33


十五年前――。

まだこの島々が誰の縄張りにもなっていなかった頃、荒くれ者の海賊団が来ては荒らされることが多く、平和とは言い難い無法地帯と化していた。
当時、点在する島々の長達をまとめ率いていたゾイルは何度襲われても復興を繰り返して町を再建していた。人の上に立ち、勢力的に人々を引っ張っていくゾイルは領主としても申し分の無い力量を持った男であることは誰の目で見ても明らかだった。

人々の中心に立ち引っ張って行く男の下には自然と金が集まって来るのは世の習いだ。

海賊達はそんなゾイルから金を毟り取ろうと一人娘のレイラを誘拐した。そして丁度同じ頃、この島に偶然的に寄港したのが白ひげ海賊団だ。白ひげ海賊団が物資調達の為に島に寄港したと知ったゾイルは単身で白ひげ海賊団の船へと乗り込み、白ひげに助けを乞う為に直談判を願い出たのだ。

「頼みがある! 我々を助けて欲しい! ここ一帯の島々を天下の白ひげ海賊団の縄張りにしてくれ!!」
「グララララッ! 活きの良い男だなァ。だが海賊船に単身で乗り込んで来るたァ感心はしねェなァ?」
「娘を誘拐された今の私には選択する余地が無いからだ」

土下座の態勢から頭を上げてそう話すゾイルに白ひげは顔色一つ変えずにゾイルの目を見据えた。

「娘を誘拐されたとならァ、何か要求があるんじゃァねェのか?」
「金の要求があったが断わった」
「……何故だ?」
「あの金は私のものでは無い。この島に住む皆のものだ。例え娘の命が脅かされることになろうとも、皆を裏切ることは私にはできん。今頃はもう殺されているかもしれん。そうなれば私は独り。この命は元より捨てる覚悟でこうして乗り込んだのだ」

ゾイルはそう言うと床に突いた両手を拳に変えてギュッと握った。
僅かに震える身体、苦悶の表情を浮かべつつ唇を噛み締めて父としての自分を必死に殺し、あくまでも島の代表者としての務めを果たそうとしている。

「私のことはどうなっても構わん。だから私の命の代わりにこのシャブナスを、一帯の島々に住む人達を助けてくれ! この通りだ頼む!!」

床に頭を打ち付ける勢いでゾイルは頭を下げた。兎角必死だった。
そして少しの間だけ沈黙が流れる。

「マルコ」
「何だいオヤジ?
「娘を探せ。もし生きていたなら助けてやれ」
「!」

白ひげの言葉に頭を下げたゾイルは目を見張り、ゆっくりと顔を上げた。白ひげと目が合うと白ひげはニヤリと笑みを浮かべ、大勢の船員達の中へと視線を向ける。
ゾイルも釣られるように目を向ければ、集団の中から一人の男が前に出る姿があった。

「わかったよい」

白ひげの命令に素直に了解したマルコは肩から腕に掛けて青い炎を発し始めると腕を翼に変え、空へと高く飛んで行った。
呆気に取られたままそれを見送るゾイルに白ひげは「おい」と声を掛け、ハッとしたゾイルは慌てて白ひげへと顔を向けた。

「シャブナス一帯をおれの縄張りにすりゃあ良いんだな?」
「あ…、そ、そうだが……願いを聞いてくれるのか?」

ゾイルの問いに白ひげは口角を上げた笑みを浮かべると言った。

「願いだけじゃねェゾイル。てめェの娘も無事に取り返してやる」
「! し、しかし、娘はもう……」
「諦めるにゃあ早ェ。島民達を纏める中心人物の娘が人質なら金の要求が叶わなくとも使い道は他にも色々あるだろうからなァ。まだ死んじゃいねェだろうぜ」
「!」
「グラララ、娘の救出に向かったさっきの男は優秀だからなァ、安心して待っていると良いぜ」
「ッ……」

白ひげの言葉にゾイルは目を丸くすると眉尻を下げ、男であろうと恥ずかし気も無く安堵の涙を零して顔を俯かせたのだった。





白ひげの命を受けたマルコは上空からゾイルの娘を誘拐した海賊達を探した。
あまり得意では無いが見聞色の覇気を使い、大凡の予測で探索をすると思いのほか直ぐに見つけることができた。
もう使われていないと思われる古びた小さな小屋の前に舞い下りたマルコに、見張りをしていた海賊達は驚いて武器を構えて警戒した。だが立ち上がったマルコの胸元に見え隠れした白ひげマークを見るや否や彼らは「し、し、白ひげ海賊団!?」と恐れ戦き、武器を捨てて逃げ出す始末だ。

「戦いもしねェで逃げるなんて大したことねェなァ」

逃げる小物を相手にはせず、マルコは小屋の扉を開けて中に入った。すると目隠しと猿轡をした幼い娘が両手両足を椅子に縛り付けられて拘束された姿が目に飛び込んだ。

「ッ……」

自分を捕まえた海賊達が慌てて逃げ去った代わりに、得体の知れない誰かが入って来るのを感じ取った娘は僅かに身を強張らせてガタガタと震わせた。

「おれはお前を助けに来たんだ。だから大丈夫、もう怖くねェから安心しろよい」

マルコが優しく声を掛けながら目隠しと猿轡を外し、手足を拘束する縄を解いてやると、その娘は大泣きしてマルコの胸元に飛び込んだ。
余程怖かったのだろう。
町に戻って親に会うまで、娘はずっと顔を伏せたまま身体を震わせて泣き続けていたのだから。そして、その娘の名が――。

「あァ良かった! レイラ!」
「パパァ〜! 怖かったよ〜!」
「良かった…本当に……良かった……」

この島々を好き放題に荒らす海賊達が小物であることをマルコが白ひげに報告する傍らで涙を流しながら親子が再会を果たす。
そんな姿を見たのは昨日のことのように色濃く記憶に残っている。

あれから十五年も時が経ったのだ。これまでにも何度かこの島に立ち寄ったことはあったが、ゾイルと顔を合わせることがあったとしても娘のレイラと会うことは一度も無かった。

「驚いたよい」
「ハッハッハッ! 我が娘ながらなかなか美人に育っただろう?」
「あァ、綺麗になったよい」
「マルコ様……」

自慢気に話すゾイルに気遣うわけでも無く、マルコはレイラを見つめながら本当に素直な感想を述べ、レイラは嬉しかったのだろう満更でも無い笑みを浮かべて照れていた。

「レイラ、マルコで良いよい」
「いいえ、マルコ様は私の命の恩人ですもの、マルコ様と呼ばせてください」

レイラはニコリと笑みを浮かべ、マルコは少し照れながら頭をガシガシと掻いて視線を外した。
本当に大事に育てられて来たのがよくわかる程に一つ一つの仕草がとても上品だ。隣に立つ父親(ゾイル)は完全に親バカ丸出しの面をしているのを見たマルコは目を細めながら小さく溜息を吐いた。

「じゃあおれは行くよい」
「うむ、また直ぐに会おう。船長殿に良い酒を沢山仕入れてあるからと伝えておいてくれ」
「ハハ、伝えるには伝えておくが……ナースにどやされるだろうなァ」
「ハッハッハッ! そこはマルコ殿の腕の見せ所では無いか? 右腕として上手くやってあげると良いだろう!」
「極力努力するよい。じゃあな」
「うむ」
「じゃあ、またなレイラ」
「はい、またお会いしましょうマルコ様」
「よい」

マルコは二人に見送られながらその場を後にした。
外に出れば日が傾いた空は夕焼けで赤く染まり、徐々に夜を迎えようとしていた。そしてキリグの町に戻る頃には完全に夜となった。

―― 結局、妙にザワザワして落ち着かなかった原因はわからずか。単なる取り越し苦労で終われば良いんだが……。

色々と考え事をしながらマルコは宿泊する為にこの町の宿へ向かおうとした。だがあることにふと気付いて足を止めた。

―― そう言やあ……マヒロの声が無ェな。

以前、シャナクと戦っていた時と同じように一言すら無く聞こえもしない。その時はマヒロが屍鬼に攫われた状態で命の危機に瀕していたからだが、今回はそんな嫌な空気は無い。

では何故――?

そう思った時トクン……と鼓動が柔らかく胸を打った。

「船に……着いたのか?」

マルコは目を瞑り深呼吸を何度か繰り返すと自ずと口角が上がって笑みが零れた。

「どうやら無事に着いたみてェだな」

ならば暢気に宿泊して行こうなんて考えは直ぐに消えた。
マルコは足早に町の外れへ向かい、誰もいない砂浜で不死鳥と化すと夜空に向かって羽ばたき、急いでモビー・ディック号を目指した。

―― マヒロ……、やっと、やっと会えるんだねい。

マヒロのことを想えば自ずと飛行スピードが加速して行く。

「好いた女に再会できるってだけで、こんなにも気持ちを高揚させるなんてなァ。おれも単純な男だよい」

これこそ胸が躍るという感覚なのかとマルコは初めて知って自嘲した。
そして――。
モビー・ディック号を視界に捉えたマルコはいつものように帰還しようと下降し始めた時、眼下に広がるモビー・ディック号の甲板では何かあったのだろう宴が催されているように見受けた。

―― まさか、マヒロを歓迎する宴かよい?

マルコは確認しようとシャナクの時に視界が切り替わったあの技を駆使して様子を見た。するとマヒロの姿が直ぐに目に飛び込み「やはり」という思いと共にドキンッと心臓が大きく跳ねるのを感じた。
今直ぐにでも甲板に降り立ってマヒロを抱き締めたい衝動に駆られる。だが周囲の仲間の目もあるし、隊長連中のネタにされるのも癪だから行くに行けない。

―― くっ……、今戻るのはおれに取っちゃあ得策じゃねェ。……目の前にいるってェのにお預けかよい。

苦心して考えた末にマルコは仕方が無く町に戻って出直そうかと決断しようとした時だ。白ひげがマルコの存在に気付いたのか上空を見上げ、それに気付いたマルコは白ひげに視線を向けた。すると白ひげと視線がかち合った瞬間に白ひげが少しだけ笑みを浮かべ、マルコは目を丸くした。

―― オヤジ?

『船尾の方へ行け』と指示を出すように僅かに顎を動かしているように見えた。そして船尾に目を向けるとそこには誰もいない。

「あァ、そういうことか。……オヤジ、恩に着るよい」

マルコは白ひげの意図を汲み取ると滑空して低空飛行へと切り替えて船尾へと向かった。そして極力羽音を出さないようにモビー・ディック号に平行する形で滞空飛行して待つことにした。
そして――。

「「「マルコ(隊長)の料理が美味いってマジ!!??」」」

―― !?

突然に大勢の男達が声を揃えてそう叫んだ。一言一句間違い無くそれを聞き取ったマルコは驚いてバランスを崩して落ちそうになるのを慌ててバサバサと翼を羽ばたかせて何とか持ち堪えた。

「おれの料理って……」

マルコは滞空しながら思考を張り巡らせれば思い浮かぶのはただ一つ。修行するマヒロの為に代わって料理をしたあの日々のことだ。

「ッ……」

―― なんつー爆弾を落としてくれてんだよいマヒロ!!

結局はネタにされるのかとマルコはげんなりして溜息を吐いた。

それから暫くして漸くマヒロが船尾に向かうのを気配で感じ取ったマルコも船尾へと移動した。そして縁から覗けば積荷を背凭れに両膝を抱えてそこに顔を埋めて座るマヒロの姿を捉えた。
精神的に不安定なのだろう、マヒロは今にも泣きそうな状態であることをマルコは直ぐにわかった。マヒロの全身から醸し出される『寂しさ』が全てを物語っているからだ。

―― 本当に、マヒロはよく泣くよい。

小さく喉を鳴らして微笑を零したマルコはマヒロが涙を零しているだろうことを予想して声を掛けた。

「ったく、とんだ爆弾だよい」
「……え?」
「戻るに戻れなくなっちまったから諦めて島に戻ろうかと思ったが、オヤジには頭が上がらねェよい」

バサッ! バサッ! バサッ! と大きく羽ばたきを繰り返し、暗闇の中をヒュンッと風を切って勢い良く飛び出すと欄干の上に身軽に着地する。それと同時に膝を折って腰を下ろし、笑みを湛えながらマヒロを見下ろした。

―― やっぱり泣いてやがったねい。

「おれの手料理がそんなに忘れられなかったのかよいマヒロ」

涙を零すマヒロとは対照的に楽観的に片眉を上げて笑みを浮かべるマルコは、何か言おうとしても上手く声にも言葉にもできないマヒロを見兼ね、眉尻を下げて苦笑を浮かべた。そして欄干をトンと蹴ってマヒロの直ぐ目の前に降り立って腰を折り、マヒロの顔を間近で覗き込んだ。

「ただいまマヒロ。遅くなっちまって悪かったよい」
「うっ…ふっ…」

足が震えて立てないようだ。それに身体も上手く動かせていない。それだけ驚き、それだけ待ち焦がれた瞬間だということなのだろう。

「ッ――! ゴホッ! ゴホッ! あっ…うっ……」
「マヒロ!」

再会の喜びに浸る前にマヒロは咳き込み、咄嗟に手で口を塞いでいたが、指の間から黒褐色に近い鮮血がポタポタと滴り落ちるのが見たマルコは目を細めた。

―― ほぼ限界に近ェな。顔色も良く無ェし、のんびりはしてられねェか。

屍鬼毒に犯されたマヒロの身体は見た目と違い限界が近かった。バランスを崩してグラリと傾くマヒロの身体をマルコは手を差し伸べて支えた。

「マル…コ…さん」

するとマヒロは苦しいにも関わらず笑みを浮かべ、マルコは僅かに目を丸くした。

―― お前ェ……。

マルコはマヒロの頬にそっと手を添え、もう片方の手は血に塗れたマヒロの手をお構いなしにギュッと握る。そうして自身の胸元へマヒロの身体を引っ張り込み、大事な宝が壊れないようにと優しく抱き締めた。

よく耐えた。
よく持った。
よくここまで来た。

腕の中に確かに存在するマヒロにマルコは心から労い、喜びに浸った。

―― おれが治してやるからよい。もう苦しむ必要はねェから安心しろよいマヒロ。

本当に
よく生きて
ここまで――。

二年前、お互いに渡した『心』は元の鞘に収まるように自然と返った。そしてお互いの力が引き合い助けとなった『青の力』は呼応するかのようにお互いの中で力がより増幅されていくのがわかる。

「マヒロ」
「……はい」
「ただいま」
「おかえり……。おかえりなさい……マルコさん」

―― 今直ぐにでも治してやりたい気持ちはあるが少しだけ待って欲しい。今はお前ェを……マヒロという存在を、ただこうして抱き締めていたいんだ。

会いたかった、大切な人。
おれが生涯唯一愛した女(ひと)。
やっと、やっと、会えた。

逢と愛

〆栞
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