04
マルコがマヒロの世界に来て早五日が過ぎた。
不慣れな生活も初日に比べれば少しずつでも慣れてくるものだ。目を覚ますと布団を畳んで押入れへ直し、衣服を着替えて部屋を出る。マルコはどちらかというと朝は早い方なのだが、マヒロの方が目覚めが早い。マルコが洗面所で顔を洗って居間へ行くとマヒロはいつもの日課を終えて既に朝食の用意をしていた。
「あ、おはようございます」
「あァ、おはよい。マヒロは早ェな」
「もう身体が慣れてしまってますから」
朝風呂を終えた後かマヒロの髪はまだ少ししっとりしている。今日も相変わらずの格好で、薄黄色地のシャツの上に紺色の道着を羽織り、それをマルコが身に着けていたサッシュと似た水色の腰布で縛っていて、腰元が身体の細さを醸し出している。下は少々だぼついた黒色の道着を身に着けている。
―― 昨日は赤色だったない。……何着持ってんのかねい?
マルコがふとそんなことを考えて目を細めるとマヒロはマルコの視線に気付いて不思議そうな表情を浮かべた。
「何か?」
「っ、いや」
何故道着ばかり着るのかとマルコが聞けばマヒロは普段着ですからとしか答えない。
この世界の住人はマヒロのような格好で生活をしているのかと思えば、町に出れば全くそうでもない。
マヒロだけなのだ。
マルコはそれがどうにも気になって仕方が無かった。
「マルコさん、朝食の準備できましたよ? どうぞ」
「あ、あァ」
マルコが定位置となった場所に腰を下ろすとマヒロはマルコの向かいに腰を下ろして正座した。その一連の動作はどこか洗練されていて何度見ても綺麗だとマルコは思う。
最初、マルコもマヒロに合わせて同じように正座をしたのだが、マヒロがクツリと笑って「我慢せず楽にしてください」とマルコに言った。
「いや、けどよい」
「慣れてないでしょう?」
「……」
マルコはワノ国に行った時に正座をしたことはあった。だがそう長くは持たなかった記憶がある。自分だけ楽をしても良いものかと思いはしたがあの痺れは尋常じゃ無かったことを思い出したマルコはマヒロの言葉に甘えて胡坐を掻いて座ることにした。
それ以降はずっと胡坐を掻いて座っている。
食事は簡素なものだが非常に美味い。白飯、味噌汁、山菜を炊いたもの、漬物等々――。
ワノ国で食べられる食事と似通っているものが多く、イゾウがいれば喜んで飯を食いながら話が弾むだろうとマルコは食しながら思った。
このニホンという国の文化を聞けばワノ国と本当に似通っていてマルコは不思議な感覚だった。異なる世界なのは明らかなのだが似通った文化があるというだけで妙に心が落ち着くのだから。
―― 箸で食うしねい。
白飯をパクリと口に放り込み、手にしている箸に視線を落したマルコは少しだけ笑みを零した。
◇
食後――。
「あァ、食器はおれが洗うよい」
「え? あ、良いですよ? マルコさんはゆっくりしていてください」
「何もかもしてもらってばかりだとおれの気が済まねェんだ。出来ることはさせてもらうよい」
マルコはマヒロの返事を待たずに食べ終わった食器を集めてキッチンの流し台へ運び入れると洗い始めた。マヒロは少しばかりオロオロしていたが諦めたようで、台拭きを持ってテーブルを拭きに行った。
マルコは皿を洗いながらマヒロのオロオロした姿をふと浮かべて笑みを零した。
出会ってから五日。それ程長く過ごしたわけではない。だがそれでもマヒロのちょっとした動きや表情に、時折、目を奪われていることが多いとマルコは気付いていた。
―― やっぱ、意識してんのかねい……。
初めてマヒロを見た時、声を聞いた時、触れた時――マルコは得も言われぬ何かが身体の内側を支配しているような気がして止まなかった。恐らくこれをサッチ辺りに話せば「一目惚れか?」と言うだろう。しかし、そういう類のもので簡単に済ませられない何かを感じるのだ。
―― それが何なのかは一向にわからねェが……。
食器を全て洗い食器棚に戻し終えると、台拭きを持って行ったきりのマヒロが戻ってきていないことに気付いた。マヒロの後を追って部屋に行けば、何やら手紙のようなものを手にしたままどこを見るでもなく固まっている。
「マヒロ?」
マルコがマヒロに声を掛けるとマヒロはハッとして我に返り、手にしていた手紙を慌ててクシャッと畳んでマルコから隠すように背中へと追いやった。その行動はあからさますぎて「不信に思ってください」と言ってるようなものだとマルコは片眉を上げて思った。
「それは何か教えてくれねェかい?」
「っ、これは、て、手紙です。ただの手紙」
「おれに見られちゃ困るような手紙かよい?」
「そ、そうじゃないですけど、ほら、ね?」
「ただの手紙ならそんな風に隠すような行動はしねェだろい?」
「うっ……、はァ……、マルコさんってば目敏い」
「というか、マヒロが隠すのが下手なんだよい」
「っ……」
マヒロは観念したかのように溜息を吐くと、手にしていた手紙をマルコに差し出した。
「開けて読んでも?」
「どうぞ。別に面白い内容では無いですし、マルコさんには関係の無いことですから」
少しふて腐れたような表情で言うマヒロにマルコがクツリと笑みを浮かべるとマヒロの頭を軽くポンポンッと撫でた。その途端にマヒロは目を丸くして頬を赤らめてそっぽを向いた。
マヒロは思いのほか感情に素直な所があるようで表情がコロコロとよく変わる。そんなマヒロの表情を見て意外にも楽しいとマルコは思っていた。
本当によく変わるから見ていて楽しい――等と、それを実際に口にすればマヒロが益々拗ねそうだと思ったマルコはその言葉をぐっと飲み込み、手渡された手紙を開けて中を見た。
「!」
その手紙に書かれている文字を思わず二度見した。
基本的にマルコの世界で扱う文字とマヒロの世界の文字は異なる。マルコの世界で扱われる文字はマヒロの世界で言う所の『英語』に当たる。だが『漢字』『カナ』『平仮名』といった文字は奇しくもワノ国で使われており、マルコはそれを見知っていた為に、全て読めるわけでは無いのだが、ある程度は解読できる知識を持っていた。
―― どういうことだよい?
自ずと眉間に皺が寄る。マヒロはそんなマルコを見て深い溜息を吐いた。
―― 果たし状 ――
仙崎 真尋 殿
貴殿の霊光玉と命を頂戴したく
明日(みょうにち) 貴殿の元へ参上する
今宵 最後となる生を存分に堪能なされるようお伝え申し候
―― 治部護少 ――
「男が女に果たし状とは感心しねェない」
「よくあることですから……」
―― よく……あることだって?
手紙の内容の割りにマヒロはあまり大したことでもないかのように答えた。マルコは益々怪訝な表情を浮かべてマヒロを見つめるとマヒロは苦笑を浮かべて頬をポリポリと掻いた。
「命を狙われてるのに楽観的すぎやしねェかよい?」
「これは生まれた時からずっとこうでしたから今更慌てることも無いですから」
「生まれた時からって……マヒロ、どういうことだよい?」
「私は祖母の血を引いたおかげで物騒な連中にいつも命を狙われてるの。しかもそこに書いてある『霊光玉』を引き継いだものだから尚更狙われるようになったんです。ここ数週間は何事も無く至って平和だったんですけど……。先月なんてほぼ三日に一回は襲われてましたから」
「なっ、何だよい? 何かサラリとえらいこと言ってるけどよい」
「マルコさん、覚えていませんか? 私が初めて会った日に言ったこと」
『なるべくマルコさんの身の安全は保証します。暫くここに身を置く間、色々あるかと思いますけど、あなたには決して迷惑が掛からないように努めますから』
―― あァ、このことに関して言ってたってェことか。
「覚えてる……けどよい、まさかこういう事だとは思ってもみなかったよい」
「明日、裏手の山間に開けた所があるので、そいつをそこで撃退します。マルコさんは普段通り過ごしてくださって構いませんから」
「何言ってんだよい。恩人の命が狙われてるってェ時に黙って見過ごすことなんかできねェよい」
「大丈夫ですよ。私はこういうことは慣れっこですし、私って結構強いですから。ね?」
「っ……」
マヒロは事も無げにニコリと笑った。その笑みにマルコは言葉を飲み込んで目を丸くした。無理して笑ったわけでもない。極々自然な笑みだ。
―― 何で……、お前……、そんな風に笑えるんだよい?
「マヒロ」
「ダメですよ? こいつは私を狙って来るんです。マルコさんは無関係なんですから! それに怪我なんかされたら困ります!」
「無関係なことねェよい。おれはマヒロに世話になった時点でこれはおれにとっても大事なことだい。それにおれは海賊だ。命を懸けた戦いなんてェのは常にあることだ。それに、そろそろ身体を動かしてェ頃だったしよい、運動がてら丁度良いよい」
「マルコさん!」
「明日はおれが戦うから安心しろい。自分で言うのも何だがおれって結構強ェからよい。な?」
マルコはマヒロの台詞を真似て言うとマヒロは眉を顰めてマルコを睨んだ。
―― あなたには関係無い。これは並の人間が関わっていい問題じゃないの。お願いだから関わらないで!
「おれがマヒロを守ってやるよい」
「ッ!!」
マルコが笑ってポンとマヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でると、マヒロは目を見開いて固まった。
「……ククッ……」
「っ〜〜〜!?」
「ははっ! マヒロ! 顔が赤いよい!」
「も、もう! 子供じゃないんだから止めてください!!」
「よい!」
「わっ!?」
マヒロは顔を真っ赤にしながらマルコの手を払い除けようとしたが、マルコが余計にマヒロの頭をガシガシと強く撫でた。
「も、もう! マルコさんのバカ!!」
「悪い悪い!」
マヒロがマルコの手から漸く逃げることができると、くしゃくしゃになった頭を整えに部屋から出て行った。
『これは生まれた時からずっとこうでしたから』
マヒロはどこか儚げなところがあった。
初めて会った時――。
初めて言葉を交わした時――。
初めて触れた時――。
僅かだがマヒロの瞳が揺れていたのをマルコは気付いていた。常に平静で、物静かで、時折見せる笑みのその奥に、別の何かを感じていた。
―― あァ……泣いてんだ。マヒロはどこかで誰かに救われてェ気持ちがあるんだ。
年若い女が一人――。
人里から離れてひっそり身を隠すようにして生きなければならなかった理由を漸く知った。そして、そんなマヒロの心情を思うとマルコは心の底から助けてやりたいと思う気持ちが自然と湧いた。
偶然かもしれない。そうじゃないかもしれない。
異世界に迷い込み、マヒロに会ったのには何か理由があるのかもしれない。
「これも何かの縁ってやつかもしれねェだろい? なら、おれがお前を守ってやるよい……マヒロ」
誰もいない空間を見つめながら誰に聞かすわけでもなくマルコはそう口にした。そして、軽く溜息を吐きながら首筋に右手を当てて天井を見上げるとクツリと笑みを浮かべた。
―― こんなに誰かの為に命を懸けようと思えたのは、オヤジ以外でマヒロが初めてだよい。
「オヤジが聞いたら何て言うだろうない」
『グララララッ! このハナッタレがァ! 覚悟したなら最後までやり切れアホんだらァ!!』
そんなオヤジの声がふと聞こえた気がした。
◇
洗面台に溜めた水にマヒロはバシャッと顔を突っ込んだ。
マルコの言葉に、マルコの手の温もりに、マヒロは本気で泣きそうになった。
祖母が死んでからはマヒロはずっと一人で生きてきた。きっとこれからも年を取って死ぬまで一人で生きていくのだと思っていた。
初めて会った時――。
初めて言葉を交わした時――。
そして初めて見たマルコの瞳は――吸い込まれそうな程に綺麗な澄んだ青い瞳。
「私の命の色と同じだった……同じなの、っ、マルコさん」
タオルで濡れた顔を拭きながらマルコの言葉が頭に過る。
『おれがマヒロを守ってやるよい』
「守ってやるって……っ、初めて、言われた……」
マヒロが祖母に引き取られて初めて言葉を交わした時、祖母から言われたのは厳しい言葉だった。
『お前の親は娘の命を守る為に死んだんだ。あれは不慮の事故なんかじゃない。お前を狙った奴らの仕業だよ。これから先もお前の命を狙う奴は後を絶えないだろうね。それだけお前の霊魂はエネルギーに満ちた極上品なのさ。マヒロ、自分の命を守る為には自分が強くなって自分で守るしかないんだよ。あたしゃ老い先短い身だからね、マヒロを守ってやろうなんて微塵も思っていないことを肝に銘じな。但し、マヒロが自分の身を自分で守れるようになるように私が一から鍛えてあげるから覚悟しな。そしてマヒロが強くなったらその証として代々受け継いで来た力をあんたにやるよ。そうすればマヒロは敵無しさね』
ポタッ……
ポタッ……
洗面台に突いた手の甲に涙が落ちた。
泣きたくても泣けなかった。涙は子供の頃に疾うに枯れてしまったものだと思っていた。それなのに今はどうしてこんなに涙が溢れるのか、マヒロは袖口で頬を伝う涙を拭った。
「っ……ふっ……うっ……」
誰かに甘えたい。
誰かに支えてもらいたい。
一人は辛い。
一人は寂しい。
ひとりは――こわい
子供の頃からずっと抱えていた思いが今になって溢れ出した。
ダレカタスケテ
偶然に出会った異世界の人――。
―― ずっと叫んでいた私の声を、鳴らない声を、あなたが拾ってくれた……そう思ってもしまって良いのかな……マルコさん。
マヒロは涙が止まるまで、一人で声を殺して泣いた。
不慣れな生活も初日に比べれば少しずつでも慣れてくるものだ。目を覚ますと布団を畳んで押入れへ直し、衣服を着替えて部屋を出る。マルコはどちらかというと朝は早い方なのだが、マヒロの方が目覚めが早い。マルコが洗面所で顔を洗って居間へ行くとマヒロはいつもの日課を終えて既に朝食の用意をしていた。
「あ、おはようございます」
「あァ、おはよい。マヒロは早ェな」
「もう身体が慣れてしまってますから」
朝風呂を終えた後かマヒロの髪はまだ少ししっとりしている。今日も相変わらずの格好で、薄黄色地のシャツの上に紺色の道着を羽織り、それをマルコが身に着けていたサッシュと似た水色の腰布で縛っていて、腰元が身体の細さを醸し出している。下は少々だぼついた黒色の道着を身に着けている。
―― 昨日は赤色だったない。……何着持ってんのかねい?
マルコがふとそんなことを考えて目を細めるとマヒロはマルコの視線に気付いて不思議そうな表情を浮かべた。
「何か?」
「っ、いや」
何故道着ばかり着るのかとマルコが聞けばマヒロは普段着ですからとしか答えない。
この世界の住人はマヒロのような格好で生活をしているのかと思えば、町に出れば全くそうでもない。
マヒロだけなのだ。
マルコはそれがどうにも気になって仕方が無かった。
「マルコさん、朝食の準備できましたよ? どうぞ」
「あ、あァ」
マルコが定位置となった場所に腰を下ろすとマヒロはマルコの向かいに腰を下ろして正座した。その一連の動作はどこか洗練されていて何度見ても綺麗だとマルコは思う。
最初、マルコもマヒロに合わせて同じように正座をしたのだが、マヒロがクツリと笑って「我慢せず楽にしてください」とマルコに言った。
「いや、けどよい」
「慣れてないでしょう?」
「……」
マルコはワノ国に行った時に正座をしたことはあった。だがそう長くは持たなかった記憶がある。自分だけ楽をしても良いものかと思いはしたがあの痺れは尋常じゃ無かったことを思い出したマルコはマヒロの言葉に甘えて胡坐を掻いて座ることにした。
それ以降はずっと胡坐を掻いて座っている。
食事は簡素なものだが非常に美味い。白飯、味噌汁、山菜を炊いたもの、漬物等々――。
ワノ国で食べられる食事と似通っているものが多く、イゾウがいれば喜んで飯を食いながら話が弾むだろうとマルコは食しながら思った。
このニホンという国の文化を聞けばワノ国と本当に似通っていてマルコは不思議な感覚だった。異なる世界なのは明らかなのだが似通った文化があるというだけで妙に心が落ち着くのだから。
―― 箸で食うしねい。
白飯をパクリと口に放り込み、手にしている箸に視線を落したマルコは少しだけ笑みを零した。
◇
食後――。
「あァ、食器はおれが洗うよい」
「え? あ、良いですよ? マルコさんはゆっくりしていてください」
「何もかもしてもらってばかりだとおれの気が済まねェんだ。出来ることはさせてもらうよい」
マルコはマヒロの返事を待たずに食べ終わった食器を集めてキッチンの流し台へ運び入れると洗い始めた。マヒロは少しばかりオロオロしていたが諦めたようで、台拭きを持ってテーブルを拭きに行った。
マルコは皿を洗いながらマヒロのオロオロした姿をふと浮かべて笑みを零した。
出会ってから五日。それ程長く過ごしたわけではない。だがそれでもマヒロのちょっとした動きや表情に、時折、目を奪われていることが多いとマルコは気付いていた。
―― やっぱ、意識してんのかねい……。
初めてマヒロを見た時、声を聞いた時、触れた時――マルコは得も言われぬ何かが身体の内側を支配しているような気がして止まなかった。恐らくこれをサッチ辺りに話せば「一目惚れか?」と言うだろう。しかし、そういう類のもので簡単に済ませられない何かを感じるのだ。
―― それが何なのかは一向にわからねェが……。
食器を全て洗い食器棚に戻し終えると、台拭きを持って行ったきりのマヒロが戻ってきていないことに気付いた。マヒロの後を追って部屋に行けば、何やら手紙のようなものを手にしたままどこを見るでもなく固まっている。
「マヒロ?」
マルコがマヒロに声を掛けるとマヒロはハッとして我に返り、手にしていた手紙を慌ててクシャッと畳んでマルコから隠すように背中へと追いやった。その行動はあからさますぎて「不信に思ってください」と言ってるようなものだとマルコは片眉を上げて思った。
「それは何か教えてくれねェかい?」
「っ、これは、て、手紙です。ただの手紙」
「おれに見られちゃ困るような手紙かよい?」
「そ、そうじゃないですけど、ほら、ね?」
「ただの手紙ならそんな風に隠すような行動はしねェだろい?」
「うっ……、はァ……、マルコさんってば目敏い」
「というか、マヒロが隠すのが下手なんだよい」
「っ……」
マヒロは観念したかのように溜息を吐くと、手にしていた手紙をマルコに差し出した。
「開けて読んでも?」
「どうぞ。別に面白い内容では無いですし、マルコさんには関係の無いことですから」
少しふて腐れたような表情で言うマヒロにマルコがクツリと笑みを浮かべるとマヒロの頭を軽くポンポンッと撫でた。その途端にマヒロは目を丸くして頬を赤らめてそっぽを向いた。
マヒロは思いのほか感情に素直な所があるようで表情がコロコロとよく変わる。そんなマヒロの表情を見て意外にも楽しいとマルコは思っていた。
本当によく変わるから見ていて楽しい――等と、それを実際に口にすればマヒロが益々拗ねそうだと思ったマルコはその言葉をぐっと飲み込み、手渡された手紙を開けて中を見た。
「!」
その手紙に書かれている文字を思わず二度見した。
基本的にマルコの世界で扱う文字とマヒロの世界の文字は異なる。マルコの世界で扱われる文字はマヒロの世界で言う所の『英語』に当たる。だが『漢字』『カナ』『平仮名』といった文字は奇しくもワノ国で使われており、マルコはそれを見知っていた為に、全て読めるわけでは無いのだが、ある程度は解読できる知識を持っていた。
―― どういうことだよい?
自ずと眉間に皺が寄る。マヒロはそんなマルコを見て深い溜息を吐いた。
―― 果たし状 ――
仙崎 真尋 殿
貴殿の霊光玉と命を頂戴したく
明日(みょうにち) 貴殿の元へ参上する
今宵 最後となる生を存分に堪能なされるようお伝え申し候
―― 治部護少 ――
「男が女に果たし状とは感心しねェない」
「よくあることですから……」
―― よく……あることだって?
手紙の内容の割りにマヒロはあまり大したことでもないかのように答えた。マルコは益々怪訝な表情を浮かべてマヒロを見つめるとマヒロは苦笑を浮かべて頬をポリポリと掻いた。
「命を狙われてるのに楽観的すぎやしねェかよい?」
「これは生まれた時からずっとこうでしたから今更慌てることも無いですから」
「生まれた時からって……マヒロ、どういうことだよい?」
「私は祖母の血を引いたおかげで物騒な連中にいつも命を狙われてるの。しかもそこに書いてある『霊光玉』を引き継いだものだから尚更狙われるようになったんです。ここ数週間は何事も無く至って平和だったんですけど……。先月なんてほぼ三日に一回は襲われてましたから」
「なっ、何だよい? 何かサラリとえらいこと言ってるけどよい」
「マルコさん、覚えていませんか? 私が初めて会った日に言ったこと」
『なるべくマルコさんの身の安全は保証します。暫くここに身を置く間、色々あるかと思いますけど、あなたには決して迷惑が掛からないように努めますから』
―― あァ、このことに関して言ってたってェことか。
「覚えてる……けどよい、まさかこういう事だとは思ってもみなかったよい」
「明日、裏手の山間に開けた所があるので、そいつをそこで撃退します。マルコさんは普段通り過ごしてくださって構いませんから」
「何言ってんだよい。恩人の命が狙われてるってェ時に黙って見過ごすことなんかできねェよい」
「大丈夫ですよ。私はこういうことは慣れっこですし、私って結構強いですから。ね?」
「っ……」
マヒロは事も無げにニコリと笑った。その笑みにマルコは言葉を飲み込んで目を丸くした。無理して笑ったわけでもない。極々自然な笑みだ。
―― 何で……、お前……、そんな風に笑えるんだよい?
「マヒロ」
「ダメですよ? こいつは私を狙って来るんです。マルコさんは無関係なんですから! それに怪我なんかされたら困ります!」
「無関係なことねェよい。おれはマヒロに世話になった時点でこれはおれにとっても大事なことだい。それにおれは海賊だ。命を懸けた戦いなんてェのは常にあることだ。それに、そろそろ身体を動かしてェ頃だったしよい、運動がてら丁度良いよい」
「マルコさん!」
「明日はおれが戦うから安心しろい。自分で言うのも何だがおれって結構強ェからよい。な?」
マルコはマヒロの台詞を真似て言うとマヒロは眉を顰めてマルコを睨んだ。
―― あなたには関係無い。これは並の人間が関わっていい問題じゃないの。お願いだから関わらないで!
「おれがマヒロを守ってやるよい」
「ッ!!」
マルコが笑ってポンとマヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でると、マヒロは目を見開いて固まった。
「……ククッ……」
「っ〜〜〜!?」
「ははっ! マヒロ! 顔が赤いよい!」
「も、もう! 子供じゃないんだから止めてください!!」
「よい!」
「わっ!?」
マヒロは顔を真っ赤にしながらマルコの手を払い除けようとしたが、マルコが余計にマヒロの頭をガシガシと強く撫でた。
「も、もう! マルコさんのバカ!!」
「悪い悪い!」
マヒロがマルコの手から漸く逃げることができると、くしゃくしゃになった頭を整えに部屋から出て行った。
『これは生まれた時からずっとこうでしたから』
マヒロはどこか儚げなところがあった。
初めて会った時――。
初めて言葉を交わした時――。
初めて触れた時――。
僅かだがマヒロの瞳が揺れていたのをマルコは気付いていた。常に平静で、物静かで、時折見せる笑みのその奥に、別の何かを感じていた。
―― あァ……泣いてんだ。マヒロはどこかで誰かに救われてェ気持ちがあるんだ。
年若い女が一人――。
人里から離れてひっそり身を隠すようにして生きなければならなかった理由を漸く知った。そして、そんなマヒロの心情を思うとマルコは心の底から助けてやりたいと思う気持ちが自然と湧いた。
偶然かもしれない。そうじゃないかもしれない。
異世界に迷い込み、マヒロに会ったのには何か理由があるのかもしれない。
「これも何かの縁ってやつかもしれねェだろい? なら、おれがお前を守ってやるよい……マヒロ」
誰もいない空間を見つめながら誰に聞かすわけでもなくマルコはそう口にした。そして、軽く溜息を吐きながら首筋に右手を当てて天井を見上げるとクツリと笑みを浮かべた。
―― こんなに誰かの為に命を懸けようと思えたのは、オヤジ以外でマヒロが初めてだよい。
「オヤジが聞いたら何て言うだろうない」
『グララララッ! このハナッタレがァ! 覚悟したなら最後までやり切れアホんだらァ!!』
そんなオヤジの声がふと聞こえた気がした。
◇
洗面台に溜めた水にマヒロはバシャッと顔を突っ込んだ。
マルコの言葉に、マルコの手の温もりに、マヒロは本気で泣きそうになった。
祖母が死んでからはマヒロはずっと一人で生きてきた。きっとこれからも年を取って死ぬまで一人で生きていくのだと思っていた。
初めて会った時――。
初めて言葉を交わした時――。
そして初めて見たマルコの瞳は――吸い込まれそうな程に綺麗な澄んだ青い瞳。
「私の命の色と同じだった……同じなの、っ、マルコさん」
タオルで濡れた顔を拭きながらマルコの言葉が頭に過る。
『おれがマヒロを守ってやるよい』
「守ってやるって……っ、初めて、言われた……」
マヒロが祖母に引き取られて初めて言葉を交わした時、祖母から言われたのは厳しい言葉だった。
『お前の親は娘の命を守る為に死んだんだ。あれは不慮の事故なんかじゃない。お前を狙った奴らの仕業だよ。これから先もお前の命を狙う奴は後を絶えないだろうね。それだけお前の霊魂はエネルギーに満ちた極上品なのさ。マヒロ、自分の命を守る為には自分が強くなって自分で守るしかないんだよ。あたしゃ老い先短い身だからね、マヒロを守ってやろうなんて微塵も思っていないことを肝に銘じな。但し、マヒロが自分の身を自分で守れるようになるように私が一から鍛えてあげるから覚悟しな。そしてマヒロが強くなったらその証として代々受け継いで来た力をあんたにやるよ。そうすればマヒロは敵無しさね』
ポタッ……
ポタッ……
洗面台に突いた手の甲に涙が落ちた。
泣きたくても泣けなかった。涙は子供の頃に疾うに枯れてしまったものだと思っていた。それなのに今はどうしてこんなに涙が溢れるのか、マヒロは袖口で頬を伝う涙を拭った。
「っ……ふっ……うっ……」
誰かに甘えたい。
誰かに支えてもらいたい。
一人は辛い。
一人は寂しい。
ひとりは――こわい
子供の頃からずっと抱えていた思いが今になって溢れ出した。
ダレカタスケテ
偶然に出会った異世界の人――。
―― ずっと叫んでいた私の声を、鳴らない声を、あなたが拾ってくれた……そう思ってもしまって良いのかな……マルコさん。
マヒロは涙が止まるまで、一人で声を殺して泣いた。
救いの手
【〆栞】