30


ギシッ……と小さく軋む音と共に僅かに揺れるベッドの上。
心落ち着く温もりに抱かれながら夢見心地に微睡む目をゆっくりと開ける。

「マヒロ……」
「ん……マル…コ…さん……?」

マヒロは霞む目を擦りつつ状況把握に努めると、顔の横に骨ばった大きな手が置かれ、それを支えに自分の身体に覆い被さるように迫るマルコがそこに居て――。

「えっ…ちょっ…!」
「好きだよいマヒロ」
「ッ〜〜!?」

ふわりと頬に触れたマルコの手が滑らかに顎を掬い上げ、間近へと顔が近寄る。ドキンッと大きく心臓が悲鳴を上げると同時に目を見開くマヒロは逃げようとした。だが身体は磁石のようにベッドにくっついて動くことができずにパニックを起こした。

「まっ、まま待って! どうしていきなり!?」

必死に抗議の声を上げるもののマルコは意にも介さず、口角を上げた笑みを浮かべるだけで何も言わない。
顔を真っ赤に渦を巻く目のままマヒロはあることに気付いた。

―― !?

マルコはシャツを着ていない。
そう言えばと思い自身の身体に視線を落せば何も身に付けていない。
お互いに裸体のままベッドを一つにしている。
つまり今から行うことと言えば唯一つ。

―― えェ!? 感動の再会も無くいきなり!?

「まっ、まままま待って」
「待てねェよいマヒロ」

必死に首を振って制止を促すマヒロに対しマルコは片眉を上げると甘い声でそう囁く。

―― そそそ、そんな! わ、私にも、こっ、心の準備が必要なわけでっ……じゃなくて、いつ再会したの!? 本当にどうしてどうなってこうなったの!?

内なるマヒロは全身茹蛸のように真っ赤にしてムンクの『叫び』に出て来る例の顔状態。ただただ混乱するばかりで冷静に思考を回すことなど最早皆無だった。

「なァ…マヒロ……」
「ま、マルコさっ…んっ…あっ…待ってェっ…あんっ…」
「やっと会えて嬉しいよい」

マヒロの耳元で甘く囁きながら首筋に唇を落して愛撫を始めるマルコに、マヒロはゾワゾワと押し寄せる快楽に翻弄され始め、ついつい官能的な声を漏らす口を咄嗟に手で覆い隠した。

―― だ、ダメ、手が、あっ、そんな、弱い所ばっかり あっ、そこ、あっ…や、駄目ェ!

感動の再会をすっ飛ばし、いきなり身体を繋ぐ行為に及ぶなんて、例え相手が求めて止まない愛しい男と言えども物事には順番があるというもの。マヒロは頑なに固持して嫌がる。

そして――。

「わァァッ! 会って早々いきなりエッチなんてできないってばァァァ!」

色気も糞も無い悲鳴に似た叫びを上げてマルコの身体を押し上げようと手を突っぱねた。すると意外過ぎる程に軽く天へと向かって伸びる両手に勢い良くガバリと上体が起き上がったことにマヒロは驚いた。

「はァはァ…あ…あれ…?」

顔を真っ赤に若干涙目で息を切らしながら目を見開き、キョロキョロと辺りを見回す。

「え……? ま、まさか………夢!?」

視線を落として身体を見ればちゃんと衣服を身に付けて、周りを見ればマルコの部屋であることに間違いは無く、大きなベッドにいるのは自分一人で、誰かが入って来た痕跡など全く無い。

―― ……な、何だァ…夢だったんだ〜。

マヒロは深い溜息を吐いてホッと胸を撫で下ろして軽く項垂れた。
そう、夢だったのだ。
マルコに甘く囁かれながら愛撫を施されて抱かれる夢を見たのだ――と、冷静になったマヒロは途端にカァァッと熱が高まるとボンッと顔を真っ赤に爆発を軽くお越し、シューッと蒸気を発しながら口から魂が抜け出す程の羞恥に見舞われた。

例え愛するマルコの匂いに包まれて眠ったにしても、いくら何でもこの夢は無い。

―― わァァ! 何て夢を見てるの!? は、恥ずかし過ぎるゥゥッ!

もう今直ぐにでも屍鬼の毒で吐血死したいぐらいだ。

―― 来るとこまで来ちゃったのかな!? わ、私、何てはしたない女になっちゃったの!? うわぁぁん!!

両手で顔を隠して盛大に自己嫌悪に陥ったマヒロは頭を抱えながら惚気に現を抜かす自分自身を大いに恥じた。
あぁ、どれだけマルコさんに飢えているの?――とか、私って実は…その…――とか。
ベッドの上で一人でブツブツと自問し、それに明確に答えられない自答をあれこれ考えているとノック音が部屋に響いた。
マヒロの思考はそこでピタリと停止し現実へと引き戻されると慌ててベッドから降りて扉の前に立って「はい」と返事をした。

「あーサッチだけどよ、宴の準備ができたから呼びに来たんだけど……、今さ、何か叫んでなかったか?」
「ッ!」

サッチの質問に思いっきりビクついて反応したマヒロは口をパクパクと開閉を繰り返した。

―― え!? や、やっぱり声に出て……き、聞かれてた!?

これ以上傷口を広げるわけには行かず、マヒロは一大事だとばかりに勢い良く扉を開けると開口一番に言った。

「だっ、大丈夫! 何もありません!!」

背筋をピンと伸ばしてそう言うが、見るからに怪しいマヒロの様子に、サッチはヒクリと頬を引き攣らせて「ハハッ…」と、乾いた笑い声を小さく零した。

―― 本当、マルコが話してた通りに酷い天然だぜ……。

声は聞こえていたが明確に何を言っていたかまでは把握できていない。だがマヒロの顔が異様に赤いことから大方マルコに関する何かしらの夢を見て叫んだのだろうとサッチは察した。

「ま、まァ何も無いなら良いんだけど……顔が異様に赤いけど大丈夫?」
「ッ…そっ、それは、その、暑かったので」
「ふ〜ん、そう。それはそうと”あんまり興奮する”と、また血を吐いたりするかもしれねェから落ち着こうな?」
「!」

ニヤリと笑うサッチにマヒロはぐうの音も出ず、やっぱり聞かれていたのかと部屋の扉を閉めようとした。だが咄嗟にサッチが足を滑り込ませて閉じるのを防ぐと苦笑を浮かべたサッチは顔を真っ赤にしているマヒロを宥めるように声を掛ける。

「わ、悪ィ悪ィ。声は聞こえたけど何を言ってたかはわかっちゃいねェから、安心しろってんだ」
「嘘……」
「いや、マジだマジ。嘘じゃねェから! ただ、本当、これ以上だとおれっちマジで足が痛いから力抜いてくれる!?」

サッチの悲痛な声にマヒロは少し間を置くと漸く力を解いて扉を開けた。

「……ごめんなさい」
「ハハッ…、まァ揶揄ったおれっちも悪かったよ。で、何で顔が赤いのかは」
「……」
「うん、ごめん。もう聞かないから睨まないでくれる?」

本当の所はと聞いて来るサッチにマヒロは無言で睨むとサッチは眉尻を下げた笑みを浮かべて謝った。
まさか『マルコさんに抱かれる夢を見たので顔が赤いんです」等と、口が裂けても答えられるわけが無い。『センザキマヒロ』の人間性が疑われてしまうことは確実だ。

―― はァ…、私だって自分を疑うぐらいだもの。

サッチの後について部屋を出たマヒロは溜息を吐きながら甲板へと向かった。そして船外に出る階段を上って甲板に出るとマヒロは思わず「わァ……」と感嘆の声を漏らした。
あの広い甲板が大勢の船員達で埋め尽くされていたからだ。
マヒロがあまりの人の多さに驚いていると「マヒロちゃん、こっちだ」とサッチに手を引かれて甲板の中へと向かった。
周りはマヒロより遥かに背が高く筋骨隆々の男だらけだ。サッチが手を引いてくれなければマヒロは確実にこの男達のジャングルに取り残されて迷子になっていただろう。そして、その群衆を抜けた先には定位置なのだろうか、専用と思われる椅子に腰を掛けて楽し気に笑っている白ひげの姿があった。

「オヤジ、マヒロちゃんを連れて来たぜ」
「おう、すまねェなサッチ。マヒロ、こっちへ来い」
「あ、はい。あ、サッチさん」
「ん?」
「ありがとうございました」
「おう!]

マヒロが頭を下げて礼を言うとサッチは笑って手を上げながら離れて行った。どうやらサッチはエースがいる集団の元へと向かったようだが、気のせいだろうか、何故かエースが拗ねているようにマヒロには見えた。
マヒロがキョトンとして軽く首を傾げていると身体をガシッと捕まり抱え上げられる感覚に「え?」と声を漏らして目を丸くしているとポスンと白ひげの膝の上に座らされた。

「え、あ、あの!」
「グララララッ、どうだァ? 見晴らしが良いだろう?」

慌てるマヒロに白ひげがそう言うとまたキョトンとしたマヒロは周りを見回した。そこから見る景色は膝の上からの景色とは思えない程に高くて、船員達を上から眺めることができた。

「てめェらァ、今日からおれの娘となったマヒロだ! てめェらの新しい家族で妹になるんだからなァ、大事にしやがれ!!」
「「「うおおおおっ!!」」」

白ひげの声に呼応するように男達は意気揚々と雄叫びのような声援を送った。その声に圧倒されたマヒロは勢いに押されてポカンと眺めるままだ。白ひげが視線をマヒロに向けるとニヤリと笑みを浮かべた。

「どうしたァマヒロ? 一言ぐらい何か挨拶してやれ」
「あ! は、はい! え、えっと…今日から白ひげ海賊団の新たな家族として末席に加えて頂きますセンザキマヒロと言います。どうぞ宜しくお願いします」

白ひげの膝の上からの挨拶に恐縮しながら挨拶をしたマヒロは、とりあえず最低でも三十秒は下げて置こうと心に決めて深々と頭を下げた。そしてゆっくりと頭を上げて周りを見た時、僅かばかりにギョッとした。筋骨隆々な大きな身体に強面という如何にも海賊らしい男達が目尻を下げ、更に頬をも赤らめて、何とも締まりの無い笑みを浮かべていたからだ。そして、彼らは声を揃えて言った。

「「「おれ達の妹なんだ! 末席と言わずに中央席に来いよマヒロ!」」」
「!」
「グラララッ、何だ、もう人気が高いじゃねェかマヒロ」

思ってもみなかった言葉にマヒロは目を見開いた。
元々『家族』との繋がりから疎遠な生き方をして来たマヒロにとってはとても嬉しい言葉で、涙が浮かんで潤む目を袖口で拭いながら微笑んだ。
そんなマヒロの心情を察したか白ひげは目を細めてながら口角を上げた微笑を零し、視線を前方に立つ息子達へと戻した。

「野郎ども! 今夜は新しい家族を迎える祝杯を挙げて宴だ! 大いに楽しみやがれェェ!」
「「「うおおお!!」」」
「オヤジの娘に」
「おれ達の妹に」
「新しい家族に」
「マヒロに」
「「「乾杯だァァッ!!」」」

白ひげの一声を皮切りに皆が祝杯の音頭を取ると宴が盛大に始まった。ジョッキを手にした者達や樽ごと酒を飲もうとする者達等、甲板上は酒好き達による『酒の席』へと姿を変え、とても賑やかだ。

「すまねェなァマヒロ」
「え?」

膝上から降りたマヒロに白ひげはそう声を掛けた。何を謝ることがあるのかとマヒロが首を傾げていると白ひげは酒の入った杯を傾けて喉へと流し込むと大きく一息ついてから言葉を続けた。

「マルコがいなくて寂しいだろうが」
「! それは…、えェ、そうですけど仕方が無いことですから。それにここにいれば必ず会えますから平気です」
「そうか……。体調もあまり万全じゃねェんだ。無理だけはするんじゃあねェぞ?」
「はい」

白ひげが少しだけ笑みを浮かべると「楽しんで来い」とマヒロに告げるとお酒をグビグビと飲み始めた。そしてマヒロはどうしようかと思いつつ振り向けば、見知った顔が側にいて驚き、ガシッと腕を掴まれたことで「へ?」と、少し間の抜けた声を上げた。

「一緒に飲もうぜマヒロ」
「わわっ、ちょっ、エース!」

マヒロがエースに手を引かれて連行された先はサッチを始めシルクハットを被った男(ビスタ)や着物を見に纏った男(イゾウ)等が集う場所だった。

「ハハ、さっきはごめん。ファーストコンタクトは最悪だったよね。マヒロは随分と若く見えるからさ、悪意は全然無かったんだよ」

マヒロに早々に声を掛けたのは童顔で王子様風の出で立ちをした若い男だ。改めて彼を見たマヒロは若干眉間にしわを寄せて軽く首を傾げた。

―― ……ひょっとしてあなたも私と同類なんじゃ……?

彼はマヒロが自分達の名前を知らないからそんな表情を浮かべているのだと捉え、苦笑を浮かべて「そうそう、まだ名乗ってなかったよね。僕はハルタっていうんだ。12番隊の隊長だよ」と自己紹介をしながら握手を求めて来た。マヒロは握手に応えながら実際に知りたいのはあなたの年齢なんだけどなァ等と思っていると、マヒロの思考を察したのかサッチがコソッとマヒロに耳打ちした。

「ハルタに年齢はタブーだってんだ」
「……それ、私にも同じルールを設けてください」

マヒロが真顔でボソッと言うとサッチは苦笑を浮かべながら肩を竦めた。

「マヒロは何を飲むの?」
「え? えっと、私は」
「あァーストップ。マヒロちゃん、残念だけど今回は酒類を飲むのは止めとけ」
「あ…、そう…ですね……」
「えー? 何でなのさ?」

ハルタがマヒロに酒を勧めようとするのを間に割り込んで制止したサッチは、オレンジジュースが入ったジョッキをマヒロに手渡した。
不服な表情を浮かべて拗ねるハルタを尻目にサッチはマヒロを気遣い守るように紳士ぶる。そのサッチにハルタは何かあるなとキュピーンと目を光らせた。

「っていうか、サッチってば自分の株を上げようとしてない?」
「ばっ、バカ言ってんじゃねェよハルタ! おれはだなァ、マルコがいねェからその代わりをだなァ」
「ククッ…、長男の代わりを務めることができる奴なんざこの船にはいねェよサッチ」

ハルタの指摘に図星だったのか慌てて釈明をするサッチに着物を纏う男が割り込んで来た。

「マヒロ、おれはイゾウってんだ。16番隊の隊長を務めてる。宜しく」
「あ、はい、宜しくお願いします」

差し出された手を握り返したマヒロは名前を覚えようと「ハルタさん…イゾウさん…」と名を反復して小さく呟いた。そしてイゾウが手にしている徳利にふと視線を向けた時に「あ、」と思わず声を漏らし、イゾウが片眉を上げた。

「どうした?」
「ひょっとしてそれは清酒だったりします?」
「ん? あァそうだが、清酒を知っているのか。何なら少しだけでも飲むかい?」
「はい、是非!」

サッチとハルタがギャンギャンと言い合ってるその隣で漁夫の利を得るようにイゾウがマヒロの隣に腰を下ろし、空いたお猪口を手渡して清酒を注いだ。

「頂きます」
「どうぞ」

マヒロが軽く頭を下げるとイゾウは何とも言えない色気を醸し出した笑みを浮かべて勧め、マヒロはお猪口に口を付けながらチラチラとイゾウを垣間見てから一気に酒を呷る。

―― この人はその辺の女の人より艶っぽく見える。……何だろうこの敗北感。その色気、凄く羨ましい……。

清酒が五臓六腑に染み渡り、とても美味しい。だがしかし何とも表現し難い敗北感に苛まれたマヒロは笑顔を浮かべつつも裏ではちょっぴり涙を零した。

「ありがとうございました」
「一献で良いのかい?」
「飲み始めたら止まらなくなりそうですし、百薬の長は一口で十分かと」
「ククッ、あァそうしておいた方が良いさね。マルコが戻って来た時にマヒロが酔っ払っちまって大変なことになってるとあっちゃあ、おれ達が大目玉を食らうだろうからねェ」
「へ?」
「本当に、よく来てくれた。おれからも礼を言わせて欲しい。ありがとうマヒロ」

肩を揺らして笑いながら突然に礼を述べたイゾウにマヒロは目を丸くした。そしてイゾウはポンッとマヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でた。

「無理しない程度に楽しみな」

イゾウはそう言うとすっくと立ち上がり、別のグループが集まる場所へと向かった。
マヒロはイゾウの背を見送った後、反対側に座っているはずのエースへと振り向いた時、エースが目を大きく見開いたまま停止していることに気付いた。更に向かい側にいたサッチとハルタもエース同様に停止している。

「ど、どうしたの?」
「い、イゾウがあんな風に素直に感謝の言葉を口にするなんてよ……」
「お、おれっちも初めて見たぜ」
「ぼ…僕も……」
「「「しかも超絶ご機嫌!!」」」

サッチとハルタとエースは三人揃って井戸端会議を始める。どこのおばさんの井戸端会議だろうかとマヒロは傍で見つめ、目の前にあった料理に手を伸ばした。
お皿の上に乗るその料理に視線を落とし、マルコの舌を育てたであろう4番隊の料理を見つめる。実に香ばしく見るからに美味しそうで、自然と笑みが零れてしまう。
マヒロはどれどれと一口サイズに切ってそれを口に放り込み頬張った。

―― あ、美味しい。

思った通りにこの船の料理は絶品だ。様々な料理を少しずつ手に取っては味見をしてそう確信する。こんな美味しい料理を朝昼晩と毎日食べられるのだから味覚が発達するのは当然のことだ。

「本当に美味しい。だからマルコさんの料理も美味しいのね」

濃厚なタレに漬け込んだ肉をフォークに突き刺しながらマヒロはポツリと呟いた。その瞬間、周りにあった喧騒は途端にシーンと静かになった。その代わりに――。

ガシャン!
ガタンッ!
ブハッ! ゴホッ! ゲホッ!
ドタァァン!

と、様々な擬音が甲板一帯に夥しく響き、改めてシーンと静かになった。

「え?」

何事だろうかとマヒロは周りに目を向けた。すると宴で大盛り上がりだった皆が何故かワナワナとした様相を浮かべながら自分に目を向けていることに気付いた。
余所へ行ったイゾウまでもが煙管を口にしたまま目を丸くして固まりマヒロを見ている。先程まで井戸端会議をしていたサッチ、ハルタ、エースの三人も愕然とした表情で#マヒロを#を見つめている。

マヒロは大挙して押し寄せる視線の集まりに居た堪れなくなり、料理を取り分けて乗せた皿とジュースの入ったジョッキを手に立ち上がって移動しようと思った。白ひげの元へ身を寄せようと足を向けた時にマヒロはピタリと足を止める。何故なら白ひげもまた船員達と同じように完全に停止してマヒロを見つめていたからだ。

―― な、何? どうしたの!?

何か不味いことをしたのかとマヒロが困惑すると、サッチがマヒロの隣にスッと現れ、挙手をしながらマヒロに質問した。

「マヒロちゃん、さっき呟いたの……マジ?」
「え?」

頬を引き攣らせてぎこちない笑みを浮かべるサッチの質問にマヒロは意味がわからずに首を傾げた。

「……マヒロ」

どう返事をしたら良いのか答えあぐねていると白ひげに名を呼ばれたマヒロは、サッチに何も答えずにそそくさと白ひげの元へと駆け寄った。

「はい、何でしょうオヤジ様?」
「お前ェ、まさかマルコの手料理を食ったことがあるってェのか?」
「え? あ、はい、そうですけど……」

マヒロがそう答えると白ひげの目はカッと開き、同時にマヒロは思わず「ひっ!?」と小さな悲鳴を上げて少々後退った。そしてほんの数秒間、無音の間が生じた。しかし――。

「「「何だってェェェッ!!??」」」

次の瞬間には盛大に弾けるような男達の叫び声が木霊し、ザワザワと喧騒が戻って来た。

「う、嘘だろ!? マジか!? あ、あのマルコが料理だってェェ!?」
「嘘でしょ!? マルコが料理だなんて、そんな姿一度たりとも見たこと無いよ!?」
「マヒロちゃん、マルコが作ったってマジなわけ!? それはマジで食えたもんなのか!?」

エースとハルタの叫ぶ声を背にサッチがマヒロにそう問い詰めるとマヒロは困惑しながらコクリと頷いた。

「凄く美味しかったですよ? また出来ることならマルコさんの手料理を食べたいなァって思ってますし……」

マヒロがそう答えると愈々顔を青褪めたサッチが何を思ったかマヒロの両肩をガシッと掴んだ。

「さ、サッチさん!?」
「それマジなのか!?」
「え、だ、だからマジですって」
「「「マルコ(隊長)の料理が美味いってマジ!!??」」」
「ど、どうしてそんなに驚くの!?」

世界最強と謳われる白ひげ海賊団ご一行とは思えぬ狂乱振りにマヒロは一線を画して引いてしまった。

―― 私……ひょっとして落としちゃいけない爆弾を落としちゃったかも……。

サッチに両肩を掴まれて前後に激しく揺さぶられるマヒロはマルコに向けて「ごめんなさい」と先に心内で謝っておいた。だが――、そう言えば目を覚ましてから以降、マルコの声がとんと聞こえてこなかったことをマヒロは漸く気付いた。
どうしてなのだろうと考えるが、再会の時がもう直ぐそこに迫っているからなのかもしれないと思った。

ガクガクガクガクッ……。

激しく揺さぶられて首が前後に動く。
視界も揺れる――まだ終わらない。

ガクガクガクガクッ……。

まだ終わらない、いや、終わりそうにない。

―― ちょっ!

「さ、サッチさん! 揺さぶり過ぎですぅぅ!!」

これ以上激しく揺さぶられるとサッチの顔面に吐血をぶちまけてしまうとマヒロはサッチの腕を掴んだ。

「マルコが料理マルコが料理マルコが料理マルコが料理マルコが(エンドレス)」

直ぐにパッと手を離したサッチは青い顔をしたままブツブツと呟きながらフラフラとした足取りでどこかへと去って行く。周囲に視線を向けると「マルコ(隊長)が手料理を振舞ったらしい事件」という話題で討論会のような話し合いをするグループがそこかしこにあった。

「グララララッ、あいつが誰かの為に飯を作るなんざ聞いたこともねェ話だからなァ。連中も驚くのは無理もねェ。かくいうおれも心底驚いたんだがなァ」

白ひげが楽し気にそう言うとマヒロは慌てて首を左右に振った。

「わ、私が頼んだわけじゃないんです! 私が至らなくて食事を用意する時間が無くて、マルコさんが率先して――」
「「「自分からやったってのか!?」」」

マヒロの言葉を遮るように周りが声を揃えて叫ぶと、その大勢の怒声にも似た声に驚いたマヒロは思わずビクッと身体を弾ませて強張らせ、ブリキの玩具のようにコクコクコクと頷いた。見れば白ひげもまた酒を飲む手をピタリと止めて目を見開いて驚き固まっているではないか。

「マルコが……、自分から進んで飯を作ったってェのか?」
「ッ…、は、はい、そう…ですね。私の為に作ってくれていました」

身を小さくしてオズオズとマヒロがそう答えると甲板上はまたしても稲妻に打たれでもしたかのように驚き固まる者達ばかりでシーンと静まり返っていた。だがその静寂を打ち破る盛大な笑い声が響き渡る。

「グラララララッ! あァそうか! そりゃあ愉快な話じゃねェか! 野郎どもぉぉ! もっと盛大に飲みやがれェェェ!!」
「「「うおおおおおおっ!!」」」
「……」

白ひげの声に呼応する船員達。マヒロはとてもじゃないが素面のままでは彼らに付いて行けそうに無いと素で思うのだった。


〆栞
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