29


船内は船の大きさに比例してとても広い。どこをどう歩いたのか今一つよくわかっていないが、辿り着いた先の扉の大きさにマヒロは口をあんぐりと開けて固まった。

「ハハ…、マヒロちゃん。折角の顔が台無しになってるってんだ」

サッチは苦笑を浮かべて指摘すると次いで船長室の扉をノックした。

「誰だ?」
「サッチだ。マヒロちゃんを連れて来たぜ」
「あァ、入れ」

―― !

ドクン……。

船長室から聞こえて来たその声は地鳴りのように低く威圧的なものだった。
しかし、どこか温かくて優しく寛大なものを同時に感じる不思議な声音だとマヒロは思った。
マルコが最も敬愛するその人に初めて会うのだとマヒロは敬意を胸にコクリと固唾を飲んで緊張し始めた。

船長室の扉を開けて中へと通されたマヒロは、最奥に座っている人物に思わず二度見し、目を見張ったままポカンと口を開けて固まった。

〜〜〜〜〜

「白ひげ海賊団の船長はエドワード・ニューゲート。通称『白ひげ』ってェ名前の偉大な海賊なんだよい。おれ達船員(クルー)が船長をオヤジって呼ぶのは、オヤジがおれ達を息子って呼んでくれるからなんだ」
「ふふ、マルコさんったら嬉しそうに話して……本当に心の底から敬愛して止まないのね」
「ハハ…、あァそうだねい。おれはオヤジを海賊王にする為なら命だって喜んで捨てる覚悟だからよい」
「マルコさん!」
「ん? あァ、だからって簡単に命は捨てねェから心配すんなよいマヒロ」
「もう……。でも、マルコさんにそこまで思わせる人だから、きっと凄く大きな人なんだろうなァ」
「あァ、オヤジは”身も”心も凄ェでかい人だよい」
「ふふ、そうなんだァ」

〜〜〜〜〜

船長のことについて話を聞いた時、”身も心も”凄くでかい人だと確かにマルコは言っていた。しかしマヒロは軽く聞き流していた。

―― ほ、本当に大きい!

座っているにも関わらず、目の前に立ったマヒロの視線よりずっと上にその人の顔はあるのだ。
目を丸くして見上げるマヒロに白ひげは目を細めてニヤリと笑った。

「グララララッ! お前ェがマヒロか!!」

―― !

ドクン……

船長に名を呼ばれたマヒロはハッとして我に返るとコクンと頷いた。

「おれがこの船の船長をしているエドワード・ニューゲートだ。世間じゃあ白ひげと呼ばれちゃいるが――」
「オヤジ!」
「!」
「ですよね?」

ニコリと笑うマヒロに白ひげは片眉を上げると破顔して笑った。

「グララララッ、あァそうだ。マヒロ、おれの息子が世話になったなァ。親として礼を言う」

白ひげは椅子の背凭れに預けていた身体を起こすとマヒロに向けて頭を下げた。

「と、とんでもないです。私こそマルコさんには色々と助けて貰いました。だから、私の方が御礼を言わなきゃいけない立場です。本当にありがとうございます!」

マヒロはそう言って深々と頭を下げた。すると白ひげは目を丸くすると口角を上げて「そうか」と頷き「グラララッ!」と盛大に笑うのだった。

ドクン……

―― 凄い。本当に心が広くて器の大きい人。マルコさんがとても大事に思う気持ちがわかったわ。

「マヒロ」
「はい」

白ひげはマヒロの顔を覗き込むように前のめりになった。そしてお互いの目を間近で見つめると白ひげはニヤリと笑みを浮かべ、納得したように上体を起こして背凭れに身を預けた。

「なかなかに良い目をしてやがる。マルコを骨抜きにしたのも頷けらァ」
「へ!?」
「グララララッ、悪くねェ! おれァお前ェが気に入ったぜ。マヒロ、おれの息子を喜んでお前ェにくれてやる! 自由に扱き使ってやれや」
「はい!?」

白ひげの言葉にマヒロは素っ頓狂な声を上げた。

―― えェ!? わ、私、お宅の息子さんをお嫁にくださいって言いました!?

思わず心内でツッコむマヒロだったが、直ぐに何かが可笑しいと気付いて首を傾げる。

―― あれ? 何だか可笑しく無い? お宅の息子さんを嫁? あれ? え?
(混乱し過ぎだよいマヒロ)

混乱するマヒロに心内にいるマルコが堪らず落ち着けとばかりに声を掛けた。するとマヒロはハッとして我に返り冷静さを取り戻して大きく息を吐いた。

「いや、違うな」

そこを間髪入れずに白ひげが否定する声を漏らし、マヒロは視線を白ひげに戻した。

「あ、あの、何でしょう?」

少し不安気にマヒロが問い掛けると白ひげはニヤリと微笑を浮かべた。

「マヒロ、おれの娘にならねェか?」
「!」

ドクン!

白ひげの申し出にマヒロの鼓動は確定的に大きく鳴った。

―― あァ…そうなんだ。そういうことなんだ。

先程から胸が高鳴る意味をマヒロは漸く理解した。
マヒロは産まれてこの方『父性』というものにとんと縁が無かった。幼い時分に両親を亡くして祖母の手で育てられたマヒロは、心のどこかに何かが欠けているような感覚があった。何かが欠けて不足しているもの。その何かが何であるのかずっとわからなかったが、ここに来て漸く答えが出たのだ。

そう、まさにそれは『父性愛』だ。

実を言うとマルコからもそれに似た温かさをずっと感じていた。同じ魂の色という理由だけでは無く、それ以外にも惹かれる何かがあった。その正体が明確にはっきりと捉えて理解したマヒロは微笑を浮かべると目を瞑り、胸元に手を置いてギュッと握った。

「是非……こんな私で良いのなら、是非、私を娘に……この船の家族の一員に入れさせて下さい!」

マヒロは叫ぶようにそう言うと再び頭を下げた。両手を拳に変えてギュッと握り締めながら返答を待つ。そのほんの少しの間が途方も無く長く感じる程に緊張が駆け巡る。だがそんな緊張等無意味なものだと直ぐに分かる。

「グララララッ、アホんだらァ」
「!」
「寧ろこっちが頼んでんだ」
「え?」
「おれの娘になってマルコを助けてやってくれマヒロ」
「!」

白ひげは笑みを消し、真剣な表情を浮かべてそう言うと深々と頭を下げた。白ひげがマルコの名を口にした途端にどこか苦し気な表情を浮かべたことにマヒロは気付いていた。

―― ……この人は本当にマルコさんのことを実の息子のように大切に思ってるんだ。

胸がキュッと締め付けられる思いを抱いたマヒロは白ひげに真剣な目を向けた。

「その為に……、私はその為に、ここに来ましたから」
「!」
「マルコさんと共に戦い生きる為に、私はこの世界に来ましたから、安心してください」

誓いを立てるようにマヒロが白ひげに思いを伝えると白ひげはクツリと笑った。

「グララララッ、頼もしい言葉をくれやがる。マヒロ、お前ェは今日からおれの娘でおれ達の家族だ!!」
「! はい…、はい! ありがとうございます白ひげさん!」
「バカ野郎がァ、おれァお前ェの親になったんだ。白ひげさんなんて他人行儀な呼び方はねェだろうが?」
「あ、えっと、お、オヤジ…様」
「グララララッ! あァ、それで構わねェ! おう、サッチ」
「ん、宴の準備だろ? 言われなくてもわかってるぜ」
「やったなマヒロ! 今日からおれの妹になるんだな!」
「「え? 弟だよ(ぜ)?」」
「……へ?」
「……何?」

マヒロとサッチに訂正されたエースはピシッと石化して固まってしまった。そして何故か白ひげも目を丸くして停止している。

―― ……私ってばそんなにお子様に見えるの?

眉を顰めるマヒロにサッチは苦笑を浮かべた。

「マヒロ……、年は幾つになりやがる?」
「……二十八です」
「「二十八!?」」
「ッ!」

白ひげの問いにマヒロが答えるとエースだけでは無く白ひげも驚いて思わず叫んだ。するとマヒロは目を見張り、隣に立つサッチへと顔を向けた。

「サッチさん、もう嫌」
「ハハ…、二人共悪気は無いからそう怒るなって」

サッチが宥めるもののマヒロは顔を俯かせて影を背負った。だが宥めるサッチも実のところ周りの者達と同じ意見だった。ただ前もってマルコから実年齢を聞いていた為に驚く素振りを見せなかったのだ。

―― いやァ、本当……年齢に比べて幼く見えるってェマジだったんだな。

サッチが凹むマヒロの頭に手を乗せて軽くポンポンと叩いて撫でて慰める。その時だった。

<<ドクンッ>>

先程とは違う鼓動が大きく胸を打ったマヒロは堪らずグラリと身体のバランスを崩して倒れそうになった。

「!」
「おっと! だ、大丈夫かマヒロちゃん!?」
「マヒロ!? そうだ、お前ェ早く船医に診てもらえよ!!」

エースがそう言うと白ひげは眉をピクリと動かし、マヒロの身体を支えるサッチも眉を顰めた。

「どういうことだァエース」
「マヒロは血を吐いて倒れたんだ。これまで何度も血を吐いてるってよ」
「だ、大丈夫! 大丈夫だから!!」
「そりゃあ穏やかじゃあねェなァマヒロ」
「マルコさんに!」
「「!」」
「マヒロ?」
「……マルコさんに会えば治りますから……」

マヒロが自分を支えてくれているサッチの腕に掴まりながら静かにそう答えた。するとエースは目を丸くし、白ひげは眉間に皺を寄せて押し黙った。

<<ドクンッ>>

―― !

「うっ、ケホッ! コホッ!」
「お、おいおい、マジで血を吐いてんじゃあ大丈夫と言われても心配しちまうってんだよ」

サッチは首に巻いていた黄色のスカーフを外すとマヒロの口元にそれを当てて血を拭った。

「ごめんなさい。少し疲れたみたいです。休めば大丈夫ですから。それに、これはマルコさんにしか治せないものだから……」
「は……? な、何だよそれ?」

マヒロの言葉にエースは戸惑いの声を上げた。

「あァ、エースは知らねェんだよな」
「何をだよ?」

サッチが苦笑を浮かべてそう言うとエースは眉を顰めた。

「サッチ、マヒロを休ませてやれ」
「了解」
「オヤジ、船医に診せねェのか?」
「あァ、構わねェ」
「な!?」
「エース、お前ェは残れ。特別に話さなきゃならねェことがあるからなァ」
「ッ……わ、わかった」

事の仔細に関してエースに説明するのを白ひげが買って出た。マヒロはサッチに連れられて船長室から出ると、またどこをどう歩いたのかわからないままに目的の部屋に到着した。サッチが部屋の扉を開けて中を覗くと「相変わらずだな」と一言漏らしてマヒロを部屋へと招き入れた。

「あ、あの、この部屋は誰の……」
「あァ、ここな。マルコの部屋だ」
「え!?」
「机の上は相変わらず書類で埋め尽くされてっけど、それ以外はきちっとしてっからよ。シャワー室もあるから好きに使うと良いぜ」
「で、ですけど、マルコさんがいないのに勝手にだなんて」
「マヒロちゃんならあいつは喜んで自由に使わせるってんだよ」
「!」
「キングサイズのベッドを独り占めしちまいな。宴の時間になったら呼びに来っからよ、それまでゆっくり寝て休んでろ、な?」

気兼ねして遠慮を口にするマヒロにサッチは笑みを零し、マヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でた。

―― ……この人…どうして……。

「辛かったろ?」
「え?」
「一人で知らねェ世界を旅するのは相当勇気がいることだと思う。おれっちだったら速攻に根をあげちまうかもなァ。本当、よく一人で頑張ったよ。おれっちはマヒロちゃんを尊敬するぜ」
「!」

優しく労いの言葉を投げ掛けるサッチにマヒロはキュッと胸を締める思いを抱いた。

「……マルコさんがサッチさんのことをよくお話する理由がわかりました」
「え? 何、どういうこと?」
「サッチさんは人の機微に敏感な方なんですね。流石はこの大所帯の食を担う料理長ですね」
「……」
「サッチさんに会えて嬉しかったです。これからも宜しくお願いしますね」
「!」

マヒロが笑って手を差し出して握手を求めた。するとサッチは少し驚いた表情を浮かべたが直ぐにクツリと微笑を零し、差し出されたマヒロ手を握り返した。

「こちらこそ宜しくな、マヒロちゃん」

ニコリと笑って答えるサッチにマヒロは「あ、そうだ」と借りたスカーフについて洗って返すと申し出るとサッチはマヒロの手から血に染まったスカーフを奪い、マヒロの身体をトンッと押してマヒロをベッドに座らせた。
マヒロがキョトンとして見上げているとサッチは鼻の頭をポリポリと掻きながら眉尻を下げた笑みを浮かべた。

「マヒロちゃん、マジ、ありがとな」
「え?」
「おれらもマルコの助けになってやりてェって思ってんだけどよ、おれ達には見えない敵だから協力したくてもできねェし、出来ることって言やァあいつの話を聞いてやるか、バカな話をして笑わせて発散させてやるかぐらいしかできねェからよ」
「……」
「マルコは無駄に責任感が強ェから一人で何もかも背負い込む癖みてェのもんがあるからよ、マヒロちゃんが来てくれておれらは本当にありがてェって思ってんだ」
「サッチさん……」
「ハハ、まァ、何だ、とりあえず自分の部屋だと思って気楽に休めってんだ。また来るからな」

喋っている内にサッチは気恥ずかしくなったのか、少しだけ頬を赤くしながら苦笑して話題を切り、そそくさと部屋を出て行った。
パタンと締まる扉を見つめるマヒロは少し間を置いてクツリと笑うと身体を倒して天井を見上げた。
まだ大して言葉を交わしたわけでは無いが、この船に乗る者達は誰もが心温かくて互いの距離感がとても近いようにマヒロは感じた。

―― マルコさんが『家族』だって言ってた意味がよくわかる。

靴を脱いで全身をベッドに預けて枕に顔を埋めたマヒロは静かに目を瞑った。

トクン……トクン……

―― 凄く…落ち着く。懐かしくて凄く良い匂いがする。………………え?

カッと目を見開いたマヒロはボンッと顔を真っ赤にしてガバリと起き上がった。

「や、やばい……本当にヤバいよ」

両手で頬を包みながらマヒロは目を白黒させてオロオロし始めた。

「ど、どうしよう!? や、休めない! や、やだ、マルコさん、マル…コ…さん……会いたい、直ぐに会いたいよ」

自ずとマルコの名を呼んだマヒロの目からポロリと涙が溢れ落ちてシーツを濡らした。
漸く辿り着いたのにまさかのお預けになるとは思ってもみなかった。船上に立った時、マルコの不在を直ぐに察して平気だと思っていたのにどうして涙が零れ落ちるのか。
マヒロは涙を拭いながら「そんなの簡単だよ」と呟いた。

マルコの匂いがするだけで鼓動が高鳴る。
マルコの声で名前を呼んで欲しい。
マルコの手が、温もりが、早く欲しい。
会いたい。
早く会いたい。

気持ちがどんどん膨らみ、どうにかなってしまいそうだとマヒロは自分の身体を抱き締めるように腕を交差させて身体を丸める。そしてベッドに横になるとシーツで身体を包んで枕に顔を埋めた。
どうしても胸の鼓動が早くて落ち着かない。しかし温かくて、懐かしくて、マルコの匂いに包まれているマヒロの胸中に恋しさと愛しさで溢れ、マヒロはギュッと目を瞑った。
暫くそうしている内に段々と落ち着きを取り戻したマヒロは、そのままゆっくりと深い眠りへと就くことができたのだった。

オヤジ

〆栞
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