身がこうも単純なただの男であったのかと呆れもしたが、隣を歩くマヒロを見ればそれも悪くないと、好いた女の為に単純で馬鹿で滑稽な男にでも何にでもなれる自分がいることを素直に受け入れるのだった。

バストサイズ

〆栞
PREV  |  NEXT



BACK