31


この宴の主役ではあるのだろうが、お酒は控えた方が良いだろうし、だからと言って彼らの中には入って行けそうにない。何故か取り残された気持ちになるマヒロはどうしようかと困惑する表情を浮かべた。

―― と、とりあえず、お皿に取った料理だけでも食べて、ジュースを飲んだら部屋に戻って休ませてもらおうかな。

マヒロはあまりの人のいない場所に腰を下ろして食事を再開した。

ぱく
もぐもぐ

「……美味しい」

冷めてしまっても味は健在だ。
ジュースを飲んでまた一口食べる。
本当に美味しい。
美味しいのだ。しかし、何故だろうか。

胸の内側のどこかにぽっかり穴が開いている気がしたマヒロは急激に寂しさが押し寄せ、手が俄かに震えて気持ちが真下に向かって下降し始めていくのを感じた。

「マヒロ」
「……」

白ひげが少し離れた場所で寂し気に食事を始めるマヒロに声を掛けるが返事は無い。白ひげは片眉を上げると上空に視線を向け、夜空を一瞥すると再びマヒロに視線を戻してもう一度名を呼んだ。
マヒロは返事をしなかったがゆっくりと頭を上げて白ひげに顔を向けたことで白ひげは言葉を続けた。

「その飯を食い終わったら船尾へ行きやがれ。あそこにゃあ誰もいねェからなァ」
「船尾?」
「あァ、船尾に行って暫く座ってりゃ良い」
「ど、どうして?」

白ひげはグビッと酒を呷るとニヤリと笑みを浮かべた。

「お前ェのその”寂しさ”が紛れるからだ」
「!」
「わかったらさっさと食って船尾へ行きやがれ」

白ひげはそれだけ告げると楽し気に酒を飲む息子達を見つめながら再び酒を呷り始めた。
寂しさを感じ始めたことに気付いてそう声を掛けた白ひげに驚かされつつ、腑に落ちない勧めにマヒロは眉を顰めた。
だが、とりあえず言われるがままにしてようと料理を食べて残りのジュースを一気に飲み干し、空いたお皿とジョッキを手にして立ち上がろうとした。すると割と近くで酒を飲んでいた男が「置いて行け」とマヒロからそれらを奪った。

「あ、でも」
「どうせ皆も散らかしてんだ。片付ける時に纏めてやるから置いといて大丈夫だ」
「そ、そうですか」

青いバンダナを腕に巻く男がそう言って酒を呷ると視線をマヒロに向けてじっと見つめ、マヒロは何だろうと瞬きを繰り返した。

「……」
「あの?」
「あァいやな、何て言うか、あんたは不思議な人だな。マルコ隊長が惚れるのも何となくわかる気がするぜ」
「え?」
「ハハ、おれはマルコ隊長が指揮する1番隊所属のギルっていうんだ。あァついでだから1番隊の奴らを代表して礼を言わせてくれ。おれ達の隊長を助けてくれたんだってな。ありがとな!」

ギルは深々と頭を下げて礼を言った後、顔を上げて屈託の無い笑みを浮かべた。その笑みに釣られるようにマヒロも笑みを浮かべ、軽く握手をしてから船尾へと向かった。

「はァ〜麗しの漆黒拳士が妹か〜。マジやべェなァ。写真以上に可愛いじゃん」
「おれ、この手配書を見た瞬間に一目惚れしちまったんだよなァ」
「あァ本当に可愛いよな」
「純朴って言うか、遠くから見たら子供かと思っちまうぐらい小せェけど、近くで見ると意外に色っぺェしよ」
「それがまさかなァ……」
「あァ……」
「「「マルコ隊長のコレだとはよォォォ」」」
「おれの恋路は何とも短く見事に砕け散っちまったァ」

遠く離れた甲板の隅でマルコが手料理をする事件で盛り上がる周囲と一線を画し、自分を肴に話をする船員達がいることなどマヒロは露も知らず、本当に誰もいない船尾へと着くと積荷を背凭れに腰を下ろした。

先程の『寂しさ』がまた滲み出て来たか視界がジワリとぼやけた。

マヒロは瞬きを繰り返すと両膝を抱え、足の間に顔を埋めるようにして泣くのを我慢した。

白ひげ海賊団はマルコが話していた通り、とても明るくて温かい人達ばかりだ。例えお互いを貶し合ったりしたとしても、根底では『家族』としての強い絆で結ばれているのがマヒロでも手に取るようにわかった。お互いに信頼し合い、気遣い、支え合い、同じ時を共有し合う、家族――。

―― ……私には無いものばかりだ。

家族と呼べる両親との記憶はあまり色濃くは残っていない。思い出そうとするといつも”死に際”のあの光景しか目に浮かばない。
大型バスが崖下に転落する際、両親と幼いマヒロが乗った乗用車が巻き込まれる形で共に崖下へと転落した。当時、この事故は大型バスの運転ミスによる事故として処理された事件だったが、それはあくまでも”見えない”者達によるもの。
”見える”者にとってはこの事故を引き起こした犯人が何者であるかがわかっていた。そして何を狙っているのかも――。

〜〜〜〜〜

「うぅ……真尋」
「うあぁぁん!」
「大丈夫……ね?」
「パパ! パパが!」
「ッ…、今は、生きるっことを…考えて」
「嫌だ、パパァ〜!」

へしゃげた乗用車の中で、幼い真尋だけは奇跡的に掠り傷程度で済んだ。前方助手席に乗っていた母親は頭から血を流しながら懸命に身体を動かして自らのシートベルトを霊気により断ち切り、後部座席にいる真尋の下へと向かい、急いで車外へと脱出を図る。
運転席にいた父親はバスとの衝突の際に全身を強打し、血の塊がそこにあってピクリとすら動かない。
即死だった。
父の死を受け入れられない幼い真尋は泣き叫び、母親は懸命にその声を抑えようと真尋を宥めた。

「お…願い真尋。泣か…ない…で、静かに…するのよ」
「うぅ…ひっく……」
「ママも、そう長くはっ…持たないから、コホッ、コホッ」
「ま…ママ?」

本当なら母親も動けない程に重症だった。しかし母親は真尋を生かす為に最後の力を振り絞り助けようとしているのだ。

「ギギッ……アノ女ハモウ死ヌナ」
「ククッ……お前の目は節穴か? 目当てはあの女では無く、あっちのガキだ」
「ギッ!?」
「幼いが底に秘めた力は圧倒的。あれは滅多に会えない極上モノだ」

妖怪が二匹。
全ては幼い真尋を狙ったが為に起きた事故。
母親は気付いていた。
せめて、せめて実母に真尋を託すまでは……と、必死になって抗おうとするものの血を流し過ぎた為か力が抜け落ちて戦えず、真尋は呆気無く妖怪の手に奪われた。

「うあああん、ママァ〜! 怖いよォ〜!」
「あァ、美味そうなガキだ。ククッ、せめて我が子が喰い殺される姿を見てから死ね」
「止め…て、お願い…っ、真尋…真尋……」
「ギギッ、死二ゾコナイノクセニダマレ」

言葉があまり上手く無い妖怪が瀕死の母親の頭を踏み付けた。母親は地面に頭を押さえ付けられる形でギリッと歯を食い縛って抗おうとするものの何もできず苦しさに顔を歪ませて口から血を吐いた。それを真面に見た真尋は悲鳴にも似た声を上げて泣き叫んだ。

「何!?」
「ギギャァァ!!」

全身から青い霊気が爆発的に発し、二匹の妖怪は真面にそれを喰らい消滅した。そして地面へとドサリと落ちた真尋は力を急激に放ち過ぎた為か気を失っていた。

「真尋……」

母親は何とかにじり寄って我が子の元へと身体を引き摺り手を伸ばした――が、寸前で力尽きて触れることも叶わずにその場で息絶えて力尽きた。

後に真尋は奇跡的に助かった子として一時的に世間を賑わせることになるのだが、真尋は世間から遠く離れた深い山奥に居を構える母親の実母の下で暮らすことになり、その奇跡の子共は直ぐに世間から忘れ去られていった。

〜〜〜〜〜

両親の事を思い出す努力より忘れようとする努力をする。
マヒロはずっとそうして生きて来たのだ。
そう、マルコと出会うまでは――。

「……マル…コ…さん」

もう直ぐ会えると思えば思う程に今まで耐えて来た何もかもが我慢という牙城を崩しに掛かる。耐えていた涙がポロリと溢れて膝を濡らすとマヒロは目を瞑り静かに深呼吸を繰り返した。だがそれでも涙は止まらない。

もう泣かないと決めたのに、やっぱり泣いてしまう。結局、どんなに修行を重ねても精神力は弱いままだ。いや、きっと恐らくはマルコの声が聞こえなくなったことが精神的に脆く弱体化してしまったと言えるだろう。
声が、マルコの声が、どうしても聞きたい――と、そう心の中で何度も呼び掛けても応答が無い。膝から崩れ落ちて泣いている自分の姿さえ容易に浮かぶのだから限界という境界線が足元に迫っていた。

―― ……いつ、いつ、帰って来るの? いつになれば会えるの?

拳をギュッと握り、唇をグッと噛み締めた――その時だった。

「ったく、とんだ爆弾だよい」
「……え?」
「戻るに戻れなくなっちまったから諦めて島に戻ろうかと思ったが、オヤジには頭が上がらねェよい」

聞きたくて仕方が無かった声は心内で響いたわけでは無く、耳に直接的に音として聞こえた。次いで聞こえて来たのは――バサッ! バサッ! バサッ! と羽らしきものを羽ばたかせる音だ。
ドクン、ドクンと心臓が大きく跳ね続ける。目を見開くと堪えていた涙がポタポタポタと止め処無く零れ落ちて頬や膝を濡らすが最早どうでも良かった。
しかし、周囲を見回しても誰もいなければ気配すらも感じない。
寂しくて、あまりにも寂しくて、とうとう幻聴を聞くようになったのかと思い始めた時、暗闇の中をヒュンッと風を切るような音がすると下から勢い良く飛び出してスタッと欄干の上に身軽に着地すると同時に膝を折って腰を下ろし、笑みを湛えて見下ろして来る人物に、マヒロは涙に濡れた顔をそのままに渇望したこの瞬間に胸が張り裂けそうな思いで迎えた。

何か言いたくても喉が詰まり上手く声が出せない。
唇が震えて涙は溢れて顔はぐしゃぐしゃだ。
欄干の上にいるその人の元へ行きたくても腰が抜けて立てずにいる。

「おれの手料理がそんなに忘れられなかったのかよいマヒロ」

マヒロとは対照的に楽観的に片眉を上げてそんなことを口にして笑みを浮かべる。しかし直ぐに見兼ねたように眉尻を下げて苦笑を浮かべ、欄干をトンと蹴ってマヒロの直ぐ目の前に降り立った。

「ただいまマヒロ。遅くなっちまって悪かったよい」
「うっ…ふっ…」

手足が震え、身体に力は入らず、どうしても立てない。直ぐにでもその胸に飛び込みたいのに身体が気持ちに応えてくれない。その時――。

<<――ドクン――>>

身体の奥底から打ち鳴らすような大きな鼓動がマヒロの全身に襲い掛かった。

「ッ――! ゴホッ! ゴホッ! あっ…うっ……」
「マヒロ!」

咳き込む口を咄嗟に塞いだ手にはこれまでとは違った黒褐色に近い鮮血が掛かる。指の間からポタポタと滴り落ちる血を見れば体内を汚染する屍鬼毒の深刻さがわかる。しかしマヒロは何とも思わなくなっていた。
その場から動けない身体にフワリと触れる手が支えきれない身体を代わりに支えてくれるから、安心を齎してくれるから、全ての負の感情を掻き消してくれる。

―― 夢じゃない。夢なんかじゃない。

「マル…コ…さん」

名を呼んで顔を上げると間近にある青い瞳はどこまで澄んでとても綺麗で優しい――。
マヒロが微笑むとその頬にマルコの手がそっと添えられ、もう片方の手は血に塗れていてもお構い無しにマヒロの手を握った。そしてマルコの胸元へとマヒロは引っ張り込まれると優しく抱き締められた。

―― あァ、温かい。

とても懐かしい感覚。
心がどんどん満たされていく。
不安も恐怖も何もかも消えて、安心と平穏が齎される

―― ……私…こんなにも幸せに思えたのは、いつぶりだろう?

二年前、お互いに渡した心は元に還り、お互いの力がお互いの支えとなり助けとなった『青の力』は、呼応するかのようにお互いの身体の中心で力が増幅されていくのがわかる。

「マヒロ」
「……はい」
「ただいま」
「おかえり……。おかえりなさい……マルコさん」

もう特別な言葉なんて必要は無かった。
今はお互いの存在を確かめ合うように、ただこうしてと抱き締め合うだけで十分だ。

会いたかった、大好きな人。
私が生涯唯一愛した男(ひと)。
やっと、やっと、会えた。


〆栞
PREV  |  NEXT



BACK